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2024年2月4日日曜日

アメリカ経済の運命を左右するのはFRBのQTか,それとも国債の償還・借り換えか

 FRBの金融引き締めがいつ,どのように転換を迎えるかが話題となっている。しかし,その議論はかなり入り組んでいる。たとえば,「リバースレポ残高が枯渇すると市場の流動性がひっ迫するおそれがあるので,QTのペースを落とした方がいい」などと主張されているが,多くの人には何が何やらだろう。

 しかし,そもそもQTの理解に問題があるのではないかというのが,本稿のテーマである。FRBはコロナ後のインフレに直面して金融引き締めを行っているが,伝統的な手段,つまり手持ち国債を売却して金利を引き上げるという方法が,市場にショックを与えやすくとりにくいという問題に直面している(これは金融緩和の出口を模索する日銀も同じである)。そのため,引き締めは,準備預金金利引き上げ,リバースレポ金利引き上げ,そしてQTによって行われている。QTとは,売りオペレーションをするのではなく,保有している国債が満期償還されたら,再び国債を購入しないことによって,バランスシートを縮小することである。本稿は,この三つの引き締め手段のうち,QTに対象を絞って論じる。

 さて,QTに関する市場関係者の議論を聞いていると,そのほぼすべてが「QTをすれば準備預金が減って金融が引き締まる」,もう少し正確に言うと「QTをすれば準備預金またはリバースレポ残高が減る」と理解している。だから,最近のリバースレポ残高の減少について,「リバースレポがなくなってしまった後もQTを続けると,準備預金が大きく減って金融が引き締まる」と理解して,その行き過ぎで金利が急騰することを心配しているのである(※1)。

 しかし,「QTをすれば準備預金が減って金融が引き締まる」というのは果たして正しいのだろうか。QTのオペレーションをよく見てみよう。注意すべきポイントは,QTに国債が関わることである。国債購入に投じられたマネーは政府の下で眠り込むのではなく,財政支出される。このことを含めてQTと国債償還,または借り換えの効果を見る必要がある。

1)QTが行われる。まず,政府は国債償還のために課税等を強化してマネーをかき集め,政府預金を増やす。そして国債を償還する。FRBのバランスシートでは,まず負債側で政府預金が増えて連邦準備銀行券(つまりドル札の現金)発行高が減る。その後,資産側で国債が減り,負債側で政府預金が減る。結果として,負債側で減ったのは銀行券発行高である。通貨供給量(マネーストック)は減少する。準備預金は減少しない。ただし政府が課税した際に銀行預金を引き出して応じた人が多ければ,その分は銀行券でなく準備預金が減少する。

 このように,QTが行われ,政府債務が減少した場合は,マネーストックは確かに減るので,おおむね金融は引き締まる。ただし,銀行券と準備預金がどういう割合で減るかは,場合による。

2)話がここで終わらず,政府は国債を借り換えて政府債務総額を維持した場合を考えよう。借り換え国債は銀行が購入するとしよう(MMFが購入することもあるのだが,それについては別途考察する)。今度は銀行の準備預金が減り,政府預金が増える。しかし,これで終わりではない。政府は財政支出をする。仮に小切手支払だとすると,受け取り手はこれを取引銀行に持ち込んで預金か現金にかえる。銀行は政府に支払いを要求し,FRBの決済システム上で,政府預金から準備預金へと振り込んでもらうことで支払いを受ける。これで銀行の準備預金は回復する。したがいFRBのバランスシートは変化しない。ただし,政府支出の受け取り手が現金を選ぶと,その分だけ銀行は準備預金を引き出すので,準備預金は完全には回復せず減少し,その分だけ現金発行高が増える。政府債務は借り換え債発行前よりは増え,以前の国債償還前とは同額になる。そして,マネーストックは,借り換え債発行前と比べると,財政支出の受け取り手が得た預金または現金の分だけ増える。そして国債償還前と同額まで回復する。

 このように,QTが行われて政府債務総額は維持された場合は,マネーストックは変動しない。したがい金融もおおむね引き締まらない。準備預金は,政府支出が預金で受け取られた分は変動せず,現金で受け取られた分だけ減る。現金で受け取られる割合は,これも全く場合による。

 以上の理解が正しいとすると,「QTで準備預金は減って金融が引き締まる」と思い込むところが,そもそもおかしいのである。単純化のために,仮にこれらの取引に現金が用いられることないとすると,1)では準備預金は減るし金融は引き締まるが,2)では全く減らないし,金融も引き締まらない。この大きな違いを左右するのは,国債が借り換えられるか否かであることがわかる。

 「QE(量的緩和)では準備預金が増えるんだから,QTでは減るだろう」と思う人がいるかもしれない。しかし,そうではない。QEとQTではちょうど正反対のことをしているわけではないからである。QEでは,FRBは買いオペレーションを行う。つまり銀行が購入した国債を買い上げているので,準備預金が増えるのである。対してQTは,QEの正反対である売りオペレーションをするのではない。売りオペレーションによるバランスシート縮小は,市場へのショックが大きいため行われていない。QTとは満期国債の償還を受けることなのである。

 だから,QTそれ自体では,金融が引き締まるかどうかは決まらない。それを決めるのは,償還された分の国債が借り換えられるか否かなのである。

 だから,金融政策であるQTの効果とみられるものは,実際には財政政策の効果である,それも,QTによって一義的な結果が出るものではない。国債発行の縮小か継続かによって効果は全く異なる。FRBによるQTの選択ではなく,財政民主主義による財政支出の選択こそが本当の問題だ。

 QTそれ自体に効果があるとすれば,「もうこれ以上,国債を買いオペしませんよ」というシグナル,もっと言えば「国債をFRBで買い支える事実上の財政ファイナンスははやりませんよ」というシグナルを政府に対して送ることだろう。それも,金融システムそれ自体を操作するのではなく,結局は国債借り換えに対する警告である。

 国債発行を選択の問題とした場合,国債消化がそれを制約しないかという問題はある。QTの下で国債発行を続けた場合,FRBのによる買い上げを当てにせず,市中で消化しなければならないからだ。しかし,現状のアメリカで国債の引き受け手がなくなるとは考えにくい。むしろ,世界金融危機後の金融商品取引への規制は,銀行やMMFを国債に買い向かわせる効果を持っている。

 国債の消化自体は問題がないとすると,問題は,国債償還による財政支出の縮小か,借り換えによる財政支出の継続かである。QTと国債発行高縮小の組み合わせが取られた場合は,需要にはマイナスの圧力がかかる。逆にQTと国債償還の組み合わせが取られた場合は,その圧力はかからず,従来規模の財政赤字の下での政府支出規模が維持される。どちらが望ましいかの問題だ。まったくマクロ的に見れば,現状では,支出を絞れば超過需要によるインフレを冷ますにちょうどよいだろう。しかし,財政の問題は,支出規模だけでなく,内容も問題となる。物価を上昇させるだけで実質的に需要を拡大できない支出は無駄である。しかし,政府機関を止めずにその機能を維持するための支出は必要だろう。また,インフレ下での生活苦から消費者を救済する支出や,技術開発や人材育成や脱炭素社会のインフラ整備など経済の供給能力を改善して,長期的インフレ圧力を軽減することも有益だ。ポストコロナのインフレ下では,財政の総支出規模を絞り気味にすることと,必要な支出を確保することは区別する必要がある。

 財政の問題を抜きに,また財政支出の内容の吟味を抜きに,「QTが金融をどれほど引き締めるか」という次元だけで議論しても,空転気味の車輪で前進を図るようなものだと,私には思えるのである。

※1 話が横道にそれて複雑になるので,注で説明する。市場関係者は以下のように考えているのだと思われる。
<FRBがQT(量的引き締め)をする,つまり「保有している国債が満期償還されたら,再び国債を購入することはせずに,バランスシートを縮小する」と,FRBバランスシートの資産側で国債が減少する。では,負債側では何が減少するか。それは政府が借り換えのために発行した国債を,誰が購入するかによる。国債を銀行が超過準備で購入したならば,銀行の資産側,FRBの負債側で準備預金が減る。一方,MMFが購入したならば,MMFの信託勘定の資産側,FRBの負債側でリバースレポが減る。2023年半ばからリバースレポ残高が急速に減っているのは,FRBがQTを続ける一方,MMFが運用先をリバースレポから短期国債に切り替えているからである。FRBがQTを続け,政府が国債を借り換え続けると,FRBの負債側では準備預金かリバースレポが減る。リバースレポがなくなってしまうと,減るのは準備預金になる。準備預金が減ると銀行の融資や金融商品購入が制約され,金利が急騰するかもしれない。だから,リバースレポがなくなる前にQTのペースを落とした方がいい。>
 この議論の問題は,政府が国債を発行して集めたお金を支出した際の効果を見落としていることである。実際に銀行が借り換え国債を購入した場合には,FRBの準備預金は減少しないことは,本文を参照して欲しい。

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