2024年11月8日金曜日

ジェームズ・バーナム『経営者革命』は,なぜトランピズムの思想的背景として復権したのか

 2024年アメリカ大統領選挙におけるトランプの当選が確実となった。アメリカの目前の政治情勢についてあれこれと短いスパンで考えることは,私の力を超えている。政治経済学の見地から考えるべきは,「トランピズムの背後にジェームズ・バーナムの経営者革命論がある」ということだろう。

 会田弘継氏が『破綻するアメリカ』岩波書店,2017年から『それでもなぜ,トランプは支持されるのか』東洋経済新報社,2024年まで訴えてこられたことを私なりにまとめるならば,トランプ台頭の客観的背景はアメリカにおける資産・所得の絶望的な格差拡大であり,格差の下方に追いやられた人々が民主党に絶望したことであった。そこに対して,長年,財政均衡,金融引き締め派であった共和党を,財政拡張・金融緩和論に逆転させ,またMake America Great Againで豊かな白人中間層再建を最優先とする政策を,種々の差別,マッチョイズム,反エリート主義のイデオロギーに乗せたトランプとその取り巻きが,主体的に働きかけたのである。

 経済政策と党派という角度から単純化して言えば,経済的地位が転落した人々,とくに白人男性が民主党でなく共和党につき,共和党が財政・金融緊縮派から拡張派に転換したことが,トランプ台頭時代の特徴である。

 そこまでは分かる。謎なのはバーナムである。会田氏の上記二著や論文「ジェームズ・バーナム思想とトランプ現象」『アメリカ研究』52,アメリカ学会,2018年5月によれば,バーナム『経営者革命』(原書1941年,武山泰雄訳,東洋経済新報社,1965年)の予言が,エリート支配の文脈で保守的政治思想の世界で復権させられたのだとという。一体,どういうことか。

 身もふたもない言い方ができる可能性はある。エリート支配,階級分裂,貧富の格差を右から批判する潮流が,自分たちには使いようがないマルクス主義や左派思想の代わりに,バーナムを利用したのかもしれない。

 しかし,結論を急がないようにしよう。経済・経営学者としては,バーナムのそのような活用が妥当なのか,そこに落とし穴や見落としはないのかということを理論的に考えていきたい。

 第一に,バーナムの経営者革命論は経営者というよりテクノクラートによるエリート支配をペシミスティックに予言したが,その後発展した経営学の経営者革命論はどちらかと言えばホワイトカラー主導の安定した社会をオプティミスティックに描いたということである。バーナムは,資本主義でも社会主義でもなく,管理能力を基礎にしたエリート支配が到来すると予言した。元トロツキストらしい着眼点とも言える。しかし,経営学の世界では,経営者革命論は,高生産性と高所得,ホワイトカラー職務の拡大・多様化と,それによる安定的雇用とキャリア形成を保証するものと受け取られた。それが経営史の強力なパラダイムとなったアルフレッド・D・チャンドラー Jr.『経営者の時代』(原書1977年,鳥羽欽一郎・小林袈裟治訳,東洋経済新報社,1979年)の「見える手」の理論である。チャンドラーはバーナムを自身の理論形成のヒントとしたことを明言している。またジョン・ケネス・ガルブレイス『新しい産業国家』(原著1967年,都留重人監訳,河出書房,1968年)は,社会に対しては批評的姿勢を崩さなかったものの,大企業については技術発展を体現するものとしたし,その具体的担い手としてテクノクラートとそれが形成する構造としてのテクノストラクチュアの生産性を高く評価した。ホワイトカラーの世界の経営者革命論は,ブルーカラーの世界のフォーディズムとともに,20世紀アメリカ資本主義の繁栄を描写する思想・理論となったのである。現代の保守派は,バーナム理論の構造に即した活用よりも,価値判断だけの引用に走っていないだろうか。

 第二に,バーナムにせよチャンドラーにせよガルブレイスにせよ,経営者革命論であって産業資本家論や株主支配論や金融資本主義論ではなかった。しかしアメリカの現実は経営者革命,つまりテクノクラート支配という一面だけを持っているのではない。それはむしろ1970年代の話であり,以後は株主反革命,株式ファイナンスによるハイテク産業創出,金融市場の肥大化の時代とされている。一方においてITプラットフォームを利用した大企業支配があり,株式保有を通した少数のハイテク資本家支配が復権している。他方において,金融資産を保有すればするほどさらに蓄積できる,金融機関と金融資産家の世界が存在する。トマ・ピケティ『21世紀の資本』(原著2013年,山形浩生ほか訳,みすず書房,2014年)が明らかにしたように,アメリカの資産保有者は,確かに専門家として高額の労働所得も得ているが,異常に高額の経営者報酬をも得ており,これは偽装された資本所得と言ってよい。そして労働所得を上回る資本所得を得ており,その多くはキャピタル・ゲインなのである。現代のエリート支配はテクノクラート支配であると同時に株主産業資本家支配であり,また金融資産家支配でもある。保守派はバーナムを利用することで,株主資本主義と金融資本主義による格差から人々の目をそらしてはいないだろうか。エリートを批判するのに不動産資本家トランプがボスであって,ハイテク資本家イーロン・マスクが味方でよいのだろうか。

 これらは漠然とした問題提起に過ぎない。30年以上前に読んだきりのバーナム『経営者革命』を書棚から出した。今後,テキストに即して確かめていく必要がある。トランプの背後でバーナムが政治思想として復権した今,その理論を経済・経営学の見地から再検討することも意味があるだろう。




2024年11月3日日曜日

『少年忍者部隊月光』における戦争

  私はまもなく60歳で,特撮ドラマと言えば『ウルトラマン』『ウルトラセブン』を再放送で,『帰ってきたウルトラマン』や『仮面ライダー』をオリジナル放映で見た世代です。現代ではほぼ老人会に属しますが,それでも,『忍者部隊月光』(1964-66年放映)は伝説的存在でした。いまでこそ『月光』をYouTubeで見かけることもありますが,私の若い頃にはインターネットがないだけでなく,ビデオデッキも選ばれたエリートしか持っておらず,昔のモノクロ特撮テレビドラマを見る機会はほとんどなかったからです。

 『忍者部隊月光』を初めて見たのは,80年代にテレビ埼玉で再放送していたのを録画されたビデオを,SF研の部長が取り寄せて見せてくれた時でした。ただ,CMで「君は埼玉のどんなところが好き?」とインタビュアーが聞くと子どもが「クルマが少ないところー!」と『翔んで埼玉』みたいな応答をしていたので,本当に80年代の再放送だったのかと不思議に思っています。

 ある時,『忍者部隊月光』の原作は,かのタツノコプロダクションの創設者である吉田竜夫先生の漫画『少年忍者部隊月光』であり,そこでは設定が違うと聞いて驚きました。テレビの『忍者部隊月光』の舞台は現代で,伊賀流・甲賀流忍者の末裔によって編成された忍者部隊が,「あけぼの機関」のもと,世界の平和のために戦うという設定です。しかし,原作の『少年忍者部隊月光』の時代は太平洋戦争中であり,少年忍者部隊は山本五十六連合艦隊司令長官直属の秘密部隊だったというではありませんか。

 以後,原作を読む機会がないままに,私はずっと気になっていたことがありました。

「このマンガの結末はどうなるのか?」

ということです。太平洋戦争を日本側で戦っているという設定である以上,戦いに勝ってハッピーエンドとなりようがないからです。

 数年前に『少年忍者部隊月光』復刻版全4巻のうち,1巻と4巻を比較的安価に入手することができて,ようやく謎が解けました。これからご覧になるかもいらっしゃるかもしれないので詳細は明かしませんが,最初は威勢よく珊瑚海海戦に参戦して空母レキシントン撃沈に貢献などしていた少年忍者部隊は,やがて,たたかってもたたかっても,戦争を終わらせることも,犠牲をなくすこともできない現実に直面していくのです。空想とはいえ,山本五十六連合艦隊司令長官との会話には重いものがあります(画像2)。敵のウラン研究所を爆破しても問題は解決しないことを知り(画像3),敵の新兵器の威力を理解せず,若い命を戦場に平然と投入する軍の司令たちに絶望する(画像4)。そしてついに巨大なキノコ雲が……(この絵は,ぜひ実物でご覧ください)。

 私の偏った読みでない証拠として,画像も少しだけ貼りました(論評のために許される範囲の引用と判断します)。ここで私は特定の思想を主張したいのではなく,活劇の中に戦争の過酷さを描き,少年忍者部隊の苦闘を描き切った吉田竜夫先生に心より敬意を表したいのです。

画像1 吉田竜夫『少年忍者部隊月光〔完全版〕』第4巻,マンガショップ,2006年。

画像2 同上書,105頁。

画像3。同上書,235頁。

画像4。同上書,250頁。