フォロワー

2019年8月29日木曜日

「平和の少女像」:どの国が正しいかを決めることではなく,戦争を告発すること

 「平和の少女像」について,展示の自由と別に,以前より思っていることを書く。

 まず,背景への認識。そもそも,わが日本国政府の見解は「安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する」というものだ(2015年12月28日。日韓両外相共同記者会見)。私はこの点について安倍首相を支持する。慰安婦について日本国は何も反省しなくていいという人は,実は安倍首相に反対なのだ。

 次。平和の少女像の表面的な使われ方。慰安婦支援団体による使い方には確かに問題がある。政府公館の正面に設置するのは適切でないし,これを撤去しない韓国政府の姿勢は外交儀礼として適切でないと思う。また,慰安婦問題についての事実関係や補償と謝罪に関する考え方についても,私は最大の慰安婦支援団体である挺対協と見解を同じくしない。慰安婦問題について日本国政府を直接・間接に代表する謝罪はすでに9回行われており,「日本は謝罪していない」という前提での政治行動には私は反対だ。

 その上で,平和の少女像の根本的メッセージ。私は,この像には読み取るべきものがあると思う。この像の作者キム・ソギョン,キム・ウンソンの夫妻は確かに慰安婦問題で日本を批判しているが,それは韓国国家を支持しているからではない。この夫妻は,ベトナム戦争時に韓国軍がベトナムで行った虐殺行為を批判し,謝罪と反省の意味を込めて「ベトナム・ピエタ」を製作しているのだ。韓国軍の虐殺行為を認めるのは,韓国の世論でも多数ではなく,むしろ「軍を辱めるな」と非難されがちな立場だ。夫妻はそれでも製作している。つまり,平和の少女像は,ある国家の見地から別の国家を非難するものではない。戦争によって犠牲とされた民衆の見地から加害者を告発するものなのだ。

 社会運動の文脈では,平和の少女像は「日本は謝罪していない」という誤った事実認識の上に立つ運動に使われており,不適切にも政府公館の前に置かれている。作者はこの運動を肯定している。私はこれらの点で作者に賛同しない。だが,不本意に慰安婦にされて苦しんだ女性がいたことは事実である。そちらが根本だ。この作品はその事実に対する作者の思いを表現している。なので,この作品には考えさせられるものがあると私は思う。

 根本の問題は,韓国対日本のどちらが正しいかではない(ベトナムと韓国のどちらが正しいかでもない)。国家対国家の二者択一にとらわれるならば,どちらを支持するのであれ本質を見失う。慰霊されるべきは,また二度と再び現出させるべきでないのは,どこの国に属しているかにかかわらず戦争の犠牲者だ。告発されるべきは,どこの国という名前がついているかにかかわらず,戦争を起こし,他人の生活を踏みにじり,命を奪う者たちなのだ。

「韓国軍のベトナム戦争虐殺、被害者を慰霊する銅像を建立へ 作ったのは「慰安婦像」の夫妻」The Huffington Post,2016年1月25日。

0 件のコメント:

コメントを投稿

『ウルトラマンタロウ』第1話と最終回の謎

  『ウルトラマンタロウ』の最終回が放映されてから,今年で50年となる。この最終回には不思議なところがあり,それは第1話とも対応していると私は思っている。それは,第1話でも最終回でも,東光太郎とウルトラの母は描かれているが,光太郎と別人格としてのウルトラマンタロウは登場しないこと...