市川浩教授とは若いころに研究会でお会いしただけであり,その時もふたこと,みこと以上の会話はなかったように思う。しかし,本書のあとがきを読んでみると,私はこの方の数年遅れで同じ道を,もっとぼんやりしながら歩いていたような気がする。
私は市川教授に7,8年遅れて技術論論争史に出会って夢中になり,彼が単位取得退学(のちに学位取得)した3年後に大阪市立大学に職を得て,彼が学んだ加藤邦興ゼミに1年ほど出席させていただいた。同大学に在職中には,市川教授の同僚である中峯照悦『労働の機械化史論』の学位論文審査委員に選出されたのでこれを精読して「マシーネ」と「マシネリ」の違いを初めて認識した。博士でない駆け出し教員に審査をさせるのも無茶であったとは思うが,おかげで勉強になり,中村静治『技術論論争史』に次いで私の技術論に影響を与えた本となった。その後,私は技術論を軸にしながら産業論を研究したが,技術ー生産管理ー技能の関連をどう整理すべきなのかがわからずに苦労した。その観点から注目したのが,転向後の相川春喜の技術論であった。唯物論研究会時代から転向後の戦時期,そしてシベリア抑留から帰国した後までの相川技術論について論じたいと思いながら果たせないうちに,市川教授は本書で技術論の源流にたどり着かれていた。
さて本書は,技術を「労働手段の体系」と規定する説が,1930年代のソビエト連邦において,他の見解を政治的に圧殺しながら定式化されたものであることを明らかにしている。これは薄々予想できたことではあったが,実際に起こっていたこと,その具体的な過程を解明したことが本書の大きな功績である。技術論には,その源流において見落とされ,断絶された分岐があり,また「大テロル」を正当化したマルクス・レーニン主義,ありていに言えばスターリン主義の呪縛を受けていたのである。
ところで,圧殺されたのが,労働手段体系説による技術史に物質文化史を対置する見解であったことは,私にとっては示唆的である。物質文化史研究は,いわば人間の実践を対象とするものだからだ。
マルクス体系に沿って技術を考える際に,「手段」概念は,技術が社会において果たす役割を,技術進歩がかえって労働者を抑圧する問題を含めて,科学的に研究する道を開いたことは間違いない。また「実践」概念が,客観的条件に規定されながら主体的である人間の営みを解明する手掛かりになったことも間違いないだろう。そのように考えるならば,両者にはそれぞれ意義があるはずだ。
私自身は,マルクスの理論構造に沿って理解し,産業論を研究し,まとまった理屈に沿ってものごとを論じるためには,手段概念の方が優れていると考えてきた。そうして鉄鋼業などを研究してきた。実践概念は技術でなく労働そのもの,例えば研究開発労働の規定にふさわしいし,理論としてまとまりがなく話が拡散しすぎると考えてきた。例えば星野芳郎氏の鉄鋼技術論をそのように批判的に評価してきた。だからといって意識的適用説を階級的敵であって反革命でブルジョア的だとも思わないし,スターリン主義の所産だとも思わない。繰り返すが実践概念は研究開発労働の規定としては意味があると思う。
しかし,マルクス主義の歴史において,技術の手段概念と実践概念は,学問的に競い合う関係に入らなかった。相川春喜が定式化した「労働手段体系説」と武谷三男が提唱した「客観的法則性の意識的適用説」の相克において,技術を「手段」概念でとらえる見地と「実践」概念でとらえる見地は,通常の意味での学説の違いを超えて,互いを敵視し,根絶しようとする勢いで非難し合った。それはなぜなのか。
私の限られた学びの範囲で,大まかに言うならば,「手段」概念がマルクス・レーニン主義,ありていに言えばスターリン主義的に理解されたときに極度に硬直的で異端審問的な命題と化すのに対して,「実践」概念はそれに対する解毒剤ないしアンチ・テーゼとしての役割を果たしたのだと思う。本書で論じられたソ連におけるズヴォルィキンの体系説による技術史と,ガルベルの実践概念に立つ物質文化史の関係にも,そのようなところがあったのではないか。戦後日本における技術の労働手段体系説と適用的適用説の関係,さらに言えば民科『理論』派に対する『季刊理論』派,戦後直後の松村一人らに対する主体的唯物論,反映論的芸術論に対する表現論的芸術論,反映論的唯物論に対する実践的唯物論は,みなそのような対立を含んでいたのではないか。やや戯画化して言えば,タダ,モノから出発し,モノを正しく認識しろ,正しい在り方はひとつであって間違うことは許されないという類いの硬直した唯物論理解に対する,実践行為から出発してその契機として認識を位置づけようとすることで,個性や多様な行動の価値を認めさせようとする理解の対抗である。そのような政治的文脈に「手段」概念と「実践」概念が置かれたのである。
ただ,私はこの対立があったから,反スターリン主義の「実践」概念の方が正しかったと言いたいのではない。問題は,スターリン主義的硬直とそれに対するアンチテーゼという文脈の方だ。この文脈を取り去っってみれば,根本的には技術には「手段」概念の方が妥当すると考えているのである。それだけに,この,政治的文脈ゆえに起こった相克に納得がいかないのである。
この相克は,具体的にはどのような理論的契機により,またどのような歴史的経緯により生じたのか。マルクス的技術論に潜む理論的可能性と危険とは何なのか。これらは,本書の到達点に立った上で,さらに追求されるべき課題のように思う。
出版社のページ
https://www.hiroshima-u.ac.jp/press/59
何と,本書は丸ごとオープンアクセスになっている。
https://doi.org/10.15027/55809