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2025年4月11日金曜日

安孫子麟著作集全2巻『日本地主制の構造と展開』『日本地主制と近代村落』(八朔社,2024年)を読んで

 全然本が読めない状況であるが,何とか安孫子麟著作集全2巻(八朔社,2024年)を読了した。安孫子説をどう受け止めるかは,いずれ落ち着いて考えてみたい。ここでは第1巻と第2巻の違いについて覚書を記しておくにとどめる。

 第1巻『日本地主制の構造と展開』に収録されている論文が示すように,安孫子説は,実態分析により地主制を人格的支配関係を含むとする点で講座派の流れを汲む。山田盛太郎『日本資本主義分析』に対しても肯定的言及の方が多い。しかし,安孫子説は固定的な半封建制論や絶対主義論を採らず,地主制を日本資本主義のウクラードとして位置付ける。資本主義発展に規定され,また農民運動との対抗の中で地主制が成立・展開・解体の変遷を遂げるという点では,栗原百寿の流れを汲む修正講座派である。ここでは講座派の硬直的な在り方に対して,資本主義のダイナミックな展開が強調されている。

 同時に,第2巻『日本地主制と近代村落』に収録されている論文が示すように,安孫子説は小経営的生産様式論と中村吉治の共同体論に依拠した村落社会論という側面を持つ。小経営はそれだけで完結することができす,何らかの共同組織,共同関係を必要とする。その最たるものは土地管理機能の必要性である。しかし,この共同組織は,よく言われるような,人類史の起源から続く共同体と等しいのではない。共同体は血縁規範に支えられた人格的結合であって,生産力の発展とどもに次第に機能別に広域に拡散していき,近代社会では基本的に解体される。近代の村落は共同体的関係を部分的に残しているが共同体そのものではなく,血縁規範以外のまとまりによっても支えられる独自の秩序である。安孫子氏はそれは明治期にあっては「部落」であったとする。ところが部落の土地管理機能は次第に地主による土地管理にとってかわられ,さらにファシズム的な国家管理によって再編される。そして戦後の農地改革を経て新たな村落にとってかわられるのである。ここでは資本主義や商品経済や私的所有権に解消されない,村落における独自の社会関係が強調されているのである。

 安孫子説は,経済史研究や農業・農村の研究にとってのみ有意義なのではない。この説によって,戦前日本が敗戦まで半封建制や絶対主義のままであったかのような講座派の硬直的なバージョンが退けられると同時に,日本は資本主義であることを強調するあまり独自の社会関係を見落とす労農派的見地の硬直的バージョンも退けられる。それだけではない。読者の側が安孫子説を敷衍するならば,小経営の独自の運動を見落とす近代経済学の単純化されたバージョンや,小経営に個人の完全な自立を見出す空想的市民社会論も退けられる。と同時に,村落の共同関係に共同体を見出し,近代的個人を否定した人格的結合への回帰を夢見る時代錯誤も退けられるのである。安孫子説はこのような広大な射程を持つというのが,私の解釈である。




2025年4月3日木曜日

自由・無差別・多角の終わりとしてのトランプ関税

  日本メディアでは,トランプの差別的関税率が日本にとってどうなのかを重点的に取り上げている。確かに差別的関税率は特定の国の産業に打撃を与える効果はあるし,またそれでも可能なアメリカへの輸出については輸出国の変化や輸出品目の変化を促し,輸出国の相対的な地位を変動させる。その中でどのような相対位置を占めるかは,日本を含む各国にとって重要な問題だ。しかし,それが最大の問題なのではない。より深刻なのは,アメリカそのものを含む世界経済への打撃と,戦後世界の通商ルールの転換だ。

 トランプ関税は全般的高関税だ。自国産業を保護することで経済を活性化させるというのは,1930年のスムート・ホーリー法の思想だ。この大恐慌下での高関税はアメリカ経済を回復させなかったし,世界経済ブロック化の流れを強めた。

 トランプ関税は相互関税でもある。相互関税は「相手がやっていることをやり返す」という相互主義に基づいている。レーガン政権はこの手法で日本などを攻撃したが,アメリカの貿易赤字を縮小させることにはまったく役立たなかった(そもそも貿易赤字が悪いことで貿易黒字がよいことだというのは,外貨準備が枯渇する危険のある途上国には言えても,先進国では成り立たない決めつけだ)。

 そしてトランプ関税は差別的関税でもある。相手によって税率が異なることが,例外でなく原則になっているからだ。これは国際関係を悪化させ,敵愾心をあおるには適しているが,報復合戦を誘発することで世界経済を縮小のスパイラルに導く。

 これらを歴史的に見れば,トランプ関税は,世界大恐慌とブロック経済,そしてそれらが背景となった第二次世界大戦の教訓として戦後に確立された自由・無差別・多角という通商思想を否定するものだ。世界の通商体制は新たな局面に入りつつある。自由な貿易・投資が望ましいというイデオロギーが広範囲に共有されていたポスト冷戦期から,より分断された時代へと。


クリーブランド・クリフス社の一部の製鉄所は,「邪悪な日本」の投資がなければ存在または存続できなかった

 クリーブランド・クリフスのローレンコ・ゴンカルベスCEOの発言が報じられている。 「中国は悪だ。中国は恐ろしい。しかし、日本はもっと悪い。日本は中国に対してダンピング(不当廉売)や過剰生産の方法を教えた」 「日本よ、気をつけろ。あなたたちは自分が何者か理解していない。1945年...