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2025年5月19日月曜日

博士課程に留学生の割合が高いのは,単に日本が「博士冷遇社会」だからである

 博士課程で留学生の割合が高いのはけしからんという議論が,一部から流されている。しかし,これは外国勢力の陰謀でもなければ,大学経営陣が外国におもねっているからでもない。単に日本が「博士冷遇社会」だからなのである。

 これについて冷泉彰彦氏が「博士課程の奨学金受給者の約4割が留学生、問題は日本社会の側にある」という記事をNewsweek4月2日付に書いておられるので,手掛かりにしよう。冷泉氏が,「人文系などの分野でも、博士課程に圧倒的な割合で留学生が学んでいるのです。まるで『東大大学院がジャックされている』ように見えるこの現象ですが、問題の本質は、留学生の側にあるのではありません。そうではなくて、「日本人学生が人文系の博士課程に行かない」という現象があるからです」というのはまったく正しい。ただし,「留学生が増えたのではなく、日本人が行かなくなったのです」というのは,やや不正確である。そこで補足したい。実際には,

「大学院生を増やせと国に言われて枠を増やしたら,日本人が来ないで留学生が来た」

のである。理由は簡単だ。

「日本以外の国では,企業も政府も博士課程まで含めて学歴を認める社会だが,日本の企業と政府は,理工系は修士,人文社会系は学部までしか学歴を認めないから」

である。

 日本で暮らしていると,世の中から博士は「世の中のことを知らないから」「専門のことしか知らないから」「使えない」云々という声が聞こえてくる。もちろん,本学卒業生を含む社会人の方々の意見は尊重したい。しかし,これに限っては,少なくとも普遍的な真理ではないと抗弁せざるを得ない。もっと言えば,これはむしろ国際的に超超マイナーな意見である。

 日本以外では,企業でも公的機関でも博士は修士より,修士は学士より好待遇にする国が多い。つまり多くの諸国は普通に学歴社会である。しかし,日本は違う。学歴社会と言われながら博士を好待遇で雇用しない。単に日本が博士冷遇社会なのである。ことのつらさを知っていただくために強い表現を許していただけるならば,博士虐待社会とさえ言える。

 その理由も,もうわかっている。会社も政府も自治体も,専門知識や専門スキルではなく,格好良く言えばチームワーク,泥臭く言えば社風への適応性を重視し,給与が年功的に上がるまでじっと我慢し,長く勤務しそうな人を採用するからである。今日的に言えば,多数の正社員・正職員が「メンバーシップ型雇用」だからである。

 とくに厳しいのは人文社会系である。日本の人文社会系で博士になって,生きがいもあれば給料ももらえる可能性が高いのは,研究者志願の者だけである。だから,昔は人社系の大学院は,定員通りに入学などさせなかったし,そもそも定員に足りる志願者などいなかった。ところが日本政府が1990年代に「これからは大学院出身者の社会だから定員通りに入学させよ」と指示した。大学,とくに国立大学は逆らうわけにもいかないので大々的に院生を募集し,定員を増やし,実際に定員通りに入学させるようにした。しかし,日本社会で暮らそうとする日本人は,研究者以外は博士課程まで進んでも良いことがないことを知っている。よって研究者志願者以外は博士課程を志願などしない。しかし,将来は母国で暮らそうとする留学生からすれば,博士を取得すれば企業からも好待遇を与えられるとわかっている。だから,日本人でなく留学生が博士課程にやってくるのである。ここには,外国勢力の陰謀も何もない。単に日本社会が博士,とくに人社系博士を冷遇するからこうなるのである。

 もちろん,まったく就職できないわけではない。まず理工系では,製造業やIT産業の技術者などへの就職の道は,あるにはある。それに比べると相当に範囲は狭いが,人社系でも専門性を認めた採用を行う傾向が,相対的に強い業界もある。証券,商社,コンサル,シンクタンクなどである。最近ではデータサイエンティストが必要な業界が加わる。ジョブ型採用を行う外資系企業へも行ける。また,従来の慣行にとらわれない新たな雇用慣行を採るベンチャーもあるし,大企業でもベンチャーから成長した若い会社もある。当研究科でも,修士はあまり問題なく企業に就職できるようになった。博士も例がないわけではない。当ゼミでは,私が副指導教員をした日本人学生が,アフリカの経済開発を研究して博士号を取得したたうえで,大手商社に就職した例がある。他のゼミでも,近年,eコマースやプロスポーツに従事する企業に博士が就職した例もある。しかし,まだまだ日本社会では人社系博士の就職は厳しい。

 何といってもこれこそが,博士課程において留学生が多数となる理由なのである。これが嫌だとかけしからんというならば,政府と企業が,諸外国のように学士より修士,修士より博士を厚遇して欲しい。日本だけ特別なことをせよというのではない。諸外国と同じにするだけでいいのだ。そうすれば,日本人学生が喜んで博士課程に進学するであろう。

2025年5月13日火曜日

劉慈欣(大森望,光吉さくら,ワン・チャイ訳)『時間移民 劉慈欣短編集Ⅱ』早川書房,2024年を読んで

 劉慈欣(大森望,光吉さくら,ワン・チャイ訳)『時間移民 劉慈欣短編集Ⅱ』早川書房,2024年。Ⅰの『円』を文庫で読んだので,何となくⅡも文庫かと思い込んで冊子体を注文したら四六判だった。

 劉慈欣の作品はどれもこれもスケール観が圧倒的だ。しかし,舞台装置だけで話を運んでいるわけではない。例えば,本書のいくつかの作品では,作者が比較的はっきりと人間を信頼しようとしている気配が感じ取れる。ある作品の中で語られている「ひょっとしたら,完全に希望を失ったとまでは言えないかもしれない。自分たちができることをしなければ」という台詞は作者の声でもあろう。しかし,科学・技術がどこまでも発展することについては,作者はそれほど楽観的でもない。いくつかの作品では,純粋に行き着くところまで行こうとする科学・技術にとらわれるならば,人間は生きられないであろうことも示唆されている。両義的でもあり,SFの古典的問題に正面から挑んでもいて,それでいて新鮮である。

出版社サイト
https://www.hayakawa-online.co.jp/shop/g/g0000614709/



2025年5月5日月曜日

ホールセール型中央銀行デジタル通貨(CBDC)はデジタル札束だった

 中央銀行デジタル通貨(CBDC)について,これまでどうしてもわからなかった謎が解けたように思う。何種類かの実証実験がなされている「ホールセール型CBDCを使って国際決済を行う」という試みは,貨幣論的にどういう仕組みになっているのかということだ。

 これまで私は,リテール型CBDCが「トークン型」つまり中央銀行券のデジタル化,ホールセール型CBDCが「口座型」,つまり中央銀行当座預金の最新IT技術による高度化だと思っていた。しかし,「口座型」では対外支払いに使えそうにない。中央銀行当座預金で対外送金するには,外国銀行が自国中央銀行に口座を持つことになり,それはいくらなんでもありそうにないからだ。

 しかし,この思い込みがつまずきのもとであった。国際決済銀行(BIS)の分類によれば,国際決済に用いるホールセール型CBDCも「トークン型」,つまり現金,中央銀行券がデジタル化したものだったのある。そう考えると,対外支払いも合理的に説明できる。

 簡単に言えば,「銀行間で国際的なプラットフォームを築き,その上で,海外の銀行にデジタル札束を送って払う」のである。ここでは,「堅固で安全で高速なプラットフォームさえできれば(まあ,それが現実には難しいのだが),デジタル通貨の取引コストは低い」という特徴がいかんなく発揮される。

 CBDCでは,プラットフォームの上で,ある人(銀行)が持つ残高を,別な人(銀行)の残高に移すだけで国際送金ができる。これなら,紙での現金取引,つまり札束をトランクに詰めて飛行機や船で運ぶよりも手間暇がかからない。また,ことによると口座振り込みよりも簡単で安上がりかもしれない。とくに,国際的な銀行間送金はコルレス・バンキングという仕組みが必要で,国内取引の口座振り込みよりもはるかに手間も時間もお金もかかる。国内では,銀行間の決済を,どの銀行も共通に持っている中央銀行口座をつかって預金振替で行っている。世界経済には世界中央銀行はないので,これが行えないのだ。しかし,CBDCというデジタル現金を使えば,デジタル現金をプラットフォーム上で送ればいので,簡単になるということだ。

 国境を越えてやりとりされるデジタル札束が,唯一,紙の札束と違うのは,プラットフォームに参加する銀行間でしか流通しないということである。だから銀行が,受け取った外貨建てのデジタル札束を普通の取引に使う際には,自国の紙の札束や中央銀行当座預金に変換する必要がある。その際には,国内通貨に両替しなければならない。

 実用化までは紆余曲折があるだろうが,ともあれホールセール型CBDCを用いた国際決済の骨格は以上である。特徴も問題点も,ここを出発点として考えればよいはずだ。

<参考>

Committee on  Payments and Market Infrastructures Markets Committee, Central bank  digital currencies,  Bank for International Settlements, March 2018.






クリーブランド・クリフス社の一部の製鉄所は,「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続できなかった

 クリーブランド・クリフスのローレンコ・ゴンカルベスCEOの発言が報じられている。 「中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし、日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の方法を教えた」 「日本よ、気をつけろ。あなたたちは自分が何者か理解していない。1945年...