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2024年9月16日月曜日

「メンバーシップ型雇用」正社員の世界で「解雇規制緩和」をすると何が起こるか

  自民党総裁選で解雇規制見直しが争点となっている。解雇規制というのは判例で確立している整理解雇の4要件であり,この4要件が労働契約法第16条「解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする」の内容とされていることだろう。規制の具体的内容が判例で確立しているので,首相が「解雇規制を緩和したい」と言ったとして,具体的に何をするのかが,そもそも定かではない。労働契約法を改正するのか,法の行政解釈を変えるのか。そこは注視する必要があるだろう。

 しかし,それよりも深刻なのは,岸田内閣の下では一応「ジョブ型雇用」の推進がうたわれていたはずなのに,そのことは無視されて「解雇規制」だけが取り上げられていることである。この二つは別なことのようでいて,実は強い関係を持っている。ここでは,「ジョブ型雇用」の拡大抜きに「解雇」を促進するとどうなるかを論じる。

 雇用類型が日本の正社員のように「メンバーシップ型雇用」,すなわち「組織の一員として雇用する」場合と,世界の多くの労働者や日本の非正規労働者のように「ジョブ型雇用」,すなわち「一定の仕事をしてもらうために雇用する」場合とでは,解雇の意味は全く異なる。もはや言うまでもないかもしれないが,この二つの雇用類型の区分は濱口桂一郎氏の定式化によって普及したものである。

 「人が余剰だから解雇するか,仕事ができないから解雇するのだから,どこでも同じではないか」と人は言うかもしれない。とくに経済学者がそういうかもしれない。しかし,そうではないのである。「メンバーシップ型雇用」では,人が先にいて後から仕事を割り当てる。「大切なメンバー」がもういるのだから,メンバーが遂行できる適切な仕事を持ってくるのは経営者の方の責任になる。だから,多少会社の業績が悪化しているとしても,解雇を避けることが経営者の義務となる。

 それでも解雇を強行しようとすれば,解雇しないと会社が倒産するという事態であるところまで論証するか,そうでなければ当該正社員が「組織の大切な一員」であることを否定しなければならない。そのため会社は正社員を解雇する場合は,当該正社員が「会社の一員」にふさわしくない人間であることを証明しようとする。当該正社員がいかに無能で何の仕事もできないか,会社の秩序に反抗的か,あるいは素行が悪く無規律で堕落しているか,ということを主張する。つまり,「メンバーシップ型雇用」における解雇とは,「組織の一員としてふさわしくない,なにもできない,人格的に問題ある人物」という烙印を押すことに近いのである。ここで問題なのは,実際にはそのようなことを言われる筋合いのない高潔な人物であっても,そう扱われることである。本当は会社にとっても仕事上の余剰人員が存在するから解雇するのであっても,何しろ雇用の論理が「組織の大切な一員だから雇う」になっているので,会社としては「組織の一員としてふさわしくないから解雇する」と言わねば解雇できないのである。だから無理くりに言う。

 「実際にいまの仕事ができていない人をどうして解雇できないのか」と思う人がいるかもしれない。それは,特定の仕事を遂行するために雇っているのではないからである。「組織の大切な一員」とみなして採用した以上,特定の仕事ができないからと言って解雇するのはすじに合わない。なぜなら別の仕事ならできるかもしれないからである。配置転換を含めて別な仕事を社内で割り振るのが経営者の責任である。解雇したければ,当人が「社内のどの仕事もできないので解雇するよりない」と証明しなければならないのである。

 「メンバーシップ型雇用」の正社員を解雇するのはたいへんな摩擦を伴う。だから通常,日本の企業は退職金上乗せや再就職支援付きの希望退職募集や退職勧奨,あるいはインフォーマルな「肩たたき」によって,少なくとも表面上は円滑に,正社員の能力全般や人格を否定することなく辞めてもらおうとするのである。「もう社内にはあなたにやってもらう仕事がない」「次を考えませんか」という風にである。

 裏返すと,「メンバーシップ型雇用」における人事管理とは「あなたは会社の大切な一員ですから,よほどのことでもなければ雇い続けますよ」というメッセージを中心に組み立てられており,それが正社員の組織へのコミットメント,もっとはっきり言えば忠誠心の土台となっているわけである。

 さて,このような雇用方式をそのままにして解雇規制を緩和するとどのような事態が生じるだろうか。これまでの説明からおわかりだろう。多くの会社が大勢の正社員に「何もできない,会社にふさわしくない,人格的に問題ある人物」という烙印を押す。解雇された側の心は深く傷つけられることになる。また,「メンバーシップ型雇用」では,キャリア採用の際も,正社員として解雇されたことのある人物を「何か人として問題があるのではないか」と疑う。繰り返すが,実際にそうではない人も,「メンバーシップ型雇用」が中心の社会ではそのように疑われやすいのである。再就職も至難の業になり,ますます心が折れそうになる。

 一方,企業内の労働関係は「いつ能力全般と人格を否定されるかわからない」ものになる。むしろ経営側は,これまでにもある程度あったことだが,「お前の能力と人格などいつでも否定できるのだからな」という脅しで人事管理する度合いを強めるだろう。日本企業のメインストリームがブラック企業化する。

 確かに解雇規制を緩和すれば労働市場が流動化し,解雇も増え,採用も増えるかもしれない。しかし,それでめでたしめでたし,とはなりそうにない。解雇のたびに人の心を折るからである。それはカウンセリングや自己啓発や「物事を悲観的にとらえない」「前向き」な「気持ちの切り替え」で何とかなるものではない。また「とにかく市場の力を強めたから,これまでより良くなるに決まっている」と言ってよいものでもない。市場取引は効率性と動機付けを促進しているかどうかが大事である。また,市場経済で取引する際には,権利義務を設定し,その境目を明らかにすることが必要である。日本の雇用の「組織の一員として雇用する」「組織の一員としてふさわしくないから解雇する」という線引きの仕方が,解雇のたびに労働者のモチベーションにいちいち打撃を与えるようになっているのである。

 このように「メンバーシップ型雇用」と「解雇規制緩和」は相性が悪く,社会的に破滅的な結果を招きかねないのである。

 それでは,労働市場を,もっと望ましい形で作動させる道はないのか。「メンバーシップ型」がだめなら「ジョブ型雇用」であれば「解雇規制緩和」をしてもよいのだろうか。これが次の問題である。

2024年8月1日木曜日

追加利上げに見る日銀のジレンマ:解決策としての賃上げ・雇用改革

 日本銀行は7月30-31日に開いた金融政策決定会合で,政策金利を「0-0.1%」から「0.25%」程度に引き上げることを決定した。この引き上げには,日銀が抱えるジレンマが表現されている。このジレンマは,コロナ後に深刻になったものであり,日本経済の抱える問題を表現したものである。

 もともとアベノミクス期=黒田総裁期の量的・質的金融緩和は,「金利を上げれば景気をくじき,いつまでも上げなければ企業体質が弱っていく」というジレンマを抱えていた。コロナ後,各地の干ばつとウクライナ戦争による食料・燃料の輸入価格高騰,さらにアメリカのインフレとこれを鎮静化させようとする金利引き上げがドル高円安を招いたことにより,事態は悪化した。

 まず輸入価格の影響である。もともと日銀が描いていたのは,金融緩和が経済を活発化させ,ディマンド・プルによって物価が2%上がることであった。そこで緩和を解除すればいいのである。しかし,一方では賃金が上がらず,賃金が上がらない限りディマンド・プルは起こりそうにないことが明らかになった。他方で輸入価格高騰がコスト・プッシュで景気の足を引っ張り,物価が上がっても緩和を解除できなくなってしまった。

 次にアメリカのインフレとドル高。アメリカのインフレは財政赤字による貨幣的インフレと,景気回復によるボトルネック顕在化という実質的物価上昇の混合である。インフレ率は日本よりアメリカの方がはるかに高いので,貿易のベクトルではドル安になるはずであった。しかし,インフレ対策の高金利が,米日の間に金利差を作り出し,しかもアメリカの高金利も日本の低金利も,どちらも政策的にしばらく続くだろうという期待を持続させてしまった。そのためポートフォリオ,つまり金融資産のストックの組み替えがドル資産に向かい,激しいドル高円安が生じた。1980年代と異なるのは,アメリカの貿易赤字や財政赤字の持続性がさほど心配されておらず,高金利・ドル高でも,ドルが暴落するという不安が広がっていないことである。

 このように,過去数年のドル高円安は,もっぱら金利格差継続の期待という,金融的要因と政策的に要因によるものである。インフレ率格差によるものでもなければ(それなら全く方向が逆である),米日の生産性向上率格差に基づくものでもない。日本経済の停滞が円安を招いているという論評があるが,感情的悲観である。購買力平価は円安に振れておらず,また現実のレートは購買力平価よりはるかに円安に振れているからだ。

 インフレ率格差による相場調整ならば,二国間の財の交換比率は変わらない。ところが,金利格差によるドル高円安では,輸入価格は実質的に上昇し,輸出価格は実質的に下落するので,財の交換比率,つまり交易条件は日本にとって悪化する。円の購買力が落ち,輸入品の値上がりを通して物価は実質的に上昇する。したがい,内需向け中小企業の活動条件や市民生活を圧迫する。

 一方,輸出品は安売りとなる。日本企業は輸出に際してドル価格を引き下げて大量販売するのではなく,製品を高級化させてドル価格を維持し,円換算での収入を増やしているようだ。なんにせよ輸出企業は利益を上げている。

 つまり,企業利益は増えて景気はそこそこ回復しているが,賃金が上がらず物価が上昇したため市民生活は悪化し,リベンジ消費も盛り上がらない。これが2022年頃までに生じた状態であった。「賃金が上がらない限りディマンド・プルによる景気回復が起こらない」とようやく察した政府は,比較的あからさまに,また日銀は遠回しに賃上げを奨励するようになった。経団連も,過去30年間賃上げ抑制を訴えてきた路線を手のひら返しし,会員企業に賃上げを呼び掛けるようになった。その結果,2023年以後,名目賃金はついに上がり始めたが,物価上昇に追いつかず,実質賃金はいまなお低下し続けている。

 説明が長くなったが,これでコロナ後の日銀のジレンマの正体が明らかになる。「賃金が上がらなければディマンド・プルでの物価上昇はおぼつかないが,なかなか実質賃金が上がらない。これが実現するまでは金利を上げて景気をくじくことはしたくない」。一方,「円安によるコスト・プッシュの物価上昇は実質的物価上昇=円の購買力低下であって困る。これを止めるには金利を上げて,米日金利格差の継続期待を解消しなければならない」。それでは,いったいどうしたらよいのか。これが,ポストコロナ期に激しくなったジレンマなのである。

 今回,日銀は金利をわずかに引き上げた。これは,一方で景気をくじかない程度の引き上げにとどめ,他方で,日銀が緩和に固執するのではないという姿勢を金融市場に見せて,金利差継続期待を解消するためであろう。こうした熟慮は,植田総裁の会見詳細にもにじみ出ている。しかし,うまくいく保証はない。

 日銀のジレンマは,日本経済のジレンマでもある。金利が上がらなくても上がってもダメージを受けかねないのである。これは,日銀だけでは解決できるものではない。問題の根源は,賃金が極度に上がりにくいことである。賃金が上がれば,市民生活は改善され,労働分配率は上がって経済格差は緩和され,物価上昇はディマンド・プル型となって経済活性化に寄与するものに変わる。

 では,どうすれば賃金が上がるのか。政府が呼びかけるだけでどうにかなるものではない。賃上げを迫る社会的圧力を強めねばならないし,雇用慣行を変えねばならないだろう。専門職の給与はジョブ型にして引き上げべきではないのか。非正規の差別的低賃金は,ジョブ型正社員にすることで引き上げるべきではないのか。多くの正社員がメンバーシップ型雇用のままであるとしても,労働組合は産業別または職業別に組み替えて,会社に忖度しない賃金交渉をすべきではないのか。そして政治・社会運動は「はたらく者の賃金が上がりやすい社会」という古典的テーマのためにもっと力を配分すべきではないのか。ジレンマ解決の道は,金融政策ではなく,雇用改革に求めねばならない。

「日銀 追加利上げ決定 政策金利0.25%程度に【総裁会見詳細も】」NHK,2024年7月31日。

過去記事

「賃上げ定着か,三択ばくち打ちか:2023年後半の経済」2023年7月8日。

「日銀のジレンマもしくはバクチ打ち」2022年6月20日。


2024年3月1日金曜日

2023年度東北大学⽇本学国際共同⼤学院シンポジウム「中小企業と地域:過去と現在」(2024年3月21日14時より)

 2023年度東北大学⽇本学国際共同⼤学院シンポジウム「中小企業と地域:過去と現在」

対面会場はキャパに限りがございますが,オンラインはどなたでも参加できます。下記リンクからGoogleフォームでお申し込みください。

■ ⽇時

– 2024年3⽉21⽇(木)14時〜17時
– 東北⼤学⼤学院経済学研究科 4階⼤会議室(ハイブリッド開催)

■ 登壇者

– 曽根 秀一⽒(静岡文化芸術大学文化政策学部、教授)
「地域に根差した長寿企業の存続メカニズム」

– 谷本 雅之 ⽒(東京大学大学院経済学研究科、教授)
「在来的発展と大都市ー20世紀東京の中小経営」

 参加希望の方はこちらにご記⼊ください(3⽉14⽇(木)締め切り)

https://forms.gle/FStBY3Pg98LjPQ2X7

連絡先:takenobu.yuki.c1あっとtohoku.ac.jp



2023年12月19日火曜日

日本製鉄によるUSスチール買収の狙いと課題:過去からの声,未来への声

 日本製鉄はUSスチール(USS)買収を発表した。来年4月にUSSの株主総会が承認することが前提だ。買収総額は141億2600万ドル(2兆100億円)。USスチールの12/15株価に対して40%のプレミアムを支払う。借入金は日本の金融機関より。買収により日鉄のD/Eレシオは0.5から0.9となる。日鉄のグローバル粗鋼生産能力は6600万トンから8600万トンとなり,目標の1億トンに接近する。このうち日本国内が4700万トン(55%),海外が3900万トン(45%)となる。

 USSスチールの粗鋼生産能力はアメリカ1580万トン,チェコ450万トンで計2030万トン。うちアメリカの子会社Big River Steelの電炉は,資料によって違いがあるが日鉄の計算だと330万トンで,他は高炉・転炉法と思われる。電炉は2024年にはさらに300万トン追加予定。つまり,1年後にはUSSの粗鋼生産能力は2330万トンとなり,うち630万トン(27%)が電炉となる。なお,アメリカ全体では,粗鋼生産のうち60%以上は既に電炉になっている。

 ここから私のコメントだが,日本製鉄の狙いは,グローバル粗鋼生産能力とグローバルシェアの拡大である。日本製鉄は,2010年代半ばまでは,製鉄ー製鋼ー圧延ー加工のうち川下の圧延ー加工工程のみを海外に配置してきたが,2019年にインドのエッサールを,アルセロール・ミッタルと共同で買収して以来,製鉄や製鋼工程からの一貫企業を買収する方式に打って出た。今回の買収もその延長線上である。今回の買収が完了すれば,「日本」製鉄という名の企業の生産能力のうち45%は海外にあることになる。

 USS買収により,日本製鉄は立地としては先進国と新興国,製品グレードとしては高級品市場と汎用品市場,技術としては高炉・転炉法と電炉法の全方位にわたるグローバル買収を敢行することになった。しかし,むやみに全方位に手を広げているわけではないだろう。現時点と将来とで,異なる目標を二重に持っていると思われる。現時点では高級品大量生産に競争力を持つ高炉一貫製鉄所を手中に収めて市場を確保するとともに,将来に向かっては電炉法を拡大して,先進国・東南アジアでは2050年,インドでは2070年のカーボンニュートラル達成という環境規制に対応していこうという戦略なのだと思われる。

 とくに,USSの場合,高炉は過去から現在,電炉は現在から未来を代表していることは明らかである。USSがアメリカ国内に持つ高炉一貫製鉄所はもはやGaryとMon Valleyの2か所に過ぎないし,まともに一貫生産を行っているのはGaryだけである。Mon Valleyは以前に紹介したように,かつては3つの一貫製鉄所と1つの圧延所であった。輸入品や電炉との競争に耐えられず,設備の多くが閉鎖されてしまい,残った設備を河川輸送でつないで,一貫生産の形を整えているに過ぎないのだ。Mon Valleyは過去を代表している。

 一方,USSは2019年に買収したBig River Steelに電炉ーコンパクト・ストリップ・ミルー冷延ミルー電磁鋼板設備,亜鉛めっき設備を持ち,電磁鋼板や,GMに納入する自動車用鋼板まで製造している。原料はスクラップ,銑鉄,直接還元のホット・ブリケット・アイアン(HBI)の3種混合のようだ。既に電炉による高級鋼生産は拡大しつつあるのだ。未来はこちらにある。

 日本製鉄も瀬戸内製鉄所広畑地区で電炉鋼から電磁鋼板を製造しているが,高炉・転炉法に比べると技術の確立度は弱い。高炉・転炉技術はもはやUSSに対して供与する側であろうが,大型電炉操業と電炉鋼からの高級鋼製造については,むしろUSSからノウハウを吸収しようという構えであろう。

 ただし,現在は高炉・転炉,将来は電炉というのであれば,両者の間に移行戦略が必要となる。いつまで高炉・転炉を用いるのか,高炉・転炉から電炉への切り替えを経営的に,また地域経済や労働者の利害を踏まえて円滑に行えるのか。高炉での部分的水素還元はどの程度実用に耐えるのか。高級スクラップが不足したら,直接還元鉄はどこから手に入れるのか。100%水素直接還元に投資する決断はいつになったら行うのか。その立地はどうするのか。どちらの新技術も,日本政府から開発補助金を得ている以上,1号機は国内に建てるべきという道義的制約はかかるはずだが,海外の方が採算がよさそうになった時に,どうするのか(川端,2023を参照)。

 日本製鉄は,他の拠点でもそうであるように,USスチールにおいても,過去から現在を代表する製鉄所と,現在から未来を代表する製鉄所を同時に抱えることになる。日本製鉄の運命を決めるのは,過去からの声か,未来への声か。カーボンニュートラルを目指す鉄鋼業の新時代において,同社はまだ数々の課題に立ち向かわなければならない。その行動の社会的効果に,私たちは期待することもできるが,同時に注意深く監視もしていかねばならないだろう。

日本製鉄株式会社「U.S.Steelの買収について」2023年12月18日。

Gary製鉄所空撮(Googleマップ)

Mon Valley製鉄所を構成する4工場空撮

クレアトン工場空撮(Googleマップ)
エドガー・トムソン工場空撮(Googleマップ)
アーヴィン工場空撮(Googleマップ)
フェアレス工場空撮(Googleマップ)

Big River Steel空撮(Googleマップ1)位置がズレて駐車場になっているが,写真掲載多数。工場は右下。

Big River Steel空撮(Googleマップ2)製鉄所の位置。

参考:製鉄所に刻まれたアメリカ鉄鋼業衰退の歩み(2018/10/6)

川端(2023)「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」(日本語原稿)

元論文 Nozomu Kawabata(2023). Evaluating the Technology Path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition, The Japanese Political Economy, 49(2/3), 231-252 

 

2023年10月20日金曜日

グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路(英語論文の日本語原稿を公開)

 論文「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」をThe Japanese Political Economy誌に発表いたしました。日本語原稿を以下で公開していますので、ご利用ください。

https://www2.econ.tohoku.ac.jp/~kawabata/paper/GreensteelAMJapanese.pdf


要旨

本稿は,日本の鉄鋼メーカーが環境に配慮した鉄鋼生産,すなわちグリーンスチールを追求するために選択した技術経路を検証した。この経路は、国際エネルギー機関(IEA),日本政府,公的機関,経済団体,鉄鋼メーカーの文書を分析することによって特定される。分析結果は,高炉・塩基性酸素転炉(BF-BOF)技術を利用する日本の銑鋼一貫メーカーは,グリーンスチールのための技術開発と設備投資で遅れをとっていることを示している。これらの企業は,自社の固定資本の価値や,高級鉄鋼メーカーとしての評判を維持するために,CO2排出量の多い高炉技術に固執してきた。その結果,CO2排出量の少ない電気炉(EAF)方式への移行が遅れ,またゼロエミッションが期待できる水素直接還元法の開発で遅れを取っている。しかし,パリ協定や日本政府によるカーボンニュートラル宣言によって,こうした姿勢の見直しが迫られている。このケースは,環境の政治経済学の理論や,大企業の新技術に対する保守的なアプローチに関する理論が,グリーンテクノロジーの出現の時代にも通用することを物語っている。

 正式の英語版は以下でダウンロードできます(オープンアクセス)

Nozomu Kawabata, Evaluating the Technology path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition, The Japanese Political Economy.
https://doi.org/10.1080/2329194X.2023.2258162



2023年9月28日木曜日

Evaluating the Technology Path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition (Open access)

 My new paper "Evaluating the Technology Path of Japanese Steelmakers in Green Steel Competition" was published on "The Japanese Political Economy" website.
https://doi.org/10.1080/2329194X.2023.2258162

 On October 19, Japan time, the paper became open access.

 新論文「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」オンライン版がJapanese Political Economy誌のサイトで発行されました。

 日本時間10月19日より,この論文はオープンアクセスになりました。

 日本語原稿は以下からダウンロードできます。

川端望「グリーンスチール競争における日本鉄鋼メーカーの技術経路」

28/09/2023投稿
20/10/2023修正



2023年8月14日月曜日

石田光男・上田眞士編著『パナソニックのグローバル経営 仕事と報酬のガバナンス』ミネルヴァ書房,2022年を読んで

 石田光男・上田眞士編著『パナソニックのグローバル経営 仕事と報酬のガバナンス』ミネルヴァ書房,2022年。幸いにも8月9日石田教授・植田教授が臨席される書評会にオンライン参加させていただいた。著者らは,おそるべき詳細な実態調査と600ページにわたる記述を通して,以下のことを論じている。雇用関係の全体像は,仕事のガバナンスと報酬のガバナンス,両者の整合性を論じないと把握できないこと。仕事のガバナンスの描き方が先行研究では弱かったこと。経営過程とはPDCAサイクルに沿った計画の体系として叙述すべきこと。PDCAに基づく運営を,従業員のできる限り下位の層まで関与させながら進めるのが日本の経営の特質であること。

出版社ページ
https://www.minervashobo.co.jp/book/b589600.html



2023年7月8日土曜日

賃上げ定着か,三択ばくち打ちか:2023年後半の経済

 日銀によれば,2023年1-3月期の需給ギャップはマイナス0.34%。つまり,まだ多少の需要不足である(※1)。

 昨年の6月20日に私は,日銀は国債の「日銀が買い支えに失敗すれば不況であり,成功しても,せいぜい高中所得層だけの好況,スタグフレーション,バブルの三択ばくち打ち」に直面していると指摘した(※2)。2022年の後半はコロナの再発によってリベンジ消費が不発に終わり,日本だけが超金融緩和を続けている状況が継続しているため,「ばくち打ち」は今年に持ち越された。現在,国債に対する投機攻撃は落ち着いており,日銀はさしたる抵抗もなく金融緩和を続けているので,「ジレンマ」は収まった。しかし,「ばくち打ち」は続いている。2023年の後半はどうなるだろうか。

 設備投資と消費は回復しており,需給ギャップは縮まりつつある。21世紀突入以来設備投資をためらい続けて日本企業も,DX投資とグリーン投資をしないわけにもいかず,設備投資は拡大している(※3)。また,この夏こそリベンジ消費は盛り上がるかもしれない。この春に名目賃金が20年ぶりくらいに上昇したことも財布のひもを緩める作用を持つ。しかし,コスト・プッシュインフレは電力料金の引き上げなど目に見える形で顕在化している。日銀が超金融緩和を堅持しているために内外金利格差は今後も続くと期待されており,それ故に円安も続いている。それ故に輸入品経由のコストプッシュ・インフレ,購買力流出による需要抑圧効果は続く。現時点でもまだ実質賃金は低下し続けている(※4)。これは当然,財布のひもを締める方向に働く。一方,欧米のインフレ・金利引き上げがなお続いているのに,日本は超金融緩和と円安になっていることで,日本株買いが起こっており,日経平均はうなぎのぼりである。このことは,富裕層には資産効果による消費増をもたらす。

 植田総裁率いる日銀は,おそらく超金融緩和の継続が景気に与えるプラス(株高・資産効果,企業の資金繰り改善,輸出促進)とマイナス(コストプッシュ・インフレによる景気抑圧)を踏まえた上で,プラスの方が大きくなり,今年後半に需給ギャップが解消,ディマンド・プルインフレが起こることを期待している。それをきっかけにイールド・カーブ・コントロール(長期金利抑圧)解消など金融政策の正常化にもっていこうとしているのだろう。そうすれば過度の円安圧力も解消される。

 問題は,賃上げが定着するかどうかである。賃金が上がり続ければ日銀の思惑通りになり,また何よりも日本に住む多くの人が景気回復の利益を享受できるかもしれない。しかし,もし賃上げがしりすぼみに終わって実質賃金が低下し続けるならば,リベンジ消費は高中所得層だけのものに終わるかもしれず,最悪,景気は腰折れして物価高のみが残るかもしれない。あるいは,株高だけが突っ走るバブルとなるおそれもある。

 繰り返すが,必要なのは賃上げ圧力の継続である。それが,当面の間,日本経済にいちばんベターな状態をもたらす。労働組合運動には奮起が求められるし,政府は最低賃金引き上げ,労働基準の厳格適用によるブラック企業根絶が求められる。また,賃上げが日本経済全体のためになるという世論づくりも各方面から必要である。賃上げ圧力がなければ,高中所得層のみが享受できる好況,スタグフレーション,バブルの三択ばくち打ちであることは,昨年と変わらないのである。

※1 「需給ギャップ、近づくプラス圏 日銀の1〜3月期推計」日本経済新聞,2023年7月5日。

※2 「日銀のジレンマもしくはバクチ打ち」Ka-Bataブログ,2023年6月20日。

※3 「設備投資計画、23年度11.8%増 日銀6月短観」日本経済新聞,2023年7月3日。

※4 「5月の実質賃金1.2%減、14カ月連続 基本給28年ぶり伸び」日本経済新聞,2023年7月7日。



2023年7月6日木曜日

超過準備とは財政赤字累積と量的金融緩和の帰結であり,中銀当座預金への付利は,そのコストである:準備預金への付利に関する考察(3)

 1.従来の考察への反省

 私は以前に準備預金への付利に関する考察を2通の投稿によって行い(※12),以下のように結論した。「中銀当座預金への付利とは,中央銀行にとって,銀行に過剰準備保有を促すためのコストであり,それは結局は,ゼロ近傍以下の金利の下で金融政策を行うためのコストであり,国債消化を円滑に進めるためのコストだったのである」。しかし,この結論はいくらか修正を要する。

 中銀当座預金への付利は,「ゼロ近傍以下の金利の下で金融政策を行うためのコストであり,国債消化を円滑に進めるためのコスト」である。これは正しい。しかし,「銀行に過剰準備保有を促すためのコスト」というのは不正確であった。付利は,銀行に超過準備を保有させるために行われているのではない。付利がなくても,銀行全体としては超過準備を持つだろう(※3)。ただ,ゼロ近傍以下に金利を誘導した場合,個々の銀行の行動が予測不能になり,その運用が不確定・不安定になってしまう。これを防止するために金利を付すというのが,実際にリーマン・ショックの際にFRBや日銀が直面した状況であった。つまり正しくは「銀行による超過準備の運用が不確定・不安定にならないためのコスト」なのである。

 このように修正した上で,さらに考察を進める必要がある。そもそも超過準備はなぜ発生するのだろうかという問題である。本稿の目的は,超過準備が発生する根拠を把握し,その上で,中央銀行がそれに付利せざるを得なくなることの意味を考えることである。


2.なぜ中央銀行の方が借り入れを行わねばならないのか--財政赤字の累積

(1)超過準備はなぜ,どのように発生するか

 銀行の超過準備預金運用を安定させるために中央銀行が金利を付さねばならないというのは,言葉を変えると,「銀行が利子を払わないと,安定して預金を集められない状態」だということである。なぜ中央銀行でそのようなことが起きるのだろうか。

 いま財政システムを捨象し,金融システムだけを考えるならば,中央銀行はまずもって銀行にお金を貸す側である。中銀当座預金とは,中央銀行が銀行に信用供与(貸し付け)を行った際に発生する当座預金である(※4)。したがって,そのコントロールは,さしあたり中央銀行による貸し出し利子率を通してコントロールすればよい。しかし,経済規模の拡大とともに中銀当座預金規模も拡大し,また銀行間の資金過不足も顕在化する。そこで銀行間では準備預金の超過・不足分を短期の貸し借りで調節するようになり,ここに短期金融市場が成立する。この短期金融市場での金利調節が中央銀行の任務となる。しかし,そうであっても,金融システムの範囲内では,中央銀行は貸し付ける側だという基本的立場には変わりはない。

 これよりも話を現実に近づけるには,財政システムを考慮する必要がある。現代の資本主義においては,しばしば需要不足による不況が発生する。政府はその対策として,しばしば財政赤字を出して需要を支える。財政赤字を出すということは,たいていの場合,通貨供給量を増やすことを意味する。より正確に言えば,銀行が超過準備預金で国債を引き受けた場合や,その後に中央銀行が買いオペを行った場合,通貨供給量が増える(※5)。とくに,中央銀行が買いオペを行った場合は,銀行全体として超過準備預金も増えていく。銀行が国債を引き受け,その国債を中央銀行が買いあげることで赤字財政が可能になるというこのしくみは,事実上の財政ファイナンスと言ってよい。

 買いオペを行う際に中央銀行が銀行に対して行うのは,信用供与(貸し付け)ではなく信用代位である。つまり,国債を購入することで,銀行に代わって中央政府に対する債権者となるのである。買いオペ超過による事実上の財政ファイナンスを行うと,財政赤字の金額に対応して中銀当座預金も増えていく。そうすれば,その金額が法定準備を超えて,各銀行の超過準備となる可能性は極めて高くなる。つまり,超過準備が発生する根本的な理由は財政赤字なのである。中央銀行から見れば,この超過準備は,中銀の信用供与で発生したものではない。だからこそ,中銀にとってコントロールが難しいのである。


(2)金融調節において超過準備はどのように作用するか:中銀当座預金付利の根拠

 まず,金融緩和の場合である。今日,金融緩和の効果は,金融危機の広がりを抑止する際には有効であるが,景気対策としては先進諸国では限界に達しており,ゼロ近傍への金利誘導をせざるを得ない局面が生じる。ところが短期金利がゼロになると超過準備が不確定・不安定な動きをし,短期金融市場が著しい緩和とマヒのどちらになるかもわからなくなる。それを防ぐために,中央銀行は,超過準備の有利子での運用方法を人為的に設定しなければならない。つまりは,運用してもらうために中央銀行が超過準備を借り入れねばならない。それが超過準備預金への付利である。

 次に金融引き締めの場合である。金融引き締めというのは,短期金利を高め誘導することであるが,今日,中銀の貸し付け金利を操作することではそれは到底なしえない。したがい売りオペレーションを行うか,中銀保有の国債が満期になっても新規購入は行わないという形で引き締めを行うことになる。ところが,金融引き締めに比して財政赤字の縮小には政治的困難が大きく,またそれが可能だとしても実施の速度は遅い。国債は市場に累積したままであって,追加で発行すらされてくる。こうなると,中央銀行は売りオペや満期後の買い替え停止を一定以上の規模では行なえなくなる。国債価格の急落と長期金利の急騰によって,景気の底割れを招くからである。

 国債の信用を毀損せずに金利を高め誘導しようとすれば,中央銀行自身が高い金利を付けて借り入れを行うしかない。それがすなわち超過準備預金金利の引き上げである。

 要するに,財政赤字に起因する超過準備が膨れ上がっている今日においては,中央銀行が金融調節を行おうとすれば,超過準備を自ら借り入れ,その際の金利を指標とせざるを得ないのである。これこそが,中銀当座預金に付利が必要となる根拠である。中央銀行が当座預金に付利せざるを得ないことの根源は,中央政府が財政赤字を恒常化させ,中央銀行が量的緩和による事実上の財政ファイナンスを行っていることにあるのである。


3.中央銀行の業績悪化は,財政赤字累積と財政従属のコストである

(1)結論

 以上の考察に立ってみれば,超過準備とは,財政赤字が恒常化し,中央銀行の財政従属がある程度進んだことの現れである。そして,中銀当座預金への付利とは,財政赤字の隠れたコストと見ることができる。

 現代の成熟した資本主義は,資本主義世界の外延的拡大や技術体系の大転換に恵まれた時期でない限り,需要不足に陥る傾向をもっている。そのため金利は傾向的に低落するが,そこにはゼロという限界がある。したがい,需要創出を恒常的な財政赤字に依存せざるを得ない。そして,中央銀行は国債消化ために中央政府と強調せざるを得ず,短期金融市場での金融緩和に加えて,国債買い上げによる量的金融緩和に踏み込まざるを得なくなる。これは事実上の財政ファイナンスである。

 財政赤字は,完全雇用を実現して需要不足を解消し,市場の失敗を補正して公共財を供給し,経済を活性化させる可能性はあるが,よく知られているようにインフレ,バブル,為替レート下落というリスクも伴う。これらのリスクを管理するためには,必要な際に財政の引き締めや金利の引き上げを行わねばならないが,政治的・行政的な困難から金利の引き上げに手段が偏りがちになる。中央銀行は国債を大量売却することなく金利を引き上げねばならず,中銀当座預金の金利を引き上げることになる。しかし,このことは中央銀行の業績を悪化させる。この利払いや中央銀行の業績悪化は,財政赤字累積と中央銀行の財政従属のコストであり,中央政府による財政赤字コントロールの困難のつけを中央銀行が引き受けるものなのである。

 中央銀行の業績悪化はどこに導くか。このことは以前にも考察したが,政治的要因や金融市場の不安定性を伴うために,一義的に予測することは不可能である。しかし,あまり空想的にならない程度に考えておこう。

 以前に考察したように,原理的には,中央銀行は業績が悪化し,債務超過になってさえもオペレーションを続けることは可能である。しかし,金融市場と政府,議会で全く問題にされないとは考えにくい。まず,多くの国では,中央銀行の収益は中央政府に納付されている。業績悪化は納付金の消滅を意味するので,それ自体が政府財政の赤字要因となる。また中央銀行が債務超過に至るほど業績を悪化させると,信用秩序維持能力への疑義を呼び起こすだろう。しかも,この時,財政赤字はおそらく質的には十分な効果をあげること,つまりインフレなき完全雇用の達成に失敗しており,量的には引き締めが出来ずに歯止めなく膨張している可能性が高い。もともとそのような場合にこそ,インフレ対策として金利引き上げへの依存が起こるからである。

 つまり,中央銀行の業績が悪化する場合には,独立性を持った中央銀行による通貨価値の安定と,財政民主主義による完全雇用,経済成長,公共財供給がいずれも機能していないと疑われる状況が発生すると予想されるのである。これは,赤字財政政策が機能しなかった場合の,一つの負の到達点とみなさざるを得ない。経済学においては,財政政策が失敗した場合のリスクとして,悪性インフレという通貨価値の崩壊が古くから認識されている。しかし,それと並んで,中央銀行の独立性と財政民主主義という制度が破綻の危機に瀕することを,想定しておくべきではないか。

 準備預金金利の引き上げは,ただちに経済危機を引き起こすわけではない。しかし,制度の危機に向かって一歩近づくリスクがあることを認識しておくべきではないだろうか。大風呂敷に過ぎるかもしれないが,問題提起としておきたい。


(2)残された課題

 本稿では準備預金付利に考察対象を絞った。しかし,財政赤字に起因する通貨膨張が金融調節に際して中銀にコストとリスクを課す経路は,他にもあると考えられる。例えば,2022年から2023年にかけて急速に膨張した米国のリバース・レポ取引の金利にもそのように考えるべき根拠はある。しかし,こちらは銀行の信用創造とは別に,証券金融による金融仲介が発達したこととも関係しており,財政赤字にのみ出発点を求めることは適当ではないかもしれない。別の機会に論じたい。


※1 「日銀の業績が悪化するとどのような問題が起こるか:準備預金への付利に関する考察(1)」Ka-Bataブログ,2022年11月16日。


※2 「超過準備維持・金融緩和・国債消化:準備預金への付利に関する考察(2)」Ka-Bataブログ,2022年11月19日。


※3 中銀当座預金が無利子であっても,銀行全体が,自分のポートフォリオ選択によって超過準備を持たなくなることはありえない。ある銀行が,利子のつかない超過準備預金A円を持つことを嫌って別の資産での運用を図るとしようすると,当該資産の売り先にA円が振り込まれ,売り先の取引銀行が持つ準備預金がA円増える。預金が引き出されて現金になることはあるが,銀行セクター全体としての「準備預金+手持ち現金」は増減しないのである。各銀行のポジションの違いにより超過準備とみなされる部分は増減し得るが,銀行セクター全体としての変動幅は一定範囲に収まるだろう。

※4 ここでは金融システムを通した貨幣供給を内生的に理解している。発券集中を伴う管理通貨制において,政府財政を捨象して金融システムのみを考察するならば,預金貨幣は銀行が信用供与したことによって発生するものであり,中央銀行当座預金は中央銀行が信用供与したことによって発生するものである。中央銀行券とは,預金貨幣の一部,またそれと同額の中央銀行当座預金の一部が引出されることによってのみ発行される。

※5 ここでは信用貨幣論に基づいて,財政赤字を政府による自己宛て債務の発行,すなわち通貨供給量(マネーストック)の増大と理解している。国債を銀行が超過準備で引き受けた場合や中央銀行が事後に買い取った場合は,この増大は相殺されないので通貨供給量は増えたままになる。対して,証券会社や法人企業,家計などが買い取った場合には,それによるマネーストック減が,財政赤字によるマネーストック増を相殺する。


2023年7月2日日曜日

合計特殊出生率の定義について

 合計特殊出生率={母の年齢階級別出生数/年齢階級別女性人口}15 歳から 49 歳までの合計

なのだが,厚労省では「出生数」と「女性人口」を日本国籍者で数えるため,

父=日本人,母=外国人,子=日本人

だと母が分母に入らないのに子は分子に入るので合計特殊出生率が上振れするのはどうなんだ,と報じられている

確かにおかしいが,何が問題かと言えば

*国際比較できるように
*普通に統計として使えるように

の二つだろう。

 まず,合計特殊出生率統計は国際比較に使うので,他国ではどう定義していることが多いのかを知りたい。いまざっとOECD, WHO, 世界銀行のページを見たが,定義の紹介のところではわからなかった。詳しくチェックする必要がある。

 「日本経済」と人口という観点では,

・日本に居住する女性(外国人含む)が日本に居住する子(外国人含む)を産む率

を算出して欲しい。というか,そうしてくれないと日本経済と人口の関係を正しく論じられない。

 もし「日本人の再生産」の度合いをみたいのだとしても,それはやはり厚労省の定義ではダメであって,

2)外国居住を含む日本人と,外国人居住を含む日本国籍をもつ子の比率

をとって適当な名称を付けるしかない。1)と2)の関係はGDP(国内総生産)とGNP(国民総生産)の違いに似ている。ただし,2)の数値は人口だけからは産出できず,在留邦人を含めて調査しなければならない。人口とは,日本国内に居住する人だからだ。また,「子を産む行為」と厳密な関係はなくなり,まったく社会的な再生産の指標となるから「女性が子を産む比率」と定義してはならない。冒頭で述べたように,父が日本人,母が外国人の場合があるからだ。

「合計特殊出生率 実態は公表値よりもっと低かった…専門家が「信じられない」統計手法とは」東京新聞TOKYO Web,2023年7月2日。

2023年6月23日金曜日

現在の日本では,まず賃金を引き上げることが生産性向上につながる

 日本経済に成長と分配,消費と投資の好循環を作り出す方策が様々に議論されている。その際,賃金上昇のためには,まず企業成長,まず投資が必要だという議論には注意しなければならない(※)。

 長期的に見て,日本経済の生産性を向上させて成長の天井を上げ,生活を豊かにするための原資を作り出すことには何ら異存はない。しかし,この2023年度の日本の状況に即してみるならば,まず生産性を向上させようという議論には賛成できない。まず賃金を上げ,賃金の上がりにくい非正規の労働市場を改革すべきである。

 第一に,賃金が上がらない限り,企業は本気で生産性を引き上げようとしないだろう。経済学者の好きな言葉で言えばインセンティブの問題である。経営者は,賃金コストが低くはないが予測可能な正社員に長時間労働をさせ,足りない分は賃金コストの低い非正規労働者の数を調節し,自分の任期の間は業績が何とかなるのであれば,生産性向上を必死に行うことなどない。経営者に生産性を向上させるしかないと思わせるのは,何と言っても賃金コストの上昇である。

 第二に,仮に何らかの理由で生産性が向上したとして,それだけでは日本経済は活性化しないだろう。生産性向上は人材育成に志のある一部の企業以外では賃金上昇に結びつかず,企業利潤の増加に帰結するだろう。そして,企業利潤は国内に投資されず,海外投資か,M&Aか,自社株買いか,金融資産購入に充てられるであろう。なぜそう言えるのかというと,現に21世紀に入ってからずっとそうだったからである。一部の企業を除き,日本企業は,誰かから圧力を受けない限り賃上げをしない。2023年春は,政府から圧力を受けたから少し上げたのであるが,物価上昇率に追いついていない。大まかに言って,他のOECD諸国では,種々問題を抱えながらもそれなりに賃金が上がっているのだが,日本とイタリアでは21世紀になってまるで賃金が上昇していないのだ。それは自社の当面の利益にはかなうのであるが,国内消費が停滞したままだという経営者自身の見通しに跳ね返る。だから利益が上がっても国内の実物資産にも人的資本にも投資しない。死に金である。この死に金状態を打破する最大の契機は賃金の持続的上昇であり,それによって国内消費が拡大し,新規投資の期待利益の水準と確実性が高まることなのである。

 したがい,企業支援のあれこれの方策ではなく,賃上げと非正規雇用の処遇改善こそ,日本経済を救い,生産性を向上させる道であり,少なくともその必要条件である。労働基準の順守,最低賃金の引き上げ,非正規雇用の慣行改革(例えばジョブ型正社員への誘導)こそが,実は生産性を上げるのである。

 リベラルや左派は,労働組合運動を強化すること,賃金を上げること,労働基準を守ること,労働法制や雇用慣行を改善することに,もっと力の大きな部分を注がねばならない。新しい社会的課題も様々にある。しかし,この古典的な課題こそ,現代日本では新たな形で切実化している重要課題なのである。

 なお,岸田首相が「構造的な賃上げ」を目指して「リスキリング(学び直し)、日本型職務給の導入、成長分野への円滑な労働移動」を提唱していることには,また別の注意が必要である。これらの政策については,改めて考えたい。

 画像は講義資料であり,マクロ経済学で好循環とされるものが,日本では賃金引き上げのところで止まってしまっており,まず賃金を上げることが肝心だと強調したものである。


※たとえば,以下の議論

千賀達朗「成長力を取り戻す(下)企業の成長可能性最大限に」『日本経済新聞』2023年6月21日より。「分配のための原資を稼ぎ出す成長が重要なことは言うまでもない。」


宮川努「投資起点の好循環を目指せ 成長力を取り戻す」『日本経済新聞』2023年6月19日より。「需要面に着目した強化策は、結果的に起点となる賃金上昇がなかなか実現せず、供給サイドの脆弱性が放置されたままになった。これに対し20年代は、まずは投資を起点とした好循環を考えるべきだろう。」






2023年1月20日金曜日

なぜ,まず賃上げをしなければならないか。まず生産性を上げようという発想のどこがまずいのか

 まず付加価値生産性を高めて賃金原資をつくり出して賃上げしよう,そのことに政策の重点を置こうという意見は根強い。この記事で奥平寛子氏が述べるのも,その一つのバージョンだ。氏は言われる。「労働市場の流動化がすぐには進まないことを前提とすると、成長分野での資本蓄積やイノベーションを促す投資減税などの政策が求められる。労働者あたりの付加価値が増えれば実質的な賃上げが進むだろう。」


 だが,21世紀に入ってからの20年余り,何が起こって来たのかをよく考えよう。異次元とか超のつくほど金融は緩和されてきた。研究開発減税も行われた来た。企業の売上高経常利益率はバブル以前に劣らない水準だ。日本全体としてみれば,企業は,投資のもとでとなる資金を入手するのは容易だったのだ。しかし,実物資産への設備投資は増えなかった。企業の資産に占める有形固定資産の割合は低下し,現預金や子会社・関連会社株式の割合が増えた。経営者は,日本国内で消費が伸びそうもないことを強く認識していたからだ。消費が伸びないのは,中低所得者の賃金が全く伸びないからであり,またそれでも老後の不安から予備的動機で貯蓄してしまうからである。企業はもうかっても生産能力を拡大する純投資は手控えたままだった。純投資を行たのは海外直接投資においてであった。国内で盛んに行われたのは子会社・関連会社の再編であり,端的に相対的に伸びている分野に自社の所有・支配権を移していくことだった。


 この状態では,まずやるべきは生産性向上ではない。生産性向上は長い目で見て必要であるが,そのためにまずやるべきは,企業にお金を与えることではない。それでは,決して設備投資は増えない。現に20年余り増えなかったのである。まず最初に,個人がお金を今よりも使えるようにしなければならない。そうしなければ消費は増えず,国内消費が増えなければ投資も増えない。所得が増えれば増えた分だけ消費を増やすのは中低所得者である。なので,広範な非正規労働者を包摂するように,中低所得者の賃金を引き上げることを,「まず最初に」やるべきだ。それによって,生産性を上げなければ経営が成り立たないという危機感を経営者に与えることが,長い目で見ても有効だろう。

奥平寛子「賃上げへ生産効率向上カギ インフレの先にあるもの」日本経済新聞2023年1月18日。

2023年1月6日金曜日

黒木亮『兜町の男:清水一行と日本経済の80年』毎日新聞出版,2022年を読んで

  黒木亮『兜町の男:清水一行と日本経済の80年』毎日新聞出版,2022年。経済小説家・清水一行の生涯を描くノンフィクションである。清水氏は,今では2世代位前の経済小説家というところだろうか。学生時代に,指導教官の金田重喜教授が,世の中は欲望と怨念で成り立っていると知ることができると推奨していたことを覚えている。だが,結局私は日本の経済小説は今世紀になってから読むようになり,池井戸潤氏や,本書の著者黒木氏のものになじみがある一方,清水氏のものはほとんど読んでいない。酒と女と飲み屋とバーとホテルと総会屋と組織への忠誠心の世界は,松本清張氏で腹いっぱいであるからかもしれない。

 そうした事情もあり,本書は私には,清水氏の波乱に満ちた生涯がひととおりわかる,清水一行入門として面白く読めた。しかし,黒木氏のタッチはあまりにも淡々としており,作者の視点はほとんど記述に現れない。黒木氏が清水氏をどのようにとらえているのか,よくわからなかった。以前,川崎製鉄の西山弥太郎社長を描いた『鉄のあけぼの』を読んだ時も同じように思った。私に黒木氏の叙述を深く読む力ないのか,黒木氏が,ノンフィクションとは事実経過を淡々と描くものだと考えているかの,どちらかだろう。しかし,ノンフィクションも,対象となる事実をどう選び,どう書くかが問われるものではないだろうか。

 それでも,日本共産党との出会いと別れは比較的明瞭な筆致で描かれている。五十年問題総括の過程での日本共産党の側の自己批判書や,1990年代の松本善明氏の訪問をめぐる記述は、清水氏のこの党への思いの振幅を感じさせるものだ。他方,清水氏が経済小説に求めたものは何であったのか,清水氏は,労働運動では見つけられなかった何を,その対極とも言えるビジネスの世界に見つけたのかが,もう一つ伝わって来ない。また,甲山事件の捜査を題材にした小説をめぐって,同事件の原告の支援者たちから訴訟を起こされ,敗訴したことについても,清水氏が何を守ろうとしたのかが,もう一つ明らかにならない。

 繰り返すが,本書は「清水一行入門」として役に立つ。作者の乾いた描き方は,やはり清水氏の小説も読んで自分で確かめてみようと思わせてくれる分にはいい。しかし,本書には清水氏の姿はあっても,これを描く黒木氏の姿が見えなさすぎることが,いささか残念であった。

出版社サイト
https://mainichibooks.com/books/social/80-2.html



2022年12月14日水曜日

論文「活動単位としてのタイミング・コントローラー成立の諸条件 -スパイラル鋼管の事例から-」の公表に寄せて:岡本博公先生に

 「活動単位としてのタイミング・コントローラー成立の諸条件 -スパイラル鋼管の事例から-」所収の『社会科学』52巻3号が発行され,同志社大学学術リポジトリに掲載されました。

 本稿は昨年10月に亡くなられた岡本博公先生に捧げられます。私の鉄鋼業研究は,岡本先生の『現代鉄鋼企業の類型分析』を導きの糸としています。また,私のゼミ修了生の研究者のうち,Mohammed Ziaul Haider さん(Khulna University),章胤杰さん(上海外国語大学),Nguyen Kim Nganさん(東北大学)は先生の2冊目の著作『現代企業の生・販統合』に理論構成の一部を,銀迪さん(東北大学ポスドク)は『現代鉄鋼企業の類型分析』に多くを負っています。岡本先生は,いつも私の論稿に鋭いコメントをくださり,私を励ましてくださいました。本稿の草稿にも亡くなられる数日前にメールでコメントを寄せて,事業所論(活動単位論)を再興することを支持してくださいました。

 本稿はささやかなものですが,岡本先生が提起された事業所ー企業ー産業の三層分析を損なわず,理論的・実証的に豊かにすることに少しでも役立ていればと思います。


「活動単位としてのタイミング・コントローラー成立の諸条件 -スパイラル鋼管の事例から-」『社会科学』52(3),同志社大学人文科学研究所,2022年11月,1-22

1 問題の所在
 1.1 目的と課題
 1.2 先行研究の検討
  1.2.1 原点:チャンドラーとウィリアムソン
  1.2.2 事業システム研究:事業所論の独自性
 1.3 分析枠組みの設定
 1.4 事例選択と方法

2 スパイラル鋼管の事例分析
 2.1 スパイラル鋼管の用途と製造方法
 2.2 AJ社のケース
 2.3 AV社のケース
 2.4 考察

3 結論と残された課題



2022年12月13日火曜日

中小企業には債務減免の条件として賃上げを求めてはどうか

 金融政策をめぐる議論は,ねじれが避けがたい状況になっている。

 「異次元金融緩和」の「異次元」の部分(マイナス金利,ETF購入,イールドカーブコントロール)は景気刺激効果もなく,いたずらに円安・輸入物価上昇を引き起こすばかりなのでやめるべきだが,景気が弱い以上「金融緩和」を止めるわけには行かない。このことは以前も述べた

 ここにさらに加わるのが,「ゼロゼロ融資」,すなわち無利子・無担保の「新型コロナウイルス感染症緊急特別融資」終了による中小企業の資金難である。コロナ対策の行動規制が再導入されないと見通されるいま,ゼロゼロ融資は終了するのが筋である。しかし,問題はゼロゼロ融資を運転資金として費消してしまい,無利子であっても返済困難な中小企業が増えつつあることだ。それは,昨年よりも今年の方が企業倒産が多いことに表現されている。これを放置すればさらに景気をぐずつかせる恐れがある。

 こうして,金融緩和はジレンマに入っている。このジレンマのおおもとは,政府・日銀が,「異次元金融緩和でインフレ期待を高めれば景気が回復する」と言うブードゥーエコノミクスによりかかり続けている結果である。その責任は追及すべきであるが,政府と日銀を責めるだけでは現実は変わらない。日本経済は,金融緩和がなければ生きられない事業によって雇用を支える脆弱な状態である。しかし,いつまでたっても景気が回復せず,コロナ禍という自己責任外のショックにも見舞われた以上,「ゾンビ企業は退治せよ」とばかりに金利を引き上げることは確かに公平ではないし,景気をさらにぐずつかせるおそれがある。

 政府は債務減免を含めた事業再生支援措置を講じるそうだ。それは一つのもっともな策だが,その場しのぎで,日本の企業体質をさらに弱める結果となる危険も高い。私はここで,ジレンマを緩和する暫定措置を提案したい。

 実は「異次元の金融緩和」がもたらしたジレンマを解消はできなくても緩和する措置はある。賃上げである。賃金が上がれば,物価は自然と引き上がり,企業の生産は自然と拡大する。それによって,金利の適度な引き上げも可能になるのである。

 インフレがひどくなるではないかと言う意見があるかもしれないが,ここでは2種類のインフレを区別する必要がある。現在,日本ではコスト・プッシュ・インフレが昂進しており,国民生活を苦境に追いやっている。これは世界の多くの国と同じである。しかし,日本では,賃金が異常に上がらないが故に,ディマンド・プル・インフレが起こらなさすぎていて,そのことが景気をだらだらと弱いままにしている。コスト・プッシュ・インフレは沈静化させるべきだが,賃金は引き上げてゆるやかなディマンド・プル・インフレ,すなわち賃金上昇と物価上昇のゆるやかな相互作用は起こすことが望ましい。それによって企業の生産と投資も拡大し,雇用が生まれるからであり,賃上げを受け止めてこそ,企業はイノベーションを追求せざるを得なくなって競争力を持つからである。

 ここで私の提案は,中小企業支援に際して提出を求める事業再生プランに,賃金引き上げを必須条件として含めることである。賃上げを行うことができるか,少なくともそれを目指すプランを提出できる中小企業こそ,公的支援に値する。なぜなら,賃上げこそが日本経済全体の利益だからである。

 もちろん賃上げへのコミットは企業にとってコスト増になるが,その分を含めて債務の減免等の支援を厚くすればよい。もちろん,一時的に引き上げた賃金をまたすぐ下げるのでは困るので,今後とも引き上げられた賃金を支払えるような事業再生計画を求めるのである。これによって,公的支出を確実に賃上げに結びつけて,家計消費から景気回復を図ることができる。また,この方式ならば,中小企業の経営意欲を損なわず,コストを過度に引き上げず,経営の意思決定に過度に介入せずに実施することも可能だ。絶対に認めてはならないのは,これとは逆に,賃下げ,雇用の非正規化を再生計画に加えることである。賃下げしないと生き残れない企業に公的支援を与えてはならない。

 この方策は,問題のすべてを解決するわけではないが,単純に債務減免を行うよりはましな結果を残せると思う。

<参照>
大矢博之「国がゼロゼロ融資の債務減免「令和の徳政令」実施へ、救われる企業の「ボーダーライン」は?」DIAMOND ONLINE,2022年11月1日。

2022年11月27日日曜日

21世紀日本における軍事費の紆余曲折:山田朗氏作成の表を読む

  山田朗「自衛隊はどう変わりつつあるのか」『経済』2022年12月号が45ページに「日本の軍事費(1995-2022年)」と言う表を掲げている。これを見て、21世紀日本の軍事費が意外な動きをしていることに気が付いた。そして、現在の「GDP2%」という自民党の軍事費拡張路線が、財政構造を一気に変えようとするものであることが明らかになった。以下、数字をただ読んだだけであるが、「Kaコメ」は私なりの解釈であり。素晴らしい表を作成してくださった山田氏に感謝する。なお、本ブログの趣旨は山田氏自身の解釈と同一ではないかもしれないが,さほど違いもしないだろうと予想する。

 なお、ここで言う軍事費の定義は、防衛本庁・防衛施設庁・安全保障会議の当初予算合計額である(2を除く)。

 用いる指標は軍事費の絶対額、対歳出比率、対前年度比伸び率、対GDP比率である。

1.「GDP比1%枠」は維持されていた

*「1%枠」は1976年に三木内閣によって設定され、1987年に中曽根内閣によって廃止された。しかし、結局1%枠は生き続け、21世紀になってからも1%を超えたのは2002年度だけであった。

*Kaコメ:世論や対アジア諸国外交、他用途の圧迫を考慮すると、自民党政権と言えど安倍政権と言えど、これまで1%を守らざるを得なかったのだ。

2.世界の軍事費ランキングで日本は大きく下がった

*この統計だけは、垣内亮ほか「『軍事費2倍化』は何をもたらすか」『経済』2022年12月号、17ページを参照した。したがって軍事費の定義もストックホルム国際平和研究所のものであり、他の項目と異なっている。

*同研究所の基準で見た軍事費の世界ランキングにおいて、1995年に日本は2位だった(1位はアメリカ)。それが2021年には9位に下がった。2-8位は中国、インド、イギリス、ロシア、フランス、ドイツ、サウジアラビアだった。

*Kaコメ:なぜこんなに順位が下がったのかと言うと、「GDP比1%」枠を守ったからである。「1%枠」を守ると、日本のGDPは1990年代後半以降ほとんど成長しなかったので、軍事費も増加しようがなかった。他の上位国はそれぞれの事情で軍事費を増やしたために追い抜かれたのである。身もフタもない話である。

3.小泉内閣から安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田内閣まで軍事費は減り続けていた。

*2003年度から2012年度まで10年間連続で軍事費の絶対額は減り続けていた。

*対歳出比率も多少上下しながら小泉内閣前年度の2000年度:5.79%→2012年度5.14%と低下した。

*対GDP比率も2000年度:0.99%→2012年度:0.97%と低下した。

*Kaコメ:率直に驚いた。これほど連続して減額されているとは思っていなかったからだ。この時期の前半は、小泉構造改革期であり、小泉内閣がバカ正直にマイナスシーリングを軍事費にも適用したことが大きいと思われる。その後も歳出抑制傾向は続き、拡張される場合もリーマン・ショック対応など軍事以外を優先したのだと思われる。

4.安倍内閣期に軍事費は増えたが、対歳出比率や対GDP比は低下した

*2013年度から2020年度まで軍事費は毎年増え続け、とくに2014年度は2.21%と1996年度以来の増加率となった。

*しかし、対歳出比率は安倍内閣直前の2012年度:5.14%→2020年度:5.02%と低下した。

*対GDP比率も2012年度:0.97%→2020年度:0.89%まで低下した。

*Kaコメ:これも意外なことであった。安倍内閣は安全保障関連法制の整備など、制度的に日本が戦争に関与できる範囲を広げ、軍事費の絶対額も増額に転じさせたが、実は軍事費が予算や日本経済に占める地位を引き上げることはできなかったのだ。

5.菅内閣・これまでの岸田内閣は短期なので何とも言いにくいが、安倍政権を継承したものの、もっぱらコロナの影響で多少の変化があった。

*軍事費絶対額は引き続き、2021年度、2022年度とも1.08%増えた。

*対歳出比率は、安倍政権最後の年の2020年度:5.02%→2022年度:4.81%と低下した。

*一方、対GDP比率は2022年度:0.89%→2022年度:0.92%と上昇した。

*Kaコメ:コロナ禍でGDP自体が縮小したために対GDP比率が引き上がる一方で、コロナ対策のために歳出を拡大したために、軍事費の対歳出比率が下がったのだと考えられる。

6.まとめのKaコメ

 以上のように、21世紀の軍事費は、紆余曲折をたどってきた。これまでの20年間は、自民党政権も民主党政権も、軍事費を優先的に扱って来たとは言えない。何よりも「GDP比1%枠」が軍事費の頭を押さえつけていたことがわかる。だからこそ、自民党はここを突破点とし、一気に「5年以内に対GDP比2%」に持っていこうとしているのだろう。5年で対GDPを2倍にするというのは、GDP成長率を毎年1%として,これから毎年度約18 %軍事費を増やすことを意味する(※)。過去のトレンドに照らしてみると、いかに突拍子もない質的転換を目指すものであるかがわかる。

※GDPが5年間毎年1%だけ成長するものとする。すると5年後にはGDPは現在の1.05倍になっている。2022年度の軍事費はGDP比0.92%なので,現在の0.92%から5年後の2%への増額には軍事費が2.28倍になる必要がある。そうすると,毎年度17.9-18.0%の伸びが必要である。

『経済』2022年12月号。

*2022年11月29日。今後の毎年度の軍事費増加率計算の仮定と結果を修正し,計算履歴を付記。

2022年11月19日土曜日

超過準備維持・金融緩和・国債消化:準備預金への付利に関する考察(2)

1.問題の所在

 前稿では,金利を引き上げると,日銀から日銀当座預金への利払いが増え,場合によっては赤字や債務超過もありうること,日銀は債務超過になっても円建てである限りデフォルトを起こすことはなく営業を継続できるが,信用秩序維持能力の喪失を疑われることはありうること,債務超過を放置できずに政府が補填した場合に,政府・議会からの介入圧力が生じることを述べた。

 本稿は,一歩考察を勧めて,中央銀行当座預金への付利という手法の本質を考察したい。そもそもなぜ,日銀当座預金への利息が問題となりうるのだろうか。日銀当座預金への付利とは,金融システムの抱えるどのような特徴や問題点の表れであり,どのような機能を果たすものなのだろうか。

2.準備預金への利息付与の経過

 準備預金でもある中銀当座預金は,もともと利息が付されてないものであり,またそれが望ましいとされていた(小栗,2017,p. 104)。準備預金は,支払準備のために銀行が積むべきものだったからである。しかし,アメリカと日本では,超過準備への付利がリーマン・ショックの時に始まった(ただし欧州中央銀行❲ECB❳では1999年から準備預金全体に利息が付いていた)。その直接の動機は,金融危機の下で銀行の手元に十分な支払準備を確保すると同時に,中央銀行が短期金利に対するコントロールを失わないようにするためであった。

 リーマン・ショックに際して,各国中銀は緊急融資や債券買い上げによって銀行に豊富な準備を供給した。経済全体にも豊富な流動性が供給されるようにするためである。すると,銀行は超過準備を持つことになり,貸し出し余力をつける。資金ショートの心配はなくなる一方,超過準備に利子がつかないために,そのままでは収益性が低下する。この時,銀行行動は不確定になり,その影響でインターバンク市場が不安定になる。銀行からの資金放出がまったく不活発になって,いざ資金を必要とする銀行が調達不可能になるかもしれない。逆に,資金が大量に放出されて過剰な緩和が生じるかもしれない。各国中銀が超過準備または中銀当座預金に利息を付したのは,直接には,この状況をコントロールするためであった。これらは,ベン・バーナンキや白川方明によって証言されている(白川,2018;バーナンキ,2015,pp. 76-77)。

3.準備預金付利継続の論理(1)長期停滞の下での緩和基調の維持

 しかし,制度の導入時の動機と,その制度が存続して果たしている役割は異なるものである。その後,金融危機が去ってからも超過準備預金への付利は継続されてきた。危機から脱出した後は,中央銀行は超過準備を売りオペレーションによって吸収してもよかったはずである。しかし,結局これが徹底されることはなかった。アメリカで「QEの終了」が言われても,超過準備の徹底吸収がめざされた気配はないし,議論だけで「金融緩和の出口」が目指されてもいない日本ではなおさらである。それはなぜか。

 第一に,リーマン・ショック後も,金融緩和を継続せざるをえないほど,先進諸国において経済の長期停滞が明確だったからである。黒田総裁就任以後に意図的に緩和を行った日本だけでなく,アメリカもヨーロッパも,とても超過準備を吸収しきるほどの金融引き締めを行えなかった。先進資本主義諸国の経済停滞により,各国中銀が金融緩和基調を維持せざるを得なかったこと。これが超過準備の存続の根本理由と思われる。

 金融緩和,もっと言えばゼロ金利と超過準備の維持は両輪の関係にある。もし短期金融市場に十分なプラス金利があって,中銀当座預金に利息が付かないのであれば,銀行は超過準備を保有する動機を持たない(横山,2015,pp.126-131)。資金運用の機会を失うだけだからである。しかし,金利がゼロになれば別である。銀行にとって,超過準備を保有することと,インターバンク市場に放出することが無差別になるからである。しかし,それでは先に述べたように,インターバンク市場が不安定になる。そこで中央銀行は,超過準備,または中銀当座預金全体にかすかに付利することによって,超過準備保有のインセンティブを銀行に与え続けているのである。金融危機ではないときにも,程度はとにかく質的には危機と同様にゼロ近傍の金利を保ち,超過準備保有を銀行に促さざるを得ないほどの長期停滞が生じていたこと。これが,中銀当座預金への付利が継続した経済的背景である。

4.準備預金付利継続の論理(2)国債消化の円滑化

 第二に,国債消化を支え,財政の赤字運営を円滑化するためである。これは,政策当局が目的意識的に行っているかどうかは明確ではないが,事実上そのような経済的機能を果たしているということである。

 ヨーロッパでは国毎にある程度事情が異なるとはいえ,先進諸国政府は21世紀に入ってから財政を赤字基調として,国債による資金調達を行ってきた。これもつまるところは,経済の長期停滞に対処せざるを得なかったからである。

 国債発行による資金調達は,中銀に口座を持つ預金取扱金融機関によって購入される限り,マネーストックを吸収しない(最終的に個人や生命保険会社などが購入する場合は吸収する)。というのは,国債は超過準備によって購入されるからである。一方,政府が赤字支出を行うとマネーストックは増大し,それは銀行預金の純増と,それを反映した中銀当座預金の増加に反映される。なので,国債発行による財政支出では,マネーストックは増大し,銀行全体を通しては超過準備はプラスマイナスゼロとなる(※1)。

 ここで,超過準備はもともと中央銀行によって供給されるものである。そして,国債購入と政府支出の過程で一時的な短期金融市場の引き締まりが起これば,やはり中央銀行が買いオペを行って対抗するだろう。また,中央銀行がさらなる金融緩和を意図する場合や,銀行にとって国債購入が魅力的でない場合には,事後に中銀が買いオペレーションを行うことになるだろう。この場合は,金融緩和と事実上の財政ファイナンスが同時に行われる。超過準備はさらに積みあがるが,ここに利息が付されていれば,銀行はこれを保持し続ける。そして,超過準備の金利を上回る貸し出しを求めて行動することになる。

 このように,国債消化を円滑化すること,具体的には金融を引き締めず,場合によっては一層緩和し,事実上の財政ファイナンスを行いながら赤字財政を実行させることに,超過準備が大いに貢献している。超過準備は,いわば国債を引き受けるためのクッションである。その厚みは,国債を引き受けたことで減少するが,財政支出によって回復する。一層の金融緩和が意図される場合や,国債の魅力に疑念がある場合には,中央銀行が買いオペを行うことで,クッションには一層厚みが出るのである。

5.結論と残された課題

 以上,中銀当座預金への付利とは,直接にはゼロ近傍の金利の下で銀行に過剰準備の保有を促すためものであった。中央銀行がそのような政策に出ることを後押ししたのは,先進資本主義諸国の長期停滞という事態であった。長期停滞のもとで伝統的な金利操作は通用しなくなり,また財政は赤字基調とならざるを得なくなった。この二つの条件の下で,金融緩和を有効に行うための手段として,また国債の円滑な消化の手段として用いられたのが過剰準備だったのである。

 したがって,中銀当座預金への付利とは,中央銀行にとって,銀行に過剰準備保有を促すためのコストであり,それは結局は,ゼロ近傍以下の金利の下で金融政策を行うためのコストであり,国債消化を円滑に進めるためのコストだったのである。これが,付利された中銀当座預金の累積の背後にある経済の実態であり,またこの利払いというコストの本質である。

 次に検討すべきは,このコストが,中央銀行と金融・財政システムの運営にとって支払に値するものであったのか,すなわち中銀当座預金への付利は,金融政策と財政政策を有効に作動させたのか,金融・財政政策を作動させるという便益に見合うコストであったのか,ということである。稿を改めたい。


※1 この理解は通説と異なり,国債発行がカネのクラウディング・アウトを起こさないとするものである。川端(2019.9.5)を参照。

<前稿>

川端望(2022.11.16)「日銀の業績が悪化するとどのような問題が起こるか:準備預金への付利に関する考察(1)」Ka-Bataブログ(https://riversidehope.blogspot.com/2022/11/blog-post.html)。

<続稿>

川端望(2023.7.6)「超過準備とは財政赤字累積と量的金融緩和の帰結であり,中銀当座預金への付利は,そのコストである:準備預金への付利に関する考察(3)」Ka-Bataブログ(https://riversidehope.blogspot.com/2023/07/blog-post_6.html)。


<参照文献>

小栗誠治(2017)「中央銀行の債務構造と財務の健全性:銀行券,準備預金および自己資本」『彦根論叢』414,98-113(https://www.econ.shiga-u.ac.jp/ebr/Ronso-414oguri.pdf)。
川端望(2019.9.5)「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(2):財政赤字によるカネのクラウディング・アウトは起こらない」Ka-Bataブログ( https://riversidehope.blogspot.com/2019/09/lmmt_5.html )。
白川方明(2018)『中央銀行:セントラル・バンカーの経験した39年』東洋経済新報社。
横山昭雄(2015)『真説 経済・金融の仕組み』日本評論社。
バーナンキ,ベン(小此木潔訳)(2015)『危機と決断 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録(下)』角川書店。


2022年11月16日水曜日

日銀の業績が悪化するとどのような問題が起こるか:準備預金への付利に関する考察(1)

 1.「金融緩和の出口」における日銀の業績悪化とはどういうことか

 2022年現在,日本以外の先進諸国はインフレ抑制を掲げて金利を引き上げつつある。金融緩和を継続する日本銀行についても,出口戦略の在り方が問われている。かねてより日本銀行については,利上げを行うと日銀の業績が悪化し,債務超過もありうるのではないかという問いが提出され,そうした事態が生じる可能性や,それが金融秩序に深刻な脅威となるか否かについて,いわゆる「出口戦略」として議論が行われてきた。

 この問い自体については,すでにいくつかの意見が提出されている。野口(2022.6.23)中里(2022.10.11)木内(2022.11.2)などである。また学術的な検討しては,小栗(2017)等によってなされている。これらをまとめると,以下のような共通の理解が得られる。結局のところ日銀の業績悪化が債務超過に至るかどうかは,利上げの幅次第である。業績悪化をもたらす要因として国債等の資産価格の下落と,超過準備への利払いの拡大が挙げられる。どちらかというと,業績悪化の直接要因となりうるのは後者の方である。国債については,日銀が長期保有するために,直接の損失減となる可能性は低いが,超過準備への付利は,金利引き上げとともに確実に日銀の支払いを増やすからである。ただし,日銀は債務超過になっても円建てである限りデフォルトを起こすことはなくオペレーションを継続できることは,論者の間で見解が一致している。問題は,その時に信用秩序維持能力の喪失を疑われて,円や国債への売り攻撃を招くことがあるかどうかであろう。

2.信用秩序への疑念は,中央銀行の在り方への疑念をも呼び起こす

 ここからは私見であるが,私は日銀が信用秩序維持能力を疑われることはありうるし,それは単に市場心理の問題ではなく,根拠のあることだと考える。それは半官半民の存在であり,また通貨価値維持のために中央政府からの一定の独立性を持つべきとされているという,中央銀行の独特な性質に関係する。

 いま,日銀が債務超過になるほど準備預金へ利払いを迫られるとしよう。日銀は円については支払い不能にならないので,日銀当座預金口座にお金を振り込んで利子を支払うだろう。さらに,銀行が超過準備に対する利子を得たとして,それをさらに超過準備に積み増した場合,利子が利子を生む結果となり,さらに日銀は当座預金を積み増さねばならないかもしれない。債務超過になっても利払いを続ける日銀は,株式会社という観点から言えば不健全であり,経営規律を失っているとみなされる恐れがある。また公的機関としてみれば,日銀の財務的都合だけのためにマネタリーベースを追加供給して銀行の利益に奉仕する状態となっており,有効な金融引き締めを行っているのかどうかを疑われかねない。

 債務超過の日銀をそのまま放置してオペレーションを継続させることは,理論上は可能だし,おそらく日本では法律上も可能である。決算を財務省が承認することも妨げられていない(衆議院議員藤岡隆雄君提出日本銀行が債務超過になった場合の日本銀行法第八条の出資の扱い等に関する質問に対する答弁書,2022年6月24日)。その上,現行の日銀法は政府による日銀の損失補填を禁じてしまっている(旧法では逆で,補填義務があった)。しかし,放置すれば上記の要因により金融不安が高まるかもしれない。さりとて,例外的に交付国債などによる補填を行えば,財政負担が生じるとともに,国会が日銀の在り方について発言する資格があるとみなされるだろう。すると,日銀の独立性は縮減される恐れがあり,その是非が問われてくる。

 つまり,日銀の信用秩序能力が疑われるということは,金融不安を引き起こす可能性を持つとともに,半官半民の日銀の在り方,日銀の独立性の在り方について,疑問を惹起するきっかけとなってしまうのである。

 また,こうした疑念は,実態的な根拠以上に拡大することも十分考えられる。投機家は,自分自身が「日銀に不安がある」と思うからではなく,「多くの投機家が日銀に不安があると思っているだろう」という予想に基づいて行動するものだからである。したがい,円に対する売り浴びせによる為替レートの下落,あるいは日銀の保有資産の主力を占める国債に対する売り攻撃による国債価格の下落,その裏返しとしての長期金利の高騰が生じる危険性はあると言わねばならない。また,続稿で説明するが,こうした事態は,大量の国債発行による財政赤字の累積と同時並行で生じると考えられるので,実体経済におけるインフレーションの発生と同時に進行するかもしれない。その場合は,日銀への不安は引き締め能力への不安という方向で発生し,インフレを加速させるだろう。

 繰り返すが,信用貨幣論を持ち出すまでもなく(※),すべての論者が一致しているように,日銀は債務超過となっても円について支払い不能になることはあり得ない。しかし,日銀の信用秩序維持能力に疑念が持たれることはあり得る。その疑念は実態的根拠を持つし,また実態的根拠以上に拡大し得るものである。また,日銀の,半官半民という性格と政府からの独立という正確にたいする疑問を惹起しかねないものなのである。したがって,「出口」において,日銀の支払い不能を懸念する必要はないが,信用秩序維持能力に対する疑念が発生した場合について考えておくことは必要であろう。

3.そもそもなぜ付利を続けているのか

 以上が,日銀の業績悪化に伴って生じる事態への,いわば予想である。しかし,真に考えるべき問題は,この先にある。そもそもなぜこのような問題が生じるかである。2008年までは日銀当座預金には利息が付されていなかった。超過準備に付利し,その超過準備が膨れ上がっているからこそ,こうした問題が生じるのである。それでは,日銀を含む先進諸国の中央銀行は,なぜ超過準備(または中銀当座預金全体)に利息を付与するようになり,今も付与し続けているのであろうか。これを,より深く掘り下げて考えることが本題である。続稿にて論じる。


※信用貨幣論によって,日銀が円について支払い不能に陥らない理由を述べると,「管理通貨制度のもとでは,日銀当座預金と日銀券(ベースマネー)よりも高度なお金が,国内にはないから」となる。資本主義経済における貨幣の主力は,正貨と信用貨幣である。貸したお金の回収が危なくなるときの人の行動原理は,「もっと信用の高い債務証書(手形)をよこせ。それもないなら正貨をよこせ」である。会社の手形が不渡りになりそうだったら,いますぐ銀行預金に振り込んで返せとか日銀券で返せなどという。企業の手形より銀行預金(銀行の手形)や日銀券(日銀の手形)の方が信用があるからだ。銀行の経営が危なくなったら,預金をおろして日銀券に換えようとする。その銀行の預金(銀行の手形)が信用できなくなって,日銀券(日銀の手形)を求めるのである。もし金本位制であって金兌換が可能ならば,銀行券や日銀券が信用できないと思ったら金に換えろと要求するだろう。

 管理通貨制度では,このうち金兌換が停止される。日銀の信用に不安があっても,日銀当座預金と日銀券しかとりたてようがない。そして,日銀は日銀当座預金と日銀券はいくらでも作り出して支払うことができる。なので,たとえ債務超過になっても日銀は倒産せず,営業を継続できるのである。

<続稿>

川端望(2022.11.19)「超過準備維持・金融緩和・国債消化:準備預金への付利に関する考察(2)」Ka-Bataブログ(https://riversidehope.blogspot.com/2022/11/blog-post_19.html

<参照文献>

小栗誠治(2017)「中央銀行の債務構造と財務の健全性:銀行券,準備預金および自己資本」『彦根論叢』414,98-113( https://www.econ.shiga-u.ac.jp/ebr/Ronso-414oguri.pdf )。
木内登英(2022.11.2)「FRBの損失発生は利上げを制約するか:損失は日銀の正常化実施の障害となるか」NRIコラム( https://www.nri.com/jp/knowledge/blog/lst/2022/fis/kiuchi/1102_2
中里透(2022.10.11)「日銀はなぜ利上げをしないのか――マイナス金利について考える」SYNODOS( https://synodos.jp/opinion/economy/28365/ )。
野口悠紀雄(2022.6.23)「日本銀行が利上げで数十兆円の「債務超過」に陥ると何が起きるのか」DIAMOND online( https://diamond.jp/articles/-/305209 )。

2022年10月30日日曜日

雇用慣行の改革なしには,リスキリング推奨も不発に終わる:エンプロイヤビリティの二の舞にならないために

 リスキリングと言われている問題は,以前,具体的には90年代末から2000年代初頭にはエンプロイヤビリティと言われていた。スキルを学んで再就職できるようにしろというのは同じである。装いを変えて,せいぜい「副業促進」を付け加えているだけである。もちろん,職業能力開発の取り組みを広げるのはいい。私は,教育機関でも広げざるを得ないだろうと考えているくらいだ。しかし,それで雇用の質の問題が解決するとは思わない。

 ここでは若年の問題を脇に置いて中高年のことを考える。いったん離職した中高年に良質な雇用が提供されないのは,正社員のほとんどをメンバーシップ型で雇う慣行が原因である。メンバーシップ型とは「会社の一員として雇い,どんな仕事をどこで行なうかは会社が指示する」ものである。したがって賃金は「会社の一員としての重要性」で評価され,具体的な「仕事」には基づかない。「人」の能力が評価され,その能力基準に「年功」が強く加味される。

 このことが,中高年の「正社員」としての採用を著しく阻害する。中高年を雇うのは,高度専門家の場合であれ一般業務であれ,どんな仕事をしてもらうかがだいたいわかっているときである。そのため,会社としては,将来性を見込んで新卒を採用する場合と異なり,割り当てる仕事と賃金の釣り合いを考える。しかし,それを考えると,高度専門家はとにかく,一般社員では「年功」を加味した賃金になっていると高賃金を払わねばならないことが,割に合わないと受け取られる。だから,高度専門家は中途採用されるとしても,一般業務では,中高年は正社員に採用されないのである。そして,非正規とされてしまう。非正規の単価は具体的な「仕事」に基づく造りになっているが,もともと多数の正社員の「仕事」と賃金の関係を評価していないのだから,非正規にだけきちんとした評価が行われるわけもなく,その単価は,もっぱら会社のコスト上の都合で低い水準に抑えられている。

 ここに手を付けない限り,リスキリングだけでは解決しない。スキルとはテクニカルなものではあるが,値段がつくのは社会的な基準で資産として評価されるときである。テクニカルにはスキルがあっても,今の雇用慣行の中では,高度専門家の域(例:M&Aの案件発掘やアドバイザーができる金融パースン)に達するのでない限り,正社員としての転職の役に立たないだろう。エンプロイヤビリティの二の舞である。

 雇用慣行は労使の契約による部分が大きく,法律だけでは変えられない。しかし,法律と規制によって,改革をある程度促すことは可能だし必要だ。次年度の講義に向けて,この改革促進につながる政策提案を具体化したい。

 なお,先回りして行っておくが,「全員メンバーシップ型正社員で雇え」と法で命じろなどというわけでもないし(できっこない),また「全員ジョブ型雇用にしろ」と言いたいのでもない(そんなことを言っている人は,まともな学者にも実務家にもいない)。実行可能なことを考えねばならない。

2022年10月24日月曜日

アメリカの金利引き上げが度を過ぎれば世界の脅威に:ドル高円安の背後で進行している本当の危機

日本では円安を嘆く声が広がっている。目の前の苦痛を嘆くのは当然だが,その背後でより深刻な事態が進行していることを看過してはならない。ここでは,以下のことを述べたい。

1.ドル高円安の原因は日米の金利差それ自体ではない
2.ドル高円安には日本側の要因とアメリカ側の要因がある
3.アメリカ側の問題こそ,世界経済の危機を再び招きかねない真の脅威である


1.ドル高円安の原因は日米の金利差それ自体ではない

 日米の金利差がドル高円安の要因だとよく言われるが,これは不正確である。なぜならば,海外事業への投資と異なり,金融商品への投資は極めて高速にポートフォリオが入れ換えられて,調整されるからである。金利差への適応は短期間で終了し,何か月も続くことはあり得ない。そして,通貨の間には為替リスクがあり,各国金融市場への評価の違いがある以上,金利裁定が終わり,ポートフォリオが入れ換えられた後も金利差は残るのである。入れ換えが終われば,そこから先は金利差があっても為替相場は動かない。

 だから,現にドル高円安が起こっているのは,金利差それ自体ではなく,今後の金利差に関する持続的予想のためである。つまり,投資家たちの「今後も日米の金利差は開くだろう」との予想が続いているために,ドル高円安が継続しているのである。


2.ドル高円安には日本側の要因とアメリカ側の要因がある

 上記の予想は,日本側の要因とアメリカ側の要因が総合されて成り立っている。日本側については,「日銀は今後も金利を引き上げずに,低位に維持しようとするだろう」という予想が成立している。他方,アメリカ側については「FRBはインフレ対策のために今後も金利を引き上げ続けるだろう」という予想が成立している。ドル高円安を招く要因は,日本側とアメリカ側,それぞれにある。


3.アメリカ側の問題こそ,世界経済の危機を再び招きかねない真の脅威である

 このうち日本側の要因の背後にある問題は,低成長の持続であり,コロナ後の経済回復が弱く,賃金が上がらず,金融引き締めが適さない状況であることである。そのため,その解決は日銀の金融政策ではなく,政府による国民生活救済策,それに必要な所得再分配,そして供給サイド強化策である。このことは,すでに述べた(※1)。

 ここで問題にしたいのはアメリカ側の要因である。アメリカのFRBが自国のインフレ対策を行うこと自体はもっともである。しかし,FRBは,明らかに不況という代償を省みずに金利を引き上げ続けている。これは身勝手と言わざるを得ない。アメリカは世界の金融センターであって,ドルは基軸通貨だからである。アメリカが,不況という代償を払うほどの金利引き上げを行なってインフレ鎮静化を実現する時,ドルで国際取引を行っている他国はどうなるのか?とくに途上国の対外債務はどうなるのか?ここにこそ真の問題がある。

 幸か不幸か,これまでのところドルは途上国よりも先進国通貨に対して切り上がっている。これは上述した日本独自の低血圧的状況と,ウクライナ戦争をきっかけとしたヨーロッパ経済の急減速によるものだ。しかし途上国通貨に対しても切り上がっていることには変わりはない。「あまりにも多くの低所得国が過剰債務に陥っているか、陥りかけている。ソブリン債危機が相次ぐことを回避するためには、最も影響を受けている者を守るために主要20か国・地域(G20)共通枠組みを通じた秩序ある債務再編における進展が急務だ。直に時間がなくなるかもしれない」(IMF経済顧問兼調査局長ピエール・オリヴィエ・グランシャ)(※2)。

 危機はどこから発火するかわからない。イギリスの国債市場不安に見られるように,先進諸国が発火点になることもあり得る。問題は,どこから発火しようと金融グローバリゼーションのために燃え広がることである。念のため,その際に予想される最悪の行為を想定しておかねばならない。それは,危機がアメリカ以外のどこかで生じたときに,FRBが,アメリカとは関係ない話だとして金利引き上げを続行し,政府も事態を見過ごすことである。これこそ,世界を金融危機に陥れる行為である。国際機関と各国は,FRBとアメリカ政府が,「アメリカのインフレのこと以外は考えなくてよい」という,自己中心的見解で行動しないように,監視,助言,批判を行うべきだろう。アメリカに警戒の目を向けるべき時である。

※1 「欧米と日本ではインフレ対策はどちらが難しいか。日本にはどのようなインフレ対策が必要か」Ka-Bataブログ,2022年9月28日。

※2 ピエール・オリヴィエ・グランシャ「世界経済の雲行きが悪化し始めた今、政策当局者にはしっかりした舵取りが求められる」IMFブログ,2022年10月11日。


『アジア経営研究』第30-1号発行

 『アジア経営研究』第30-1号が発行されました。拙稿「ベトナム鉄鋼業の発展初期における日系中堅電炉企業の役割―ビナ・キョウエイ・スチール社成立過程の研究―」も掲載されています。11月くらいにはJ-Stageで無償公開されるはずです。  『アジア経営研究』はアジア経営学会が発行す...