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2018年11月28日水曜日

カルロス・ゴーンの逮捕は法の適切な執行なのか

 カルロス・ゴーンの逮捕劇についてはいろいろな角度から論じることができるだろう。とりあえず,検察には法をちゃんと執行して欲しい,法律違反は取り締まり,権力乱用はしないでくれという立場からみると,カルロス・ゴーン逮捕にはわからない点が多すぎる。郷原信郎弁護士や細野祐二氏の指摘がすべて正しいかどうかはわからないが,以下の点を私は知りたい。

1)ゴーンの報酬は有価証券報告書に記載すべきものであったのか。どうしてそう言えるのか。
2)そうだったとして,なぜ日産自動車でなくゴーンほか1名という個人が罪を問われるのか。有価証券報告書未記載に責任を負うのは法人としての日産自動車ではないのか。
3)ゴーンの部下が「内部告発」したというのなら話としてわかるが,何がどう「司法取引」なのか。司法取引した当人は,どのような重大情報を検察に与えたのか。
4)ゴーンが会社の金で買った不動産を私的に利用していたことは倫理的に問題なのは当然として,それで刑事的に罪を問える,例えば会社に損害を与えたから背任を問うべきとまで言えるのか。

 これまでマスコミの報道記事は,客観報道のふりをした表面報道に過ぎないと思う。検察の行動と法の整合性が客観的に問われるときは,きちんと論点を立てて,「この点はおかしくないか,説明が必要だ」と追及しなければならない。それが本来の客観報道であり,権力に対する必要な監視ではないのか。

「ゴーン氏逮捕は「ホリエモン、村上ファンドの時よりひどい」 郷原信郎弁護士が指摘」ITmediaビジネスONLINE,2018年11月27日。

細野祐二「「カルロス・ゴーン氏は無実だ」ある会計人の重大指摘」現代ビジネス,2018年11月25日。

2018年11月27日火曜日

Abstract of my new paper titled "Development of the Vietnamese iron and steel industry under international economic integration"

  My discussion paper titled "Development of the Vietnamese iron and steel industry under international economic integration" will be uploaded on the site of Tohoku University Repository in next month. Both English and Japanese versions will be available. The abstract is as follows:

  This study discusses the development of the Vietnamese iron and steel industry under international economic integration. In particular, this study investigates what type of enterprise was responsible for this development, as well as the economic and managerial logic that can explain this development. The analysis provides suggestions for industrial development under international economic integration in developing economies.
  Under trade and investment liberalization, private enterprises and foreign capital firms have been the main participants in the development of the Vietnamese iron and steel industry. However, such development did not occur via a simple laissez-faire approach. Each enterprise type and the government faced challenges. Ownership and management reform were required of state-owned enterprises, and local private enterprises had to ensure market creation through innovation, by making full use of the local condition. Foreign enterprises had to introduce the huge funds and state-of-the-art technology. Moreover adaption to local society influenced their projects’ progress. Thus, the government should review and monitor large-scale projects from both economic and social viewpoints. The Vietnamese iron and steel industry recorded steady growth because some of these conditions were met, while some unachieved conditions caused problems.
  This case suggests that industrial development under international economic integration is possible. In addition, such integration requires not only a market mechanism but also an entrepreneurial spirit that encourages market creation and government policies that complement the market’s role and resolve social issues.

Related papers

2018年11月26日月曜日

「国際経済統合下におけるベトナム鉄鋼業の発展」要旨の先行公開

 来月上旬に,ディスカッション・ペーパー「国際経済統合下におけるベトナム鉄鋼業の発展」を日本語・英語双方で公開します。ここで要旨を先行公開します。

要旨
 本稿は,国際経済統合下におけるベトナム鉄鋼業の発展について論じる。とくに,この発展を担ったのはどのようなタイプの企業であるのか,この発展はどのような経済的・経営的ロジックによって説明できるのかを検討する。これらを通して,発展途上国における国際経済統合下の産業発展についての示唆を得る。
 ベトナム鉄鋼業の発展は,貿易・投資の自由化推進という経済環境の下で,国有企業ではなく,民間企業と外資企業を主な担い手として実現した。しかし,自由放任政策のみで発展が実現したわけではなく,企業と政府は様々な課題を解決しなければならなかった。国有企業には所有・経営改革が必要だった。民間企業はローカルな諸条件を生かしたイノベーションと市場開拓を遂行しなければならなかった。外資企業は大規模な資本動員と最新技術の導入,そして現地社会への適応を求められた。政府は経済的・社会的観点から,大規模プロジェクトに対する適切な審査と監視を行わねばならなかった。ベトナム鉄鋼業は,これらの条件のうちいくつかを満たして順調な成長を遂げた。ただし,いくつかの条件が達成できなかったために問題も生じた。
 ベトナム鉄鋼業の事例が示唆するのは,国際経済統合下の産業発展は可能であること,そしてそのためには市場メカニズムを作動させるだけでなく,市場を創造する企業者行動と,市場の役割を補完し社会問題を解決する政府の政策と行動が必要だということである。

2018年11月22日木曜日

韓国政府による「和解・癒やし財団」の解散決定について

 韓国政府による,慰安婦被害者支援のための「和解・癒やし財団」の解散決定について,暫定的にコメントする。

*韓国政府の見地に対して
・前政権による日韓合意が慰安婦被害者本人の意向を無視したものであったことを,文在寅政権が問題視するのはありうる。そこまではわかる。
・しかし,政府当局者も言うように,「韓日間の公式合意」であることから,「慰安婦合意の破棄や再協議を要求しない」というのも常識的な線というものだろう。それもわかる。
・しかし,韓国政府が慰安婦被害者支援のための「和解・癒やし財団」を解散するという場合,どうしても問題は起こらざるを得ない。
・韓国政府当局者は「日本政府が誠意ある姿勢でこのため(被害者の方々の名誉と尊厳の回復および傷の癒やし)に努力することを期待する」というが,日本政府は,そのつもりで「和解・癒やし財団」にお金を拠出したはずだ。そう認められたから合意が成立したのだ。
・それではだめだというのであれば,1)韓国政府は日本政府が拠出したお金はどのように扱うのかという問題が起きる。また,より根本的な問題として,2)公式合意を破棄はしないけれど,合意はまちがっていることなので遂行できない,日本政府はもっと別なことをして欲しいという立場を表明しているが,「最終的かつ不可逆的な解決」という合意を破棄せずに,別なことをしてほしいと要請するのは,さすがに矛盾している。
・それでも別なことをしてほしいというのであれば,それが何であるかを表明するのは,韓国政府側の責任であろう。それは何なのか。韓国メディアの日本語記事も見ても,どこにも見つからない。『朝鮮日報』のイム・ミンヒョク論説委員も文在寅政権は「自分たちはどのようにして真の謝罪と法的責任認定を引き出すのかについて、何の答えも出していないし、答えがあるわけでもない」と指摘している。要求項目が不明なまま「誠意ある姿勢」を要求して,日本が先に提案しろというのは,いくら何でも無茶である。それで話が進むわけがない。
・文在寅政権としては不本意であろうが,「和解・癒し財団」という方式が適切でないと考えたとしても,日韓の外交合意を破壊しないのであれば,やるべきは「和解・癒し財団」の解散ではなく,韓国の国内政策としての追加措置なのではないだろうか。

*日本政府がとるべき態度について
・日本政府が「日韓合意で終わったのだ」とだけ言い放つのは,適切ではない。日韓合意には,「安倍晋三首相は日本国の首相として、改めて慰安婦としてあまたの苦痛を経験され心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する」という趣旨がある。この「おわびと反省」の立場を堅持していることを表明し続けねばならない。そうしなければ,おわびや反省は本心ではなかったのかと,韓国のみならず国際社会から疑われるだろう。
・「何度も謝罪しなければならないのはおかしい」という人がいるかもしれないが,そうする必要はないのだ。改めて謝罪するのではなく,「謝罪した立場にいまも変わりはない」と言い続けることが大事なのである。それは,政治だけの問題ではなく,倫理的にも当然のことだろう。
・政府が「日韓合意で終わったのだ」とだけ言い放つことによって,日本国内にある,慰安婦などいなかったという極論を始め,反韓国感情を煽り立てる効果があることは明らかだ。安倍政権がそれを放置するのは不適切であり,自ら選んだ「おわびと反省」という見地に照らして不誠実だ。自ら表明した正式見解を守ることが安倍政権の責任だ。慰安婦とされた女性たちに対する,お詫びと反省の気持ちをずっと維持していること,その具体的な形として「和解・癒し財団」への拠出を行ったこと,そのようなものとして日韓合意は有効であることを,内外に発信するのが妥当だと考える。

イム・ミンヒョク「【萬物相】慰安婦財団解散、「文在寅式解決法」とは一体何なのか」『朝鮮日報 日本語版』2018年11月22日。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/11/22/2018112280008.html
「韓国政府「慰安婦合意、破棄・再協議要求せず…日本の誠意ある努力に期待」」『中央日報日本語版』2018年11月22日。
https://japanese.joins.com/article/375/247375.html
「慰安婦財団解散 日本の真摯な姿勢に期待=韓国外交当局」『聨合ニュース』2018年11月21日。
https://m-jp.yna.co.kr/view/AJP20181121004900882?section=japan-relationship/index

<関連>「従軍慰安婦問題に関する河野談話についてのノート:企業経営研究者の立場から A Note on the Statement by the Chief Cabinet Secretary Yohei Kono on the Issue of "Comfort Women" (2014/3/3)」Ka-Bataアーカイブ。
https://riversidehopearchive.blogspot.com/2018/10/a-note-on-statement-by-chief-cabinet.html

2018年11月21日水曜日

財務大臣が「人の税金で大学に行ったんだ」と放言する自己否定

 麻生さんの「人の税金で大学に行ったんだ」発言。その前後も音声ファイルで分かった。前後を無視した一方的中傷でもなければ,文脈無視でもなかった。大学の財源多様化を訴えた話でも何でもなかった。まさに東京大学に行ったことを「人の税金で言った」というただそれだけの発言だった。

 「どの口が」ということもある。大金持ちの親御さんの金で学習院大学に行ったであろう麻生さんが,税金で大学に行くことを批判するのはどうなのだろう。親の金で行くのも税金で行くのも,自分だけの力ではないことには変わりない。麻生さんが威張って良い根拠は何もないと思う。

 とはいえ,私は別に,自力で大学に行くのが偉いという価値観を支持したいのではない。その逆だ。

 麻生さんが学習院大学に行けたのは,一方で麻生産業(現・麻生セメント)の総帥である親御さんのおかげであり,他方で税金を財源とする私学助成のおかげだ。私だってそうだ。両親のおかげ,税金のおかげで国立大学に行けたのだ。ほとんどの人は,自分自身の力だけで学校に行っているわけではない。たいていは両親・親類に支援してもらい,税金に支援してもらっているのだ。

 そして,それでいいのだ。そうであるから,教育の機会均等が守られるのだ。

 麻生さんが間違っているのは,親に感謝するのでもなく,税金の役割を尊ぶのでもなく,「人の税金で大学に行く」ことを批判し,自分自身の力だけで行くことを正しいかのように言っていることだ。最も深刻なのは,麻生さんは財務大臣だということだ。財務大臣が税制の再分配機能を否定してどうするのか。

「麻生氏『人の税金で大学に』東大卒視聴批判」『毎日新聞』2018年11月17日。

技能実習制度の問題を「特定技能」ビザで繰り返してはならない:外国人労働者受け入れをめぐって

 技能実習生は27万4225人(2017年12月)。対して,2017年の失踪者が7089人というのは異常すぎる。単純計算で2.6%が失踪していることになる。どう考えても個人の問題ではなく,制度に欠陥がある。

 失踪した実習生を対象とした調査によると,失踪の理由(複数回答)は確かに「低賃金」が67.2%で1929人だが,うち「低賃金(契約賃金以下)」が144人(5.0%),「低賃金(最低賃金以下)」が22人(0.8%)いる(『朝日新聞』報道)。そして,「月給10万円以下」が1627人(56.6%)ということは,実際には契約賃金以下あるいは最低賃金以下の実習生がもっといたはずだ。

 この待遇なのに,48%は母国の送り出し機関には100万円以上を払っている。明らかにおかしい。正しくない情報に誘われて来日したか,受け入れる企業や農家が約束や法律を破ったか,その両方かだろう。

 神戸国際大学の中村智彦教授が聞き取った受け入れ団体職員の話からは,企業側が賃金に加えて,監理団体等にも費用を支払わねばならないことをよく認識していない場合があることがうかがえる。「トラブルになるのは、実習生側は月に10万円しかもらっていない。一方の企業側は20万円近く支払っている。その意識のギャップが、双方の不満になってぶつかることがある」と言う。受け入れ企業も十分に制度を理解してないケースがあるのではないか。

 政府は,技能実習が最大5割「特定技能」に変わる見込みとしているが,成り行き任せではだめだろう。「特定技能」にすれば解決する問題,たとえば通常の雇用契約にし,転職の自由があれば解決する問題も確かにあるだろう。しかし,技能実習でも「特定技能」でも共通する問題,たとえば不正確な情報の流通や,言葉の不自由さや法的知識不足につけこんで労基法を守らない雇用主の問題などもある。これらを一つ一つ取り上げ,どうすれば同じ問題を「特定技能」ビザでの労働者で繰り返さないかを徹底審議すべきだ。

 私は,まじめに技能実習を実施していて,問題点も熟知している監理団体や経営者の意見を聞きたい。彼/彼女らならば,実習の効果を上げ,コンプライアンスに努めるためにどれほどの手間暇をかけているか,どこに手抜きや誤解の罠が潜んでいるか,どう改善すればよいかを知っているはずだ。

「技能実習生の失踪動機「低賃金」67% 法務省調査 月給「10万円以下」が過半」『日本経済新聞』2018年11月18日。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3790481017112018EA3000/
「月給数万円、借金100万円…失踪した技能実習生の実態」『朝日新聞』2018年11月20日。
https://www.asahi.com/articles/ASLCM5FP6LCMUTIL01Q.html
中村智彦「5年間で延べ2万6千人失踪 ― 外国人技能実習制度は異常すぎないか」Yahoo!Japanニュース,2018年11月6日。
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakamuratomohiko/20181106-00103150

「あと1年かけて,「技能実習」を「特定技能」に転換する計画を作るべきだ:入管法改正による外国人労働者受け入れについての意見」Ka-Bataブログ,2018年11月10日。
https://riversidehope.blogspot.com/2018/11/1.html

2018年11月15日木曜日

「異次元緩和」への依存は邦銀をハイリスクな投融資に走らせていないか

大槻奈那「邦銀が「次の金融危機」の引き金を引くのか 投資家の暴走で世界でゾンビ企業が急増」東洋経済ONLINE,2018年11月12日。3ページ目に掲載されているグラフに驚いた。いつのまにか銀行の与信総額で邦銀が日,英,独を抜いている。融資先が順調に拡大しているならば邦銀のプレゼンスが上がっているということだが,そう喜んではいられない状況だ。アメリカは多少巻き戻したとはいえ日本の異次元緩和は続いているし,10年単位でみれば世界的な金利抑制傾向が続いている。それでもインフレ率は上がらないという傾向が世界的に続いている(福田慎一『21世紀の長期停滞論』平凡社,2018年)。世界の銀行は運用難に戸惑い,思い余ってハイリスク・ハイリターンの投資・融資に流れている。邦銀の与信もそうした融資で伸びているというのだ。
 もはや,通貨収縮によるデフレが問題という局面ではない。日本のアベノミクスが「方向は良いが不十分」とみる人は,利下げの余地がなくなっても日銀の国債買い上げによって金融機関にリスク資産へのリバランシングを促せるならばなお緩和の効果は期待できるというが(例えば野口旭[2015]『世界は危機を克服する』東洋経済新報社),それは資本の需要を無視して供給側からバブルを煽る行為ではないか。
 問題は,金利を下げて通貨供給を試みるだけでは,投資と消費の意欲が喚起されず,インフレ率が上がらないことだ。少なくとも日本では,金融ではなく実物的に考えることが必要だ。新市場を開拓する成長産業のタネをまき,芽を育て,キャッシュを眠らせずに賃上げと再分配で個人による支出に導き,成長を下支えする発想が必要な局面だ。金融政策から財政政策と社会政策に移す時だ。
 もちろん,それでも難題は残る。一つは財政赤字であり,もう一つは,これほど短期資金の浮動性が高いと,バブルを伴いながらでないと成長産業が現れないということだ。しかし,金融緩和一本やりで進み続けるよりははるかにましだろう。

大槻奈那「邦銀が「次の金融危機」の引き金を引くのか 投資家の暴走で世界でゾンビ企業が急増」東洋経済ONLINE,2018年11月12日。

関連投稿
日銀による金融政策だけで物価を上げようとすることの限界について (2018/6/16),Ka-Bataアーカイブ。
アベノミクスのどこを変えるべきか? 野口旭『アベノミクスが変えた日本経済』(ちくま新書,2018年)に寄せて (2018/5/13)

2018年11月13日火曜日

徴用工裁判において新日鐵住金が問われること :政府の協定解釈とは別に,当事者としての事実に関する見解を

 徴用工裁判において新日鐵住金が問われること。法的に請求権協定で決着済みかどうかというのは国家間の問題だが,新日鐵住金は,前身企業が当事者であった立場として,原告に向かい合わねばならない。つまり,当事者として,原告に対してどのような人事管理を行ったのかという事実と,それを現在どのように評価しているのかだ。これは,国際法でそのことをどう解釈するかとは別の問題として,避けられないことだ。当然,韓国での裁判で新日鐵住金は自己の立場を主張したはずだから,それを改めて内外に説明すべきだろう。私は,そのように思う。

 念のためと思い,公式の社史において,新日鐵住金が原告たちが該当する人事労務をどのように評価しているかを確かめた。

<韓国大法院判決が認定した,原告の労役従事先と状況>
 原告は4名でうち3名は既に死亡。
・原告1と原告2は,平壌で出された応募に1943年9月ごろに応じて,日本製鉄大阪製鉄所で訓練校とした働いた。賃金の大部分がが振り込まれた通帳と印鑑が寄宿舎の舎監によって管理された。原告 2 は逃げだしたいと言ったことが発覚し、寄宿舎の舎監から殴打され体罰を受けた。1944年に強制的に徴用され,それ以後,労働に対する対価が支給されなくなった。1945年6月ころには清津製鉄所に移動させられた。ここでも賃金はまったく支給されなかった。ソ連軍によって清津工場が破壊されてソウルに逃れた。
・原告3は1941年,報国隊として動員されて日本にわたり,日本製鉄釜石製鉄所で働いた。賃金はまったく支給されなかった。最初の6か月間は外出も許可されなかった。1944年に徴兵された。
・原告4は1943年1月ごろ,群山部の指示を受けて募集に応じ,日本製鉄八幡製鉄所で働いた。賃金はまったく支給されず,休暇もなかった。日本の敗戦後,帰国せよという日本製鐵の指示を受けて帰国した。
 よって,原告4名のうち,原告1と2は1944年以後法的な意味で徴用された可能性がある。原告3と4,原告1と2の応募当時は法的な意味の徴用ではない。韓国大法院は,より広い意味の強制動員を「徴用」と呼んでいるものと推定される。

<社史の記録>
 原告が働いた製鉄所のうち,大阪製鉄所は,現在では大阪製鉄という,新日鐵住金系ではあるが別の会社のものとなっている。釜石製鉄所,八幡製鉄所は,新日鐵住金の製鉄所として引き継がれている。清津製鉄所は,現在の北朝鮮に立地しているので,新日鐵住金の手を離れている。よって,日本製鐵の社史,釜石製鉄所,八幡製鉄所の所史を点検するのが妥当だろう。

・『日本製鐵株式會社史 1934-1950』日本製鐵株式會社史編集委員会,1959年(東北大学附属図書館所蔵)。内地において徴用を行ったこと,学徒動員,女子挺身隊,勤労報国隊などを受け入れたこと,清津では朝鮮人の補充には困難はなかったが内地人の求人難が深刻であったことが記されており,昭和20年8月15日現在の労務者在籍人数を記した表では特別労務者の一種として朝鮮人工員という項目が,学徒,俘虜,女子挺身隊,新規徴用工,養成工と並んで書かれている。戦時における人員確保の困難の中での労務構成の複雑化として評価されている。
・『鉄と共に百年』新日本製鐵釜石製鐵所,1986年(東北大学附属図書館所蔵)。人員の膨張を論じたところで,学徒動員,徴用工,女子挺身隊のことが記されているが,朝鮮人労働者を対象とした記述はない。
・『八幡製鉄所八十年史』新日本製鐵八幡製鐵所,1980年(私物)。「部門史 下」において,昭和17年以後,労務者強制徴用が行われたこと,昭和18年には「中国大陸および朝鮮半島からの強制徴用労務者,さらには俘虜,囚人までをも動員計画の中に取り入れていった」(449頁)こと,学徒,女子挺身隊,勤労報国隊を受け入れたことが記されている。そのことは,労務構成の複雑化をもたらしたとされている。

<簡単な考察>
・八幡製鉄所史においては,「朝鮮半島からの強制徴用労務者」を働かせたことが,この表現で事実として認められている。
・それ以外の記述では,戦時労務の一部として朝鮮人工員が存在したことが認められている。
・強制徴用労務者を働かせたことに対する,企業自身としての評価は記されていない。

 新日鐵住金は,前身企業である日本製鐵が,原告たちをどのように採用し,働かせたかについては,自ら確認し,評価しなければならないはずだ。韓国での裁判ではこれらをどのように行ったのか。そして現在,請求権協定の解釈や,判決の当否は別として,前身企業の行為を後継企業としてどのように事実認定し,評価しているのかを社会に明らかにする責任がある。それは,政府の問題ではない。企業が政府から自立しているのであれば,自ら責任を負うべき領域だと私は思う。

「2018年10月30日韓国大法院判決」法律事務所の資料棚。




2018年11月12日月曜日

「世界平和女性連合」は「世界平和統一家庭連合」(統一協会より改称)を母体とした団体

「世界平和女性連合」が,「女子留学生日本語弁論大会」などの学生を対象としたイベントを,宮城県で行っていることに気がついた。以下,大学教員という立場からの問題整理のメモ。同業者には参考になれば幸い。

「世界平和女性連合」(WFWP)
https://www.wfwp.org/
日本支部

 この団体は,一見,普通の非営利組織に見えるのだが,実は,世界基督教統一神霊協会(通称,統一協会または統一教会。現在は世界平和統一家庭連合と改称)という破壊的カルトと一心同体の組織だ。ここで破壊的カルトとは,「入信勧誘の際に、ターゲットの精神の不安定化を図って取り込み、やがて社会常識を捨てさせ、全てを教団の論理で行動させるような団体」のことを指す。この定義は,カルト予防策や社会復帰策等の研究を行う,日本脱カルト協会によるものだが,同会では統一協会をオウム真理教と並ぶ破壊的カルトの例としている。

日本脱カルト協会のページ
http://www.jscpr.org/aboutjscpr

 統一協会は分野別に団体を持っており,政治活動は国際勝共連合,学生活動は原理研究会(CARP)という団体で行っている(45歳以上くらいの方は,ここらでだいたい問題の所在がおわかりかもしれないが,最近の学生や日本人学生も留学生も知らないので,丁寧に説明しなければならない)。

 この「原理」とは,統一協会の教義である「統一原理」のことだが,(学生に向かって話す場合に)問題としたいのはその独特な信仰内容でもないし,政治的主張でもない。統一協会=原理研究会が,1)自分たちの実体を明らかにしない偽装勧誘を行い,2)軟禁状態での勧誘,教育,多額の献金強要,脱会阻止などマインド・コントロール(洗脳)というべき活動方法で学生の自由を実質的に奪い,3)先祖の因縁や祟りがあるなどとの脅迫的言辞によって高額商品を販売する,霊感商法と呼ばれる詐欺的行為をおこなってきたことだ。これらのことは,1970-90年代に強い社会的批判を受けて来た。

全国霊感商法対策弁護士連絡会のページ
https://www.stopreikan.com/aboutus.htm

 世界平和女性連合は,統一協会教祖文鮮明氏の妻,韓鶴子氏によって創設された。このことは,同団体自ら,英文ページで記載している。
https://www.wfwp.org/our-founder

 Youtubeには,1992年に開催された世界平和女性連合の創設大会の映像が,日本語字幕付きで掲載されていた。そこでは文鮮明氏が演説し,統一協会の教義「統一原理」を布教してきたことを誇っており,全世界の宗教と統一するという自らの考え方と世界平和女性連合の主旨が同一であることを主張していた。
たとえば5:21付近や9:26以下。

 この動画は2022年7月14日現在リンク切れになっているが,当日の文鮮明氏の演説は信者によって以下に収録されている。そこでは,以下のように語られている。
「15 既に皆様方がよく御存じのように、私の教えである「統一原理」は、全世界百六十余カ国に広がっており、その中には共産国家であったソ連や東ヨーロッパはもちろん、北朝鮮の地にも急速に伝播されるのみならず、イスラム教圏である中東地域にも多くの信徒が生まれつつあります。」
「24 夫である私が、天のみ旨に従い正義の道を歩む間、不義の勢力から迫害を受け、投獄される辛苦を共に味わいながら、私の妻は良心的で正義感のある女性たちによる新しい平和運動を起こす決意をしたのです。それがすなわち、きょうのこの大会として結実したのです。」
「26 今や世界のすべての宗教統一の日も遠くありません。韓半島における南北統一の日も遠くないのです。
27 私の妻が総裁を務める「アジア平和女性連合」のソウル大会に、世界七十カ国の女性代表が列席する中で、きょう「世界平和女性連合」を創設する趣旨もここにあります。大韓民国が神様の救援摂理の中心国家であり、その祖国であるためです。」

文鮮明先生の講演 - 26. 世界平和と世界女性時代の到来

 このように,世界平和女性連合が,統一協会と不可分の団体であることは明瞭だ。

 大学において構成員の思想・信条の自由は保証されるべきであり,多様な宗教の選択も,無宗教という選択も自由でなければならない。しかし,だからこそ偽装勧誘や洗脳,詐欺的商法での資金集めは許容されない。世界平和女性連合の母体である統一協会は,宗教の一つというにとどまらず,宗教の名のもとに人々の自由を奪い,詐欺的商法によって資金集めを行ってきた。組織改編の後も,そのことへの反省は見られない。この団体の実態を知らずに学生がイベントなどに参加してしまう可能性について,注意を払うことが必要と思う。

(本記事は2018年9月25日にFacebookに投稿したものの再録ですが,まったく古くなっていないためアーカイブでなく新規記事として投稿します)
2022年4月2日:リンクを更新。
2022年7月14日:文鮮明氏の講演録を発見したので,これにより動画のリンク切れを補った。また以下の関連記事を投稿した。
2022年7月19日:文鮮明氏の講演が創設大会のものであることを明記。WFWPという略称と日本支部ページへのリンクを追記。リンク切れ動画の説明を過去形に変更。統一協会より統一教会の略称が使われることが多いことを踏まえて両方の略称を併記。

<関連記事>

2018年11月10日土曜日

あと1年かけて,「技能実習」を「特定技能」に転換する計画を作るべきだ:入管法改正による外国人労働者受け入れについての意見

 入管法改正について。まず正視すべきは,「外国人労働者を受け入れるか,受け入れないか」という選択肢は既にないことだ。すでに27万4225人もの外国人が「技能実習」ビザで在留し(2017年12月現在※1),そのほとんどが事実上技能労働者として働いているのだ。加えて「留学」ビザで日本語学校に在籍している外国人の一定部分も(日本語学校在籍数は2017年7月現在50892人※2。なお,全員「留学」ビザとは限らない),半ば技能労働者として働いている。この目的外の就労が不正常な状態をまねいている。具体的には,渡航ブローカーによる不正確な情報,それにつられての過大な借金を背負っての来日,一部実習先の人権無視の労務管理,一部日本語学校の学習支援体制の不十分さ,相談・支援体制の不足,そうしたことの結果としての逃亡や犯罪,などだ。これを改革しなければならない。しかも,外国人技能労働者を排除するという道は,もはやない。排除すれば少なくとも工場と建設現場と飲食店とコンビニが止まって大混乱に陥るだけだ。いまや,「どうやって受け入れ続けるか」が問題なのだ。

 この『東京新聞』11月9日の記事※3のように,現在審議に入ろうとしている入管法改正を「外国人労働者の受け入れ業種や規模は明らかになっておらず「生煮え」「拙速」の批判は強い。日本人雇用への影響を懸念する声のほか、外国人を使い勝手の良い労働力とみなす問題点も挙げられている」という議論は多い。それは,これ以上の誤りを犯さないための批判としてはまちがってはいないが,既に存在する問題をどう解決するかという前向きの方向に踏み出していない。

 私の意見では,まず技能実習生との関連では,最低限,以下のことが必要だ。だからこそ拙速を排さねばならない。しかしそれを何もせず現状を維持する口実にしてはならない。あと1年間かけてよりよい法案と計画を整備し,実行すべきだと思う。

1)まず「技能実習」で働いている20数万人プラスアルファ程度の人数を「特定技能」に円滑に移行できるようにすることを明確なテーマとした計画を立てること。その内容には以下を含めること。
2)転職の自由がなく実習先に従属させられやすい「技能実習」の要件を厳格にして実習の内実があるものだけに絞り,人数を大幅に縮小させること。
3)「特定技能」ビザでの外国人労働者の受け入れ枠を決定する仕組みを整備し,無限定に受け入れて,不況になったらあぶれさせるという事態を招かないようにすること。
4)技能実習で横行する違法な労務管理を「特定技能」で繰り返さないように,労働基準監督,労働者支援の体制を強化すること。
5)そのためにも来日時点での日本語能力の要件は高めに定め,来日後の日本語研修の体制を費用負担のしくみを含めてつくること。

 なお,今回「特定技能」には小売業での労働は含まれない見込みであることから,「留学」ビザで来日してコンビニ等で働く状態の改革は,別途考える必要がある。

※1法務省「在留外国人統計表」。
※2日本語教育振興協会「平成29年度 日本語教育機関実態調査結果報告」
※3「『除染作業強制』『残業代300円』 外国人実習生窮状訴え」『東京新聞』2018年11月9日。

※12月9日追記。入管法改正案成立を受けて以下を書きました。

拙速な入管法改正は遺憾だが,実践的な準備をしながら意見をたたかわせるしかない


2018年11月8日木曜日

外国人労働者の海外居住家族への健康保険適用問題は,データに基づく議論と加入者を差別しない対応を

 外国人労働者の,海外に居住する家族に健康保険を適用する件。ここ数日,感情的に騒ぎ立てる議論が多いのは,不適切だ。海外在住家族の扶養が保険財政にどれほどの負担となっているのか,不正受給がどれほどあるのか,データに基づいて議論すべきだ。データゼロの記事で国会議員が「日本の健康保険制度が崩壊する」と叫んだ,たいへんだと論じるジャーナリストもいる。頭を冷やすべきだ。読んだ限り,この記事だけデータがある。

『毎日新聞』2018年11月7日より引用)
「厚労省などによると、健保の海外療養費制度で2016年度に各健保が負担したのは日本人分も含め約20億5000万円。保険診療にかかった費用全体の0.02%にすぎない。」

 まず,騒ぎすぎるのは問題だと言っておきたい。

 その上で,不正受給事件の統計は残念ながらないようだが,個々の事件の報道からみて,起こっているのは事実だろう。それは,慌てずに対応すればいい。ありうる方法は二つ。やってはならないことが一つ。

1.扶養認定の基準と手続きを外国人に対して明確にする。本来の問題は,日本ならば戸籍と非課税証明書ですむところ,各国の制度の違いによって,何をもって証明するかが明確にならないところだ。この問題に携わる専門家のサイトを見ると,現場の対応がばらばらだ。外国人はどんな書類を提出したらよいかわからない,対応する窓口(たとえば年金事務所)も訓練されていない。
 国別に必要な書類を整理し,どのような書類があればよいか明確にして統一的に運用する。また,どのような書類がそろえば認められるかについて各国に明確に通知し,必要な様式での書類の発行を促す。この問題の窓口も設け,国別担当者も明確にしておく。まずは,この方法の実行可能性を追求すべきだ。くりかえすが,基本的問題は外国人が不正をたくらむことではなく,制度が国によって異なることへの対応なのだ。そして,制度の違いに丁寧に対応するのが国際化だろう。

2.どうしてもより厳格な制度とする必要があるなら,国籍に関係なく,海外に居住する家族は扶養に入れないことにする。現在,政府がこの方向の検討を始めている。当然,外国人であれ日本人であれ,海外にいる家族について,等しく扶養に入れないことになる。これでよいかどうか,よく議論すべきだ。

3.一部の報道は,扶養の制限を外国人だけに適用することが争点であるかのように報じている。論外だ。ほとんどの人は,日本人であれ外国人であれ,等しく保険料を払っていて,等しく家族を扶養している。外国人が海外送金をして家族を養っていることはイメージしやすいだろう。だから等しく扱わねばならない。同じ保険料を払わせて,外国人だけ扶養制限をかける差別的制度を作ってはならない。

「外国人労働者 健保適用制限、難しい線引き」『毎日新聞』2018年11月7日。
http://mainichi.jp/articles/20181108/k00/00m/040/134000c

2018年11月6日火曜日

「事務職になりたい」は過去へのあこがれだが「転勤がないように働きたい」は未来への要求だ

 「超売り手市場なのに「事務職志望の女子学生」があぶれる理由」という記事を読んだ。タイトルがことの核心を言い当てていない。実は「一般職事務職志望の女子学生」の話である。「一般職」で「転勤がない」というキーワードを落とすと,この話は分からなくなると思う。

 最初読んだ時には1998年ころの記事の再録かと思った。言うまでもなく,「漠然とした事務職」は非正規化,IT,そしてうまくいけばAIによって職そのものが減っていく。非正規化は止められてもITやAIは止められない。程度とスピードはとにかく,傾向として減ることは疑問の余地がない。

 その一方で,転勤のない地域限定職(=地域限定正社員)は,これから増えると予想されるし,すでに導入している会社もある。働く側からすると,ライトな場合はワークライフバランス,ヘビーな場合は親の世話のためにニーズが大きい。ただし非正規では生活が成り立たないから正社員にはなりたい。他方,会社側もすべての正社員をメンバーシップ型雇用にして,具体的スキルを一から育成して活用し,終身雇用する見通しはない。両者のニーズはそれなりに一致する部分がある。そして,社会的潮流として正規と非正規の格差縮小の要請があり,これは安倍政権から共産党までだれも否定しない課題だ。ニーズと社会的要請がうまく合体すれば,地域限定職,職務限定職は増える。

 よって,まず求められるのは,企業側の雇用システムの変化だ。新規学卒採用の在り方が変わろうとする機会に,従業員のキャリア設計も見直すべきだろう。
 障壁は,雇用保障の考え方を転換しなければならないことだろう。日本の雇用保障や解雇制限は,「長く一緒に働いていた人の雇用を保障」という属人原理で構成されている。しかし,地域限定職もある程度そうだが,職務限定職ならなおさら,「就いている仕事が存在する雇用を保障」にしなければならない。自分がそのためにやとわれた仕事が存在して,正常に遂行できている限りは雇われることが正当だ。つまり,非正規を5年で雇い止めるなどは不当ということになる。逆に,特定の仕事や職場がなくなった場合は,解雇されうる。従業員側が当然に配置転換を求めることは難しい。この,これまでと相当異なる原理に移行するのは,労使とも容易ではないだろう。

 学生の側には何が求められるか。この記事の観点だと,女子学生には,バリキャリをめざすか,ミスマッチで職がないかの選択肢になってしまう。それでは適切でない。女子学生がかわいそうだから助けるべきとか甘えているから厳しくすべきという話ではない。女性が活躍できないと労働力不足はどうにもならなくて日本経済がだめになるのだ。

 女子であれ男子であれ,若年層に漠然とした事務をさせる余地はもはやない。漠然とした「事務職になりたい」というのは甘えだ。そう言って言い過ぎなら,もう帰ってこない過去へのあこがれだ。しかし,地域限定・職務限定で様々な仕事をやってもらう余地は大いにある。若者は,その求人に明示される一定の仕事能力を身に着けることが求められる。それは一部は当人の責任だが,一部は,学校教育が職業教育の比重を増やして担わねばならないだろう。そして,ワークライフバランスや家族を重視して地域限定で働きたいというのは甘えではなく正当な要求だ。個人の権利というだけではなく,社会経済の改善につながる未来志向の要求なのだ。その要求がかなえられた時にこそ,日本経済は少子高齢化のもとでもそこそこ成長でき,雇用が安定した社会に着地できるからだ。

2018年11月9日表現を修正。

服部良祐「超売り手市場なのに「事務職志望の女子学生」があぶれる理由 ITmediaビジネスONLiNE」2018年11月5日。

2018年11月3日土曜日

続・留学生が日本の大学を卒業して就職する際の条件緩和について

 山脇康嗣「日本で年収300万超の外国人が大量に働く日」(※1)より引用。「日本が本格的な移民社会になるという意味で、見落とされている重大な「改正」が、実はもう1つある。それは、外国人留学生が日本の大学を卒業し、年収300万円以上で「日本語による円滑な意思疎通が必要な業務」に就く場合は、職種を問わず、期間も限定せず、「特定活動」という就労資格を認めるというものだ。」

 私は仕事の性質上,入管法が対象にしている技能労働よりこちらの大学生の問題の方に意識が向いていて先に気が付いたが,一般には気が付きにくい。というのは,この改正は入管法を改正せずとも,法務大臣の告示だけでできてしまうからだ。実は,私もこの法改正が不要という手続きの落とし穴は見逃していて,濱口桂一郎氏にご指摘いただいた(※2)。

 先日,私はこのブログで,ホワイトカラー職への就職制限を外すのは賛成だが,ブルーカラー職への就職を認めるのは,留学・大学という制度の無駄遣いなのでやるべきでないと主張した(※3)。

 私が恐れているのは,大学を技能労働者になるためのトンネルに使う動きであり,それによって1)大学教育にかける資金と労力が有効活用されないこと,2)いま一部の日本語学校がそうなっているように,大学の入試と教育水準が劣悪化すること,3)そしてこのルートにより技能労働者の受け入れ総数が何のチェックもなく増えることだ。最後の点について,大卒の外国人と高卒の日本人が就職で競合するようでは,留学生獲得政策の信頼性が問われ,反発も強まるだろう。

 政府は入管法改正案で,労働市場テスト(=その職に日本人が採用できない市場状況であることの確認)も総量規制がない受け入れ方を提案しているが,同じ発想を大学卒業者に「特定活動」ビザを付与することにも適用しようとして。「特定活動」は本来社会の多様なニーズに基づき,他の在留資格に当てはまらない活動での在留を認めるものなので,融通が利くところがある。調理の専門学校卒業後も,引き続き日本料理店で修業できるようにするとか,90日以上日本で入院して治療を受けるなどの場合だ。しかし,大学卒業者に一律付与するのは制度の大幅な拡大解釈だ。ブルーカラー業務を含む職種に就くことを,総人数無制限で認めることになる。不況期に大卒の外国人と高卒の日本人が就職で競合することにもなりかねず,留学生獲得政策の信頼性が問われ,反発も強まるだろう。

 他方,ここが改善されるならば,意見を修正してもよいかもしれない。その改善とは,1)この記事も述べているように外国人技能労働者の受け入れ枠について,労働市場テストを行い,総量もきちんと決めること,2)大卒者がブルーカラー業務に就くときは,「技術・人文知識・国際業務」ビザや職種制限の緩い「特定活動」ビザによって就くのでなく,「特定技能」ビザに応募しなおし,その基準で審査を受けることの二つが満たされることだ。なお,本当に特定の活動での在留が必要な時に,現行制度を使って「特定活動」ビザを申請することは何も問題はない。

 技能労働者の受け入れ総数を決める仕組みを作っておくことは非常に重要だ。大卒者についても,受け入れ総数が決まっている中で大卒者と送出国からくる労働者が競争するだけならば,教育制度の効果をそぐというマイナス効果は変わらないにせよ,日本の高卒労働者との競合が激しくなる心配はない。また,不況期に大卒者が技能労働者になり,その分だけ送出国から新規にやってくる労働者が減る。そうすると,外国人技能労働者の構成における大卒者比率が高まり,在留経験が長く日本語能力の相対的に高い者の比率が大きくなる。不況による就職難で当事者たちは苦労するが,労働市場全体としては競争による質の向上効果が見込めるのだ。

 以上のように,私はとりあえず日本の大学を卒業した外国人の就業制限緩和という問題に即しても,技能労働者の受け入れにあたって総枠を設け,その総枠を決定する適切な体制をつくることが必要だと考える。入管法改正案は,少なくともそのように修正すべきだ。

※1 山脇康嗣「日本で年収300万超の外国人が大量に働く日 臨時国会に上がらない重要な議論がまだある」東洋経済ONLINE,2018年11月3日。
※2 濱口桂一郎「留学生の就職も『入社型』に?」hamachan'sブログ,2018年10月25日。
※3 川端望「留学生が日本の大学を卒業して就職する際の条件緩和について」Ka-Bataブログ,2018年10月22日。

3つの権利から考える徴用工補償問題の解決方向とその困難

 徴用工補償問題。だんだんと理解できてきたが,法的には権利が3種類あるらしい。

1)被害者の実体的請求権。
2)1)を保護する政府の外交保護権
3)民事裁判で訴えて補償を求める権利

 まず大事なことは,韓国の政府,裁判所,日本の政府,裁判所とも1)は認めているということだ。つまり,徴用工には被害が発生しており,補償を求めるのはもっともなことだ,というのは認めている。ここは,政治家の個人的本音はとにかくとしても,公式見解として共通の立場なのであり,共通の出発点にして解決を図ることが政治・外交として妥当だろう。昨日,共産党の志位委員長がこの観点での解決を提案したが,私も方向性において賛成だ。日本政府が述べている,請求権協定で問題が解決しているというのは,2)と3)を否定しているということであり,徴用工などいなかったとか,徴用は何も悪くなかったなどと言っているわけではないはずだ。

 実体的請求権が認められていることは,新日鐵住金にとっても重要だ。被害者に何らかの補償や見舞金を払っても,会社に不当な損害を与えることとはみなされず,株主代表訴訟を起こされる心配はないということだからだ。
 実際,西松建設中国人強制連行事件などについては,日本の裁判では2)3)は認められないが1)はあるということになり,企業と被害者が和解し,企業が補償や記念碑の建立を行っている。本件も,解決の道として一番合意できそうなのは,本来はこの方法だ。

 しかし深刻な障壁が二つある。一つは,日本政府が2)3)が消滅していると主張しているのみならず,今回の判決を全否定し,新日鐵住金にも補償に応じるなと要求していることだ。2)も3)も消滅していないとする韓国の裁判での判決に従って補償するという行為は,確かにとりがたいかもしれない。しかし,1)が存在することは認めているのだから,徴用工の受けた被害に心を配り,何らかの形で償おうとするのが政治というものであり,また後継企業の社会的責任ではないか。判決の論理は従い難いが,他の解決の道を探るという政治的・道義的姿勢は必要だろう。ただひたすら韓国を非難するというキャンペーンは,適切でない。

 もう一つは,韓国の運動や司法が2)3)を断固として主張するところから変化するかどうかだ。何しろ今回出たのは最高裁(韓国大法院)の判決であり,韓国内において守らないわけにはいかない。実質的に判決と異なる行為をするとなれば,相当な理由づけと正当性が必要になる。また,別件の従軍慰安婦問題において,1990年代のアジア女性基金による償い事業が挫折し,いままた2015年の慰安婦問題日韓合意も揺らいでいるという事情がマイナスに作用する。これらは,事実上,1)は認めて償いをするが,2)3)は認められないので日本政府からの賠償という形はとれないという立場によるものだった。しかし,アジア女性基金は挫折し,慰安婦問題日韓合意も,韓国国内における反発から揺らいでいる。加害者が被害者に法的補償をするのが正しく,他の方法はごまかしだという見解は韓国内に根強い。

 さらに深刻なのは,今回の判決は,徴用工の問題は植民地支配下の不法行為であり,それがそもそも請求権協定の対象外だとしていることだ。通常,この種の戦後補償の議論は,戦争被害の後処理をする外交合意が被害者の被害を発生させた行為をカバーしていることを当然とし,その上で,1)2)3)が消滅したかどうかを争っていた。が,今回の判決は,性質が異なるのではないか。要するに日韓条約や請求権協定では大日本帝国による植民地支配下で不法行為が行われたことを認めていないので,徴用工への補償に対する外交的保護が外れていないと言っているのではないか。

 これは,日韓条約当時の自民党政権が,大日本帝国による植民地支配の不当性を認めない立場をとっていたことのつけと言うこともできる。しかし,問題はそこにとどまらない。

 この論理が認められると,影響は計り知れないと思えるからだ。過去,植民地支配下で行われたあらゆる不法行為について,その後の外交的取り決めでそれらが不法であったと明示的に認められていないことは,大日本帝国に限らず欧米の植民地支配を含めて,残念ながら少なくない。この判決の論理が通用するならば,それらすべての不法行為について,個人は補償を求める権利が一般論としてあるだけでなく,実際に,外国の加害者を裁判で訴えて補償を求める行為が法的に可能になる。これは被害者救済の正義だけを考慮すれば,ありうることだろう。しかし,そうなると大量の訴訟行為によって過去を裁くことになり,その反動で,自己の利益を守ろうとする被告側から,過去の不法行為を否定する主張をも誘発することになる。それによって紛争の多発,外交の混乱が生じるのではないか。政治と外交において,過去の清算が一定の比重で一定の位置を占めることは当然だ。だが,この清算方法は妥当なのか。ここには,検討を要すべき深刻な問題があるように思える。

田上嘉一「韓国「徴用工勝訴」が日本に与える巨大衝撃 戦後体制そのものを揺るがすパンドラの箱だ」東洋経済ONLINE,2018年11月1日。
https://toyokeizai.net/articles/-/246841

山本晴太「日韓両国の日韓請求権協定解釈の変遷」法律事務所の書類棚。
http://justice.skr.jp/seikyuken.pdf
上記サイトには今回の判決文の日本語訳もある。
http://justice.skr.jp/

志位和夫「徴用工問題の公正な解決を求めるーー韓国の最高裁判決について」2018年11月1日。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2018/11/post-793.html

2018年11月2日金曜日

部品の価格だけでなくコストを下げさせるのが日本のサプライヤー管理の要諦

 池田直渡「自動車メーカーの下請けいじめ? 」ITmediaビジネスONLINE,2018年10月29日という記事を読んだ。
 著者は,「サプライヤー(下請け)に対して常に強い価格低減要求を出すのは当然のことだ」,それはいじめとは違うと強調している。そして友人の言葉を借りる形で,「メーカー、下請けともに長期的に収益を上げているなら、一見厳しい要求でもそれはただの企業努力を求める圧力であって、いじめではない」としている。まあ,これ自体は別に間違ってはいないだろうが,あまりにも当たり前すぎる。日本のサプライヤー管理の核心に迫っていないのではないか。
 日本のサプライヤー管理の要諦は価格低減ではない。価格低減だけでは,単なる値切り,買いたたきになることもあり,それこそ下請けいじめに終わる可能性もある。
 日本のサプライヤー管理が長期的にうまくいくのは,サプライヤーのコストの低減を要求し,コストの低減を通して価格低減を実現する場合である。部品メーカーのコストを下げるために様々な技術・管理の指導を行い,実行させる。その過程では,完成車メーカーはサプライヤーの生産工程を把握し,コストを把握することになる(※)。もちろん,部品メーカー側からの提案も受け付ける。こうした,共同作業によって,実質的なもの造り能力が上がり,品質が上がり,部品コストと最終製品コストが下がるのだ。完成車メーカーとサプライヤーを含んだ,サプライヤー・システム全体のパフォーマンスが上がるのだ。
 これは確かに共同作業であり,共存共栄への道である。ただし,両者の関係は対等ではない。完成車メーカーが部品メーカーのコストを把握すれば,部品メーカーの利益率を管理することができる。また,部品メーカーは部品開発と工程開発のために投資を行わねばならないが,カスタム品の外注が多い日本においては,その投資は特定の完成車メーカーとの取引から回収しなければならないことが多い(いわゆる関係特殊的投資)。この関係の中で,交渉力は完成車メーカーに優位に働くのだ。
 だから,優れたサプライヤー管理が行われた場合,確かに部品サプライヤーの売上高と利益は向上する。ただし,完成車メーカーより利益率は低いのだ。そして複雑なのは,部品メーカーの利益率が完成車メーカーより高いときは,完成車メーカーのサプライヤ管理が失敗している時なのだ。
 日本のサプライヤー管理が成功すれば,完成車メーカーとサプライヤーは共存共栄できる。ただし,完成車メーカーの優位においてである。完成車メーカーの優位の管理が失敗しているときは,サプライヤーは劣位に立たない代わりに,サプライヤーシステム全体としての繁栄を享受できない。このような非対称な長期相対取引関係は,1990年代以来,「系列解体」と「系列再強化」の綱引きの中で,全体として徐々に薄らいで来てはいるが,消滅していない。

※専門的研究者のための注。有名な故・浅沼萬里氏の『日本の企業組織 革新的適応のメカニズム』も,完成車メーカーと部品サプライヤーの取引関係を考察する際に,この重要な側面をほぼ見落としている。「ほぼ」というのは,浅沼氏は完成車メーカーがサプライヤーの利益を管理しようとしていることは指摘しているからだ。しかし,利益を管理するためには,サプライヤーの部品価格だけでなく,部品コストも知っていなければならない。完成車メーカーがサプライヤーの部品コストをどうつかみ,システム全体としての原価低減と能力向上に生かしているのかを,浅沼氏は見ていない。この点を直視し分析したのは清晌一郎氏と植田浩史氏だ。私は両氏の研究から学んだ。

池田直渡「自動車メーカーの下請けいじめ? 」ITmediaビジネスONLINE,2018年10月29日。
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1810/29/news041.html

参考
川端望「中国経済の『曖昧な制度』と日本経済の『曖昧な制度』 ―日本産業論・企業論からの一視点―」『中国経済経営研究』第1巻第1号,中国経済経営学会,2017年3月,26-32頁。また,この中で引用した清,植田両氏の研究を参照。
http://jacem.org/zenbun.html#em01



入管法改正。「移民政策だ」「移民政策ではない」の空中戦をやめ,中身の議論を

 入管法改正について。議論の入り口から無意味な空中戦になっていることを危惧する。在留資格「特定技能」1,2の設置について,「移民政策だ」「移民政策でない」という議論は,意味のない議論だからやめるべきだ。これは与党であれ野党であれマスコミであれ,日本語がわかり,Wikipediaさえ読めればわかることだ。

*国際的な定義は,ある国に12が月以上居住していれば移民なのだから,わが日本はとっくの昔に移民社会になっているのだ。当ゼミの留学生も,日本に来て1年以上たっているからみな移民だ。修了して,永住権は持っていないが「技術・人文知識・国際業務」ビザを更新しながら日本の会社で働いている元留学生もみな移民だ。留学生や技能実習生を大量に受け入れている段階ですでに移民政策を実施しているのであり,いまさらやるもやらないもない。

*当たり前のことだが,留学生も技能実習生も英語の世界ではみなemmigrant(移出民)とimmigrant(移入民)と扱われている。

*アメリカ合衆国のビザの種類には「移民ビザ(immigrant Visa)」があり,各種の非移民ビザと対比されている。この場合の移民は,永住権を持つ外国人を意味する。

*日本政府・自民党の定義は,「入国時に在留期間の制限がない者」で,アメリカのビザの定義よりやや狭い。入国後に永住ビザを取るケースを含んでいないからだ。だから,政府の見解では現在移民政策を取っておらず,今回の入管法改正も移民政策ではない。

 互いに定義が違うまま議論するのがおかしいのであり,報道はそこをきちんと指摘しなければならない。そして,メディアの役割は真の争点を指摘することであり,かみあわないことをワーワー言い合っているのを,そのまま報道することではない。

 空中戦をやめて具体的議論に入るべきだが,私もその準備が十分ではない。以前から述べている通り,私の見解の基本線は,理論的には現代資本主義において国際労働移動は不可避の問題であり,政策的には技能労働ビザを設置するしかなく,そのやり方が問題だというものだ。よって,今回の入管法改正に即してもっと具体的にコメントすべきなのだが,精査が遅れている。できるだけ急いで勉強したい。

「移民を流入させたがゆえの悩み,移民を流入させないがゆえの悩み (2016/6/28)」Ka-Bataアーカイブ。
https://riversidehopearchive.blogspot.com/2018/10/2016628.html

「外国人労働者について:もはや「受け入れるか,受け入れないか」の問題ではなく,「どう受け入れるか」の問題である (2018/6/6)」Ka-Bataアーカイブ。
https://riversidehopearchive.blogspot.com/2018/10/201866.html

「入管法改正案を閣議決定 単純労働で外国人受け入れへ」『日本経済新聞』2018年11月2日。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37249690R01C18A1MM0000/

ケース・スタディの方法論を学ぶ

 一昨日は,英文誌投稿を念頭に置いたケース・スタディ方法論の大学院ゼミを実施した。テキストは院生が査読者から参照指示された以下のもの。なぜか図書館によって心理学の書棚に分類されていた。
Ghauri, P.[2004]. “Designing and conducting case studies in international business research” in Rebecca Marschan-Piekkari and Catherine Welch eds, Handbook of qualitative research methods for international business, E.Elgar, 109-124.
 いろいろ議論したが,いちばん大きな論点は,「山勘でやっていたことを,自覚的に,正当性を確かめ,アピールしながら行う」ということだ。暗黙知でやっていたことを形式知にすると言ってもいい。例えば,これまでは調査記録の作成について,メモ→朱書き補筆→訪問先ごとに清書→調査記録の分析→論文のデータとして活用,という流れで自分では理解してきたし,そう教育もしてきた。だが,調査記録の分析の方法を,自分自身が自覚的にとらえていなかったため,院生にも十分明示的に教えることができなかった。例えば,画像1枚目は,張艶さんと私の以前の共著論文で,ソフトウェア企業の調査記録をどのように分析して論文のロジックにしていったかを説明するマトリックスだが,私たちはこのマトリックスを書きながら論文を書いたわけではなかった。ああでもない,こうでもないと調査記録をにらんで切り口を考え,切り口に従って記録に赤線や記号をつけ,抜き書きし,組み合わせているうちに何とかストーリーが見えてきたというのが実態だ。完全に山勘法である。仮に私自身はヤマ勘法で何とかしたとしても,山勘法の極意はいっしょに調査をして討論を長時間行った相手にしか伝わらず,徒弟制の世界となる。ハラスメントはしないように気を付けるとしても,多数の院生がそれぞれ別の研究をしているととても教えられるものではない。
 そうした結果,近年は院生が論文を投稿すると「リサーチ・クエスチョンと事例選択の整合性が説明されていない」「ケースの説明自体が目的なのかコンテキストのためにケースを置いているのか不明」「インタビュー調査であることの理由付けがはっきりしない」等々とコメントされることが増えている。これはまずいのだ。
 研究過程においては,調査記録を,時系列化,コーディング,クラスタリング,マトリックス化,パターン・マッチングなどの分析方法をもっと客観的なツールとして意識し,分析しながら,常にその分析方法の正当性を問う習慣をつけねばならない。論文作成過程で「マトリックスにしてみよう」「キーワードでコーディングしよう」「うまくいかないのは,このクエスチョンにこの方法が××で合わないからだ」などと自覚することだ。そのために,Nvivoのような定性分析支援ソフトを使うのもいいかもしれない(が,財布との相談になる)。そして,論文においては「○○の理由によりこのように分類して分析した」と意識的に説明して正当性を主張する。対抗的な説明方法に対する優位性も述べる。このようにして「単なるお話」ではなく学問的認識であることをアピールしていかねばならない。
 お前は53歳にもなって何を当たり前のことを言っているのだとおっしゃる方も多いだろうが,定性的事例研究において山勘法から前進するのは大変なのである。
 なお,Ghari教授はJournal of International Business Studiesにも論文を載せている大家らしいが,この論文では「大企業より中小企業の方が研究に関心を持ち,深く話してくれる傾向がある」とか,「事例選択はリサーチ・クエスチョンとのレレバンシーが肝心だが,旅費にも左右される」とか「最初のインタビューがその後を大きく左右する」などという,実態調査あるあるの記述もあって,親しみが湧いた。


2018年11月1日木曜日

稲葉振一郎『新自由主義という妖怪 資本主義史論の試み』を読む

 稲葉振一郎『新自由主義の妖怪 資本主義史論の試み』。稲葉教授はたいへんな博学で,本書に登場する書物には,私が読んでいないものも少なくない。著者は様々な経済思想を博覧強記に,かつ平易に解説し,自らの思想の見取り図にはめ込んでいく。ただ,正直に言って,私は稲葉氏の見取り図が読み取りにくく,また納得しづらかった。それでも何とか読み取ろうとしたうえで,何が納得できないのかを記しておきたい。

1.本書は,新自由主義とは何であるかということを前面に掲げつつ,近現代の社会経済思想史を描こうとしたものだと思う。
 しかし,この二つがどうかみ合っているのかがわからない。冒頭の章をはじめとする新自由主義論は,なぜか多くがマルクス主義者の新自由主義論を批判する形をとっており,それが新自由主義自体を正面から論じることを妨げており,論旨をとりにくくしている。
 著者の主張ではっきりわかるのは,(1)マルクス主義者が新自由主義を資本主義の新段階とするのは,資本主義から社会主義への移行の中で発展段階を論じるはずのマルクス主義にとって自己矛盾ではないかという批判と,(2)新自由主義は包括的な世界像を提示するようなまとまりに欠けているものだ,ということだ。(1)は,社会主義が破綻したからマルクス主義も全部だめだという乱暴な否定のバリエーションに見えるし,(2)は賛成できるものの,さほど切れ味がよい話とも思えない。そもそも著者がやたら(1)のマルクス主義批判に重点を置く理由がよくわからない。いや,新自由主義批判をするのは確かに左派やリベラル派ではあるが,マルクス主義者に限らない。誰もが社会主義への展望を考えているわけではないのだから,社会主義移行論の無効化を理由に新自由主義批判を批判するというのは,あまり生産的とは思えないのだ。

2.もう少し原理原則的に言うと,著者の理論批判の方法,つまり理論を理論によって評価するのか,理論を現実と照応させて,正確に言えば理論を,現実に対する自らの認識に照らして評価するのかがはっきりしない。上記のマルクス主義者批判では,著者はマルクス主義の理論的整合性を問う形で,つまり理論を理論によって批判している。他方,本書の随所ではマルクス主義,産業社会論,そして著者の言う「実物的ケインジアン」の有効性低下を論じるところでは,1980年代以後,市場競争と営利企業が技術革新を促進し,担うことになったという,現実(に対する著者の認識)を根拠としている。このような理論評価の方法の分裂はほかの箇所にも見られ,本書が何を基準として話をしているのかをわかりづらくしている。

3.もっとも,より具体的な,理論の成否を測る物差しとなると,本書全体に共通する軸がないわけではない。それは,著者の言葉を借りるならば「貨幣的ケインジアン」の理論によって種々の学説を裁断していることだ。私なりに言い換えると,ケインズのリフレ派的理解である。つまり,失業,有効需要不足の主原因は貨幣,流動性の不足であり,それへの処方箋は金融政策でのインフレ誘導だということである。対して著者によれば「実物的ケインジアン」とは,失業,有効需要不足の主原因として価格の硬直性を問題にするものであり,これは本来のケインズの論点ではないと著者は言う。マルクス主義,産業社会論,実物的ケインジアンに対して本書は様々な批判を投げつけるが,共通しているのは,貨幣の重要性とマクロ経済の領域を軽視したからだという批判だ。その批判の根拠は貨幣的ケインジアン,つまりケインズのリフレ派的理解であり,流動性を十分に供給すれば自由な市場経済は完全雇用を達成できるのであり,技術革新も担えるのだということらしい。
 となると,著者の現代資本主義評価というのはこういうことなのだろうか。新自由主義論のように,市場と競争が強烈すぎると批判するのは的外れである。そうではなく,何らかの理由で流動性が十分供給されずに経済停滞や失業が起こることと,完全雇用が達成されたとしても存在する社会問題が肝心だ,と。
 その成否はともかく,本書は,ケインズのリフレ派的理解という物差しに強く依拠している。しかし,他書に委ねるということなのか,そもそもケインズのリフレ派的理解について,さほど丁寧な説明をされていない。そのため,本書は,わかりにくいという声が出るかもしれないことを別にすると,リフレ派ならば賛成でき,リフレ派でなければ賛成できないという風に,はっきりと読者を選んでしまっていると思う。それでいいのだろうか。

4.私見では,著者は「実物的ケインジアン」を矮小化しすぎており,その結果,著者からみれば古い発想なのだろうが,市場の自己調整機能を過大評価していると思う。私の理解は以下のとおりだ。
(1)まず,著者がおそらくセー法則と貨幣ヴェール観を否定していることはまちがいなく,それは理解できる。しかし,それならマルクスに対する評価はもっと上げるべきだと思う。金本位制にとらわれていたというのは,一応信用論を銀行券にまで立ち入って論じたマルクスや,マルクス学派の貨幣・信用論に対してあんまりではないか。
(2)次に,流動性が供給されれば完全雇用が達成されるという理解だが,それがたとえ客観的には正しくても,政策論としては,流動性選好が貨幣の供給によって有意に操作できなければならない。しかし,貨幣をはじめとする流動性を,人為的に,つまり市中からの需要とは独立に供給することには限度があるのではないか。市中からの需要に金本位制が答えられず,管理通貨制という知恵が必要だったというところまでは納得できる。しかし,いつでもどこでも,政府や中央銀行が貨幣供給量を自由に増やせるという理解はおかしくないだろうか。市中の需要がないところに貨幣を無理やり供給することは,少なくとも著者が重視する中央銀行券専一流通システムの下ではできないのではないか。現代日本で,マネタリーベースを拡大してもマネーストックは拡大しないという現象はどう説明するのか。いくら金利を引き下げてもインフレ率が高まらず,成長率がリーマン・ショック前のトレンドを回復しない先進諸国の現実をどう説明するのだろうか。
(3)流動性選好は重視するが,資本の限界効率の不確実性は無視するのはなぜなのか。ケインズは価格の硬直性だけを主張したのではない。資本の限界効率が不確実だと主張したのではないか。だから,いくら利子率を下げ,よしんば流動性選好が和らいだとしても,その分だけ自動的に投資が増えるとは限らないのではないか。利子率やインフレ期待という数字ではなく,産業や社会やライフサイクルへの見通しという,人間の持つ,形のある期待に働きかけることで,はじめて資本の限界効率は上昇するのではないか。

5.技術革新が市場競争によって促進され,営利企業によって担われるという現実への評価の仕方にも,疑問がある。この現実により,マルクス主義と産業社会論の一定の側面,つまり資本主義は技術革新を担いきれなくなるだろうという展望が否定されていることは,私も同意する。しかし,それ自体は社会主義計画経済の崩壊以来言い尽くされていることであって,いまさら新しい論点だとは思えない。
 一つの問題は,技術革新が営利企業によって担われることをもって,ケインズの実物的理解を否定することはできないということである。技術革新が活発であるかどうかと,有効需要が足りて失業がなくなることは別だからだ。技術革新が活発な世界でも,いや場合によってはそれ故にこそ供給力が増大して,有効需要は不足するかもしれない。
 また,著者に従って貨幣的ケインジアンの視線に発つとしても,それでめでたしめでたしとはならないはずではないか。なぜならば,市場競争と営利企業による技術革新は,バブル経済の生成,金融セクターの肥大化を通して促進されるからだ。ここには,金融工学のように,技術革新の金融部面への偏りという問題も生じる。これは実物的であれ貨幣的であれケインジアン的に見るなら,問題の残る成長の仕方ではないのか。

6.本書の末尾では現代日本の経済政策が論じられているが,ここで突如として著者は緊縮的財政政策を嘆いている。本書のここまでの流れからすれば,著者にとって重要なのは金融政策であろう。現に著者はアベノミクスの異次元の金融緩和は高く評価している。しかし,それで物価が上がらず,景気対策が十分でなく,財政拡張も必要だというのであれば,それは理論的に「金融緩和だけでは有効需要が十分に回復しない」という証拠であり,ここにケインズのリフレ派的理解の限界が示されているのではないのか。

 以上,浅学を顧みず批判ばかり書き連ねたが,批判を通して自らの見解を再検討し,認識を深める訓練をさせていただけるという点では,本書はたいへんよい材料だった。著者に感謝したい。

稲葉振一郎[2018]『新自由主義の妖怪 資本主義史論の試み』亜紀書房。


<関連>
「ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は<経済>を語ろう』亜紀書房,2018年によせて (2018/6/21)」Ka-Bataアーカイブ。
https://riversidehopearchive.blogspot.com/2018/10/20182018621.html

「日銀による金融政策だけで物価を上げようとすることの限界について (2018/6/16)」Ka-Bataアーカイブ。
https://riversidehopearchive.blogspot.com/2018/10/2018616.html

「アベノミクスのどこを変えるべきか? 野口旭『アベノミクスが変えた日本経済』(ちくま新書,2018年)に寄せて (2018/5/13)」Ka-Bataアーカイブ。
https://riversidehopearchive.blogspot.com/2018/10/2018-2018513.html


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