SNS上では,「政府は課税することなく支出できる」,「課税は財源確保のためではない」と主張する意見がある。これに対しては,たいてい激しい反駁も見られる。しかし主張者はひるまず,全くかみ合わない議論となっている。
ここでは,この意見について通貨供給論の見地から考える。先取りして言うと,私の意見は以下のとおりである。
A.「政府は課税することなく支出できる」,「課税は財源確保のためではない」という主張は,1)「中央政府の一般モデル」の次元では正しい。
B.MMTは「政府は課税することなく支出できる」,「課税は財源確保のためではない」という主張を「統合政府の一般モデル」の次元で正しいとしている。これは正しくない。
C.現実の政策を議論するためには,まず1),次に2)統合政府(中央銀行+中央政府)の制度的枠組みの次元で議論しなければならない。中央銀行を考慮した場合には,中央政府は「政府は課税することなく支出できる」,「課税は財源確保のためではない」けれども,中央銀行マネーを借り入れねばならない。その上でさらに,3)国ごとに中央銀行と中央政府の制度が異なることを踏まえて,具体的に議論しなければならない。
この投稿ではAとBについて説明する。
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MMTは,「政府は課税することなく支出できる」,「課税は財源確保のためではない」と主張している。この主張は,1)一般理論のモデル,2)一般的な統合政府の制度的枠組み,3)実際の各国の中央政府と中央銀行の制度という,三つの次元で区別して議論する必要がある。
1)は最も抽象化された経済理論上のモデルであり,いかなる資本主義社会の政府にも妥当するような基本モデルである。2)は,中央政府と中央銀行の間で,もっとも結ばれやすい関係によって描いた統合政府モデルである。中央政府と中央銀行の間に結ばれる関係は,資本主義である以上必ずこうなるというほど一義的に決まるものではない。しかし,このようになるのが合理的であろうという程度には叙述できる。3)実際に政策を議論する際の,当該国の中央銀行と中央政府の諸制度である。
この覚書では,まず1)一般理論のモデルを素描することで,必要な議論の基礎を築きたい。
■貨幣発行主体としての中央政府の一般モデル
*モデルの叙述
ここでは,中央政府が貨幣供給にどうかかわっているかの一般モデルを叙述する。ここでは中央銀行の民間組織としての側面を捨象し,権力的側面は,抽象的な中央政府に含まれているものとする。このモデル設定はMMTと似て異なるのだが,その点は最後に述べる。
中央政府と貨幣経済のかかわりにおいて最も重要なことは,中央政府は,唯一ではないが重要な貨幣供給の担い手だということである。政府は貨幣を供給するのである。そして,まず貨幣を供給して支出し,しかる後,課税して自ら発行した貨幣を回収するのである。これは,実際に存在してきた政府発行不換紙幣や政府発行硬貨のことを考えれば,何らおかしくない想定であることがわかるだろう。
主流派経済学が明示的に描く政府モデルや,多くの実務家,市民が漠然と心に抱くイメージは,貨幣が既に十分に流通している経済があって,政府はまず課税によってその貨幣の一部を取り立て,それを必要な支出に充てるというものである。しかし,この想定は適切ではない。通貨発行権を持つ中央政府は,まず貨幣を作り出して支出することができるからである。政府支出によって流通に投じられた貨幣が経済活動(商品の流通)を媒介するようになる。そして,政府は課税によって貨幣を回収するのである。この次元では,貨幣の動きは,流通→課税→支出→流通ではなく,「支出=発行」→流通→「課税=回収」と理解すべきである。
このように政府を貨幣発行主体とするならば,確かに「政府は課税することなく支出する」し,「課税は財源確保のためではない」。「中央政府の一般モデル」の次元ではこうなるのである。一般的な「流通する貨幣への課税主体としての政府」説と「財政の課税先行」説に対して,私は「貨幣発行主体としての政府」説と,「財政の支出先行」説をとるべきだと主張しているのである。
しかし,中央政府発行貨幣は,どうして流通することができるのだろうか。それ自体が価値を持つ商品を用いた商品貨幣(素材に即して言い換えるならば金属貨幣)であれば,もちろん問題なく流通する。ただし,商品貨幣を発行するためには,政府が十分な商品貨幣を供給するための素材を保有していなければならない。例えば金山や銀山を保有していなければならない。それでは商品流通に必要な貨幣を確保できる保証がない。
そこで中央政府は,それ自体は無価値な素材を用いた貨幣を発行して,流通させる必要がある。中央政府は国家権力の行使者であるから,それ自体は無価値な素材を用いた貨幣であっても,価値のシンボル,すなわち価値章票として,強制通用力を持たせて流通させることができる。これが法定通貨である。とくに政府は,貨幣の発行のみならず回収も必要であるため,政府発行貨幣を納税に利用可能なものとする。納税に利用可能であるがために,人々は政府発行貨幣を有効な通貨として利用するだろう。これが「貨幣の通用力に関する租税駆動説」である。
*MMTとの一致点・相違点
さて,私は以上のような理解で,貨幣発行主体としての中央政府の一般的な理論モデルを設定する。これはMMTとどのような関係にあるか。
ここで種を明かせば,「貨幣発行主体としての政府」説と「財政の支出先行」説,そして「貨幣の通用力に関する租税駆動説」は,いずれもMMTが主張するものである。なので,私は「中央政府の一般モデル」としてはMMTを支持している。
しかし,重大な留保がある。MMTは以上の関係を「統合政府の一般モデル」,つまり中央政府と中央銀行を含んだ包括的な政府のモデルとして理解している。統合政府全体を「貨幣発行主体としての政府」説と「財政の支出先行」説,そして「貨幣の通用力に関する租税駆動説」で理解すべきだというのである。
しかし,私は,そうは考えない。中央銀行は半官半民組織だと考えるからである。通貨供給システムとしての金融システムは,商品流通と資本主義的生産の中から発生する。商品貨幣や信用貨幣は,民間経済の中から生まれるし,信用貨幣は商業銀行によって供給される。そして,銀行システムを,一国の貨幣制度として,準備集中と発券集中によって完成させるのが中央銀行である(川端,2025)。つまり,貨幣供給システムとしての金融システムは,権力によって完成させられるものではあるが,もともと民間経済の中から生じるものである。
だから,中央政府を貨幣発行主体として抽象的に描く際に,私は中央銀行の権力的側面はここに含める。中央銀行の権力的側面は,中央政府から分化したものとして捉えるのである。しかし中央銀行の民間組織としての側面は,そもそも中央政府モデルに含めないし,含めるべきではないと考える。商品・資本主義経済自体が生み出した貨幣と信用のシステムは,中央政府がどうあれ,それとは別に存在していると想定するのである。通貨供給システムを論じる際には,一方に「中央政府の一般モデル」を置き,他方で「銀行―中央銀行の一般モデル」を置く必要がある。そして,それらが取り結ぶ関係として「統合政府(中央政府+中央銀行)の制度的枠組み」を論じるべきである。以前にこれを「二層の銀行・政府」モデルと呼んだことがあるが,今後,もっと詳しく論じていきたい。
「中央政府の一般モデル」の次元では,確かに,「政府は課税することなく支出する」し,「課税は財源確保のためではない」。しかし,「銀行―中央銀行の一般モデル」を踏まえて「統合政府(中央政府+中央銀行)の制度的枠組み」を論じる次元では,そうなるとは限らない。政府が,中央銀行マネーを借り入れる必要が出て来るからである。
この点で,私の見解はMMTとは異なる。MMTは,中央銀行の全体を含めて,統合政府を「貨幣発行主体としての政府」説と「財政の支出先行」説,そして「貨幣の通用力に関する租税駆動説」で理解する。銀行―中央銀行システムまでも,政府の課税権力によって成り立っているかのように描くのである。だから中央銀行を考慮した場合でも,平然と「政府は課税することなく支出する」し,「課税は財源確保のためではない」と言い切ってしまうのである。MMTは,現実の銀行を説明するときには信用貨幣論に立つのに,貨幣の存在を根本的には租税駆動説で説明し切ろうとする。預金貨幣や中央銀行券が,もっぱら課税権力ゆえに流通しているかのように描いてしまう。商品流通と資本主義経済そのものが,貨幣や信用制度を作り上げる力が軽視される。ここに問題があると考える。
<参考>
川端望(2025)「通貨供給システムとしての金融システム ―信用貨幣論の徹底による考察―」研究年報『経済学』81,23-52。
https://doi.org/10.50974/0002003359
川端望「財政赤字に伴う国債発行をどのように把握するか:「二層の銀行・政府」モデルの提示」Ka-Bataブログ,2024年11月25日。
https://riversidehope.blogspot.com/2024/11/blog-post_25.html