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2018年10月30日火曜日

仙台市博物館特別展「戊辰戦争150年」

 仙台市博物館特別展「戊辰戦争150年」。奥羽越列藩同盟の史料を中心とした展示です。写真は仙台藩の洋式軍隊で,降伏後は榎本武揚らとともに函館で戦った額兵隊の軍服。もう一枚は新選組の土方歳三も仙台城を訪れていたという史実にちなんだ写真で,背景写真の奥にある仙台城二の丸は現在東北大学川内キャンパスとなっています。白虎隊の飯沼貞雄の墓がある輪王寺にはよく行くことがあります。隣接するキリスト教墓地に私の祖父母や父が眠っているからです。衝撃隊を率いた細谷十太夫が晩年に住職をしていてその墓もある龍雲院は,東北大学のユニバーシティ・ハウス三条のすぐ近くです。龍雲院には林子平の墓もあります。

 戊辰戦争を官軍として戦って死んだ人々は靖国神社に祀られていますが,白虎隊を含む奥羽越列藩同盟側の人々は祀られていません。靖国神社は,後に大日本帝国となる,天皇を中心とした「国家」のために戦死した人だけを祀るところであり,その敵とされた人は祀られないのです。このことは,靖国神社が,一人一人の人間のつながりとしての「ふるさと」や「くに」を思う気持ちに応えるものではないこと,国家とは「ふるさと」や「くに」とは違うものであることを示していると,私は思います。「明治150年」が,明治の「国家」の偉業だけをたたえるものであるならば,私はこの地に住むものとして賛成できません。新政府軍と戦って敗れた人々の営みを含めて,この150年は振り返られねばならないはずです。









2018年10月27日土曜日

学部生卒業論文の研究方法論

 昨日の学部ゼミ。学部ゼミ生10人が卒論を提出するのだが,一方で働き方改革で卒論提出日が昨年までの1月の休み明けから12月26日に早まったので注意が必要だ(※1)。そこで夏休み直前に進捗報告を提出させてメールコメントし,2学期ゼミの冒頭には中間報告をしたもらったのだが,いくつか気がついたことがあった。それは,研究方法のレベルで迷子になっていて,データの収集や分析という中核的作業に進めていないケースがあることだ。具体的には二つに分かれる。

 一つは,「研究対象を対象として定めて,客観的に分析する」ことができていない場合だ。当ゼミの場合,さすがに対象がある「産業」とか「企業」と決まっている場合は起こらない。まずどういう産業なのか,企業なのか概観する作業が必要だよな,ということはわかるからだ。しかし,政策とか取引慣行とか人事管理などのしくみだとおかしくなりやすい。つまり,実践的行為やその集合体を扱う場合に生じやすい。その行為の束やしくみをまず客観的対象として突き放すことが,直観的にできないようだ。実践的行為の束を対象化し,境界線を決め,分類し,叙述し,経済・経営学的に分析する,という手順を体得していないのだ。
 そのような学生はどう報告するかというと,いきなり「メリット,デメリット」を列挙してしまう。しかし,判断基準も対象の境界線もないので,ありきたりな世間的基準か,根拠が示されない主観で決めつけることになってしまう(※2)。

 もう一つは,事例と理論,いや理論とまではいわなくとも,事例と「言いたいこと」との関係がよく考えられていない場合だ。これは学部生だけでなく,院生や,ひいては私自身にとっても頭痛の種だ。1)事例によって理論を証明するのか(説明的研究),2)事例の叙述と分析から,より一般性の高い命題を発見するのか(発見的研究),3)事象の普遍性・特殊性・個別性を総合的に叙述したいのか(総体としての叙述),がよく考えられていない。また,「言いたいこと」にこの事例はふさわしいか,そのためのデータ・情報はそろっているか,逆にこの事例から何が言えて何は言えないか,ということが考えられていない。
 そのような場合,学生がどう報告するかというと,i)一番よくあるのは,データ・情報の制約があったときに,その制約の方を突破するか,問題設定やストーリーを入手できなデータ・情報の範囲内で調節するか,という作戦が考えられないケースだ。さすがに院生だとないが,学部生の場合,「ここまでやったんですが,いいでしょうか。もっとやらなきゃいけませんか」と来る。たが、論文は自分自身が責任を負う作品だ。いいかどうかは,自分の問題設定,自分の資料に訊くのだ。ii)もうひとつは,一般論を述べて「これから事例を考えます」というパターン。事例についての知識をきちんと体得していないので,そもそも締め切りにまにあわなくなるおそれがある。定性的事例研究は,上記の研究のどのタイプになるにせよ,個別の事例を詳細に叙述しなければならないので,その事例となる産業や企業に関するデータ・情報を集め,知識を得るだけで時間がかかる。その上で,事象の中に潜む個別性・特殊性・一般性を見分けて,徐々に一般化に近づいていくのだ。さらに,iii)事例についてオタク的に際限なく資料を集めて叙述したが,それで理屈としてはどうなるのかわからないという類型もありうる。これは,いかにも当ゼミでは起こりそうなのだが,意外にも見当たらない。正確には,常に一人いる。私だ。なぜこういう類型が意外に少ないのか,わからない。オタクはオタクを遠ざけてしまうのか。

 こうした研究方法論は,それこそ一般的に学部生に講義して教えても,何のことかピンと来ないことになりがちで,自らのレポートや卒論の作成過程の中で覚えていかないと身につかない。だから,当ゼミでは入ゼミ時にも3年生終了時にもレポートを課して訓練する。しかし,それでもいざ卒論という局面で,またこうなる。実に難しい。これは結局,つまずいた経験がパターン化,一般化されないからだろう。なので最近は,問題が生じるたびに,「どうして行き詰まっているかというと,ここがまずいからで……」と上記のようなやや抽象的な説明を図解付きで入れるようにしている。だが,通じるだろうか。


※1 なぜこれが働き方改革になるのかというと,まず教員にとっては,これまでは,結局ぎりぎりまでできない学生がいるために,年末年始にあれこれと世話を焼かねばならないという問題があった。また事務にとっては,修士論文の提出も1月初旬のため,仕事始めにいきなり特定日に業務付加が集中するという問題があったのだ。
※2 ちなみに,この院生バージョンで時々起こるは,業界も企業も分析していないのにSWOT分析「だけ」で「この会社のことはわかりました」と称するものだ。業界の構造も企業組織もわからないのに,「強み」「弱み」がどうしてわかるのか。


2018年10月22日月曜日

留学生が日本の大学を卒業して就職する際の条件緩和について

 外国人労働者受け入れ問題について,論点は多々あるが,大学に身近な「留学生が日本の大学を卒業して就職する場合の条件緩和」問題にふれたい。

 さて,まず法務省がやろうとしていることを正確に把握したいのだが,公式発表はまだないようだ。「年収300万円以上で日本語を使う職場で働く場合に限り,業種や分野,職種を制限しない」ということらしい。

 ここで,まず誤解すべきでないのは,これは報道が間違っていない限り,収入要件の緩和ではないということだ。日本の大学を卒業して日本の会社で働く外国人が持つビザで一番多いのは「技術・人文知識・国際業務」だ。現行のの運用では,「技術・人文知識・国際業務」ビザを持っている外国人が,ここから「永住」に転換しようとすると,収入要件は年収300万円だ。もちろん,他にいろいろな制約があって永住をとれる人はそれほど多くないのだが,その厳しさは年収要件ではない。「永住」ですら300万円以上なので,「技術・人文知識・国際業務」ビザを取って日本で働くのが300万円以上なのは,とくに何も緩和していないと言える。

 だから緩和するのは業種・分野,職種だということになる。従来は大学で学んだ分野との関連性が問われていたのを,問わなくするということだ。では,どのように緩和するのか。

 そもそも,現在の基準にもあいまいさがある。「技術・人文知識・国際業務」ビザを取得するためには,大学の専門分野に属する技術や知識を要する業務,または外国の文化に基盤を有する思考若しくは感受性を必要とする業務に従事しなければならない。その例は法務省のページに書かれている(※1)。しかし,この基準で厳密に「専門にかなった仕事に就く就職か」を判断することは難しい。なぜなら,日本企業はそもそも学卒新規採用の際に職務を明示しない,メンバーシップ型の採用をするからだ。わかるのは「入社」することだけであって,どんな職に「就職」するかはわからない。よって法務省が判断することには困難がある。

 しかし,現在の基準もまるきり使われていないわけではない。「技能労働(ブルーカラー業務)は不可」というところだけはチェックしていると思われるからだ。技能労働につくと疑われると不許可になることがある。この技能労働の範囲にもグレーゾーンはあるが,製造や建設,販売,サービスにおける現場作業労働を含むとみなされているようだ。たとえば,工場のラインや建設現場で作業員として働く,コンビニの店員になる,飲食店のウェイター,ウェイトレス,フロア接客などがみとめられないようだ。

 このため,新規学卒留学生の就職に際しての「技術・人文知識・国際業務」ビザへの切り替えにあたっては,書類の書き方のテクニックや審査官の裁量に左右される場合が少なくない。イメージしやすい例としては,専門職であっても現場作業労働も行っているような職種,たとえば保育士,通訳も行うフロア接客,などがあげられる。これらは,不許可のことも,許可になることもあるそうだ。

 この点を考えると,業種・分野・職種制限を外し,年収要件だけでチェックすることについては,一方で歓迎すべき点と,他方で注意すべき点がある。

 歓迎すべき点とは,基準のあいまいさ,書類作成のテクニックや審査官の裁量によって許可・不許可が左右されるという不透明さがなくなり,公正さが増すことだ。私は日本の新規学卒労働市場が徐々にジョブ型になっていくことが望ましいと考えるが(※2),そうなるにせよならないにせよ,メンバーシップ型の「入社」方式がしばらく残ること,縮小するにしてもエリート社員はメンバーシップ型であろうことは避けられない。ビザ審査で教育と職務の適合性を見るのも無理であろう。とすると,ホワイトカラー業務全般について,大卒の留学生が日本人と変わらず就職できるようにすることが公平であろう。留学生には専門性をかなりの無理をかけて問い,日本人学生には問わないということは,不合理があるからだ。

 他方,注意すべき点とは,大卒の留学生が技能労働に流れ込む余地はないのかということだ。つまり,大学を卒業して工場の作業労働者,建設労働者になったり,バイトをしていたコンビニや居酒屋にそのまま就職するということである。労働力不足のおり,技能労働でも年収300万円を超えることは十分にあり得るから,年収要件はクリアーするかもしれない。しかし,これはさすがに望ましくない。日本の大学教育は特定の職種・職務に対応したものではないが,少なくともホワイトカラー業務に対応しており,ブルーカラー業務に対応しているのではないとは言える。大学教育を受けるために日本に来てもらった留学生は,そこで得た知識水準にふさわしい形で職に就くことを,日本在留の要件とすべきだ。

 もちろん,ホワイトカラー業務では採用されないから技能労働に応募するというような大卒留学生が少なければ,問題は起こらない。しかし,大学教員としては誠に残念だが,現在の留学および大学の現状ではここに不安がある。すでに少なくない日本語学校が,就労を目的として日本にやってくるためのトンネル的存在となっており,さらに,少なくない私立大学において,高校教育の内容を身につけているとは思えない低学力の受験者を入学させることが,相手が日本人であれ外国人であれまかり通っている。この両方の条件が結びついた場合,はなはだ学力の不十分な留学生が大卒となることは,繰り返すがはなはだ遺憾ながら起こりうる(※3)。

 こうなることは望ましくない。外国人を差別したり,技能労働を職業差別したりする意味で,望ましくないと言っているのではない。多大なコストを払って実施している大学教育は,修了者が技能労働することを想定した内容ではないからだ。日本語学校と大学への留学という複雑な制度を活用しながら,その機能は,技能労働者への就労のトンネルというのでは,あまりの機能不全であり,教育制度と,そこにかけたお金・人材の目的外使用だからだ。そのような可能性を広げてしまう制度改革はすべきではない(これは,大学を卒業し,自らに技能労働が向いていると確証をもって働く個人の生き方,自由な選択を何ら否定するものではない)。

 技能労働者の不足に対しては,現在すでに議論になっているように,適切な要件を定めた技能労働のビザを発給することによって対応しなければならない。私は基本的に技能労働ビザ発給に賛成している(※4)(ただし,詳細についてはかなり検討しないと問題が起こるので,別途議論する)。しかし,大学教育にさんざん手間暇をかけて,それが技能労働者集めのトンネルルートになるという,制度の目的外使用には反対せざるを得ない(※※11/5注。続編もご覧いただけると幸いです)。

 結論として,私は本件について,以下のように提案したい。

*日本で大学を卒業した留学生への「技術・人文知識・国際業務」ビザ発給に際して,業種,分野,職種の制限を緩和して実態に合わせ,ホワイトカラー業務への就職について,留学生と日本人を同等の競争条件に置くことに賛成する。

*ただし,技能労働(ブルーカラー業務)への就労は,従来と同様,認めるべきではない。この技能労働には販売,サービス分野の作業労働を含む。

 関連して,すでに多くの人が述べていることだが,次のことも必要になる。

*日本語学校が就労の手段として使われる状態を解消する必要がある。そのために,技能労働ビザの適切な制度設計が求められる(別途議論したい)し,虚偽情報で学生を集める,授業の実態がない,資格外活動制限違反を促進または放置しているなどの日本語学校は取り締まるべきだ。

 そして,実は問題のおおもとには以下のことがあることを指摘したい。実は,大学入試さえしっかりしていれば,このような心配は不要なのだ。日本語学校と大学を経て技能労働というトンネルが懸念されるのは,「高校教育の内容を身にうけたものだけを大学に入学させる」という当然のことができていない現状が,日本の大学に存在するからだ。その理由については以前に書いた(※5)。あれこれの大学改革よりも,この基本的なところを何とかすべきではないか。

*大学入試において,高校教育の内容を身につけたもの以外を合格させないようにすることが,留学生の就職の適切な促進,弊害の最小化にもつながる。

 なお,以上は限られた知識をもとに書いたので,ご批判を遠慮なくコメント欄にいただきたい。


※1「「技術・人文知識・国際業務」の在留資格の明確化等について」法務省入国管理,2008年3月(2015年3月改訂)。
http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyukan_nyukan69.html

※2 川端望「就活ルール廃止後に求められる改革の基本方向」Ka-Bataブログ,2018年10月11日。
https://riversidehope.blogspot.com/2018/10/blog-post_66.html


※3 出井康博「外国人留学生「就職条件緩和」に潜む「優秀な人材」という欺瞞」フォーサイト-新潮社ニュースマガジンより転載,時事ドットコムニュース。
https://www.jiji.com/jc/v4?id=foresight_00242_201810150001

※4 川端望「外国人労働者について:もはや「受け入れるか,受け入れないか」の問題ではなく,「どう受け入れるか」の問題である (2018/6/6)」Ka-Bataアーカイブ。
https://riversidehopearchive.blogspot.com/2018/10/201866.html

※5 川端望「大学の学力問題と労働市場」2017年7月4日。Ka-Bataアーカイブ
https://riversidehopearchive.blogspot.com/2018/10/201774.html

※※11月3日追記。以下に続編を書きました。
続・留学生が日本の大学を卒業して就職する際の条件緩和について。
https://riversidehope.blogspot.com/2018/11/blog-post_3.html

※※※12月9日追記。入管法改正案成立を受けて以下を書きました。

拙速な入管法改正は遺憾だが,実践的な準備をしながら意見をたたかわせるしかない



2018年10月17日水曜日

鉄鋼業の地球温暖化防止策として,スクラップ利用の拡大を

 東京都内で開催中の世界鉄鋼協会の大会。『日刊鉄鋼新聞』によれば,世耕経済産業大臣は「日本の優れた省エネ技術・低炭素技術の普及を進め、また石炭の替わりに水素を使って鉄鉱石を還元すると同時に、発生するCO2を分離・回収する世界最先端の技術開発を支援していきたい」とあいさつした。
 水素還元とCO2分離・回収は,高炉法など鉄鉱石からの鉄源製造を低炭素化するために重要だ。そのために,鉄鋼業界は革新的製鉄プロセス技術開発COURSE50に取り組んでいる。しかし,その計画によれば,この二つの技術は2030年までに開発され,2050年までに実用化・普及するものであって,CO2排出量の削減率は30%だ。一方,IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が10月8日に発表したところでは,地球温暖化の影響は予想より深刻に表れそうであり,これを防止するには産業革命以前からの気温上昇をこれまで目標としてきた2度でなく1.5度に抑える必要があり,そのためには全世界の人為的な正味二酸化炭素(CO2)排出量を2030年までに2010年の水準から約45%減少させ,2050年頃に「正味ゼロ」を達成する必要があるという。全世界の削減率と日本鉄鋼業の削減率が同じである必要はないとはいえ,鉄鋼業は産業セクターにおいて電力産業に次ぐCO2発生源であり,日本は世界第2位の粗鋼生産国である。社会から要求される速度にまにあわないのではないか。
 実は,これらの技術開発のほかにも,既に使用な技術の範囲でも温暖化対策はやりようがある。鉄源として,高炉で鉄鉱石を還元して製造する銑鉄ではなく,鉄スクラップを用いることだ。その場合,製鋼段階では,電気炉ならば鉄源のほとんどに鉄スクラップを用いることができるし,転炉でも10数パーセントは使用できる。世耕大臣が,この情勢下でスクラップ使用拡大について触れないのは,どうなのか。
 世界の製鉄国の中で,生産量第2位の日本とトップの中国は転炉製鋼比率が高く,電炉比率が低い。具体的には,2016年の転炉製鋼比率が世界全体73.8%,日本77.8%,中国93.6%,電炉製鋼比率が世界全体25.7%,日本22.2%,中国6.4%だ(世界鉄鋼協会統計)。正確な数値の入手が困難であるものの,日本と中国では,鉄源として銑鉄の利用比率が高く,スクラップ利用比率が低いことはまちがいない。ここを変化させることで,CO2排出量を抑えることが可能だ。
 中国は,違法な地条鋼廃絶によるスクラップ原料の転用という課題が発生したのを機会に,電炉増設を奨励し始めた。もともとの比率が低すぎるとか,急速な転換で電極価格を世界的に高騰させるなどの問題はあるものの,長期的には望ましい方向だ。日本でも電炉製鋼比率の向上,高炉・転炉法でのスクラップ利用比率拡大について,もっと政策的重点を高めるべきではないか。メーカーへの負担が過度にならないように配慮するにせよ,CO2排出規制を,スクラップ利用を有利とする形で設計するのが自然なことではないか。

【世界鉄鋼協会東京大会】世耕経済産業大臣「今こそ過剰生産能力削減を」ORICON NEWS, 2018/10/17(元記事は『日刊鉄鋼新聞』2018年10月17日提供)。

IPCC特別報告書『1.5℃の地球温暖化』の政策決定者向け要約を 締約国が承認,プレスリリース 18-072-J 2018年10月16日,国際連合広報センター。

2018年10月15日月曜日

未来へつなぐべき心とは何か:靖国神社の宮司退任に思う

 宮司が退任された靖国神社のサイトに行くと,「未来へつなぐ靖国の心 平成31年靖国神社御創立150年」と大々的に宣伝している。また神社の由緒として「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊みたまを慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です」と書かれている。
 
 たいへん正確なことだ。150年の歴史しかなく,明治以後の国家の側について亡くなった軍人・軍属だけを祀っているのだ。日本の伝統とは関係ないのだ。

「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ。そう思わん? どこを慰霊の旅で訪れようが、そこには御霊はないだろう? 遺骨はあっても。違う?」(小堀宮司発言)

 平成天皇が訪れた地で亡くなられたのは,日本の軍人・軍属だけではない。おおぜいの日本の一般市民や,交戦相手国の軍人や一般市民が亡くなったのだ。平成天皇は,そうした,靖国神社が決して祀ろうとしない人々を含む,戦没者すべての霊を慰めようと旅をされた。確かに,平成天皇は靖国神社から遠ざかっている。

 小堀宮司の発言は,靖国神社の立場を正確に反映している。日本国家の側に立って亡くなった軍人・軍属だけを祀るわが神社に参拝せよ。他の戦没者のことは知らない。それが靖国神社なのだ。だから,靖国神社社務所は,宮司の「不穏当な言葉遣い」だけを問題にして,発言内容に問題があったとは言わなかったのだろう。

 靖国神社の,戦争の犠牲者に対する姿勢は,たいへん首尾一貫している。だが私は,未来へつなぐべき心は,このようなものではないと思う。

靖国神社

「靖国神社宮司退任について」靖国神社社務所の画像が掲載されている,「ゴー宣ネット道場」2018年10月10日。

2018年10月11日木曜日

就活ルール廃止後に求められる改革の基本方向

 経団連は就活ルールの廃止を10月9日に決定した。中西会長は同日の記者会見で「今後は、未来投資会議をはじめとする政府の関係会合において、2021年度以降のルールのあり方について議論していくことになる」と述べており,何らかのルールが必要なことは認めている。しかし,それはもはや経団連が定めるのではない。野上官房副長官が述べるように,「政府と関係者が議論の場を設けるなど適切に対応していく」ことになるのだろう。

 本件について経団連に問われていたのは,単に就活ルールを投げ出して,会員企業の青田買いを野放しにするだけなのか,採用方式の改革に乗り出すのかであった。結果,直接には投げ出しに終わっており,どのような改革が必要とされているのかについて,まだまともな提案をしていない。中西会長は「今後の議論において重要なことは、大学の教育の質を高めることである」と述べるが,卒論や卒業時成績など学生の能力の到達点を見ようともせずに採用活動を前倒ししていることへの反省がない大学批判はお門違いだ。しかし,他方で「すでに多くの企業が新卒一括採用のみならず、中途採用などを行っているが、学生にどのような勉強をしてほしいのか、入社後のキャリア形成をどう用意しているのか、などといった具体的な事柄について、これまで企業から社会全体に十分に伝えてこなかった」という反省を述べたこと,新たなルールについて,政府,経済界,大学で協議していくことに前向きなことは注目される。改革への意思,参加する意思はあると受け止めるべきだろうし,そのように受け止めてコミットメントを求めるべきだろう。

 さて,この新卒者に対する採用活動の根本的な問題は,活動開始の時期ではない。新卒採用の本質は,「新規学卒者だけを対象にして,やるべき職務を明示せずに,「入社」させること」であり,中途採用の本質は「やるべき職務を特定して,それにふさわしい能力を持ったものを「就職」させること」だ。職務を指定しないメンバーシップ型採用と,職務を指定するジョブ型採用の区別に注目すべきであり,新卒者が挑む採用が前者に偏りすぎていることが本質的な問題なのだ。就活ルールを廃止すると,仮に新たなルールがどのように決められるにしても,採用活動の時期は今よりは自由化されるだろう。そして,もし企業側が新卒に「入社」を求めるメンバーシップ型採用を何ら改革せず,ただ前倒しで行うだけであれば,それは直接には大学教育と学生生活に対する破壊行為だ。また間接には,企業は「大学で身に着けた能力は求めないが,大卒の肩書は求める」ことになる。そして,大学には全く何も求めないけれど,各社各様に,各社に「入社」するにふさわしい漠然とした能力を求めるという,現在行われている採用活動をもっと推し進めることになる。これは雲をつかむような話であり,日本の人的資源の涵養につながるとは到底思えない。

 だから改革の基本方向は,メンバーシップ型採用の比率を徐々に減らし,職務を指定するジョブ型採用の比率を増やすこと,後者の社員を活用することに企業が習熟していくことだ。ジョブ型採用では,これまでより明示的な職務遂行能力によって採用を判断することになる。それは,ことの性質から言って,新卒でなければならない理由は何もない。だから,採用対象は新卒者に限らないし,採用時期はいつでもよいことにするのが合理的だ。もちろん,メンバーシップ型とジョブ型の中間的な採用もあり得るだろう。政府,経済界,大学で協議して作る新たなルールは,このようにジョブ型採用を増やし,ジョブ型採用を通年の,新規・中途を問わない採用にしていくことが望ましい。残るメンバーシップ型採用については,あまりに極端な青田買いを抑止する。

 ジョブ型採用は,ある特定の職務を遂行できる人を採用するのだから,そこに年齢差別があってはいけないことになる。実は,年齢差別禁止は,すでに2007年改正の雇用対策法第10条でとっくに規定されている。ただ,,雇用対策法施行規則第1条の三において新規学卒採用は例外とされているに過ぎないのだ。ジョブ型採用については,この例外は適用すべきでないだろう。もし適用すると,結局新卒をターゲットにした青田買い採用になってしまう。青田買い採用を抑止して通年・随時採用にするには,採用対象の限定をなくすしかないのだ。

 これによって,大学生からみると,就職活動が全体としていまよりもひどく青田買いになること,つまり前倒しされることは避けられる。ジョブ型採用の部分は,一年を通して行われているし,新卒者であっても就職浪人を含む既卒者であっても等しく応募できるからだ。つまり,就職活動をしたいとき,しなければならないと思った時ににすればいいのである。メンバーシップ型については,これまでより青田買いがひどくなるおそれがあるが,全体に占める割合が小さくなれば弊害も小さくできるだろうし,ルールによる規制も可能であろう。

 ただ,ジョブ型採用は日本の労働市場全体に構造変動を起こすし,大学生にとって,就活開始が早まりはしないものの,全体として有利かというとそうでもない。年齢差別禁止が適用されると,当然,ジョブ型採用には新卒だけでなく,就職浪人も中高年も応募するだろう。そうすると競争率が上がるから,大学生には不利になってしまう。日本全体としては,中高年の再就職の可能性が広がり,その分だけ新卒が不利になる。これは学生にとっては問題だ。

 しかし,それは超高齢社会への対応としては合理的だ。超高齢社会とは高齢者と女性が元気に働けないと成り立たない社会であり,現在はその高齢者と女性に冷たい労働市場と雇用システムなので,その改革の一環としてやる価値はあるし,いずれはやらざるを得ないことだろう。

 若者にとっても,不利なことばかりではない。前述の通り,早い学年から就活をするという混乱は避けられるし,卒業してから自らの専門性を武器に就職することも可能になる。新卒と就職浪人の間にあったすさまじい差別が緩和され,やり直しのきく就職活動になるだろう。一発勝負ではなくなるのだ。

 大学や高校にも教育改革の課題が突き付けられる。メンバーシップ型採用が残る部分については,求められる教育の質はそれほど変わらない。幅の広い教養,課題探求能力,リーダーシップ,読解力,分析力,考察力,論文を書く力などを身につけさせればよいからだ。ただ,少数精鋭になるだけに,これまでよりも高い能力は求められるだろう。他方,ジョブ型雇用に変わる部分については,就職する時点で,新卒者に職務遂行能力が求められる。それは学生の間に身につけねばならない。つまり,大学や高校での職業教育を強化しなければならなくなるだろう。来年4月から開設される専門職大学や,各大学での一層系統的なキャリア教育,企業・業界団体・経済界と連携しての質の高いインターンシップとその単位としての認定,高専や工業高校・商業高校,専門学校の地位を上げる工夫,ダブルスクールをやりやすくする仕組みなどは,どうしても必要になるだろう。これはつらいことではあるが,実のあることでもある。文部科学省から言われ,評価と予算を得るために行う改革ではない。学生が,自らの力で就職できるようにするための改革なのだ。

 日本の労働市場を全体としてよりよく機能させ,企業には人材獲得の便宜を拡大し,大学と学生には教育機会を保証していくためには,以上の方向で新たなルール作りと,労働市場改革,教育改革を進めることが必要だと,私は考える。

定例記者会見における中西会長発言要旨,2018年10月9日,日本経済団体連合会。
http://www.keidanren.or.jp/speech/kaiken/2018/1009.html

薄スラブ連続鋳造機は鉄鋼業界をさらに破壊するか?:製鉄プラント小型化の潮流

 製鉄プラント小型化の潮流が強まっていることについて,『日刊鉄鋼新聞』が記事にした。小型化の中心は薄スラブ連続鋳造機とコンパクトストリップミルの直結システムだが,条鋼のマイクロミル,中型高炉もこの潮流に加えられている。
 薄スラブ連鋳のもともとの目的は,設備当たり生産量が小さくても熱延コイル生産に参入できるようにすることだった。薄スラブ連鋳に直結したストリップミルならば,最小効率規模が100万トンにでき,400万トン程度必要なコンベンショナルなホットストリップミルよりはるかに低くなる。こうして薄スラブ連鋳は,先進国の電炉メーカーと新興国の高炉・電炉メーカーが鋼板分野に参入する手段として用いられるようになった。特に中国の場合,小型・中型高炉技術は国産のものがあるため,これと薄スラブ連鋳を組み合わせて銑鋼一貫生産する方式が複数企業によって採用された。この動きは,拙著『東アジア鉄鋼業の構造とダイナミズム』※1に記したように,実は1990年代から顕著になっていたのだが,このところ加速していることは確かだろう。
 その最大の理由は,この記事に書かれているように品質の向上により適用範囲が広がったことだと思われる。従来,薄スラブ連鋳-コンパクトストリップミルによるホットコイルは,用途が建設用に限定されていた。私が2000年代後半に調査したタイの二つのミルも(拙稿「タイの鉄鋼業」※2参照),適用範囲を広げることに困難を抱えていた。ところが,現在では「エネルギー用の鋼管や一部の自動車用途にも耐え得る」と報道されている。
 アメリカの電炉メーカーによる鉄鋼業界の破壊disruptionは,C.クリステンセンがローエンド型破壊的イノベーションの重要例としたものである。薄スラブ連鋳ーコンパクトストリップミルによる業界の破壊disruptionは,世界的規模で新たな局面を迎えているのかもしれない。

「製鉄プラント『小型化』ブーム」『日刊鉄鋼新聞』2018年10月9日(冒頭のみネット掲載)。

※1川端望[2005]『東アジア鉄鋼業の構造とダイナミズム』ミネルヴァ書房。
※2川端望[2008]「タイの鉄鋼業:地場熱延企業の挑戦と階層的企業間分業の形成」(佐藤創編『アジア諸国の鉄鋼業:発展と変容』日本貿易振興機構アジア経済研究所,251-296頁)。

2018年10月10日水曜日

アマゾンは,どのような場合に出店者の事業に自ら参入するか

プラットフォーム研究に挑む院生が見つけて来て,来週ゼミで読む新しい論文。要は,プラットフォーム企業が補完的事業に自ら参入するのはどんな場合かを,アマゾンが出店者の売っているような商品を自ら売り出す場合を事例にして考察する論文。自ら参入すればもうかるかもしれないが,出品者に「サメと泳ぐようなものだ」と思われて去られてしまうと,プラットフォームのエコシステムを自ら破壊することになりかねないという矛盾は,どう解決されているのかということだ。戦略系トップジャーナルのSMJに載っているが,新しすぎてまだGoogle Scholarにインデックスされていない。ディスカッションペーパーの時点で33回引用されている。先日のアジア経営学会で,プラットフォームと垂直分裂に向かう傾向と,コア企業が自ら垂直統合する傾向の関係について議論したところだったので,ちょうどいい。
Feng Zhu and Qihong Liu (2018), Competing with complementors: An empirical look at Amazon.com, Strategic Management Journal, 39(10), 2618-2642.
https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1002/smj.2932

2018年10月9日火曜日

研究方法論に取り組まざるを得ないことについて

 先週より大学院ゼミ開始。各自の研究報告のほかに,研究認識論・研究方法論の文献も読むことにし,各種検索結果,院生がレフェリーからこの間受けた指摘などを手掛かりにして以下を選んだ。とにかく,当ゼミからの投稿は私本人を含め「事実発見と事例分析はよくできてる,実践的インプリケーションもOK。だがリサーチ・クエスチョンが弱い,理論的テーマが不明瞭,事例選択の根拠が希薄,理論的インプリケーションが薄い」等々と言われやすい。個人的学問観としては言いたいこともあるが,国際誌にもっと載せるためには,ここを何とかしなければ。
Sinkovics, Noemi [2017], "Pattern matching in qualitative analysis," in C. Cassell et al., The SAGE hand book of qualitative business and management research methods, Sage Publications, Ltd.
https://uk.sagepub.com/en-gb/asi/the-sage-handbook-of-qualitative-business-and-management-research-methods/book245704https://www.e-elgar.com/shop/handbook-of-qualitative-research-methods-for-international-business
→高いが,注文した。
Ghauri, P.[2004]. “Designing and conducting case studies in international business research” in Rebecca Marschan-Piekkari and Catherine Welch eds, Handbook of qualitative research methods for international business, E.Elgar, 109-124.
https://www.e-elgar.com/shop/handbook-of-qualitative-research-methods-for-international-business
→附属図書館にあった。
Fletcher, M. et al. [2018]. Three pathways to case selection in International business, International Business Review, 27(4), 755-766.
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0969593117301142
→附属図書館購入の電子ジャーナルにあった。

2018年10月8日月曜日

『特撮秘宝』第8号。「特撮の悪役」

『特撮秘宝』第8号。一般社会に紹介できるネタがほとんどないのだが,表紙を飾る『ウルトラマンA』第23話『逆転!ゾフィ只今参上』の巨大ヤプールにはかろうじてメジャー感があり,わかる人ならわかるかもしれない。このエピソードでは,怪しい老人が「お前は俺を信じなさい,ほれ信じなさい,ほれ信じなさい」と歌うと子どもたちがぞろぞろついていき,異次元に連れ去られていく。

 砂浜で老人が「花はとっくに死んでいるのだ」と言えば,子どもたちは「そうだ,死んでいるのだ!」と唱和する。そして忽然と消える。北斗星司(ウルトラマンA)は,猿人に変身して火を噴く老人に崖から落とされて負傷する。しかし,そのこと自体をTACの仲間に信じてもらえない。いや,それでも南夕子(ウルトラマンA。当時合体変身だった)は信じようとするのだが,二人で事件現場に行って見ると,砂浜自体がない。北斗は,異変を告げたはずなのに,逆に自らが異常とされ,疎外されていく(まあ,北斗隊員はいつもそうだったけど)。

 脚本を自ら書いて監督した真船禎氏のインタビューによれば,氏は戦後直後の価値観の急転換を念頭においてこの話を書いたのだという。

「だから,あそこで一番やりたかったのは,老人が子どもたちを集めて,「海は青いか?」「海は青い」と答えると,「違う!海は黄色だ」って言うと,海が本当に黄色になっちゃう。それが洗脳っていうものですよ。でも,「この人は怖いから,言うとおりにしとこう」だったら,まだいいんですよ。一番怖いのは,本当に黄色く見えちゃうっていうことなんです」
「僕は小学生時代に,信じて死ねって言われて,死ぬつもりだった。ところが一夜明けたら,今から生きろと。命が大事だって。何が真実なんですか?」(ともに84ページ)

 それでも30分のヒーロー番組だから,真船監督はBパートでAを勝利させ,真実はこちら
にあるとした。しかし,ヤプールは怨念となってウルトラマンシリーズに繰り返し現れる。人が人に裏切られ,語りかけても信じてもらえない世界をつくろうとする。それがヤプールの復讐だ。

『特撮秘宝』第8号,洋泉社,2018年。
https://www.amazon.co.jp/dp/480031545X


2018年10月7日日曜日

これまでの研究ノート

 これまでの研究ノートはGoogle+に投稿して,公式サイトからリンクしておりました。関心のある方は,以下をご覧ください。今後のノートも,事後に公式サイトからリンクします。

公式サイトの研究ノート集
http://www.econ.tohoku.ac.jp/~kawabata/arekore.htm

2018年10月6日土曜日

経団連会長の就活ルール廃止発言について:新卒一括採用の改革か,たんなる大学教育軽視か 

 2021年4月入社の就職活動は,採用面接を6月解禁にするなど現行ルールが維持される見通しだ(『東京新聞』2018年9月22日)。

 就活ルール廃止を言い出した経団連の中西会長は,9月3日の定例会見で「「終身雇用など基本的なところが成り立たなくなっている。(活動を)一斉にやることもおかしな話だ」と発言したという(『朝日新聞』2018年9月22日)。つまり,就活ルールの廃止が終身雇用の弱体化と連動しているし,新卒一括採用を廃止することと連動させたいというのだ。これをめぐってあれやこれやのコメントが飛び交っている。

 だが中西会長も,また多くのコメンターも肝心なことを語っていない。それは,経団連加盟企業のほとんどは,新卒規一括採用の廃止意向など表明していないということだ。

 新卒一括採用とは,「経団連加盟企業が同じ時期に採用活動をすること」だけではない。一番肝心なのは,「新規学卒者だけを対象にして,やるべき職務を明示せずに,「入社」させること」である。これこそが本質であり,これをやめない限り,いくら採用活動を前倒し使用が各社各様にしようが,新卒一括採用をやめたことにはならない。

 新卒一括採用では,学卒者を組織の一員として「入社」させる。そして,就くべき職務は会社が割り当てる。就くべき職務を労働契約で取り決めていないので,配置転換や転勤は基本的に会社の裁量だ。その代わり,ある職務が組織再編で消滅しても,会社は別の職務を割り当てる義務を負う。特定の職務で成績が悪くても「組織の一員」として失格とまで言えなければ解雇はされないので,希望すれば定年まで終身雇用される確率が高い。逆に,解雇とは,特定の仕事だけでなく「組織の一員」として働くことができない,極端に問題のある者とみなされる。これが新卒一括採用と終身雇用の関係であり,濱口桂一郎氏の言うメンバーシップ型雇用である。

 経団連が本当に新卒一括採用をやめる、または縮小するのであれば,採用の大きな部分を特定の職務を指定したものとし,職務遂行能力のみを基準として採用しなければならない。新卒であるかどうかや年齢で応募を制限してはならない(すでに新卒採用を例外として,年齢指定の禁止が雇用対策法で定められている)。そこまでやる気があるのか。そこまでやるというならば,経済界,政府,大学は制度・慣行の改革について真剣に協議すべきだ。容易ではないし,漸進的にしかできないだろうが,大学も汗をかいて前向きに取り組む価値がある。

 しかし,経団連にも多くの加盟企業にもそこまでやる気は観られない。このままでは,経団連は,ただ採用活動の開始時期を各社の好き放題にしたいだけなのだとみなさざるを得ない。それは雇用改革でも何でもない,ただのわがままである。そして,そこには,大学教育を軽視しながら社員に大卒の肩書だけは求めるというねじれた認識を読み取らざるを得ないのだ。大学など頼れない,採用してから社内で育成すればいいと考えているのだろうが,その方式では企業成長がおぼつかなくなっているから「終身雇用など基本的なところが成り立たなくなっている」のではないか。

 労働市場の入り口を改革するために,やらねばならないことは大学にもあるが,企業にもたくさんある。改革に挑むのか,改革に見せかけて単にわがままを押し通したいのか,経団連の見識が問われている。

2018年9月22日のFacebook投稿を転載。

製鉄所に刻まれたアメリカ鉄鋼業衰退の歩み

 『ワシントンポスト』10月3日の記事に寄れば,アメリカ高炉メーカーはトランプ政権の保護関税のおかげで,一息ついている。しかし,経営側・労働側ともに長期低落傾向を食い止める戦略を持たない限り,いくら保護をかけても一時的な効果しかないであろう。
 記事にあるように,高炉メーカーは海外メーカーだけとではなく,国内の電炉メーカーとも競争しなければならない。電炉メーカーの多くはノンユニオンで,最新技術を取り入れて,製品構成を鋼板類に広げている。対して高炉メーカーは,一部,拠点になりそうな製鉄所(USスチールゲイリーとかアルセロールミタルUSAインディアナハーバーとか)もあるにはあるが,多くはリストラして生き残った設備を継ぎ合わせて使用しており,組織率も組合員数も低落傾向にあるとはいえUSWA(全米鉄鋼労働組合)に組織されている。
 それでも,倒産したことのないUSスチールはまだましな方かもしれない。破産法第11条を申請して経営破綻した多くのアメリカ高炉メーカーは,労働協約を無効化し,年金債務を帳消しにし,設備簿価を極度に切り下げて再生された。だから,技術・設備が十分現代化されていないのに,コストが安いということになっている。それでも,輸入鋼材の圧力に耐えられないのだ。
 この写真を手掛かりにしてみよう。クレアトン市長リチャード・ラッタンツィ氏が背にしているのはUSスチールクレアトン工場だ。クレアトン工場は,モン・バレー製鉄所の一部である。モン・バレー製鉄所は全体としては銑鋼一貫製鉄所,すなわち原料処理(コークス,焼結)-製銑-製鋼-圧延-表面処理を行うコンプレックスだ。しかし,その実態は,モノンガヒラ川沿いに点在する四つの工場である。クレアトン工場がコークスを生産し,エドガー・トムソン工場が製銑・製鋼(精練・連鋳)を行ってスラブを作り,アーヴィン工場が薄板熱延,冷延,亜鉛めっきを行い,フェアレス工場もまた亜鉛めっきを行う。だが,かつてはクレアトン工場,エドガー・トムソン工場も,フェアレス工場もみな一貫製鉄所であった(アーヴィン工場だけは初めから圧延工場だった)。度重なる工場閉鎖,相対的に優位な工場だけを残す生産システム再編成の結果,四つの工場を河川輸送でつないで,かろうじて一貫体制を維持するようになったのである。四つの工場の航空写真をグーグルマップでみると,アーヴィン工場以外では空き地が多い。とくにフェアレス工場は空き地が面積の過半を占める。そこにはかつて,高炉,平炉や転炉,圧延機が並んでいたのだ。



2018年10月5日のFacebook投稿を修正のうえ転載。

派遣労働者の「同一労働同一賃金」

 派遣労働者の「同一労働同一賃金」実現のための給与決定方法の設定が難航しているようだ(『朝日新聞』2018年10月3日)。詳しく調べていないが,かなりの難問だと思える。

 企業ごとに同一職務は正規・派遣を同一賃金にすることをめざした場合,派遣先正社員が年功給だったら,派遣労働者の給与設定に年齢や勤続(どうやって測る?)を加味するのかという難題がありそうだ。

 また派遣会社の労使協定で決めるというのは,一方ではかなり大胆だ。派遣会社において労使協定で賃金を決めるのならば,他業種でやってもおかしくないという議論になりうる。が,そのように連合や全労連が主張したという話も聞かないのは,実際にどう機能させるかというイメージを持てないからだろう。

 過半数組合がない会社の労働者過半数代表制というのは,多くの場合,法が想定するようには機能していない。過半数代表が民主的な方法で選ばれているのかということについても労基署のチェックはほとんど入らず(入れようとしたらいまの何倍の監督官が必要になるか),早稲田大学の非常勤講師の問題のように裁判にでもならない限り放置されている。まして,登録型社員を多数抱える派遣会社の過半数代表制をどうやって機能させたらよいのか。

 ここで,なぜこういう風に壁にぶち当たってしまうのかを考えておいた方が良い。

 一つには,労働市場において企業横断的な職務別または職種別賃金が成立していないからだ。企業内労働市場が強く,賃金は会社の私事であって会社の外から口をはさむことではないという慣行・価値観が強力だ。だから,直接雇用の労働者とその雇用主(派遣先会社),派遣労働者とその雇用種(派遣会社)の「均等」とは何かと問われたときに,「会社が違えば別世界だったから,どうしたらいいかわからない」となるのだと思う。

 そしてもう一つには,建前としては労働者は労働(力)を契約によって会社に売っているのだけれど,実態は「正社員は会社の一員」だからだ。正社員は会社と取引するのではなく,会社の一員として,何らかのグレードに応じた処遇を得ている。グレードは,正社員に配慮しながら会社が決めている(例えば解雇したら激怒するが,早期退職提案と出向命令なら摩擦なくできるだろう,など)。形としても過半数組合がない会社も多い。そこで,「労使代表が交渉して賃金を決める」という近代的形式を貫こうとすると,実態との齟齬が甚だしくなるのだ。

 派遣問題は派遣問題としても難題だが,それは「同一価値労働同一賃金」を日本で実現しようとした場合の困難さを集中的に表現しているように思える。

「「同一賃金」仕組み作り難航 派遣会社と労使協定結ぶ場合」『朝日新聞』2018年10月3日。
https://www.asahi.com/articles/DA3S13706374.html


2018年10月3日のFacebook投稿を転載。

顔の見える人としての右翼:安田浩一『「右翼」の戦後史』

 安田浩一『「右翼」の戦後史』が面白いのは,著者が右翼と呼ばれる人々のもとに足繁く通い,右翼と呼ばれる人々の中にあった多様性,背景,そして何よりも個人としての紆余曲折を浮き彫りにしていくところだと思う。
 右翼というのは政治勢力であり,政治勢力は,政治という人間生活のほんの一側面においてしか存在しない。しかし,その実態は,仕事も生活もある一人一人の人間なのだ。人間は歴史を背負い,思想とともに感情を持ち,お互いに向き合って,相手も人間であることを感じながら暮らす。本書はそういう感覚を呼び起こさせる。
 しかし同時に,本書は右翼思想には,そうした個人の多面性,人々の多様性を押し流す強い傾向があること,さらに右翼の現代的潮流,すなわち日本会議やネット右翼が,その傾向を露骨に拡大しつつあることに警鐘を鳴らしている。薄っぺらで憎悪に満ちた書き込みの集積,群衆的行動による罵倒,民族差別,性差別,思想差別。威圧。排除。顔の見える者同士,いろいろな側面を持つ個人同士ならばためらうことが,容赦なく行われ,広がりつつあるのだ。

安田浩一『「右翼」の戦後史』講談社,2018年。
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000210915

2018年9月29日のFacebook投稿を転載。

産業革新投資機構の行方を危惧する

 産業革新機構の産業革新投資機構への再編。効率が悪く,望ましくないことにお金を使い,民業を圧迫するおそれが強いので,やめた方がよかった。これまであった産業革新機構は,ベンチャーに投資すると言いつつ,既存企業をむやみに救済し,むやみに日本企業の所有下にとどめようとするばかりであり,ベンチャーファンドとしての成績は惨憺たるものであった。その総括はきちんとなされていない。

 会員記事なのでシェアしなかったが,『日本経済新聞』2018年9月26日の記事も指摘しているように,官製ファンドとは「政府や産業界の意向に翻弄されやすい体質」を持っている。そのことが経済的に重大なのは,「産業界」とはすでにその地位を確立している大企業のことだからだ。

 日本経済が停滞を脱するために,新技術・新産業は必要だ。しかし,新技術の開発と実用化は,既存大企業だけでできるものではない。既存大企業には既に行った膨大な固定資本投資があり,そこそこの利潤を上げている既存事業があるからだ。対して,新産業は小さく生んで大きく育てるものであり,参入当初は規模も小さければ利潤率も低い。既存大企業にしてみれば,参入するインセンティブが弱い。参入しても,お付き合い程度,他社をけん制する程度になってしまい。本気で,社運をかけてやることにはなりにくい。

 だから,新産業の担い手として重視すべきは,新規参入企業なのである。新規参入者は,失うものを持っていないので,小さい市場,低い利潤率からでも出発することができるからだ。C.クリステンセンが繰り返し言うように,このインセンティブの非対称性がもっと重視されねばならない。新規参入企業のトライアル数が多くなるような支援が望まれるし,ある程度成長したベンチャーに対しては,それが既存大企業を脅かしそうであれば脅かしそうであるほど,支援することが望まれる。それが産業の新陳代謝だからだ。

 もう一度,別の表現で言う。与党の政治家や経済産業省に影響力をもっている既存大企業を追い抜き,ひっくりかえしそうなベンチャーを応援することこそが,日本経済を救うのだ。これは産業革新機構の後継組織に向いた仕事ではない。産業革新機構は,既存企業を救済し,むやみに日本資本の所有にこだわることで,日本経済の将来をかえって曇らせたのである。このことの総括がなされないままに設立された産業革新投資機構の行方は,大いに懸念される。
複数ファンドで新ビジネス創出 産業革新投資機構が発足 AIなど照準『ITmediaエグゼクティブ』2018年9月26日。
http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/1809/26/news073.html

2018年9月27日のFacebook投稿を転載。

研究年報『経済学』第76巻第1号出ました

 1年に1度しか出なくなってしまった紀要,研究年報『経済学』。第76巻第1号,猿渡啓子教授退職記念号が発行された。ご退職から1年半もたってしまった。ポスドク研究員の章胤杰君による研究ノート「コンビニエンスストアの成長にとってのカウンターコーヒーの意義」も,同じく採択から1年半待たされたが,ようやく掲載された。次は大滝精一教授退職記念号で,論文や研究ノートは10本ほど採択されて早期公開されているのだが,発行はまたまた来年になってしまうのか。

2018年9月21日のFacebook投稿を再録。



ブログ開設

 川端望です。東北大学大学院経済学研究科で産業発展論を担当しています。このブログは研究ノートを公開するものですが,ほとんどはFacebookからのそのまま,または一部修正したうえでの転載です。Facebookでは日常生活のこと,個人的なこと,趣味のこと,研究のことなどをごたまぜに投稿していて,公開範囲も記事によってまちまちなのですが,その中で研究ノートとして公開できるものを選んで転載します。研究というのは,産業論・企業論をはじめとする経済学・経営学・社会科学の研究ですが,時々,特撮映画・ドラマやアニメの研究が混じるかもしれません。

『ウルトラマンタロウ』第1話と最終回の謎

  『ウルトラマンタロウ』の最終回が放映されてから,今年で50年となる。この最終回には不思議なところがあり,それは第1話とも対応していると私は思っている。それは,第1話でも最終回でも,東光太郎とウルトラの母は描かれているが,光太郎と別人格としてのウルトラマンタロウは登場しないこと...