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2019年2月21日木曜日

なぜ韓国の文国会議長は日本政府による「法的な謝罪」とは別の謝罪を求めるのか

 慰安婦問題についての韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長発言が物議をかもしている。文議長の発言の最大の特徴は,日本政府が謝罪したことを認めたうえで,なお首相又は天皇が謝るのが望ましいとしていることだ。私は,この思考に,慰安婦問題をめぐる日韓のすれ違いを理解する,思想上の鍵の一つがあるように思う。

 まず文議長の主張を確認しよう。文議長は,首相や天皇に謝罪を求める発言をした際,日韓合意について尋ねられ,「それは法的な謝罪だ。国家間で謝罪したりされたりすることはあるが、問題は被害者がいるということだ」と発言している。つまり,法的な謝罪は行われたと認めたうえで,なおかつ国家の代表たる人間が慰安婦という個人に謝罪すべきだと考えているのだ。

 実は,この文議長の発言は,慰安婦問題をめぐる混乱の中では,事実を踏まえた方だともいえる。韓国内では日本の政府代表やそれに類する立場の人が何度も謝罪していること自体が,よく認識されていないからだ。世宗大学の朴裕河(パク・ユハ)教授は2月10日に自身のFacebookに韓国語で投稿し,日本政府やアジア女性基金による従軍慰安婦問題や植民地支配に対する11回の謝罪を紹介した。うち従軍慰安婦に関する謝罪は,1992年の加藤官房長官,1993年河野官房長官,1995年五十嵐官房長官,1995年村山首相,1996年原アジア女性基金理事長,1997年橋本首相,1998年原アジア女性基金理事長,2015年岸田外相の日韓合意発表,同じくその際の安倍首相発言の9回だ。いちばん最近の安倍首相の発言(岸田外相が紹介)は,「日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する」というものだ。

 朴教授は,投稿の意図を「これだけしたのでもう謝罪が必要ないという話ではない。日本が長い時間をかけてきた心と"正しく"向き合うことが必要だということだ」と書かれている(Google翻訳と報道に頼っているのでニュアンスが違っていたらご指摘を)。しかし,朴教授がわざわざこの投稿をしたというのは,謝罪の事実そのものが韓国内でよく認識されていないからだ。これと比べると,文議長は何はともあれ「法的な謝罪」をしたことは認めている。その上で,なお謝るべきだというのだ。もう少し具体的に言うと,国家の代表たる人間が慰安婦という個人に謝罪すべきだと考えているのだ。

 もちろん,ここで天皇を持ち出したのは明らかにお門違いだ。天皇は政治的行為を禁止されているから適切ではない。その上,親に戦争責任があることと関連付けて息子が謝るのがよいという古臭い血統主義は論外だ。しかし,いま問題にしたいのはそこではない。法的な謝罪をしてもなお,国家の代表が被害者に謝罪せよという文議長の考えに絞りたい。

 想像してみよう。天皇が慰安婦に謝罪すれば,文議長が言うところの解決は訪れるだろうか。私はそうは思わない。それは,謝罪を受けた元慰安婦の方々が,許す気持ちになるかどうか,それをどう表現するかにかかっているだろう。被害者の許しが解決の条件になることは,明らかだ。文議長の「被害者がいる」というのは,「被害者が許すまで謝罪するべきだ」という意味なのだ。

 私は,被害者と加害者の許しをこのようにとらえることは,個人と個人の関係ではあり得ると思う。しかし,これを政治として,個人と政府を当事者とする問題において行おうとするのが,文議長の論理だ。そして,このような論理は,彼一人のものではなく,慰安婦問題をめぐる韓国内の一定の立場が,一定の経過に反応して生じたもののように思う。

 さかのぼってみよう。1990年代に慰安婦問題をめぐって日韓で論争が行われていた際の争点は,日本政府が公式に責任を認めて罪を償うことだった。日本政府は,謝罪の意を表明したうえで,請求権協定の主旨から言って国家による賠償ができないとした。しかし,村山内閣とその周囲の人々は,それでも補償に類したことをすべきとして,アジア女性基金による事業を実行した。それでも韓国の慰安婦支援者たちからの批判は止まなかった。その時の主旨は,「国家による正式な賠償ではない。これでは謝罪したことにならない」だった。

 2015年の日韓合意においては,日本政府が改めて謝罪し,改めて元慰安婦への償いのための基金・財団を設立した。それが日韓の政府間合意であったことは明らかであり,否定のしようがない。そして,元慰安婦47人中,34人は支援金を受け取ったと,『朝日新聞』デジタル1月28日付けは報道している。元慰安婦の方々から,この事業が総否定されているわけではないのだ。

 しかし,文在寅(ムン・ジェイン)政権は日韓合意では解決しないとし,「和解・癒し財団」を解散すると決めてしまった。そして,日本にさらなる行動を求めるのだが,いったいなにを求めているのかは明確にしない。何かは求めているのだが,何なのかははっきりと言わない。そうした中で,何を求めるかを粗雑な形で表現してしまったのが,今回の文国会議長発言だと思う。

 文在寅大統領が,日本に何を求めるかをはっきりさせないのは,もちろん,政治力学上の選択でもあるだろう。しかし,そうならざるを得ない論理的理由もあるのだと私は思う。それは簡単で,日本政府が謝罪し,しかもアジア女性基金の時とは異なり,政府の正式な予算,日本国民の税金から基金を拠出したからだ。国と国との関係において,片方が正式に謝罪し,補償も支払った。そうすることに,前政権は合意した。これに対して以前の支援団体のように「正式な賠償ではないから,謝罪したことにならない」というのは,さすがに無理があるからだ。

 だが,それでも文在寅政権もその支持者も,文国会議長も納得せず,日韓合意の意義を否定する。支援金を受け取って日本政府の誠意を認めている元慰安婦もいるという事実を無視していることは問題だ。しかし,元慰安婦の少なくとも一部に,いまなお日本政府の謝罪の仕方を受け入れられない人がいることも事実だろう。文議長の発言や文在寅政権の態度が本心からだとすれば,つまりは,被害者の苦しみが十分癒されたとは考えていないということだろう。

 繰り返すが,このような納得できなさ,加害者の謝罪の仕方が被害者にとって納得できないことは,個人と個人の関係においては,あり得る。被害者が納得するまで加害者にもっともっと謝罪しなおさせねばならない,という倫理・道徳も,個人間ではあり得る。それほどまで苦しみ,傷つくことは,ありうるからだ。

 しかし,文議長は,この倫理を外交に適用し,個人と国家の関係に適用し,国家の行動原理にしようとしている。そして,文議長だけではない。文大統領の,日本に具体的要求はしないが善処は求めるという姿勢の背後には,少なくともこのような倫理・道徳による動機づけもあるのだと,私は思う(何度も言うが,政治の世界のことであり,これ「だけ」だとは全く思わない)。

 「政府としての謝罪や補償にかかわらず,慰安婦という被害者個人が許しを表現するまで,日本国家の代表が謝罪し続けるべき」という原理で,現代の,韓国と日本の国家を動かすことは可能であるのか。そして,妥当であるのか。その原理を作動させた場合に,日韓関係の将来はどうなるのか。その原理が政治の様々な場面で用いられるたら,何が起きるのか。

 私は,日韓合意後の慰安婦問題をめぐる,韓国からの日本批判を考える上で,一つの論点はここにあると思う。

 なお,一点だけ,ありうる批判にあらかじめ回答しておく。「慰安婦問題は人権問題だ」というものだ。私も人権問題だと思う。しかし,人権問題であることと,「被害者個人が許すまで,加害国家は謝罪し続けるべき」という原理を適用することは,必然的には結び付かない。それは,個人,倫理・道徳,国家の関係についての特定の見地によるものなのだ。どこでも当たり前のように妥当するものではない。この,特定の見地について,よく考えてみなければならない,というのが私の意見だ。

朴裕河(パク・ユハ)氏Facebook投稿。


「(世界発2019)慰安婦財団、残したものは 支援金、元慰安婦34人受け取り」『朝日新聞デジタル』2019年1月28日。


「盗人たけだけしい」韓国議長のヒートアップ 時系列でたどると見えるのは...J-CASTニュース,2019年2月18日。

2019年2月17日日曜日

森永卓郎さんの記事と対話して,新しい構造改革の必要性を考える

 森永卓郎さんは,「憲法改正も,原発政策も,働き方改革も,すべて反対だ。ただ一点,マクロ経済政策,すなわち財政政策と金融政策に関しては,安倍政権のやり方は,正しいと考えている」方だ。2000年代前半には「いまデフレなんだからインフレにすればいいんです」とリフレーション政策の正当性を強調しておられた。

 しかし,いま森永さんは,平成時代における日本の「転落」と「格差」のとてつもなさを,危機感をもって訴えている。それならば,「転落」と「格差」が,「異次元緩和」を政治的に導入した安倍内閣時代にも止まっていないのはどうしてなのかを考えてみる必要があるのではないか。

 安倍内閣は,確かに日銀と協定を結んで金融は緩和したし,財政も引き締めてはいない。私は,森永さんほど安倍政権の政策を支持できないが,これらは引き締め政策よりはましだった,とは考えている。

 しかし,だから,それで十分というものではない。それどころではない。

 安倍・黒田路線では,株高と円安にのみ偏った反応が現れた。その恩恵にあずかったのは,まず外国投資家(日本人が預けた資産を運用している場合もある)であり,続いて輸出企業であった。企業は賃上げをせず,正規雇用ではなく非正規雇用を拡大し,蓄積した純資本を設備ではなく現金積み上げや証券に投資した。雇用は拡大したが消費の拡大は弱弱しかった。6年続けてもこうなのだから,何かがおかしいと考えるべきだ。

 このようにしか金融・財政拡張の効果が出てこないのは,日本経済の構造に問題があると考えるべきだ。ただしそれは,小泉内閣が主張したような,企業が利益を上げることを妨げる構造ではない。供給サイドにおいては,新市場拡大に挑むようなベンチャー,中堅企業が生まれにくい構造だ。需要サイドにおいては,賃上げが鈍いために多数の個人のふところが温まらず,社会保障と雇用システムが不安定なために,消費を増やす気持ちになれない構造だ。

 どんな構造もそうだが,この構造も様々な既得権益を守っているが故に,変わりにくい。庶民の中にも既得権益がないとは言わない。しかし,最も深刻なのは,既存大企業の利益,富裕層の資産蓄積という既得権益だと思う。そこにメスを入れようとしないバイアスを,自公政権が持っている問題だと,私は思う。

 現在もなお,金融,財政を引き締めるべきではない。まして,消費税増税で景気を冷え込ませるべきでもない。私は,そこまでは森永さんやリフレ派の人と同意見だ。しかし,引き締めなければそれでよいというものでもないし,さらに金融,財政を拡張すればよいというものでも,まったくない。そこが,リフレ派の人とは全く異なる。日本経済は,小泉内閣とは異なる意味での構造改革を必要としている。新市場向け投資がやりやすくなり,多数の個人のふところが温まりやすくなり,しかも消費しやすくなるような構造への改革だ。

 森永さんも,格差を意識しているならば,いまでは,財政・金融の拡張だけでよいとは思っていないのではないか。

森永卓郎さん「とてつもない大転落」『平成 時代への道標インタビュー』NHK NEWS WEB。日付不詳。

森永卓郎「財務省にだまされてはいけない」『森永卓郎の戦争と平和講座』マガジン9,2018年5月16日。

<関連投稿>
「アベノミクスのどこを変えるべきか? 野口旭『アベノミクスが変えた日本経済』(ちくま新書,2018年)に寄せて (2018/5/13)」Ka-Bataアーカイブ,2018年10月31日。

ブレイディみかこ・松尾匡・北田暁大『そろそろ左派は<経済>を語ろう』亜紀書房,2018年によせて (2018/6/21)

日銀による金融政策だけで物価を上げようとすることの限界について(2018/6/16)」Ka-Bataアーカイブ。

賃上げの根拠は「内部留保」か「付加価値の分配率」と「手元現預金」か (2018/7/1),Ka-Bataアーカイブ,2018年10月26日。

内部留保研究者の主張を正確に理解すべきことについて:内部留保増分の問題ある使途が賃上げを主張する根拠 (2018/7/1),Ka-Bataアーカイブ,2018年10月26日。

内部留保への課税論には根拠があることについて (2018/7/8),Ka-Bataアーカイブ,2018年10月26日。






 

2019年2月14日木曜日

合理的で厳しいCO2規制がグリーン製鉄法の開発を促進する

スウェーデンで開発中のグリーン製鉄法HYBRITに関する世界鉄鋼協会の記事。HYBRITは鉄鋼メーカーSSAB,鉄鉱石採掘企業LKAB,電力会社Vattenfallの合弁企業だ。この製鉄法の目的はCO2排出削減であり,その手段は鉄鉱石をコークスや石炭ではなく水素で還元すること。

 日本で開発中のCOURSE50も水素還元を用いるところは同じだが,この記事から読み取れる限り,HYBRITにはCOURSE50と異なる点が二つある。1)直接還元法であること,2)水力で生まれた電気による電解法での水素生産を含んでいることだ。どちらも2030年代の実用化が期待されている。

 ここで経済学者として注目したいのは,次の一節だ。
「当初の研究では,HYBRITの生産コストは伝統的鉄鋼生産プロセスより20-30%高いと見ているが,このギャップは,EUの排出量取引制度によるCO2排出コストの上昇の余地や,期待される再生可能エネルギーのコスト低減によって,時とともに小さくなると期待される」。

 伝統的製鉄法は,現在十分に考慮されていないCO2排出コストをコストに参入せざるを得なくなれば,決して安くない。CO2排出上限規制をクリアーできなければ排出権を購入せざるを得なくなり,コストが上昇するだろうと見ているわけだ(購入できなければ操業を続けられない)。

 合理的に計算され,かつ厳格な上限規制を伴うCO2排出規制があってこそ,グリーン製鉄法は有利になる。そういうCO2排出規制がなければ確かに伝統的製鉄法が有利だろうが,地球はさらなる気候変動に見舞われる。

 なすべきことは,CO2排出規制を回避することか,それとも合理的なCO2排出規制を設計して実行することか。コストが高いと言って新製鉄法の開発を後回しにすることか,それともCO2排出コストを含めれば低コストとなる製鉄法を開発し,選択することか。パリ協定が突き当たっている困難にかかわらず,これは,現代世界鉄鋼業の基本問題の一つであり続けている。

Rachel Mostyn, Revolution at the heart of green steelmaking, World Steel Association, January 2019.

2019年2月13日水曜日

細野祐二「日産ゴーン事件の研究」『世界』2019年3月号を読む

 ゴーン事件について,『法廷会計学vs粉飾決算』『粉飾決算vs会計基準』の著者,細野祐二氏の意見を聞きたかったので,ちょうどよかった。ゴーン元会長の容疑についての,細野氏の意見は以下の通り。詳細な根拠や,今後の見通しについては,論文実物にあたられたい。

*先送り報酬50億円は,発生主義の原則に基づく客観評価を行うと,有価証券報告書において開示すべき役員報酬には該当しない。
*40億円のSAR報酬は支払いの蓋然性がなく,有価証券報告書において開示すべき役員報酬には該当しない。
*オランダの子会社ジーア社から得た役員報酬は,連結役員報酬に該当しない。
*ゴーン元会長が日産自動車から得ていた高級住宅,家族旅行の費用等は巨額だが,有価証券報告書虚偽記載罪と何の関係もない。うち,姉や知人に対する数千万円の報酬は,日産自動車に対して役務提供がないまま受領している場合には問題になるが,報酬受領者の弁明を聞くことなく,一方的に報道しているのは適切でない。
*12月10日にゴーン元会長を2016年3月期から2018年3月期までの有価証券報告書虚偽記載の容疑で再逮捕したが,この3事業年度の取締役社長は西川廣人社長である。西川社長を逮捕せずゴーン元会長だけ逮捕するのはおかしい。
*個人資産管理会社が新生銀行と契約していた通貨スワップ契約を日産自動車に付け替えたことが特別背任とされる件は,日産自動車の決算で評価損は認識されてもおらず,成り立たない。
*「信用状」を新生銀行に差し入れたサウジアラビアの実業家が経営する会社の口座に販売促進費を振り込んだことが特別背任にあたるとされる件は,この実業家が,実際に日産のために働く会社の会長であるために特別背任は成り立たない。

 私は,ゴーン氏に特定したことではないが,高額報酬を批判する投稿を何度かしてきた。しかし,ゴーン氏の行為が犯罪に当たるのかどうかは別問題だ。本件は引き続き注視したい。

細野祐二(2019)「日産ゴーン事件の研究」『世界』2019年3月号,岩波書店,58-72。


2019年2月11日月曜日

天牛堺書店のこと

 ちょっと前のニュースだが,堺を中心に出店していた新歓・古書兼用の天牛堺書店が1月28日に倒産した。1992年から97年まで,天牛堺書店三国ヶ丘店には頻繁に,とくに河内長野市に住んでいた2年間は毎日のように通った。大阪市立大学のある杉本町から阪和線で3駅南下して三国ヶ丘駅で降り,そこから南海高野線で千代田駅まで乗って帰宅していたのだが,乗り換えの際に駅改札側の古本ワゴンを眺めるのが日課だった。そしてついつい買ってしまい,そばにあったミスタードーナツか,電車の中で読みふけるのだった(そう言えば,あの頃の方が酒量は少なかった)。その頃,ホームではルーズソックス女子高生が,ポケベルに文字を送信するために公衆電話のボタンを乱打していた。
 おりしも日本経済が低成長期に突入した頃であり,どこの図書室から放出されたのかという古書が山のように,廉価でたたき売られていたのをよく覚えている。例えば,社史である。新日鐵・八幡製鐵・富士製鐵の社史『炎とともに』は三国ヶ丘店で全3冊を3000円未満で買ったはずだ。『八幡製鉄所八十年史』全4冊はイトーヨーカドー堺店で,これも3000円未満で買った。他にもたくさん,たいていは1冊1000円未満で買ったはずだが,いまとなってはどれだったか思い出せない。また,産業論・企業論・経営学の本や調査報告書,社史,伝記,ビジネス書は全般的にたいへん多かった。
 実は,私の故郷,仙台の古書店は,土地柄なのか店主の方針なのか,人文科学の本は多いのに経済・経営学の,とくに実証系の本は少なく,あったとしても農業が多くて鉱工業と商業が少ないという,妙な偏りを持っていたので,大阪に就職して天牛堺書店の品ぞろえに狂喜乱舞していたのを覚えている。

「大阪)天牛堺書店が破産 府内に12店舗展開」朝日新聞DEGITAL,2019年1月30日。

2019年2月8日金曜日

特別監察委員会報告書は破棄ではなく上書きすべきだ

 毎月勤労統計不正問題。私の意見では,野党が特別監察委員会の報告書の廃棄をこの時点で要求するのは不適切である。ブログで縷々述べたように,この報告書は調査体制に中立性の問題があり,内容も甚だ不徹底であるが,それでも,批判的によく読めば,厚労省による隠ぺいも証明できるし,不作為により問題を隠す体質もわかるし,2004年より前から不正が行われていたこともわかる。

 現時点で廃棄させると,監察委員会報告書が認定した事実まで,まだまったくわかっていないことになり,政府もその立場で答弁できてしまうから,かえって真相解明の妨げになる。

 大事なのは再調査させることであり,再調査の上で元の特別監察委員会報告書に誤りが証明されたら,再調査結果で上書きすればよいのである。
「野党、統計調査報告書の撤回要求」Reuters,2019年2月6日。
https://jp.reuters.com/article/idJP2019020601002053

「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(1)不作為の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月26日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(2)中立性の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月27日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(3)誰が不正を指示したのか」Ka-Bataブログ,2019年1月28日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(4)未復元の事実,復元を開始した事実を隠蔽したのではないか」Ka-Bataブログ,2019年1月29日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(5)2004年調査よりも前から不正が始まっていた」Ka-Bataブログ,2019年1月30日。

2019年2月5日火曜日

公的資金による2頭のクジラが株価を支えきれなくなる時

 GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の2018年度10-12月期の運用実勢が14兆8039億円の赤字で,四半期では過去最大出会ったことが話題になっている。ここで考えねばならないのは,2014年にポートフォリオを見直して,内外株式の比率を高めたことだ。

 一方で超低金利のもと(それ自体,政府・日銀が誘導しているのではあるが),年金資産の運用を債券だけで行っていては運用益が稼げないことは確かである。だから,株式の資産組み入れ比率をある程度まで高めること自体は,やむを得ない。この点,株式投資イコール投機だから年金積立金をつぎ込むな的なGPIF批判をするつもりはない。

 しかし,現在GPIFが行っている株式投資が,どれほど健全なのかという問題は確かにあり,検討しなければならない。

 一つは,安倍政権下で定められた,国内株式25%という基本ポートフォリオ構成が,本当に適切なのかどうかだ。25%と定めてしまえば,乖離率は認められているとは言え,国内株式にどれほどの資金をつぎ込むかはある程度決まってしまう。つまり,年金積立金が増える限り,GPIFは国内株式市場の確実な買い手になる。

 もう一つ,GPIFの行動を株式市場全体の中で評価し,また安倍政権下の金融政策・資本市場政策の中でGPIFを評価する必要がある。具体的には,GPIFに加えて,日銀が超金融緩和を続けるためにETF(指数連動型上場投資信託受益権)を大量購入するという,事実上の株式投資を行っていることを評価する必要がある。日本の株式市場には,公的資金で確実に買ってくれるGPIFと日銀という2頭のクジラがいるのである。

 では,GPIFと日銀は株式市場でどのような役割をはたしているのか。他の投資家との関係はどうなっているのか。それを明らかにするために,金額で見た投資部門別株式売買状況の推移に,日銀の年次ETF購入額を重ねた図を示す。本来の売買状況データでは,日銀ETFは「自己取引」に入っている。GPIFの購入・売却額は残念ながらわからない。分類の中では「信託銀行」に含まれている。


 ここから,以下のことが言えるのではないか。
(買)日銀ETF購入が株式市場に与える影響は大きいし,次第に強まっている。
(買)GPIFの影響の度合いは証明できないが,「信託銀行」は2014年以後買い越している。
(買)事業法人が買い越している。自社株買いの反映と思われる。
(売)海外投資家が日本株を大量に買ったのは2013年だけである。あとは年によって違うが,売り越しの方が激しい。
(売)個人は一貫して売り越している。

 GPIFの影響力はフローの売買ではわからないので,数字がわかるストックの方を見てみる。GPIFは,2018年12月末で国内株式を時価評価で35兆9101円保有してる。おおざっぱな比較方法だとわかっていて言うが,これは国内上場株式時価総額の582兆6705億円に対して,6.16%保有していることになる。1投資家で6%であり,その存在感は大きい。

 アベノミクスの成果が喧伝されているが,外国人も個人も日本の株式を評価せずに売っている。その時に,GPIFと日銀という公的資金のクジラで買い支えてきたのではないか。これは,クジラの意図がどうあれ(日銀は,そもそも株式運用益を目的としてETFを買っているのではあるまい),市場実勢とかけ離れた投機ではないのか。それも,公的資金を用いた投機ではないのか。

 それでも,株価が支えられている間は,さしあたり誰も損をしないかもしれない。しかし,無理な買い支えが限度に来て株価が下落するとき,損失は2頭のクジラにかかり,公的資金にかかる。つまりは年金資産に損失が出るのであり,日銀のバランスシートを毀損する。これは,株式市場としても,公的資金のあり方としても不健全ではないのか。

<データ注>
・表は,日本取引所グループ「投資部門別株式売買状況」および日本銀行「指数連動型上場投資信託受益権(ETF)および不動産投資法人投資口(J-REIT)の買入結果」より作成。
・GPIF株式保有額はGPIF「平成30年度第3四半期運用状況(速報)」より。
・国内上場株式時価総額は,日本取引所グループ「市場別時価総額」より。



2019年1月31日木曜日

24年前の論文を引用いただいた:Nishio, S. & Fujimura, S. (2017) Influence of Traditional Business Practice on Firm Boundaries – Evidence from the Japanese Automotive and Steel Industries

 日本の長期相対取引における「パフォーマンス・ギャランティ」という品質保証方式について考察した論文。この論文の筆頭著者西尾精一氏は,藤村修三教授の研究室に所属する大学院生で,鉄鋼メーカーに長く勤めてリタイヤされた方のようだ。清晌一郎教授の名作「曖昧な発注,無限の要求による品質・技術水準の向上」とともに私の24年前の論文「日本高炉メーカーにおける製品開発」が引用されている。うれしいことだ。本論文の引用回数は,掌握している限りで20回になった。

Nishio, S., & Fujimura, S. (2017). Influence of Traditional Business Practice on Firm Boundaries–Evidence from the Japanese Automotive and Steel Industries. International Journal of Marketing and Social Policy, 1(1), 55-66.


2019年1月30日水曜日

毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(5)2004年調査よりも前から不正が始まっていた

 この連載の核心というか,私のブログにしか書いていないオリジナルなところは前回の(4),つまり復元を開始した際に行われた隠蔽の疑いにあった(ので(4)をお読みいただけるとありがたいです)。よって,この話で連載は打ち止めにしようと考えていた。しかし,田中重人氏と池田信夫氏のブログを読み,重要なことを一つ書き落していることに気がついたので,両氏に倣う形で捕捉する。それは,2004年調査よりも前から不正が始まっていたのであり,2004年の不正はそれ以前からの不正を隠すためではなかったかということだ。

 2004年調査で東京都の規模500人以上事業所を全数調査から抽出調査に変えた理由は,(3)でも紹介したように,「継続調査(「平成16(2004)年以降の東京都における規模500人以上の事業所に係る調査が抽出調査となった理由は、規模500人以上の事業所から苦情の状況や都道府県担当者からの要望等を踏まえ、規模500人以上事業所が集中し、全数調査にしなくても精度が確保できると考え、東京都について平成16(2004)年1月調査以降抽出調査を導入したものと考えられる」(監察委員会報告書15ページ)とされている。

 だが,実は同じページにこうある。「平成16(2004)年からこれまでの集計方法をやめることとしたが、それだけだと都道府県の負担が増えてしまうので、その調整という意味でも(東京都の規模500人以上の事業所に限り)抽出調査とすることとしたように思う」(15ページ)。そして,「これまでの集計方法とは、規模30人以上499人以下の事業所のうち、抽出されるべきサンプル数の多い地域・産業について、一定の抽出率で指定した調査対象事業所の中から、半分の事業所を調査対象から外すことで、実質的に抽出率を半分にし、その代わりに調査対象となった事業所を集計するときには、抽出すべきサンプル数の多い地域・産業についてその事業所が2つあったものとみなして集計する方式であり、全体のサンプル数が限られている中、全体の統計の精度を向上させようとしたものである。
 この手法により得られる推計結果は、抽出率に基づき復元を行っているのと同程度の確からしいものと考えられ、標準誤差にゆがみが発生する可能性はあるが、平均値に関しては大きな偏りはなく、給付等に影響を及ぼすこともない。しかしながら、こうした手法は当時公表されることなく行われており、統計調査方法の開示という観点からは不適切と言わざるを得ない」(15ページ)。

 つまり,2004年調査よりも前から,規模30人以上499人以下の事業所について,本来調査すべき事業所の半分しか調査対象とせず,同じ事業所が2つあったとみなして集計をしていたというのだ。これは不適切どころか,勝手に抽出調査に変更したのと同レベルの不正行為と言える。

 田中氏は,2002-2003年の調査の精度が大幅に下がったことを示し,同程度の「確からしさ」など確保できてないと指摘するとともに,この不正が2002年と2003年に行われたのではないかと推定している。また池田氏は,「厚労省は2003年まで「半分の事業所を調査対象から外す」という操作を行っていた。これは調査計画に反するので、総務省に報告するわけには行かない。それを改善したことをいわないで、東京都の大企業のサンプルを減らすことだけを統計委員会で審議すると、「手抜きだ」と批判されると思って隠したのではないか」と推測している。

 抽出対象を勝手に削減するこの調査方法を,なぜ2004年にやめることにしたのかはわからない。しかし,とにかくやめることになったのだろう。そうするとサンプル数が増えて,ただでさえたいへんな調査の作業量がますます増え,都道府県から苦情が来る。これを相殺するために一部を抽出調査にしたとすれば,確かに動機の説明がつく。抽出調査を総務省に申請しなかったのは,池田氏が言うように手抜きを批判されるか,あるいはそれにとどまらず抽出対象を勝手に削減していたことも露見しかねなかったからだろう。

 抽出対象を半分にしていた不正に関する報告書の記述は,なぜ2004年の抽出調査への変更が,総務省に報告することなく行われたかについての,現時点までの最有力な手がかりだと思う。2004年の不正は,それ以前から行っていた不正が露見しないようにするためだったかもしれないのだ。監察委員会の調査は中立性がないということでやりなおしになったようだが,この点をぜひ追求してほしい。

(1月31日追記)総務省統計委員会が,この件について報告を受けたとの報道がありました。
「統計不正問題のきっかけ 別の不正を是正しようとしたためか」NHK WEB NEWS,2019年1月31日。

田中重人「2003年以前の毎月勤労統計調査抽出率偽装問題」remcat:研究資料集,2019年1月23日。
池田信夫「厚労省はなぜ勤労統計のサンプルが増えたことを隠したのか」アゴラ,2019年1月26日。

「毎月勤労統計調査を巡る不適切な取扱いに係る事実関係とその評価等に関する報告書について」厚生労働省,2019年1月22日報道発表。

<連載>
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(1)不作為の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月26日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(2)中立性の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月27日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(3)誰が不正を指示したのか」Ka-Bataブログ,2019年1月28日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(4)未復元の事実,復元を開始した事実を隠蔽したのではないか」Ka-Bataブログ,2019年1月29日。


2019年1月29日火曜日

毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(4)未復元の事実,復元を開始した事実を隠蔽したのではないか

 毎月勤労統計調査の不正問題。前回の(3)では2004年調査で不正がなぜ行われ,誰が指示したのかという問題を取り上げた。今回は,復元に関わって,隠蔽やそれに類する行為がなかったかどうかを考えたい。

 不正の二つの主要内容である1)全数調査を行うべきところ抽出調査を行って,それを隠したことと,2)復元操作を行わなかったために統計数値が正しくなくなってしまったことのうち,1)については,多くの厚労省職員が気づいていながら,これを見て見ぬふりをしたことは連載の(1)で述べた。この点について,組織的に取り上げない不作為が問題だとした監察委員会の主張は,それなりにもっともだと思う。しかし,2)については話が違っているのではないだろうか。

1.なぜ復元が行われなかったのか
 まず,2004年からの東京都規模500人以上事業所についての抽出調査に伴い,なぜ,本来必要な復元が行われなかったのかについて,謎が残っている。報告書は「抽出替え等によりシステム改修の必要性が生じた場合には、企画担当係とシステム担当係が打ち合わせをしながら、必要な作業を進めていく」(17ページ)とした上で,「本件についても、例えば、企画担当係から追加でシステム担当係に東京都における規模500人以上の事業所の抽出率を復元処理するための依頼を失念した、東京都の規模500人以上の事業所における産業ごとの抽出率等の必要な資料が渡されなかった、あるいは渡されたが、システム担当が東京都の抽出調査の導入に係るシステム改修をしないまま、その後ダブルチェックがなされず、長期にわたり復元処理に係るシステム改修が行われていない状態が継続した可能性が否定できない」(17ページ)と述べているが,2004年調査に際して復元作業のための打ち合わせが行われたのかどうかを明らかにしていない。当時の企画担当係とシステム担当係からくまなくヒアリングしたのだろうか。全員が,忘れたとでも供述したのだろうか。きわめて不可解である。
 
2.復元が行われなかったことに誰も気づかなかったのか
 次に,その後,14年にわたって復元が行われなかったことについてである。抽出調査を行っていることは,その作業に携わっている以上,関連職員は当然認識した上で,その問題に見て見ぬふりをしていたのだろう。しかし,復元についてはどうなのか。プログラムが組まれず,復元処理がなされないために毎月勤労統計の数値が正しくないものになっていたことに,関連職員は気がついていなかったのだろうか。

 全数調査と称して抽出調査を行っているのももちろん不正であるが,それで統計数値自体が歪むわけではない。しかし,復元を行わなければ数値自体が誤ったものになってしまうのである。関連部署の職員は,数値のゆがみを承知で,未復元にも見て見ぬふりをしていたのだろうか。統計の専門家である職員が,そこまでするものだろうか。この点が報告書の記述では明らかではない。

3.最終的に誰が復元処理を指示し,かつそのことを隠したのか
 そして,最終的に未復元を問題だと認識して復元処理を開始したのに,そのことを明らかにしなかったのは誰かという問題である。報告書によれば明確で,2017年時点で雇用・賃金福祉統計室長だったFである。報告書はF室長が2018年の調査を準備する過程でとった行動について述べる。

「Fは、これまでの調査方法の問題を前任の室長から聞いて認識していた。その上で、ローテーション・サンプリングの導入に伴い、一定の調査対象事業所を毎年入れ替える必要が生じるが、抽出率が年によって異なるため、東京都の分も適切に復元処理を行わなければローテーション・サンプリングがうまく機能しなくなると考え、東京都についても復元処理がなされるよう、システム改修を行うとの指示を部下に行っていたと述べている」(23-24ページ)。

 だから,少なくとも前任の室長は,復元が行われていないことを知っていたことになる。そして,F室長は,サンプルを毎年3分の1ずつ入れ替えるローテーション・サンプリングの導入の際に,復元が行われるようにシステム改修を指示したのだ。ところがF室長は,「復元処理による影響を過小評価し、これまでの調査方法の問題、さらには当該機能追加及びそれによる影響について上司への報告をせず、必要な対応を怠った。また、Fは東京都を抽出調査としていることの影響について、後任であるIに対し、復元処理の影響は大したことはない旨の誤った認識に基づく引継ぎを」行った(24ページ)。

 私はこのF室長の行為は極めて不適切だと思う。F室長は未復元を知っていた。そして,復元が行われるようシステム改修を指示する際に,その影響を受けて数値が動くことをも知っていた。にもかかわらず,そのことを黙っていたというのだ。この行為を報告書は、「これまで東京都が抽出調査であったことを隠蔽しようとするまでの意図は認められなかった」(24ページ)といい,挙句の果て「平成30(2018)年1月調査以降の調査においては、従来適切な復元処理が行われていなかったものについて復元処理が開始されており、これはより統計の精度を高めるためのものであるから、意図的に「基幹統計をして真実に反するものたらしめる行為」(統計法第60条第2号)をしたとまでは認められないものと考えられる」(27ページ)とかばっている。未復元だったものを復元したのだからいいじゃないか,というのである。これはおかしい。未復元を発見し,復元を開始したことについて,必要な報告をしなければ,過去においても復元を行っていたかのように装うことになってしまう。これは,主観的意図が何であれ,客観的には隠蔽行為ではないか。

 このローテーション・サンプリング導入によるサンプル変更と復元処理の開始は,2018年1月調査以降の給与の数値の上振れに影響を与え,社会からの疑念を招くことになる。ところがFの後任のI室長は,報告書によれば「平成29(2017)年までの調査については東京都の規模500人以上の事業所に係る抽出調査分の復元処理を行っていないこと及び平成30(2018)年以降の調査では復元処理を行っていることを知りながら、前任者から東京都の抽出調査を復元していなかったことの影響は大きくないと聞いていたことから、これを当該上振れの要因分析において考慮せず、結果として不正確な説明を行った」(25ページ)という。I室長は,未復元を復元にした事実は知っていた。その上で,F室長の誤った引継ぎに影響されたという理由で,その重大性を軽視して事実と異なる説明をし,それが社会に公表されたのだ。これは,I室長の意図にかかわらず,客観的には隠蔽行為ではないか。

 結局,厚労省がサンプル入れ替えによる上振れと説明したのに対して,総務省が,全数調査をしているはずの規模500人以上の事業所の賃金まで上振れしていることに気づき,おかしいではないかと厚労省に問い合わせる。報告書によれば,この時点でIは抽出調査と過去の未復元について,はじめて上司である政策統括官Jに報告した。そして,これらの事実は,2018年12月13日の打ち合わせで,統計委員会委員長および総務省との打ち合わせで厚労省から報告されたのだという(13ページ)。

 以上のことから,私は,報告書が明らかにしている事実だけから見ても,直接にはF室長とI室長が,そして対外的には厚生労働省が隠蔽行為を行ったと見るべきだと思う。報告書がこれを指弾せず,逆にかばってさえいることは不適切と言わねばならない。

 そして,さらなる問題がある。F室長とI室長は,本当に,復元の影響は大したことがないと思いこんでいたのだろうか。影響が深刻である可能性を知っていながら,何らかの理由で黙っていた可能性はないのか。そして,これはF室長とI室長というたった2人だけによる行為なのか。F室長の前任者においても,復元が行われていない事実は知られていた。誰が知っていたのか。また,F室長はシステム改修に当たって,誰にも相談しなかったのだろうか。I室長は,給与数値の上振れに復元の影響が出ている可能性について,誰とも相談しなかったのだろうか。J政策統括官は,本当に総務省から指摘を受けて初めてI室長から事実を聞かされたのだろうか。未復元と復元の開始について,知っていながら隠した者,隠すことをF室長やI室長に求めた者は,本当に誰もいないのだろうか。

 これらのことが追加調査によって明らかにされねばならないと,私は考える。

「毎月勤労統計調査を巡る不適切な取扱いに係る事実関係とその評価等に関する報告書について」厚生労働省,2019年1月22日報道発表。

「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(1)不作為の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月26日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(2)中立性の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月27日。




論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」の研究年報『経済学』掲載決定と原稿公開について

 論文「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」を東北大学経済学研究科の紀要である研究年報『経済学』に投稿し,掲載許可を得ました。5万字ほどあるので2回連載になるかもしれません。しかしこの紀要は年に1回しか出ませんので,掲載完了まで2年かかる恐れがあ...