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2019年7月13日土曜日

深く好意的に,深く批判的に:平川均「赤松要と名古屋高等商業学校 : 雁行形態論の誕生とその展開に関する一試論」

 私は,理論的な方面については,講義で紹介とコメントはできるが自分で論文を書くほどではないという水準をうろうろしている。しかし,一度は論じてみたいと思っているテーマもいくつかあり,そのひとつが雁行形態論だ。雁行形態論は,そのまま現実の描写とするには単純すぎるが,産業発展の基本モデルとしては,考察の出発点の一つに置くべきものと私は思っており,大学院前期課程の講義でも,比較優位論における労働価値説と主流派理論の対比,そして雁行形態論とプロダクト・サイクル論の対比を必ず教えている。
 だが,雁行形態論を講義するにあたっては,解決しておかねばならない謎があると,私はずっと思っていた。一つは,経済発展論としての謎だが,これはいまは脇に置く。もうひとつは,経済思想史としての謎だ。すなわち,提唱者の赤松要において,経済発展論という経済理論と総合弁証法という認識論が結びついていたかどうかであり,そのことはまた大東亜共栄圏の構築に対する賛美や関与と結びついていたかということだ。比較的近年出版された赤松の評伝である池尾愛子『赤松要 わが体系を乗りこえてゆけ』日本経済評論社,2008年では,この点は驚くべきことに全く無視されている。しかし,この論点を捨象しては,雁行形態論を政策として論じた場合に,無意識のうちに特定の認識論を選び,特定利害に引きずられた歴史解釈や政策を生まないかというのが私の長年の疑問と不安であった。
 ところが,最近,金澤孝彰先生のFacebook投稿により,平川均「赤松要と名古屋高等商業学校 : 雁行形態論の誕生とその展開に関する一試論」『経済科学』60(4),名古屋大学大学院経済学研究科,13-64という論文と講義資料があることを知った。平川教授の名古屋大学における最終講義だ。この論文を拝読し,私が雁行形態論に対して経済思想史として抱いてきた謎は,ほとんど解明されていることを知った。赤松における産業の実証的解明を重視する姿勢と,過度な単純化を好む性向,客観的な経済発展モデルを追求する傾向と大日本帝国の経済政策への傾斜が,どのように彼の中で「総合」されていたのかが,赤松の歩みに即して丁寧に,しかも理論的に明確に論じられている。このように赤松に対して,深く好意的で,かつ深く批判的な論文を今まで見落としていたのは,実に不覚だった。
 赤松においては,総合弁証法の「総合」する立場とは「日本精神」であった。赤松が時代の情勢に応じて選び取った価値観に過ぎない「日本精神」,ありていに言えば大日本帝国国家の政策への傾斜を,普遍的によって立つべき規範としたところに,「総合弁証法」の恣意性があった。そして,これは赤松要一個人のことでもなければ,過去のことでもない。日本国家の政策に過ぎないものを普遍的に意味があるものとし,「国民」にとって当然のこととして規範化する問題,日本国家が「日本」であり,自分が「日本」であるかのように見せかけて規範化し,他者に強要することの問題は,この国のあちこちでいまも続いている。

平川均(2013)「赤松要と名古屋高等商業学校 : 雁行形態論の誕生とその展開に関する一試論」『経済科学』60(4),名古屋大学大学院経済学研究科,13-64。



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