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2021年5月16日日曜日

コロナ対策は何をもたらしたか:信金中央金庫地域・中小企業研究所のレポートを手掛かりに

 信金中央金庫 地域・中小企業研究所から発行された峯岸(2021)は,この1年間の新型コロナ対策をマクロ経済政策として評価する上で,貴重な分析を提供してくれている。このレポートを基礎に,コロナ対策の家計と企業への影響を整理してみた。なお,峯岸(2021)が主に使用した日銀『資金循環統計』から部門別資金収支の推移を表すグラフを貼り付けておく。このグラフが全体状況を最も集約的に表現しているからだ。


1.一般政府は赤字国債発行で財源を賄ったコロナ対策により,大幅に債務を増加させた。日銀や政府の資金供給・財政支出はマクロ的には相当な影響力を持っていた。

2.家計は,全体としてみれば資産を増加させている。その主要因は預金増である。雇用者報酬は減少したが,これを上回る消費減+経常移転(給付金等)+社会給付(雇用保険給付,生活保護等)+税・社会負担の減があったからだ。峯岸(2021, pp. 6-8)はこの関係をはっきりと示している。
 しかし,失業者は29万人増加,休業者は80万人増加し,とくに非正規労働者,低所得者の状態は悪化している(総務省「労働力調査」)。零細自営業者,フリーランスも業種により苦境に直面している。よって,家計内部に格差が進行している恐れがある。

3.企業は,休廃業は増加しているものの倒産は増えておらず,現時点で全体としては大規模資金ショートは起こしていない。そして,意外にも金融資産を増加させた。なぜそうなったのかについて,峯岸(2021, pp. 12-15)の記述を再構成すると,次のように言えると思う。
 企業利益は縮小したが,赤字により内部留保積み上げがマイナスになることはなかった。一方,設備投資や運転資金への投下は縮小したので,投資のために負債を増やす必要はなかった。にもかかわらず,企業は金融支援を活用して,世界金融危機時に比べても借入金を大幅に増やした。一方,世界金融危機時と異なり,借り入れを上回る返済に追われてはいない。そのため,調達した資金の多くは手持ち現預金として積み上げられている。一部は金融資産購入に充てられているが,過去数年と比べて大きくはない。大企業では,M&Aを含む関係会社株式購入が従来の趨勢の延長線上で生じている。

4.以上からコロナ対策の影響を総括しよう。低利・無利子融資等の金融支援,給付金などの財政支援は確かに家計・企業を救済する作用を持った。しかし,家計と企業に貯蓄(主要部分が現預金)を積み上げる一方で,真に苦境に陥っている家計を救済できていないので,十分に効果的で公正とは言えない。そして企業は,金融・財政支援を受けて「投資をためらい,現預金を積み上げ,一定のM&Aを行う」という,アベノミクス期の延長線上での動きをしつつあるのだ。

峯岸直輝(2021)「日本の経済主体別にみた資金需給と金融資産・負債の動向」『内外経済・金融動向』No. 2021-2,信金中央金庫地域・中小企業研究所,1-23。




2020年9月25日金曜日

「専門家」と「専門性」と素人の意義について:内田樹氏と岩田健太郎氏の対談に思う

 内田樹・岩田健太郎「『素人がコロナを語ると専門家が怒る』という日本は明らかにおかしい」MSNニュース,2020年9月23日を読んで思ったこと。あらかじめ断っておくが,両氏を褒め称えたいのでも貶したいのでもないので,それだけを好む方はお読みにならない方がいい。

 私は「専門家」支配は一面的で問題だが,「専門性」無視もだめだと私は思う。素人考えは誤っていることも多いのでその通りにする必要はないが,素人が主張する状況を無視することも不適当だと思う。

 「専門性」は必要であって,それがないと何事も実効性ある対策はできないし,客観的な評価に耐えられない。イノベーションが狭っくるしい短期的な評価「主義」になじまないのは確かだが,多角的にであれ「評価」自体はされねばならないのであって,コロナやコロナ対策についての評価を「放っておいて」何かが起こるともよくなるとも思えない(例えば,PCR検査をめぐる議論には,適切な評価と対応が必要だ)。この点で,岩田氏と内田氏が専門家批判に集中して専門性の尊重を言わないのは偏っていると思う。

 ただし「専門家」以外を頭から排除してはならない。専門家は,絶えず専門性を発揮することにおいて尊重されねばならないのであって,その肩書によって尊重されるべきなのではない。また,専門家の行動にも特有の盲点がある。専門の業界やそれと結びついた政府の政策に議論のフレームをはめられてしまい,同じフォーマットで言説と数字しか流さなくなって変化する社会状況に対応しなくなること,科学性を尊重するあまり,完全に証明されていないことについて,求められている判断を下さないことだ(例えば,2011年4月に,「原発事故後も××キロ離れた○○市に1か月住んでいたら深刻な健康被害が出るかどうか」という多くの人が気にしている問題を立てて発言してくれる専門家がいなかった)。この点での専門家の限界,多様な状況に即して専門家以外がリアルな観点と意見を持ちうることについての,両氏の指摘はもっともだと思う。確かに「子どもたちは傘を差して登校する」などのアイディアは,専門家でなくても思いつく可能性があるのだ。

 もう一つ。素人の主張について考えるべきは,それが正しいかどうか「だけ」ではない。両氏は語っていないが,そこも大事だ。間違っていることを含め,少なくない人があることを言わずにいられない(例えば,大量のPCR検査を求めずにいられない)心境と,その人々をそのような心境にさせる社会状況を重視すべきだ。政策担当者などの実践家は,専門性を欠く素人が主張することをそのまま実行する必要はない。しかし,おおぜいの素人が主張せざるを得ない状況には,必ず解決すべき問題が含まれているのであり,実践家はそこに適切に対応しなければならない。


2020年8月28日金曜日

雇用調整助成金の限界とその「次の一手」について考えなければ

 雇用調整助成金の特例措置期限が,9月末から12月末に延長される見通し。失業を防止する効果があるのでとりあえずは望ましいのだが,問題はいつまで雇用対策をこの制度に頼れるかだ。

 雇用調整助成金は,従業員に休業手当を支払った企業に支給されるものだ。つまりは,不況で操業度を落とさざるを得ない企業に対して,従業員を解雇せずに休業させるならば賃金(休業手当)の一部を助成しようというものだ。この制度は,当該企業にとっての活動水準低下が一時的であってやがて回復するならば,労働者にも企業にも社会全体にもプラスの効果が期待できる。労働者にとっては失業しなくてすむし,企業にとっては技能のある労働者を失わなくてすむからだ。社会全体としても,一時的な不況の際に失業率を上昇させずに済む。

 問題は,活動水準低下が一時的でない場合である。これには2種類あって,一つはマクロ的な需要低下が長引き,経済全体が不況からなかなか脱出できない場合,もう一つは産業構造が転換し,他の企業は成長しているが当該企業の活動水準が回復しない場合だ。このような状況が見通されてくると,雇用調整助成金は,企業にとっての効果が薄れる。つまり,不況から脱出した際に労働者を呼び戻して働いてもらう動機がなくなるからだ。また,社会的にも不合理になってくる。前者の不況自体が長引く場合,失業対策の基本は需要拡大策に置かねばならず,いつまでも企業に労働者の抱え込みを促すわけにはいかない。また後者の産業構造転換の場合,需要が拡大している分野への労働移動を促さないと,成長分野では人手不足,衰退分野では雇用抱え込みということになり,労働市場が機能しなくなる。

 コロナ危機の問題は,この不況長期化と産業構造転換が両方とも生じそうだという事であることである。そうすると,やがて雇用調整助成金では対処できなくなる。その時にどうするのか。

 単純に考えれば方策は三つである。一つは,需要拡大による雇用創出だ。これを感染拡大防止と両立する形で行わねばならない。二番目は,やがて失業が増えることを踏まえて,失業給付と職業訓練への助成を手厚くすることだ。つまり,失業する人が出ることを前提とした上で,生活を支え再就職を支援するのだ。三番目は,「失業なき労働移動」を促すことだ。

 実は,安倍政権は当初は三番目の路線を狙っていた。そのために,労働移動支援助成金を拡充しようとして2014年度から予算も大幅に増額していた。この制度は,事業規模の縮小等に伴い離職を余儀なくされる労働者がいることを前提に,その再就職を援助する措置等を講じた企業に助成金を支給するものだ。雇用調整助成金より支給額を多くするという目標まで立てられた。

 しかし,労働移動支援助成金は,ほとんど意図通りに機能していない。まず単純に考えて企業の側にインセンティブがない。整理解雇や早期退職だけをするのでなく訓練してあげようという善意がある場合,あるいは整理解雇すると紛争になるのを恐れてこの制度を用いざるを得ない場合と言う,規範的動機にたよって利用してもらうものである。そこが雇用調整助成金と異なる。インセンティブがあったのはモラル・ハザード的な利用であった。つまり,人員削減を余儀なくされたからこの制度を用いるのではなく,この制度を梃子にし,職業紹介会社と組んで人員削減を進めようという企業が出てきた。その危険を受けて,2016年度から抜け穴を防ぐ措置が取られたが,その結果,もともとの使い甲斐のなさにより利用されなくなっている。

 安倍政権は成立当初,「失業防止」から「失業なき労働移動」に舵を切ろうとしていた。ところが労働移動支援助成金が機能せずに暗礁に乗り上げていた。そこにコロナ危機に襲われ,雇用調整助成金による「失業防止」に頼らざるを得なくなった。これが現在の局面なのである。そして,安倍政権は終焉を迎えることが本日確定的になった。

 今後,一定数の企業で一定の労働者が離職を余儀なくされることは避けられない。しかし,おそらく労働移動支援助成金は機能しない。政府は現在,次の手を持っていないのだ。

 不況自体が長引けば,感染防止策と両立するような雇用創出策が必要になる。産業構造転換が強く作用するのであれば,「失業なき労働移動」のための新たな政策開発が早急に求められる。それが無理ならば,最低限,常識的な措置として失業給付と職業訓練への公的助成を手あつくすることが必要だろう。いずれにせよ,雇用調整助成金の「次の一手」の研究は急務である。

2020年8月13日木曜日

PCR検査を拡充すべき範囲と拡充すべきでない範囲

  何だか報道の様子がおかしいので(FNN「グッディ!」のこと。FNNプライムオンライン,2020円7月30日。),もう一度思考を整理したい。素人談義をしたくないのだが,それにしてもこの報道は混乱しすぎていると思う。


PCR検査を拡充すべき範囲
*感染が流行している地域でPCR検査のキャパシティを上げるのは当然だ。
*医療従事者などハイリスクの職場で働く人に定期検査をするために検査を拡大するのも,よい。
*「かかりつけ医が必要と認めた人全員に検査する」のも必要だ。東京都医師会が地域PCR検査センターでやっているのはこれである。

 これだけでもかなりの拡充が必要なことは,東京都医師会の奮戦ぶりから分かる。それは意味のある拡充だ。

PCR検査を拡充すべきでない範囲
*「住民全員に検査をする」という目標は不適切だ。だから世田谷区が「誰でも,いつでも,何度でも」をめざすのは適切でないと思う。

理由

*感染者は超大まかに二つの観点で分けられる。
1)a)8割の感染者は人にうつさず,b)2割のスプレッダーがうつす。
2)c)症状があって苦しんでいる感染者と,d)無症状の感染者がいる。無症状でも人にうつすことはある。
*1)では,a)8割の方を検査で判別しても,その人は治療できるが,感染拡大防止という点では効果がない。b)2割の方を見つけて,初めて拡大が防止できる。2)については,当たり前だが症状があって苦しんでいる人に適切な治療しなければならない。
*医者の前にいる一人の患者に症状があって感染が疑われた場合,まずc)の感染者かどうかを検査で確認するが,それだけではa)の8割かb)の2割かわからない。しかし,感染拡大地域ではb)であることを疑う価値がある。
*だから,PCR検査で発見しなければならないのは何よりもb)と,感染拡大地域でのc)である。そのために必要なPCR検査とは,第1にクラスターの発見と追跡のための検査,第2に医師が「感染しているかも」と判断した患者への検査だ。そこまでできるように政府・自治体は全力を挙げるべきだ。
*しかそれ以外のところに検査を広げるために,人と金と労力を投入すべきではない。そんなことをすれば行なうべきクラスター追跡や発見すべき患者の発見に集中できなくなる。検査を進めれば陽性率は下がるし,a)の8割かつd)の無症状の人を発見することになり,その人たちの隔離・治療に力を取られるからだ。感染拡大防止にはb)の2割の発見と隔離が大事なのに。その上,医師の診断を抜きに検査すれば偽陰性の率も上がり,「偽りの安心」問題に対処しなければならなくなる。
*前にも書いたが,PCR検査は簡便な市販薬のようなものでなく,処方薬のようなものだ。処方薬は医師が「この人病気だからこの薬を出しましょう」と決めるから役に立つ。PCR検査も医師やクラスター対策班が「この人(集団)が危ういから検査しましょう」と決めて役に立つのだ。「全員PCR検査しろ」は,薬に例えて言うと,処方薬なのに「医師の診断など要らないから,飲みたい人全員が飲めるように薬を店に置け。病院と薬局の他の仕事を止めてでも,そのことに金と労力を割け」と言っているのと同じであると思う。

※東京都医師会が行っているPCR検査が画期的なのは,「帰国者・接触者 電話相談センター」を通さなくても,かかりつけ医の判断によってPCR検査を実行できることだ。ただし勘違いしてはならないのは,医師をすっ飛ばして誰でも検査を受けられるものではないということだ。
概念図
https://www.tokyo.med.or.jp/wp-content/uploads/application/pdf/20200527-taiou.pdf

「PCR検査を「誰でも いつでも 何度でも」社会活動継続のための検査体制を独自に目指す…大注目の“世田谷モデル”とは?」FNNプライムオンライン,2020年7月30日。
https://www.fnn.jp/articles/-/68692

2020年7月30日木曜日

PCR検査の要諦は「よく索敵して,敵がいそうなところを集中的に打て」「索敵能力のあるやつを育てろ」ではないか

素人談義を承知で,「専門家が言いたいことの話の筋はこうなのではないか,マスメディアがやっているPCR検査の議論は,そこから脱線しているのではないか」という推定をする。

 専門家が何度も言っているのにメディアが無視していることが二つあると思う。

 1)PCR検査は事前確率の高い,不正確を承知でおおざっぱに言えば「専門家が『感染していそうで危うい』と思った」集団に対して行わないと意味も効果もない。

 2)『危うい』集団を見つける専門家をふやさねばならない。まずは専門医だが,それだけでなく実地疫学専門家。これも不正確を承知でおおざっぱに言うと,「厚労省や保健所にいてクラスター・濃厚接触者追跡ができる人」。国立感染症研究所の実地疫学専門家養成コース(Field Epidemiology Training Program:FETP)で育成される。医師でなくとも看護師,臨床検査技師,薬剤師なども受講できる。

 感染してそうな「危うい集団」をみつけてPCR検査する。そういう集団を見つけられる専門家を増やす。本来,単純な話である。ところがメディアは「危うい集団を見つける」「見つけられる人を増やす」ことの重要性を話題にせずにPCR検査を「増やす,増やさない」の話をする。これでは話は頓珍漢な方向に飛ぶ。

 あえて,もっとおおざっぱに言う。ここが戦場で,ウイルスが隠れている敵だとする。普通,敵がどこにどれほどいるか見当をつけて,弾丸という名の検査を撃つし,射撃の規模や,弾丸の補給の見通しも考えるだろう。「敵がどこにどれほどいるか」という話をせずに「もっと撃つべきか,撃たざるべきか」という議論をしては駄目なのはすぐわかる。

 「敵が増え続けているらしいが発見できない」というときに,「とにかくたくさん撃て」「今の10倍撃て」「100倍撃て」では,当たりもしないし弾切れを起こすだろう。緊急には「よく索敵しろ」だろう。そして必要なら「敵がいそうなこの方向に集中して撃て」だ。そして,もう少し長いスパンでは「補給線を太くしろ」と「索敵能力のあるやつを育てろ」だろう。

 マスメディアの議論は,肝心なところから脱線して,余計な論点をぐるぐる回っているように,私には見える。私は,詳細な論点を正確に論じる力はないが,この脱線だけはしたくないし,メディアには何とかしてほしいと思う。

2020年7月4日土曜日

公立小中高でオンライン授業がほとんどできなかったことを深刻に受け止めるべき

 横山耕太郎「忖度ばかりの学校現場、教師が激白『オンライン導入は永遠に潰され続ける』」Business Insider, 2020年6月25日によせて。申しにくいのですが,あえて書きます。
 大学は改革疲れで疲弊しているのですが,コロナ危機に際して,多数の教員がオンライン授業をしなければと思い,実際に行いました。国に無理くりやらされたのではなく,各大学で何とかしなければと思って実行しました。不十分なことはわかっていますが,とにかく正規の授業を止めずに実施しました。文科省がオンライン授業を規制しないかと心配しましたが,それでも半ば勝手に始めました。これからも不安材料はいっぱいですが,ほんの少しは自慢したいです。
 対して,ほとんどの公立の小中高ではオンライン授業ができなかったそうです。やる気のある先生や学校が自発的にやろうとすると「教育委員会に相談すると、『一校だけ先行するのはよくない』と言われました」と止められたのだそうです。
 しかし,この時代,オンライン授業ができないというのは「感染症が流行しているから仕方がない」といって良いのでしょうか。私は違うと思います。ハードやソフトやスキルが神様みたいになくても,できるのです。これは,「やるべきことをやっていない」状態ではないでしょうか。いや,もちろん,いま現在の学校の体制や設備では,がんばってもできなかったことも多かったでしょう。そういう学校や,そこで働く先生を責めてはならないと思います。でも,「このままではダメだ」「二度と同じことをしてはならない」と確認する必要があると思います。
 大学では一応できて,公立の小中高ができなかったという違いは,大々的に取り上げねばなりません。公立学校でオンライン授業ができないのはダメなことであり,日本の教育にとって許されない一大事であり,お金も人も配分して改善しようという社会的合意を作る必要があります。なぜ大学ではできて公立の小中高でできないのか。何が足りないのか,どう補わねばならないのか,直ちに政策化する必要があります。
 それさえできずに休校のあり方,入試の日程ばかり議論するというならば,日本はもはや教育熱心な国とは言えないでしょう。


2020年5月24日日曜日

大企業を救済するために無差別資本注入を行うことに反対する

 政府系金融機関による劣後ローンや優先株で大企業を救済する案について,私は基本的な観点を述べておきたい。
 経営者に責任のない災害による経営危機であるから,劣後ローンでの支援まではありうると思う。また,公共交通機関である航空会社など特定分野の企業については,オペレーション維持のための救済はありうるだろう。ただし,程度の差があれ公的規制が入るのは当然だ。
 一方,大企業への無差別資本注入は賛成できない。資本注入とは,出資先企業の存続にコミットすることだからだ。
 産業や企業は永遠のものではない。このコロナ危機を経て,産業構造は当然に変化するだろうし,変化すべきとさえ言える。インフラ維持と弱者救済はするとしても,どのような大企業が生き残るかは,市場で決めねばならない。大事なことは,将来の新産業構造を担う企業を興隆させることであり,現存する大企業をまるごと守ることではない。両者は異なるものだ。近い将来のビジネスの担い手は,まだ創業していないかもしれず,今は中小零細企業かもしれない。それらが伸びる可能性を摘まないためには,既存大企業に資本注入して政府がその存続にコミットしたりすべきではない。優先株として資本注入しながら何も発言しない無責任経営はもっと悪い。日銀のETF購入と類似の誤りである。
 労働者,自営業主,市民は人間であるからその存在そのものが守られねばならない。自営原理が浸透している日本の中小零細企業にも救済の余地がある。しかし,大企業は人ではなく,人に奉仕すべき組織である。守られるべきは既存企業ではなく,明日果たされるべき企業の役割だ。守るべきは人間であり,生き延びた人間に選ばれてこそ企業は生きるべきである。

2020年5月23日土曜日

「現金給付、留学生は上位3割限定 文科省、成績で日本人学生と差」は誤報だと思う

 学生への現金給付金について,留学生にだけ厳しい成績要件がついていると報道されている件。文科省の資料を見つけたが,幸いにして誤報だったようだ。

 どういうことかというと,文書には細かく書いてあってわかりにくいのだが,端的に「奨学金の基準を適用する」ということと読める。公的な奨学金は日本人学生と留学生で制度が異なるので,今回の要件も異なって来ざるを得ず,別々に書いているのだろう。日本人学生は1)高等教育の修学支援新制度あるいは2)第一種奨学金(無利子奨学金)あるいは4)民間の支援制度を利用しているか利用を予定している者で,留学生は「学修奨励費」(「学習奨励費」の誤字ではないか)と同様の基準を満たす人,ということだ。どちらにも成績と収入の基準はあるので,双方に奨学金の基準を使う分には,差別ということはないだろう。

 日本人学生については卒業まで奨学生でいられるので「奨学金を利用している」などと書けばすむところ,留学生については学習奨励費が1年きりのものであってそういう表現では書けないので,学習奨励費の基準を個々に列挙した。そこを,留学生にだけ成績基準を課していると記者が読んでしまったのだろう。

 もちろん,制度の違いによって難易度の差はあり得る(私の見るところ,どちらが有利とは一概に言えないと思う)。しかし,差別というものではない。ただ,この「学生支援緊急給付金」は学生全員に支給されるのではなく,もともとかなりの経済的困難を抱えている,成績一定以上である学生を対象にするものであることも確認できた。これでは,学生全般の困窮を救えない。また例によって事務的にはかなり煩雑な操作が必要とされることが予想される。

 学生全般を救済する措置は,この給付金ではうまくいきそうにないので,やはり授業料負担軽減措置でやってもらうしかないだろう。

「学びの継続」のための『学生支援緊急給付金』 ~ 学びの継続給付金 ~

以下は誤報と思われる。
「現金給付、留学生は上位3割限定 文科省、成績で日本人学生と差」共同(Yahoo!Japanニュース),2020年5月20日。


2020年5月20日水曜日

厳格な感染対策→死亡者や感染者の抑制,緩い感染対策→死亡者や感染者の増加という単純な話ではないことについて

ちょっと頭を整理しておきたいことがある。新型コロナウイルス感染対策について,

政府の厳格な感染対策→死亡者や感染者の抑制
政府の緩い感染対策→死亡者や感染者の増加

と想定して,あれこれの国をほめたたえたりくさしたりする議論は視野が狭いのではないか。

もちろん,上記のような因果関係はある。けれど,それだけではない。いったんはじまった感染対策の優劣にかかわらず,

対策開始前の相対的に深刻な感染状況→……→死亡者や感染者の増加(手遅れだった)
対策開始前の相対的に軽微な感染状況→……→志望者や感染者の抑制(元が軽かったから何とかなった)

という因果関係は当然ありうるだろう。欧米の厳しいロックダウンが効果を発揮するまでに時間がかかったのは,感染の広がりに気づくのが遅かったので,厳しい措置も手遅れだったということがあるのではないか(専門家の意見を聞かないとわからないが,例えば地域を厳しくロックダウンしても家庭や老人介護施設や病院では濃厚接触してしまうので,もともと感染の蔓延がひどいと効果が減殺されてしまったとか)。

そうすると,時系列では,

1)対策開始前の相対的に深刻な感染状況→政府の厳格な(でも開始が遅かった)感染対策→死亡者や感染者の増加
2)対策開始前の相対的に軽微な感染状況→政府の緩い感染対策(でも開始は遅くなかった)→死亡者や感染者の抑制

ということが起こり得る。

また,経済政策ではよくあることだが

政府の緩い感染対策→危機感を覚えた民間の反応→死亡者や感染者の抑制

ということも当然ありうる。この場合,民間の反応は「賢くて的確だった」場合と,「試行錯誤だったが結果オーライだった」ということの両方があり得る。日本については,こうした因果関係はありうると思う。ということは,

3)対策開始前の相対的に軽微な感染状況→政府の緩い感染対策→危機感を覚えた民間の反応→死亡者や感染者の抑制

ということもあり得る。

これまでの欧米が1),日本が2)または3)だったという仮説を立てるくらいは許されるだろう。ちなみにこの思考法だと,台湾が

4)対策開始前の相対的に軽微な感染状況→政府の厳格な感染対策→死亡者や感染者の抑制

になる可能性がある。また,最近の再度の感染の増加を脇に置くと,中国と韓国が

5)対策開始前の相対的に深刻な感染状況→政府の厳格な感染対策→死亡者や感染者の抑制

の可能性がある。

いずれにせよ,仮説としては許されても,証明は科学的に行われねばならない。ただ,この可能性を考慮せずに,

政府の厳格な感染対策→死亡者や感染者の抑制
政府の緩い感染対策→死亡者や感染者の増加

と想定して,あれこれの国をほめたたえたりくさしたりする議論は視野が狭いのではないか。それだけを,強く言っておきたい。

 なお,これからどうなるかはまた別の話であることは言うまでもない。

2020年5月19日火曜日

PCR検査拡大をめぐる論点

PCR検査拡大をめぐる論点。ようやく頭を整理できてきたので箇条書き的なメモにする。

【目前の問題】
*一部地域では,PCR検査を増やさないと院内感染が防げず,医療体制が危うい状況が生じている。
*多方面の業務を行っている保健所がパンクしているので,保健所をバイパスした検査ルートを応急措置でも作らねばならない。
*その予算を国がつけるべき。補正で全くつけていないのは問題だ。

【次の波に備える問題】
*感染者がある所まで減ったら,1)アップグレードされたクラスター対策と2)市中感染が広がっても耐えられる検査体制を構築しなければならない。
*クラスター対策のアップグレードのためにはICTの活用,それを可能にするリーダーシップ,障壁があれば規制改革が必要。しかし,それだけでない。
*FETP(実地疫学専門家養成コース)を拡充してクラスター対策を指揮できる専門家を増やさねばならない。そうしないと,クラスターが全国で発生した場合に手が回らない。
*保健所の人員削減を中止し,逆に人員・検査体制を拡充する。
*保健所に多方面の業務を押し付ける体制をあらためる。健康相談と帰国者・接触者外来への取り次ぎ,PCR検査,クラスター対策をすべてやらせるからパンクするし,検査を拡大させるモチベーションをそいでしまう。他組織との分担,外注の円滑化を進める。検査を拡大させたくないというモチベーションを保健所が持たないように,組織・業務・報酬を設計する。
*PCR検査の基準を「医師が必要と認めたらすべて」にし,その際「帰国者・接触者外来の医師」だけでなく「かかりつけ医が必要と認めたらすべて」まで拡充する。かかりつけ医が必要と認めた場合は,保健所を通さず自動的に検査に入るように手順を組み替える。
*その基準で予想される検査数までキャパシティを引き上げる努力を行う。そのためのボトルネックがあれば列挙して対策を打つ。
*その予算を国がつけるべき。補正で不足するのであれば第二次補正予算を組む。

【注意点】
*検査に関する資源(ヒト・モノ・カネ)の確保と適切な方針は両方必要である。資源がないところに「方針がおかしい」と批判しても正しい方針を実現できない。「ヒトやカネをつけろ」と批判しなければならない。逆に方針がおかしいところに「ヒトやカネが足りない」と批判しても事態は改善しない。方針を改めねばならない。
*PCR検査は擬陽性・偽陰性の問題を生み出す。これを防ぐには,事前確率の高い場合に検査を行わねばならない。具体的には1)クラスター対策で濃厚接触者も検査する場合,2)市中の様々な症状の患者について,医師が臨床診断により感染を疑った場合。
*よって,検査の必要条件は1)クラスター追跡班が認めるか,2)医師が必要と認めるかである。専門家の判断を抜いたPCR検査はあり得ない。

【賛成できない議論】
*検査拡大論でも支持できるばあいとできない場合がある。「希望者すべてに検査を」「感染の実態を明らかにするために,できる限り片端から検査」に反対する。大量の「濡れ衣での陽性」「誤ったお墨付きによる陰性」を生み出す。検査の必要性は医師が判断すべきである。他の形であっても,検査の必要性を専門家が判断すべきことを抜きにして「とにかく検査を拡大せよ」という見解はおかしい。
*「帰国者・接触者外来」の要請によりPCR検査を保健所で行うというしくみに固執する見解に反対する。これでは必要な検査拡大もできない。
*いつでもどこでも「PCR検査を拡大すると医療崩壊する」,あるいは逆に「PCR検査を拡大しないと医療崩壊する」という見解に反対する。それは時と場合によるからだ。
*「クラスター対策は無効だからPCR検査を拡大しろ」という見解に反対する。市中感染が蔓延していない状況では,クラスター対策によって,他人に感染させる2割の感染者を効率的に発見・隔離できる。またクラスター対策だと検査が弱いかのように言うのは間違いで,クラスター追跡の際に積極的に無症状者も検査している。
*検査に関する思想・方針に批判を集中することに反対する。まちがっているのは思想・方針だけではない。保健行政が保健所のヒトという「資源」を確保しなかったことである。考えを変えるだけでなく,予算の裏付けを得て,人と組織を拡充させねばならない。予算・人員を政府に要求することなく,考え方だけ改めさせようとしても十分な効果は上がらない。

2020年4月19日日曜日

「PCR検査を拡大すると医療を危うくする」から「PCR検査を拡大しないと医療を危うくする」に局面が変わっているのではないか

 前の投稿では感染不安を抱える市民の視点を重視したが,今度は素人考えを承知で,医療関係者・医療体制の側を想定して考えたい。そうすると,PCR検査の拡大が必要になっているように思える。その基本的な理由は以前からずっと続いているもので,医師が要請しても検査してもらえない状況にぶつかるからであるが,このところもっと切実な状況に医療体制が直面しているように見える。そして,従来は,「PCR検査に労力を注ぎすぎると医療体制を圧迫する,検査で来院すると院内感染を起こす」ことが問題であったが,ここに来て逆の,「検査が足りないと医療が困難に陥る,検査しないと院内感染を起こす」というベクトルが強まっているように見える。

 それは,医療関係者が,病院にやってくる患者や,病院の同僚,さらに自分が感染するかもしれない,既にしているかもしれないというリスクにとりまかれているからだ。

 クラスター対策が機能している間は,感染者全体の約2割を占める,他人に感染させるような感染者の多くを,追跡の網にとらえることができた。それで感染拡大を効率よく防止できた。ところが東京や大阪などの大都市圏を筆頭に,感染リンクの追えない感染者が次々と現れ,その割合が高くなっている。これはクラスターの連鎖が客観的には存在していても発見できないということだ。専門家会議の押谷教授や西浦教授も,クラスター対策ではまにあわず,社会的距離戦略を徹底するを主張されている。政府の緊急事態宣言はその戦略上の変化に立脚している。それはわかる。
 しかし,こうなると,従来のPCR検査戦略(クラスター追跡と重症者同定)も機能しなくなると思う。積極的疫学調査で濃厚接触者を追い切れなくなる一方,重症者同定に絞る検査基準から外れる人の中に,かなり症状が重く救急車で運ばれるような人も増えてくる。そうなると,約2割の,人に感染させる感染者が,検査の網に引っかからないことが多くなり,感染が広がる。
 医療関係者から見ると,病院にやってくる,あるいは搬送されてくる患者がコロナウイルスに感染しているかもしれないという確率が上昇する。また医師や看護師が感染していて,かつ検査されていない確率が上昇する。そのような危険を背負って医療を遂行しなければならない。院内感染が発生する危険が高まる。他方,病院がどうしてもこれ以上リスクを負えないと考えた場合は患者を受け入れられない。例えば,最近報道されているように,緊急搬送の患者がコロナウイルス感染者かもしれないと疑った場合に断ることになる。患者は,検査もしてもらえず病院に受け入れてももらえないという,袋小路に追い込まれる。
 この状態では,医療体制は困難に陥る。病院にやってくる未検査の患者がコロナに感染しているリスク,自分や同僚がすでに感染しているリスクをコントロールしないと,院内感染が広がる。さりとて治療を制限すれば患者が袋小路に追い込まれるのだ。
 この新しい事態に直面している地域では,たいへんであってもPCR検査を拡大する以外にないのではないか。それは,一方では医療関係者内の感染をコントロールして院内感染を防止するためだ。他方では,感染者を感染者と同定し,重傷者は入院,軽症者は専用施設や自宅療養ときちんと振り分けたうえで漏らさずにケアするためだ。東京医師会がPCR検査センターを設置するというのは,もっともな対応であると思う。

「「PCRセンター」都内に10か所程度設置か 東京都医師会、偽陰性「3割」に課題も」Yahoo!JAPANニュース(THE PAGE提供),2020年4月17日。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200417-00010004-wordleaf-soci

2020年4月17日金曜日

重症者の治療が優先だとしても,感染不安にさいなまれるおおぜいの人も支援して欲しい:日本感染症学会と日本環境感染学会の声明について

日本感染症学会と日本環境感染学会の声明。4月2日付の声明を前者は4月16日付,後者は15日付の広報で公開している。そしてヤフーニュースで本日17日に流れている。

 しかし,ほんとうにこれが16日現在の両学会の方針なのだろうか。非常な不安を持つのでコメントする。

1.現状とずれていること3点
 まず,現時点で起こっていることとずれていることが2点ある。

(1)PCR検査については,そもそも不用意な文言がある。「PCR 検査の原則適応は、「入院治療の必要な肺炎患者で、ウイルス性肺炎を強く疑う症例」とするというのは,不正確ではないか。正確には1)重症者を同定する場合の他に,2)クラスター対策の場合も行っており,柱は一つでなく二つである。後者の場合,クラスターを早期発見し,感染者を早期隔離するために,無症状の濃厚接触者も検査する。現に,仙台市では現在,保育園や英会話教室でのクラスターを追跡するために無症状者も多数検査して,実際に昨日(4/16)も感染者を発見している。両学会は専門家集団なのに,なぜこんな誤解を招く,実際と異なることを書くのか。

(2)最近生じている問題は,医師がPCR検査を求めても十分に話されないという問題であり,PCR検査をしてもらっていない肺炎症状の患者が,病院で救急搬送を拒否されるという問題である。これらの問題は,医師が,患者が新型コロナウイルス感染者かどうかわからないままに,診察・治療をしなければならない状況を意味している。医師・病院は院内感染のリスクにおびえながら患者を診なければならないし,院内感染を避けようとして,コロナかと疑った患者の搬送を拒むという選択肢をとることがある。
 医師の立場から見ればそれは合理的だが,この場合の患者の置かれた立場は極度に理不尽である。PCR検査をしてもらえないというのは,保健所という公的機関から「コロナではないでしょう」と言われるに等しいことである。なのに,病院は「コロナかもしれない」というので救急搬送を拒否される。このようなあからさまな矛盾した扱いを,たとえコロナでないかもしれなくても現に肺炎で苦しんでいる患者が突き付けられているのだ。こうしたことが報道されて,肺炎や風邪症状のある人,いつ自分もそうならないかとおびえる人々の間に不安が広がっている。入院が必要なほどの肺炎になっても拒否されるという不安だ。これは,理屈上,説明が立たないことなので改善しなければ不満は爆発する。両学会の声明には,PCR検査をめぐるこうした矛盾への考慮がない。

 (1)は不可解として,両学会は,この間次々と明らかになっている(2)の事態をどう考えているのだろうか。4月2日の声明では明らかに対応できていないことと私は思う。なのに,いまになってこの声明を周知しようとするのはどういうことだろうか。無神経に過ぎるのではないか。

2.社会的問題の忘却
 さらに大事なことは,医学的にのみ社会全体のことを考えれば,重症者に医療資源を集中するのは正しいかもしれないけれど,社会の側から民主主義社会であることを考えれば,風邪症状がある人を含む,感染不安におびえる人が大多数であることを忘れてはならないということだ。
 重症者に医療資源を集中するという両学会の声明は,医学的には正しいかもしれない。しかし,社会的には,軽症者と感染不安におびえる多数の人にとっては,この声明を読んだら「なにもしてもらえない」という社会不安が募るばかりである。以前から書いているが,感染不安におびえる人の不安,不満の対象は「なにもしてもらえない」ことに対してなのである。そのはけ口として「PCR検査をしてくれ」と要求しているのだ。検査で陽性となれば,少なくとも患者としてケアしてもらえると思うからだ。これは,医学的に不正確であっても社会的にありうる心理状態なのであって,頭から拒否しては解決しないものだ。

 この両学会のような観点を,そのままむき出しで社会へのメッセージとすればいかに医学的に正しくても多数の怒りを買うだけだ。いま必要なのは,医学的に正しい見地を守ることとともに,社会的観点から,感染不安におびえる人に政府や医療・保健機関が「大丈夫です。助けますよ」というメッセージと具体的措置を提示することでなければならない。両方が必要だ。後者とは,つまりPCR検査を拒否されて病院でも搬送拒否にあうという矛盾をなくすることであり,専用施設での隔離生活や自宅療養が不安なくできるように支援することだ。

※当初コメントにあった1の(3)を削除しました。声明内では,医療機関という範囲にも読めるものの,「軽症例を受け入れる施設の認定」にも触れてはいるからです。

「PCR検査、軽症者に推奨せず―新型コロナ  感染2学会「考え方」まとめる」Yahoo!JAPANニュース,元記事はJIJI.COM,2020年4月17日。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200417-00010000-jij-sctch&p=1
日本感染症学会。16日のお知らせに2日の声明を掲載している。
http://www.kansensho.or.jp/
日本感染環境学会。15日のお知らせに2日の声明を掲載している。
http://www.kankyokansen.org/

2020年4月13日月曜日

「コロナ危機は需要ショックなのか供給ショックなのか?」という記事の内容が全く理解できないことについて

 たいへん申し訳ないが,私はやはり現代的な経済学者にはなれそうもない。この文章で書かれていることが全く分からない。

 著者は,現在のコロナ危機を理解するために,労働者が働けなくなったショックを出発点に,供給ショックが起こっているのか需要ショックが起こっているのかを考えている。例えば,労働者が貯金を切り崩すから金利が上昇するので供給ショックだと,ある種のモデルでは解される,しかし,データを見ると,労働者の消費が落ち込んでいる需要ショックのようにも見える,と論じている。

(引用)「この結論は働けなくなった労働者がいることは所与として,その上で経済の状態が供給ショックに相当するというものです」。

 しかし,そんなモデルとで今の現実とどう関係があるのか。そもそもなぜ働けなくなったのか。

 働けなくなったということは,解雇されたのだろう。そうなる可能性は二つある。一つは,その労働者が働いていた産業で財・サービスの需要が急減して売り上げが減少したことがもとで,経営者が労働者が多すぎると判断したから解雇されたのだ。もう一つは,需要は元のままなのだがその産業に投入される財・サービスの価格(モノでいえば原料)が供給不足になり,コストが急上昇したか生産が停止して利潤率が下がり,経営が立ち行かなくなって解雇されたのだろう。どちらであるかによって,需要ショックか供給ショックかが判断できる。そういう風に普通は考えるのではないか。

 なぜ「働けなくなった労働者がいることは所与として」,その労働者の貯蓄・消費行動から供給ショックか需要ショックかなどと考えるのか。まったくわからない。働けなくなった理由のところで判定すべきではないのか。

久保田荘「コロナ危機は需要ショックなのか供給ショックなのか?」2020年4月8日,早稲田大学ソーシャル&ヒューマン・キャピタル研究所。

2020年4月11日土曜日

西浦教授と私たちの行く手を阻む,社会の壁と国家の壁

  西浦博教授はこの記事で「リスクを説明した上での選択」を強調し,イビデンスに基づく深刻な予測を発表して「みんなに真剣に行動を考えてほしかったんです」という。それは教授が民主主義を前提にしているからだと思う。日本が独裁国家でないならば,そして私たちが,これからもそうでないようにしたいと思うならば,対策は国家から問答無用で強要されるだけのものであってはならない。私たちが考えて,選び取らねばならない。政府は専門的見地を踏まえて権力を行使し,自らの力の使いようについて市民に明確に説明しなければならない。いずれが欠けても8割は無理なのだ。

 6割でいいとは言ってないし,7割から8割とも言っていない。値切っては感染は収束しない。科学に基づく自分の計算では8割しかない。そう伝えることに西浦教授は多大な困難を感じている。社会におけるコミュニケーションの困難と,政治的利害や力関係による事実の捻じ曲げ。行く手を阻む社会の壁と国家の壁を西浦教授は乗り越えようとしている。おかしいのは社会だけでなく国家だけでもなく,両方だ。改めるべきは私たちの行動と権力の振るわれようの両方だ。双方を改めなければ感染は爆発する。

岩永直子・千葉雄登「「このままでは8割減できない」 「8割おじさん」こと西浦博教授が、コロナ拡大阻止でこの数字にこだわる理由」Buzzfeed,2020年4月11日。

2020年4月8日水曜日

日本でもできる外出抑制の強い措置:危険な出勤をさせることを,労働契約法上の安全配慮義務違反として禁止せよ

日本の法制でもできる,外出抑制のための強い措置はある。
「使用者が労働者に危険な出勤をさせることは,労働契約法上の安全配慮義務違反である」
という行政解釈を,政府が出すことだ。これで出勤する人は減らせる。法解釈として,それほど無茶なことではないと思う。ぜひ政府にやって欲しいし,政府がやらないならば,野党が国会で政府を追及して実行を迫って欲しい。
 少し具体的に言う。「風邪症状のある人を出勤させる人」は,確定診断を受けていない軽症者・無症状者が多いと考えられる現状では,新型コロナウイルスを拡散させる恐れのある行為である。また現状では,緊急事態宣言の対象と重なるとみなせる「感染拡大警戒地域」では「10人以上の集会,イベント」,また「感染確認地域」では「50人以上の集会,イベント」(※)相当の行為を強制するような通勤環境,職場環境に労働者を置くことは,感染を拡大させる行為である。したがって,これらをすべて安全配慮義務違反とすべきである。
※地域と人数の対応はいずれも4/1専門家会議の分析・提言による。

2020年4月4日土曜日

クラスター対策班の西浦教授が「クラスター対策」から「社会的隔離」への移行をはっきりと主張。人と人との接触を80%減らせば感染爆発を防げる

クラスター対策専門家のTwitterが開設されて,西浦教授自ら動画に登場されている。対策がはっきりと2局面に分けられ,新たな対策を行うべき時が来たことが示されている。人と人との接触を80%減らすための社会的隔離だ。

第1段階:クラスター対策。1)接触者を追跡。2)3密を控える行動変容。これで2次感染を見つけ,感染者がいても他の感染者にうつらないようにする。全感染者数が少なく,接触者を追跡できる間有効。
https://twitter.com/ClusterJapan/status/1246260779541655553

第2段階(シェア先はこっち):感染者が増えた時。放置すると指数関数的に感染者が増える。いままでの対策(接触20%減少)では少し増加が送らされるだけ。しかし接触を80%減らす「社会的隔離(ソーシャル・ディスタンス」ができれば,感染者数は劇的に減らせる(ゼロにはならない)。そして再びクラスター対策へ。
https://twitter.com/ClusterJapan/status/1246314012389675009

 別記事では,西浦教授は東京は上記で第2段階とした局面に相当し「外出自粛のお願い」では20%減少でしかなく,「ヨーロッパに近い外出制限が必要」とはっきり述べている(「人と人との接触 8割削減で感染収束へ 専門家グループ」NHK NEWS WEB,2020年4月3日)。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200403/k10012366951000.html

 東京をはじめとする該当地域では,もはやほかに道はなかろう。

所得が減少した人に30万円給付策の矛盾:給付は緊急に必要だが,所得はもう数か月してから落ち込むおそれがある

この現金給付策が報じられている通りの内容ならば,不公平感を招くので根本的に改善した方がいい。

 現金給付の良いところは,様々な事情で困難に陥っている人々を,事情の細かなところ,つまり生活がいつ,どうして苦しくなったかを問わずに一律にすべての個人を救済できるところだ。この政策はその効果を大きくそいでいる。大きなところで一つだけ述べる。

 それは,給付が緊急に求められるのに,所得の減少を早期に確認しなければならないために,大きな不公平が生じることだ。給付を緊急に実現するためには,所得減少をある時点からある時点まで,例えば3月までとか4月までという時点で測らねばならない。しかし,このコロナ危機は長く続くものと予想されるので,所得減少がいつやってくるかは人によりさまざまである。例えば5月給付のために,4月までに所得が減少した人を対象としたとする。しかし,5月に人々が手続きをしているまさにその頃,急激な所得減がやってきて苦しむ人々がたくさん出ると思う。その時に生じる不公平感は半端ないものになる。

 雇用と所得の減退はまだまったくピークではなく,これからやってくるものだ。なぜなら,遅かれ早かれ緊急事態宣言が出される可能性は高いし,仮に出されなくても,外出自粛要請,したがって営業の停止は,もっともっと広がり,強まらざるを得ないからだ。その経済的影響は大きい。井上寛康・戸堂康之両教授の試算によれば,東京23区の生活必需産業以外の経済活動が1か月すべてストップすると,所得の減少は東京で9.3兆円,東京以外で18.5兆円,合計27.8兆円でGDP比5.25%に及ぶ。所得減が様々なタイミングで様々な人々に襲い掛かるだろう。

 だから,3月とか4月までの所得減少で給付対象を決めると,その直後からはもう実態とずれがひどくなり,人々の不公平感と不満がかえって高まる。さりとて,基準点を遅くして2020年度前半期に所得が減少した世帯などと考えていたら,まったく緊急策ではなくなってしまう。

 この点を急速に是正する必要があると,私は考える。全個人(単位は個人の方がよい)に一律給付するか,一律給付の上で事後に累進課税の所得税率を調整して高所得者から返してもらう方式か,どうしてもそれが政治的に通らないならば所得水準による制限だけつけて一律給付した方がよいと思う。

「新型コロナ 現金給付1世帯30万円 一定水準まで所得減少の世帯」NHK NEWS WEB,2020年4月3日。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200403/k10012366431000.html

安達裕哉「スパコンが示した「東京封鎖(ロックダウン)」の結果に、愕然とした。」Books&Apps,2020年4月2日(井上・戸堂教授の試算結果が紹介されている)。
https://blog.tinect.jp/?p=64402

2020年4月2日木曜日

足りないのは本当にPCR検査能力なのか。クラスター追跡能力ではないのか

 4月2日付『日本経済新聞』紙の1面。「コロナ検査、世界に後れ 1日2000件弱で独の17分の1」と題して,日本のPCR検査数が少ないことを問題にしている。

 だが,本当に足りないのはPCR検査とその能力なのか。

 日本のPCR検査数が少ないことについて,これまでは専門家会議により「クラスター追跡と重症者同定のために行っていて,その方が効率よく感染拡大を食い止められるから」と説明されてきた。それでよかったと私も思う。だが,その方針はよいとしても,ここまで感染者数が増えてくると,検査が間に合っていないのではないかという疑問は,確かにわく。

 ただ,ここで注意しなければならないのは,検査数が多くならない理由だ。それによって問題の所在は異なるように思う。

 1)医師がPCR検査を要請しているのに能力が追い付かなくなっているとすれば,問題は検査能力であり引き上げねばならない。

 2)東京や大阪のような感染拡大警戒地域でPCR検査に関する保健所等の方針に何らかの問題があって検査数を抑制しているのであれば,問題は組織運営であり,改めねばならない。

 3)『日経』に書かれていないが,もし医師からの要請自体が追い付かないこと,つまりクラスターの感染者から濃厚接触者を追跡するのがまにあっておらず,必要な診察が間に合っておらず,したがって検査も少ない可能性もある。ネックが検査能力ではなくクラスター追跡能力の方にある場合だ。この場合は,まずクラスター追跡の人員を拡充して追いかけられるようにしなければならない。

 専門家会議会見で尾身副座長は1)にも触れていた。2)疑う意見もあり得る。だが,専門家会議がいちばん強調していたのは,クラスター追跡が人員不足で遅れてしまっていることだった。もしかすると3)なのかもしれない。

 もし3)だとすれば,現在不足しており,拡充すべきはPCR検査能力だけではなく,クラスター追跡の人的能力なのかもしれない。もっとそこに目を向けないと,事態を見誤るのではないか。政府には「PCR検査能力を増やせ!」というだけではなく「クラスター追跡の人員を増やせ」と言わねばならないのではないか。

「コロナ検査、世界に後れ 1日2000件弱で独の17分の1」『日本経済新聞』2020年4が愚2日。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57517460R00C20A4MM8000/

国内における新型コロナウイルスに係るPCR検査の実施状況(2月18日以降、結果判明日ベース)(3/30まで。民間検査会社等によるものを含む)。厚生労働省。
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000618022.pdf

2020年4月1日水曜日

七大学・一研究所がオンライン授業を支える授業目的公衆送信補償金制度の早期施行を要請

東北大学を含む七国立大学と国立情報学研究所は,3月30日,文化庁および授業目的公衆送信補償金等管理協会に対して,「授業目的公衆送信補償金制度」を4月から正規に利用できるようにすることを訴える要請を行った。

 遠隔授業には,実は著作権の壁がある。授業の教材として他人の作品をコピーしたり配布したりすることは,通常の授業ではある範囲で認められているが,遠隔授業だと制約は非常に厳しくなる。例えば以下のようになる。ここで「資料」に他人の論文とか他人の作成した図表が使われていると考えて欲しい。

1)オンラインリアルタイムの配信授業で教員が資料を配信しながら講義するのはOK。
2)資料を使ったリアル講義の様子を録画し,事後に学生が視聴するのは不可(!)。
3)資料を使った講義を録画し,事後に学生が視聴するのは不可(!)。

 2)3)は,たとえ視聴できるのが受講生に限られていても不可なのだそうだ。不可を可にするには一つ一つの資料について許諾を得なければならない。これでは身動きはならず,遠隔授業など普及するはずがない。
 そこで2018年に著作権法が改正され,上記のような著作物利用ではいちいち許諾を得る必要をなくし,かわりに学校が補償金を管理団体にまとめて支払い,管理団体が著作権者に分配するしくみをつくることにした。しかし,この法改正は公布日である2018年5月25日から3年以内に施行されるとなっているものの,まだ施行されていない。新型コロナウイルス感染症流行の下で,否応なく遠隔授業に移行せざるを得ない状況では,これは大きな障壁となる。急いでこの「授業目的公衆送信補償金制度」を動かしてもらう必要があるのだ。

「新型コロナウイルス感染症の拡大を受けた「授業目的公衆送信補償金制度」の早期施行について」東北大学,2020年4月1日。
https://www.tohoku.ac.jp/japanese/2020/04/news20200401-02-7univ.html

「学校における教育活動と著作権」文化庁長官官房著作権課。これが従来の制度。
https://www.bunka.go.jp/chosakuken/hakase/pdf/gakkou_chosakuken.pdf

2020年3月29日日曜日

ロックダウンも「要請」ベース。有効に機能させたいなら,政府・都道府県は経済的損失に補償する約束を

今後,政府が緊急事態宣言を出すことは大いにありうるが,その時,多くの人が「えっ!何でそうなるの!」と思うことになるだろう。その時のための思考整理メモ。抽象的過ぎるが、いまのうちにやっておかないと、次から次へと事件が起きて個別的にしか考えられなくなる恐れがある。シェア先は参考になる記事。。

 ロックダウン=都市を封鎖したり、強制的な外出禁止や生活必需品以外の店舗閉鎖などを行ったりする措置について,日本では,例え緊急事態宣言が出されてもさほど強力に,強制力や罰則を伴って実行されるわけではなく、「要請」ベースになる。法律のつくりから、そうなる。

 緊急事態宣言のもとで都道府県知事が比較的強力にできることは,1)外出の自粛や施設の利用制限や停止を要請し,必要なら指示すること,2)緊急物資の配送を要請すること,3)食品・医薬品などについて売渡を要請したり収用したりすること,4)臨時の医療施設のために土地・建物を収容すること,5)感染症の患者がいる場所その他当該感染症の病原体に汚染され、または汚染された疑いがある場所の交通を制限し、または遮断すること,6)物資の補完や収容のために立ち入り検査を行うことなどがある(正確には法律家の解説を読まれたい。1,2,3,4,6は新型インフルエンザ特措法による。5は感染症法に基づく措置なので,緊急事態宣言がなくてもできる)。

 ただ,従わない場合の罰則はあるものと,ないものがある。例えば,外出の自粛については罰則がない。

 例えば、外出の自粛について,いま東京都で行っていることと緊急事態宣言の下で行われるいわゆる「ロックダウン」の違いとは,何の法的根拠もない行政の長からの「お願い」レベルから法的根拠はあるが罰則のない「要請」に変わるだけである。これは、人をわけのわからないもやもやした気持ちにさせる。

 このいろいろなことが「要請」ベースで行われる方式がどのような事態を生み出しうるかについて、考えておくべきことがいくつかあるように思う。

1.「要請」だから効果がないかというと,やり方次第ではおそらくあるだろう。例えば,1)施設の利用制限に公共交通機関の駅やバスステーションを加えれば,交通各社はおそらく従うので,外出・移動は事実上大きく制限されるだろう。また、2)自粛を破ったものに対するごうごうたる非難がネットやマスメディアで沸き上がると予想される。それに,外出を控えさせる効果があるかと言えば、それなりにあるだろう。ただし,おそれく晒し,いじめ,濡れ衣,不公平を伴いながら。

2.「要請」に自主的に従ったという形であることにより,それ以上の国家的強権を発動させないという効果はある。警察・自衛隊の強制力をバックに行政が進められる事態が恒常化することまでは進まない可能性はある。

3.しかし、「要請」に従わない人々に対する非難が高まり、より強権的な措置を待望する世論が盛り上がることも予想される。そこで,何らかのアクシデントの際に超法規的措置が行政機関・警察・自衛隊によって取られる事件が起こったりすると、世論がこれを支持し、より強権的な立法が行われることもありうる。

4.「要請」に従ったために営業や雇用に深刻な損害が生まれるが,自主的に従ったのだからということで補償を求めることが権利として認められず,行政の恩恵的措置としての救済しか与えられないおそれがある。その経済的損害は深刻で、経済危機を悪化させる。

5.「要請」への協力による経済的損失には補償を求めにくいことからも、強制と補償のセットの方がより望ましいのではないかという議論が浮上する可能性もある。

 当面の話として、内容が妥当な「要請」を効果的に実現し、かつ法と民主主義を守るという見地で考えるならば、この記事が述べるように、「要請」に従った場合の経済的補償を政府・都道府県が明確にすることが効果的だろう。これによって住民の側には「要請」に応じる動機が生まれて感染拡大防止の効果が上がり、かつ生活・営業が守られる。

 長い目で見れば、「お願い」「要請」と称して責任ある決定を行わず、さりとて強権的に「決定」した場合にはその在り方が民主的に検証されないという、日本の政治・行政の在り方が試練にさらされているのだろう。

「東京「ロックダウン」も封鎖できません? 「要請」で乗り切るためにも「補償と現金」を」弁護士ドットコムニュース,2020年3月28日。
https://www.bengo4.com/c_18/n_10982/

信用貨幣は商品経済から説明されるべきか,国家から説明されるべきか:マルクス派とMMT

 「『MMT』はどうして多くの経済学者に嫌われるのか 「政府」の存在を大前提とする理論の革新性」東洋経済ONLINE,2024年3月25日。 https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/daa72c2f544a4ff93a2bf502fcd87...