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2023年10月27日金曜日

「同一価値労働同一賃金」を実現するための法改正について:共産党と立憲民主党の提案を手掛かりに

  2023年10月,共産党が「非正規ワーカー待遇改善法案」(骨子)を発表した。論点ごとにどの法律を改正しなければならないかを列挙しているので具体的である。また,立憲民主党は2020年11月に「同一価値労働同一賃金」法案を衆議院に提出している。野党から均等待遇に向けた具体案が出ていることは望ましい。

 ここでは,処遇の根幹である賃金において,正規・非正規の格差をどう是正するか,とくに法的措置としては何ができるかについて,両党の提案を手掛かりに検討したい。

 共産党の法案骨子は「『同一価値労働同一賃金』『均等待遇』の具体化を法律に明記します」「企業の恣意的な判断ではなく,客観的基準に基づいて評価し,非正規雇用を理由とする賃金・労働条件の差別を禁止します」と宣言している。もっともなことであるが,問題は,どのような「客観的基準」を設定するかである。他の論点に比べると,共産党の提案はここのところで具体性を欠いている。

 他方,2020年の立憲民主党法案は正規と非正規の待遇格差の合理性に関する挙証責任を使用者側に求めること,すでに起こった訴訟を踏まえて賞与・退職金の格差是正の規定を盛り込むこと,また複数個所(正規・非正規の待遇差の説明義務と,派遣労働者と通常労働者の処遇に不合理な差を付けないために考慮すべき要因)で「職務の価値の評価等を踏まえた」場合に言及していること,基本給・賞与・退職金が賃金の後払いまたは継続的な勤務に対する功労報償の性質を持つ場合については,他の性質を持つ部分とわけて扱うことを求めている。これは具体的な格差是正基準に迫ったものである。

 立憲民主党法案が,この間に起こった様々な正規・非正規格差に関する訴訟を踏まえ,「継続的な勤務に対する功労報償」を他の部分と区分せよという着眼点を入れたことは,理論的には鋭い。しかし,この区分を実務的に行うこと,つまり基本給や賞与や退職金について年功的部分と他の部分を分離することはかなり難しいだろう。実施するなら手法開発が必要である。また,職務の価値の評価という,格差を是正するためのまぎれのない視点に注目しながら,それを考慮すべき要因にとどめてしまっており,これも実務的に具体化することは難しい。既に法にある「職務の内容」規定に溶け込んで独自の意味を持たなくなってしまう恐れがある。

 日本において,正規雇用労働者の賃金は,何に基づくか不明だが勤続とともに昇給する漠然とした「基本給」と,職務遂行能力に基づく「職能給」を中心に置いていることが多い。これは,年功的基本給と職能給は,人の特性を基礎にしたメンバーシップ型雇用の賃金である。ところが非正規雇用労働者はおおざっぱな職務給であり,適切に職務を評価されていない。差別的に切り下げられたジョブ型雇用の賃金である。このままでは両者のものさしがまったく異なっていて,客観的基準に基づいた格差是正ができようもない。「働き方改革」の目玉であった正規・非正規の不合理な格差是正がなかなか進まないのも,ここに原因がある。

 是正のために,理論的妥当性を実務的実行可能性を両立させる措置を考えた。

*案1)企業には就業規則の一部として賃金表作成を義務付けるとともに(ない会社もあるのだ。驚くべきことだが),正規・非正規間で賃金の主要部分について賃金形態と賃金表を統一する。つまり,非正規労働者も正規労働者の給与表を用いて,そのどのランクに該当するかに基づいて賃金を支給する。これで少しは客観的な基準が生まれる。ただし,これは公務員や独立行政法人の少なくとも一部ではすでに実施されていて,それで問題が解決した様子もないので,部分的な効果しかない。

*案2)案1に加えて,賃金のうちとくに「職務の価値と職務の成果に基づく部分」については,職務評価を義務付ける。職務評価に関する規程を就業規則の一部分として作成必須とすればよいので,法的にはそれほど複雑ではない。

 職務評価とは,簡単に言えば,職務を分析し,諸要因(技術難易度,資格必要度,肉体負荷度,精神負荷度,責任度,安全衛生リスク,業績への貢献度等々)に基づいてランク付けし,ランクごとの賃率を決める,というものである。職務の価値をもとに,それについて成果を達成した場合の賃率も決められる。まちがってはならないのは,人ではなく,職務(job)の方をランク付けするのである。本来,産業別の統一基準が欲しいところだが,すぐにはできないし,法的義務になじまない。よって法的には各社ごとの職務評価でよいこととし,その適切性について要件を定める。

 やや専門的な論点が二つある。一つは,職務給は成果を評価できないのではないかという疑問がみられることである。これは単なる誤解である。職務価値に基づいて職務の成果についても賃率が付けられる。成果給とは職務の成果給なのであり,むしろそうしてこそ成果の評価にそれなりのものさしがうまれる。

 もう一つの論点は,厳密な意味での職務評価,すなわち個々の職務の価値・その成果を評価するものでなければならないか,すでに大企業が正社員にある程度取り入れている「役割」評価でもよいかということである。「役割」「行動特性」評価は職務の評価と人の能力評価の中間になるので,客観性担保のためには職務評価としたいところだが,実行可能性を踏まえ,また職務内容が流動的な場合も踏まえると,「役割」評価的なものは許容せざるを得ないだろう。ただし,ぼんやりとした行動特性ではなく,職務に即し,職務を果たすために必要な役割に限定する必要がある。

 なお,職務評価の導入は企業にはそれなりの負担となるので,中小企業に何らかの公的支援をつけるのがよいだろう。

 これにより,賃金体系の一部または全部について,端的に職務ランクと賃率が「A:時給○○円」「B:時給△△円」などと,同一基準で正規についても非正規についても定まっている状態を生み出すことができる。就いている職務がAランクならば,正規だろうと非正規だろうと,まだ性別が何であろうと,年齢が何才だろうと,職務給は○○円×労働時間だけ支給されるのであり,この部分については差別はなくなる。「同じ仕事をしているのに非正規の方が給料が安い」という問題を大幅に改善できる。

 もちろん,これでも問題は残る。そもそも就いている仕事そのものの格差による賃金格差はなくせず,これは職務給が一般的なアメリカの現実である。ただし,その差の根拠は客観化されるので,身分的な説明のない差別的格差は緩和できる。また,会社は正規労働者だけに勤続に基づく給与部分を残すであろうから,その部分では非正規との格差が生じる。これは,立憲民主党法案の考え方を,より具体化する手法を開発して変えていく必要がある。

 これによって,正規・非正規ともに「職務の価値と職務の成果に基づく部分」についてはまったく同一の基準によって賃金が支給されることになり,差別は法的に禁止される。この方策が「同一価値労働同一賃金」原則の直接的な具体化策であることは言うまでもない。

 いったんこの制度ができれば,職務評価を公正にするために,労働団体,コンサル,使用者団体がそれぞれに工夫し,ナショナルな,まだ産業別の基準が形成されていくことが期待できる。それによって,会社の枠を超えて,賃金の在り方を社会的なこととして議論し,改善していく動きが強まるだろう。

 以上が,「同一価値労働同一賃金」を,実行可能な形態で具体化するための私の提案である。

「『非正規ワーカー待遇改善法』の提案」『しんぶん赤旗』2023年10月21日。

「賞与・退職金等に係る正規・非正規労働者の待遇格差を是正、 同一価値労働同一賃金法案を衆院に提出」立憲民主党,2020年11月13日。


2023年10月25日水曜日

ウォルター・アイザックソン著(井口耕二訳)『イーロン・マスク(上)(下)』文藝春秋,2023年を読んで

 スティーブ・ジョブズの伝記と言い,今回のイーロン・マスクの伝記と言い,著者のウォルター・アイザックソンが考えていることは,次の箇所に集約されていると思う。

「自信満々,大胆不敵に歴史的な偉業に向けて突きすすむなら,ひどい言動や冷酷な処遇,傍若無人なふるまいも許されるのだろうか。くそ野郎であってもいいのだろうか。答えはノーだ。もちろんノーだ。同じ人でもそのいい面は尊敬し,悪い面はけなす。それはそんなものだろう。ただ,ひとりの人を形作る糸はより合わさっている。それこそ,きっちりとより合わさっている場合もある。布全体を全部ほどくことなく闇の糸を抜くことは難しかったりするのだ。」(邦訳,下,p. 435)

 ジョブズとマスクには具体的なところでは共通点も違いもある。マスクはエンド・ツー・エンドに仕上げようとするところはジョブズと同じだが,工学系の人間であり,エンジニアリングでも製造でも自ら現場指揮を執るところは違う。物理的なところも自ら見られるので,現場に行かないエンジニア,製造を知らない設計者を許さないという特徴もある。限界まで激しく,現場に詰めて寝ずに働くシュラバそれ自体を価値あるものとする点はジョブズより極端である。製品に対する美意識の強さは同じだが,マスクはコスト意識が極めて強く,無茶なほど設計簡素化と省略を強要するところが違う。家族に対する態度は,形は違うようでところどころ無茶苦茶なのは同じとも言えて,これは何とも言い難い。

 経営学の研究者からすると,マスクがエンジニアリングと製造のシームレス化や改善や激しい働き方についてやっていることは,ある意味ではかつての日本の企業人と似ていると考えることもできる。ただ,自分と優れたエンジニア数名が主役となり,現場を駆け回って命令しながら成し遂げようとするところは違う。上から下まで誰にでも合理的説明と工夫をさせようとする点はかつての日本企業と似ているが,それを自らの一方的命令で行い,うまくいかなければ速攻で解雇して人を入れ替えるところは違う。

 実は私は,何だかんだ言っても少量生産であるスペースXはとにかく,一般顧客向け大量生産のテスラをどうやって成り立たせたのかが不思議でならず,本書を買った。答えは,「自分と何人かの専門家が総出で現場で徹夜で監督する+説明と改善をすみずみまで強要する+能力不十分なら速攻で解雇して速攻で補充採用する」のように見える。それで何とかなるはずはないだろうと思う一方で,本書を読むと何とかなりそうにも思えてくるから不思議である。まだ半信半疑だが,確かにすごいと思う。

 スペースXやテスラに関する章に比べると,ツイッターに関する章は読んでいて気持ちが悪い。著者がカンパしたように,マスクはスペースXやテスラと同じようにツイッターもテック企業だと思い込んでいたが,実はコミュニケーション企業だったのだ。スペースXやテスラでは,マスクがダメだと思い込んだ人間をクビにして設計や製造の仕方を変えれば済むが(それでもどうかとは思うが),ツイッターの場合,マスクの不用意な言動で,轟轟たる中傷を浴びねばならなくなる人が発生するところは,本書で最も嫌な気持ちになった部分である。

 結局は冒頭に引用したアイザックソンの言葉に尽きるのだが,私の関心は上記のようなところにあった。それぞれの関心から読めば,きっと面白く,また考えさせられる本だと思う。


ウォルター・アイザックソン著(井口耕二訳)『イーロン・マスク(上)(下)』文藝春秋,2023年。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163917306




2023年10月20日金曜日

Devlin, A., & Yang, A. (2022). Regional supply chains for decarbonising steel: Energy efficiency and green premium mitigationを読む:日本鉄鋼業に難問を突き付けるシミュレーション

 Devlin, A., & Yang, A. (2022). Regional supply chains for decarbonising steel: Energy efficiency and green premium mitigation. Energy Conversion and Management, 254, 115268.
https://doi.org/10.1016/j.enconman.2022.115268


 これは日本鉄鋼業に難問を突き付ける論文である。オープンアクセスなので,誰でも読める。

 本研究は,西オーストラリアのピルバラ地域において製造されるグリーン水素を,日本とオーストラリアのパートナーシップの下,両国のどちらかで水素直接還元製鉄・電炉製鋼(H2DRI-EAF法)に利用するとして,どの工程をどちらに立地した場合に,エネルギー消費と鉄鋼製造コストがどうなるかをシミュレーションしたものである。輸送やエネルギー転換の際に,水素を液化水素にするか,アンモニアにするかについても比較している。時点は2030年と2050年である。使用する鉄鉱石についてはどれも同じ条件である。

 研究結果を立地についてだけ紹介する。パターンは以下の3つである。

SC1:太陽光発電,水の電気分解による水素製造をピルバラで行ない,液化水素またはアンモニアとして日本に輸出。日本で水素製鉄と電炉製鋼を行う。

SC2:太陽光発電,水の電気分解による水素製造,水素製鉄までピルバラで行い,海綿鉄(HBI),液化水素またはアンモニアを日本に輸出。日本で電炉製鋼を行う。

SC3:太陽光発電,水の電気分解による水素製造,水素製鉄,電炉製鋼をピルバラで行い,鉄鋼半製品を日本に輸出する。

図解はFig.1にある

https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0196890422000644-gr1_lrg.jpg

注1:日本で製鉄・製鋼を行う場合も,ピルバラで製造された水素や,そこから燃料電池で製造された電力を用いると想定。

注2:海上輸送においても,燃料電池を船用動力とし,動力源としてピルバラで製造された水素をもちいる。

 その結果は以下のFig. 3のとおりである。

https://ars.els-cdn.com/content/image/1-s2.0-S0196890422000644-gr3_lrg.jpg

 2030年でも2050年でも,また液化水素を用いてもアンモニアを用いてもSC1よりSC2,SC2よりSC3の方がエネルギー消費が小さく,鉄鋼製造コストも低い。つまり,ピルバラにグリーン水素製造から製鉄,製鋼まで集中立地した方が効果的だというのである。ただし,従来の化石燃料ベース,つまり石炭・コークスで鉄鉱石を還元する高炉・転炉法と比較すると,省エネにはなっているが,コストは高い。ピルバラでのグリーン水素製造を起点としたグリーンスチール生産のためには,一定のカーボンプライシングが必要である。ただし,2050年のSC3では,カーボンプライシングがなくとも高炉・転炉法と競争できるようになると予測されている。

 ここから私見である。本論文の通りであれば,このシミュレーションの前提に立つ限りにおいて,適度にカーボンプライシングがかけられた場合,オーストラリアから鉄鉱石と原料炭を輸入し,日本の製鉄所で製鉄,製鋼を行うという従来の日本鉄鋼業の方式は成り立ちがたいということになってくる。これは日本に立地するという意味での日本鉄鋼業にとっては,深刻な将来像と言わねばならない。もちろん,日本でピルバラよりも安価にグリーン水素が製造されれば,このシミュレーションと異なる将来像も描けるが,これまでのところ,その見通しはたっていない。

 このシミュレーションが妥当であるとした場合に,日本の鉄鋼企業や,水素製鉄のサプライチェーンに関わる諸企業(エネルギー企業,商社,海運業,そして,鉄鋼業の新規参入候補)の選択肢はどのようになるかを考える必要がある。

https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0196890422000644?via%3Dihub

グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路(英語論文の日本語原稿を公開)

 論文「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」をThe Japanese Political Economy誌に発表いたしました。日本語原稿を以下で公開していますので、ご利用ください。

https://www2.econ.tohoku.ac.jp/~kawabata/paper/GreensteelAMJapanese.pdf


要旨

本稿は,日本の鉄鋼メーカーが環境に配慮した鉄鋼生産,すなわちグリーンスチールを追求するために選択した技術経路を検証した。この経路は、国際エネルギー機関(IEA),日本政府,公的機関,経済団体,鉄鋼メーカーの文書を分析することによって特定される。分析結果は,高炉・塩基性酸素転炉(BF-BOF)技術を利用する日本の銑鋼一貫メーカーは,グリーンスチールのための技術開発と設備投資で遅れをとっていることを示している。これらの企業は,自社の固定資本の価値や,高級鉄鋼メーカーとしての評判を維持するために,CO2排出量の多い高炉技術に固執してきた。その結果,CO2排出量の少ない電気炉(EAF)方式への移行が遅れ,またゼロエミッションが期待できる水素直接還元法の開発で遅れを取っている。しかし,パリ協定や日本政府によるカーボンニュートラル宣言によって,こうした姿勢の見直しが迫られている。このケースは,環境の政治経済学の理論や,大企業の新技術に対する保守的なアプローチに関する理論が,グリーンテクノロジーの出現の時代にも通用することを物語っている。

 正式の英語版は以下でダウンロードできます(オープンアクセス)

Nozomu Kawabata, Evaluating the Technology path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition, The Japanese Political Economy.
https://doi.org/10.1080/2329194X.2023.2258162



2023年10月11日水曜日

労働調査という先達:産業調査論の開講にあたって

 「産業発展論特論」という大学院講義科目で,産業調査論の授業を始めた。それにあたって,参考に「戦後日本の労働調査〔分析篇覚書〕」『東京大学社会科学研究所調査報告』第24集,1991年1月を通読した。1945-68年まで,東大社研を中心に行われた労働調査を,60年代末から70年代前半にかけて労働調査論研究会の研究者が振り返って考察したものである。

 残念ながら,私の不勉強により,この時期の調査の成果自体はほとんど未読である。そのため,この分析篇覚書に収録された報告も,理解できているとは言い難い。

 ただ,何となくわかることもある。山本潔氏が掲げた図(2枚目画像。本書220ページ)と,社研労働調査について,世代の異なる二人の研究者が私に話してくれたことのおかげである。一人は大阪市大で同僚であった何歳か年上の植田浩史氏である。私は1990年代に産業調査の方法を植田氏から教わったが,植田氏は山本氏から教えを受けたはずである。もう一人は東北大で同僚であった,さらに一世代上の野村正實氏であり,彼から聞いたことはいわば私にとって神々の領域である。

 東大社研の調査が労働調査であったのは,そこにいた研究者が社会政策・労働問題をたまたま専門としていたという事情によるのではない。戦後の状況の下で,社会生活を編成し,組織していくのが労働者であり,労働運動であり,労働組合であろうという問題意識を,研究者の多くが持ち得たからである。それは,程度の差や理解の仕方のバラエティがあったにせよ,マルクス派社会科学の枠組みに沿って当時の現実が理解されていたからである。

 しかし,戦後日本社会の現実の展開は,労働運動と労働組合の役割を限定的なものとした。本書の元になった報告が行われた1970年前後でさえそうであり,その後についてはなおさらであった。労働問題・労使関係は,日本社会の全体を規定するものとしてでなく,一つの専門領域として研究されるようになっていった。そして,社会生活を大きく規定する主体として立ち現れたのは,企業であり経営だったのである。経営が独立変数であり,労働は従属変数となっていた。社研調査のテーマの変遷は,そのことを承認して視点を企業へとシフトさせていったことを示しているように思う。

 このような変遷の中で,山本潔氏が行っていた労資関係研究と中小企業研究のうち,植田氏は後者を受け継いだ。それでも植田氏は『大阪社会労働運動史』の執筆や光洋精工社史の執筆において労働組合にも調査に行っていたはずである。しかし,彼にくっついて実態調査に入った私の場合,最初から調査に行くべき相手は企業であり,経営であった。「企業経営が,労働と生活をどのように規定しているか」という因果関係の調査を通してしか,現実に対する肯定も批判もしようがないと,当時の私には思われたのである。こうして,私のささやかな産業調査は始まった。






2023年10月4日水曜日

東北大学は,論文「日本における初期綿糸紡績技術の研究」の提出により,玉川寛治氏に博士(経済学)の学位を授与しました

  東北大学大学院経済学研究科は,2023年8月24日の教授会において,博士論文「日本における初期綿糸紡績技術の研究」の提出により,玉川寛治氏に博士(経済学)の学位を授与することを決定しました。審査は,結城武延(主査),川端望,阿部武司の3名が行いました。この学位論文は,10月2日に東北大学機関リポジトリTOURにて公開されました。シェア先で全文PDFをダウンロードいただけます。

 本論文は,歴史ミステリーもかくやと思わせるような謎解きとなっています。著者は「日本綿の繊維の短さが初期日本紡績業の困難の最大要因であった」というシンプルな命題の真実性を明らかにし,これを軸に,技術史,経済史上の謎を次々と解き明かしていきます。関心のある方はぜひご覧ください。審査の詳細は日本経済史専門の結城,阿部先生にリードしていただきましたが,本論文の審査に携われたことは,私にも大変な幸いであり,学びとなりました。

 「本論文は、著者の長年にわたる研究の集大成として執筆されたもので、極めて独創性が高く、実証的にも確度の高い研究成果である。すなわち、技術史及び産業考古学の観点から当時の紡績技術と生産工程を復元・再構成した上で、日本綿の繊維の短さが初期日本紡績業の困難の最大要因であったことを明らかにし、さらに紡績業者がその事実を認識して原料転換と新たな技術選択を行っていく過程を説明したことである。産業革命期日本の紡績業に関する先行研究はその重要性から膨大にあるが、意外にも始祖三紡績の実態や官営紡績所から大阪紡績会社をはじめとした民間会社への移行過程における技術・機械・原料選択に関する要因は不明な点が多く、それらを明らかにした本論文の学術的貢献は非常に大きいといえる。この研究が可能になったのは、元紡績技術者でもあった著者が独自に収集した広範な資料群を駆使したからにほかならない。」(審査報告より抜粋。この報告書も間もなくTOURに掲載されます)。


<目次紹介>

第1章 序論
第2章 日本における紡績業発達史の概要
第3章 始祖三紡績
第4章 官営愛知紡績所から大阪紡績会社へ
第5章 繭糸織物陶漆器共進会(第二区二類綿糸)で明らかにされた紡績技術
第6章 日本綿・中国綿からインド綿・米綿・エジプト綿へ
第7章 インド綿・米国綿・エジプト綿用の紡績機械
第8章 ミュール精紡機とリング精紡機の選択をめぐる諸問題
第9章 結論

 なお,玉川氏には以下の著書がありますので,併せてご紹介します。

玉川寛治『「資本論」と産業革命の時代―マルクスの見たイギリス資本主義』新日本出版社,1999年。
前田清志・玉川寛治編集『日本の産業遺産〈2〉―産業考古学研究』玉川大学出版部,2000年。
玉川寛治『製糸工女と富国強兵の時代―生糸がささえた日本資本主義』新日本出版社,2002年。
玉川寛治『飯島喜美の不屈の青春―女工哀史を超えた紡績女工』学習の友社,2019年。

本文ダウンロードページ
玉川寛治『日本における初期綿糸紡績技術の研究』


岡橋保信用貨幣論再発見の意義

  私の貨幣・信用論研究は,「通貨供給システムとして金融システムと財政システムを描写する」というところに落ち着きそうである。そして,その前半部をなす金融システム論は,「岡橋保説の批判的徹底」という位置におさまりそうだ。  なぜ岡橋説か。それは,日本のマルクス派の伝統の中で,岡橋氏...