戊辰戦争を官軍として戦って死んだ人々は靖国神社に祀られていますが,白虎隊を含む奥羽越列藩同盟側の人々は祀られていません。靖国神社は,後に大日本帝国となる,天皇を中心とした「国家」のために戦死した人だけを祀るところであり,その敵とされた人は祀られないのです。このことは,靖国神社が,一人一人の人間のつながりとしての「ふるさと」や「くに」を思う気持ちに応えるものではないこと,国家とは「ふるさと」や「くに」とは違うものであることを示していると,私は思います。「明治150年」が,明治の「国家」の偉業だけをたたえるものであるならば,私はこの地に住むものとして賛成できません。新政府軍と戦って敗れた人々の営みを含めて,この150年は振り返られねばならないはずです。
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