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2023年12月17日日曜日

貨幣発行と流通のしくみ(その6)銀行は,まず個人や企業から預金を集めて,それを又貸ししているのではないのか/銀行は自分で預金を生み出せるのに,なぜ預金を集めようとするのか

 8 銀行は,まず個人や企業から預金を集めて,それを又貸ししているのではないのか

 しかし,なお疑問が残るかもしれません。そもそも預金とは,個人や企業が銀行にお金を預けたときに発生するのではないのか。銀行の融資とは,預けられた預金を原資に,それを企業に又貸ししているのではないか,と思われる方もいるでしょう。実際,日常生活の常識もそのようなものですし,経済学者の多くもそのようなモデルで思考しています。しかし,そうではない,預金は,銀行がお金を貸すときに生まれるというのがこの講演の見地です。これまでもそうお話ししてきましたが,ここでもう一度,なぜ又貸しと考えてはいけないのかという角度から考えてみましょう。

 背理法を使いましょう。銀行がまず預金を集めて,それを又貸ししていると考えたならば,おかしなことはおこらないのかを点検するのです。

 銀行が,預けられた預金を貸し出していると考えると,預けられた預金,つまりは預けられた中央銀行券は,そもそもどこから来たのかという問題が生じます。中央銀行券は銀行などとだけ取引するものであり,一般市民とは取引しません。ですから,中央銀行券が市中で流通しているということは,どこかで誰かが預金をおろして中央銀行券に換えた,ということを意味します。ということは,どこかに誰かの預金がもともとあったから,中央銀行券が流通しているということになります。それでは,そのどこかの誰かの預金はどこからきたのでしょう。又貸し説に従えば,当然,誰かが預けたということになります。では,預ける前の中央銀行券はどこから来たのでしょうか………。こういう風に,又貸し説の論法は無限後退し,どこにもたどりつきません。ですから,この説明はおかしいのです。

 理屈に合ったように現実を説明するには,どこかの誰かの預金とは,どこかの銀行がどこかの企業に貸し付けたときに生まれた,と考えるよりありません。そう考えるべきなのです。

 図 7をご覧ください。この講演の立場から言うと,市中に出回っている中央銀行券や,口座振り込みに使われて流通している預金通貨は,そもそもはどこかの銀行がどこかの企業に貸し付けたときに生まれたということになります。貸し付けを受けた企業は,原材料を購入したり人を雇ったりしてお金を払います。払われた企業はまた原材料を買うかもしれないし,給料を支払われた個人は預金を引き出して現金に換え,食べ物を買ったりネット通信料を払ったりするかもしれません。いずれにせよ,預金通貨は時に中央銀行券という現金に姿を変えながら転々と流通します。そして,あるときに,企業や個人の手元に中央銀行券の姿でたどり着き,その企業や個人が,当面現金とした使わないから,あるいは預金通貨として使いたいから,預金として銀行に預け入れるのです。通貨が生まれて流通する始まりは,銀行から企業への貸付なのです。ちなみに,その終わりは企業から銀行への返済です。

図 7 預金は貸し付けの際に生まれる

 ですから,銀行の活動とは,誰かが銀行にお金を預けて預金が生まれるところから始まるのではなく,銀行が企業の預金を設定してお金を貸すところから始まるのです。

銀行は自分で預金を生み出せるのに,なぜ預金を集めようとするのか

 しかし,ここからはまた新たな疑問が生まれるでしょう。銀行が自分で預金を生み出せるならば,なぜ預金を集めようとするのかということです。その答えは,準備金の確保のためです。

 これまでお話ししたように,銀行が企業に貸し付ける行為自体は,手元に現金がなくてもできます。銀行は預金を創造できるからです。しかし,貸し付けを受けた企業は,預金を引き出して現金にするかもしれませんし,取引先への支払いのために預金口座から他の銀行の口座に送金するかもしれません。前者であれば,銀行は中央銀行券を渡さねばなりませんし,後者であれば自分の持つ中央銀行当座預金を取り崩して他行に送金しなければなりません。

 ですから,銀行はつねに一定額の中央銀行券と中央銀行当座預金を資産として持っておかねばならないのです。これが準備金です。正確には,預金が引き出される場合,銀行間取引で自行が支払い超過になる場合,貸付金が貸し倒れになるなど損失が発生した場合に備えて必要になります。

 ただ,ちょっと回り道をしますが,銀行の持つ準備金は,社会全体としてみれば中央銀行が供与するものであって,預金者から集めるものではありません。中央銀行当座預金は中央銀行が銀行に貸し出したときに発生します。また中央銀行券は,銀行が中央銀行当座預金を引き出したときに発行されます。いずれにせよ,もとは中央銀行が銀行に信用を与えたから発生しているのです。

 ところが,銀行全体としてはこうであっても,個々の銀行にとっては話が違います。中央銀行が供与した中銀当座預金や中銀券は,銀行の間では取引状況に応じて不均等に分布しています。個々の銀行の立場としては,資金繰りを安定させ,さらに貸し付けを拡大するために,自分のところに準備金を集めたいかもしれません。そういう銀行は,企業や個人から広く預金を集めようとするでしょう。預金を集めれば,手元に現金として持っておいて金庫やATMに入れておき,引き出しに備えることもできますし,中央銀行に当座預金として預けて,銀行間決済に備えることもできます。個々の銀行は,いわば市中に流れた中央銀行券を奪い合って,自行の準備金をとりわけ厚くしようとするわけです 。

■補足
*「銀行は預金をまた貸ししているのではない」という説明は,日常感覚に反するために聞く人が驚くところだが,実務的な説明はそれほど難しくない。
*理論的にややこしいのは,準備金について社会全体の視点と個々の銀行の視点が異なることである。個々の銀行にとっては,自行の準備金を増やすために,預金獲得に励む余地がある。しかし,銀行セクター全体としては,中銀当座預金+中央銀行券発行残高は,中央銀行でなければ供給できないのであり,全銀行が一斉に預金獲得に励んでも,社会全体としては増加しないのである。

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