フォロワー

2022年12月30日金曜日

国家が所有し,党が支配するが,資本である「党国家資本」:中屋信彦『中国国有企業の政治経済学:改革と持続』名古屋大学出版会,2022年を読んで

 中屋信彦『中国国有企業の政治経済学:改革と持続』名古屋大学出版会,2022年を読了。他の仕事の合間,合間で読んだために時間はかかったが,読んでいる時はすらすらと読み進むことができた。これは,すらすら読み進めた理由を考えながらの感想である。やや個人的事情に基づくところがあることをお断わりしておく。

 私は中国鉄鋼業研究者であっても,中国経済・社会全体に向き合う地域研究者ではない。しかし,中屋氏が描き出した,政府ー国有有限会社ー株式会社という国有企業の所有構造と,その人事を背後から中国共産党が支配する構造には,すんなりと納得がいく。その理由は,もちろん,中屋氏が豊富な資料を動員して実証しているからであるが,他にも個人的事情がある。

 一つは,私は,もともと独占資本主義論から出発したアメリカ経済研究者だったので,市場経済化した中国の巨大国有企業も資本主義の類推で理解できるからである。発達した資本主義とは,形は様々であれ独占体や寡占体制が存在するものであるから,私は中屋氏が批判するような,中国が市場経済化されて「国有企業が民営化されて自由な資本主義になる」という期待を持ったことなど一度もない。「一部の株主や金融機関や機関投資家が大きなシェアと影響力を行使する巨大企業体制になるだろう」とはじめから思っていた。その通りとなった。そして,巨大企業の所有と支配に関する研究史を踏まえれば,所有構造の一番上にモルガンやらロックフェラーやらがいるのではなく政府がいるのだと考えると,なにも不思議なことではなく,中屋氏の主張をすんなり飲みこめる。

 もう一つは,私はマルクス主義から社会科学の学びを始めた者として,共産主義運動史にも多少は覚えがあったからである。共産党組織が政府や企業の組織を実効支配する際に,主として人事を通して行うことも,今初めて中国だけに起こった新現象ではなく,共産党のあるところ歴史的にあり得ることである。企業内には企業党委員会,国有資産監督管理委員会には国有資産監督管理委員会党委員会がある。まず党の会議が,企業の役職に就くべき党員を選出し,その後(例えば党の会議を午前に行った日の午後)に企業の会議が役員を正式に選出する。中屋氏によるこの構造と過程の分析などは,堅い叙述にもかかわらず政治的生々しさが感じられるが,共産主義運動の在り方としては典型的なので,これもまた私にはすんなり理解できる。

 とはいえ,私にとっても,国有企業が,国家資本のまま,かつその国家資本を党組織に実効支配されたたままで,これほどまでに営利企業としての内実を獲得できたことは予想外であった。逆に言えば,営利企業としての内実を獲得した企業を国家資本と党組織で支配し続けることができたというのは,やはり意外なことであった。しかし,それが現実であった。この独特な在り方が現存することを,古い言葉で言えば「所有・支配」論,現在の日常用語では「企業統治」論の視角から解明したことが,本書の最大の功績と思う。

 国有企業は,国家が所有し,党が間接支配する所有・支配構造をもっている。しかし,利潤追求のメカニズムは改革が進むにつれて,強く作動するようになっている。したがって,その性質は「党国家資本」だというのも,納得がいく。イデオロギーや思想として中国経済と中国共産党をどう評価するにせよ,党支配であり国家支配であるが,資本でもあるというのが,国有企業の現実を把握する適切な規定であろう。

 本書に残された課題があるとすれば,それは党員経営者,あるいは党官僚と経営者の兼任者の専門的能力とキャリアの形成に関する研究であろう。巨大株式会社の「所有・支配」,あるいは今風には企業統治を研究する際には,株式などの所有から出発して支配を検出する方法と,専門的職能としての経営・各級管理の生成から出発して支配を検出する方法とがあり,主としてアメリカ経済研究を通して形成された。前者は,A.A.バーリ&G.C.ミーンズの経営者支配論とこれに対する批判を含んだ諸研究(※1),後者は古くはJ.バーナム,やや新しくはA.D.チャンドラー,Jr.の研究(※2)を画期とする諸研究である。中屋氏の研究は,所有から出発する前者の研究潮流に属する。ちなみに,日本の古典的研究としては馬場克三(※3)が参照されている。残されるのは後者の視角からの研究であろう。党員経営者,あるいは党官僚と経営者の兼任者はどのようにキャリアを積み,企業経営と政治支配を含むどのような専門的能力を身に着けて,「党国家資本」の活動を成立させているのであろうか。ときに相反する複合的な能力が求められること故の矛盾はないのだろうか。これは,中屋氏に要求すべきことではなく,後学の課題となる。

※1 A. A. Berly & G. C. Means, The Modern Corporation and Private Property, The Macmillan Company, 1932(A. A. バーリ&G. C. ミーンズ著,森杲訳『現代株式会社と私有財産』北海道大学出版会,2014年)。その後の種々の研究を踏まえた総括として松井和夫『現代アメリカ金融資本研究序説:現代資本主義における所有と支配』文眞堂,1986年。

※2 J. Burnham, The Managerial Revolution: What is Happening in the World, John Day, 1941(J.バーナム著,武山泰雄訳『経営者革命』東洋経済新報社,1965年)。A. D. Chandler, Jr., The Visible Hand: The Managerial Revolution in American Business, The Belknap Press of Harvard University Press, 1977(A. D. チャンドラーJr.著・鳥羽欽一郎・小林袈裟治訳『経営者の時代:アメリカ産業における近代企業の成立(上・下)』東洋経済新報社,1979年。

※3 馬場克三『株式会社金融論』森山書店,初版1968年,増補改訂版1978年。

出版社ページはこちら。









2022年12月29日木曜日

日経金融PLUSの「デジタル円」論と対話する:「預金先行説」でなく「貸付先行説」で考えよう

 日経金融PLUSの「デジタル円」論だが,多くの論者が陥るのと同じ誤解をしていると思う。一つ一つ対話してみたい。


記事:
「CBDCは銀行預金を駆逐してしまう可能性がある。マネーは大きく預金と現金にわけられる。CBDCは基本的に現金をデジタルに置き換えるものだ。預金は銀行が破綻してしまうと手元に戻ってこない可能性があるが、現金は基本的に手元に残る。CBDCはスマホの中にある現金のようなもので、預金と違って原則的に消失リスクはない。そうなると、生活者はマネーを銀行預金から安全性の高いCBDCに置き換えていくだろう。」

コメント:
 使い勝手の良いCBDC=デジタル円ができれば,銀行預金が減ってデジタル円をスマホ等の中で持つ人が増える。その見通しには私も賛成だが,理由が少しずれている。デジタル円ができたとしても,人はそうしょっちゅう銀行の破綻を心配するわけではない。しかし,銀行の破綻が心配ないとしてもデジタル円の方が便利になる理由がある。それは,口座振り込みよりも,デジタル現金取引の方が便利になった場合である。もし口座振り込みにイノベーションがなく,現金がデジタル円になれば,人はみなスマホ操作でデジタル円を送金して取引するだろう。当座性預金を保持し続ける理由がない。企業の当座預金は利子がつかないし,個人の普通預金の利子も雀の涙だからである。これが,預金が流出する主な理由である。
 銀行がこれを防止したければ,口座振り込みをデジタル円並みに便利にするしかない。つまり,いまのデビットカードとネットバンキングの使い勝手を良くし,銀行を超えて手数料なしで支払いできるようにすればよいのである。これが銀行の課題となる。


記事:
「みえてくるのは、デジタル円を使って決済・送金サービスに特化する「ナローバンク」の誕生だ。CBDCの最大の利点は、安全・安価にスピード決済できることにある。」

コメント:
 デジタル円=デジタル現金と預金通貨が混同されている。預金が流出した場合に起こることは,決済がデジタル円で,個人や企業によって,銀行を介在せずに,スマホとスマホの間で行われるようになるということである。札束の持ち運びが要らない,現金取引のデジタル版である。
 だから,銀行からは決済・送金サービスが真っ先に流出する。銀行が「デジタル円を使って決済・送金サービス」をする必要そのものが失われるのである。繰り返すが,銀行がこれを防ぎたければ,口座振替をデジタル円よりも便利にするしかない。


記事:
「一方で多くの商業銀行は預金を徐々に失い、経済成長を支えてきた預貸ビジネスも見直しが必要になる。商業銀行は預金を集めるのではなく、市場で資金を直接調達して、それを元手に融資するようなノンバンクに近い形態になっていく可能性もある。CBDCが銀行システムの劇薬になりうるのはそのためだ。」

コメント:

 預金を集めなければ貯貸ビジネスができないというところがおかしい。商業銀行が預金を集めるとか,市場で資金を直接調達するというが,それは現金が大量に流通しているか,あるいは自行以外が預金を持っているから可能なことである。では,そもそも流通している現金や預金通貨とはどこから来たものなのか。金本位制であれば結局金鉱から金貨が来るように,現金や預金もどこからか来たはずである。
 その答えは,預金はどこかの銀行がどこかの企業,まれには個人に貸し付けた時に生まれたのであり,現金は,誰かが預金をおろした時に発行されたのである。まず預金が預けられ,銀行がそれをもとに貸し付けるのではない。銀行が貸し付ける時に預金も生まれるのである。預金とは銀行の手形であり,銀行貸付とは,「うちの手形は通貨として使えるほど信用があるので,これで貸してあげる」という行為なのである。この時,預金は必要ないが,もちろん,預金の現金引き出しや,他行への送金による引き出しや,貸し倒れリスクに備えた準備金は必要である。それは,準備預金=中央銀行当座預金を持つことによって確保される。そして,中央銀行当座預金もどこで生まれるかと言えば,中央銀行が銀行に与信することによって生まれるのである。
 だから,社会全体としては預貸ビジネスは決してなくならない。なくなったら通貨が供給できず,経済は成り立たないし,おろすべき預金がなければデジタル円も存在できない。銀行が企業に貸し付けることによって預金通貨が供給されるのは,デジタル円ができても同じなのである。違うのは,デジタル円が便利であるために,いったん供給された預金が,早期に大量に引き出されてデジタル円に変わるということである。
 預金が引き出される時,銀行は中央銀行当座預金を引き出してデジタル円を確保しなければならない。だから,資産側で準備預金が減り,負債側で預金が減る。このことは,銀行の貸し出し能力を制約する。社会全体で多くの銀行にこれが生じるが,程度は銀行によってさまざまであろう。預金流出に耐えられるような規模の大きい銀行,あるいはデジタル円に対抗できる口座振替サービス,さらにそれ以外の金融サービスを提供できて預金を保持してもらえる銀行には競争力があるが,それ以外にはないというように銀行間格差が広がる。これが実際に起こり得ることである。
 このとき,市場性資金を集めざるを得ない銀行は確かに発生する。しかし,それは,集めた資金を元手に融資するためではない。貸付自体は信用創造でできるのであって,必要なのは準備金である。準備金について日銀からの与信が制約された場合に,市場からの資金取り込みに依存することになるのである。また預貸ビジネスで劣後した場合に,市場性資金を取り込んで自ら証券市場等で運用すると言ったハイリスク・ハイリターンの行為に走ることになるのである。


記事:
「商業銀行とナローバンクへの銀行ビジネスの二分化は、それでも検討に値する。利点は金融システムリスクを和らげる効果だろう。」「CBDCを本格導入すれば銀行機能の二分化は避けられない。」

コメント:
 結論として,起こるのは商業銀行とナローバンクへの二分化ではない。銀行間の収益力格差による淘汰である。


 以上のように,この記事は多くの点で誤っているのだが,それでも有意義なことがある。それは,理論的根拠があって誤っているために,理論的示唆が得られるということである。この記事は,「銀行は,預金を受け入れて,それを原資に貸し付ける」という,多くの経済学者が採用している「預金先行説」に基づいており,それ故に誤っている。そのため,「預金先行説」を逆転させ,「銀行は,貸し付ける際に預金という自己宛て手形を創造する」という「貸付先行説」にすれば,整合的な予想が成り立つのである。この記事は,誤っている記述を通して,「預金先行説」の問題と,「貸付先行説」による現実理解や将来予測の必要性を示してくれているのである。

「デジタル円」は良薬か劇薬か 銀行システム、二分化へ(金融PLUS 金融部長 河浪武史)日本経済新聞,2022年12月12日。


2022年12月25日日曜日

ドル高・金利引き上げがもたらす,新興国外貨建て対外債務の危機

 UNCTADの第13回債務管理会議のレポート。多くの国が,パンデミック,地政学的不安定性,気候変動による債務負担に苦しんでおり,そこにアメリカの金利引き上げが追い打ちをかけている。欧米諸国がインフレ退治に集中することが,世界の反対側で公共政策を困難に陥れていることに注意しなければならない。

「国際通貨基金(IMF)の推計によれば,新興国の債務の70%,低所得国の債務の85%が外貨建てである。
 途上国政府は現地通貨で支出し,外貨で借り入れを行うため,この構造では,公共予算が大規模かつ予期せぬ通貨安に大きくさらされることになる。
 2022年11月末までに,少なくとも88カ国が今年になって対米ドル安を経験した。このうち31カ国では,下落率が10%を超えている。
 アフリカのほとんどの国で,このような減価は,アフリカ大陸の公衆衛生支出に相当するほどに債務返済の必要性を増額させると,Grynspan氏は述べた。」

 資本主義は,金と言う世界通貨の現送をなくすことによって,国際金融の規模を拡大した。しかし,そのことにより,国際貿易や貸借や資産保全を特定国通貨建てで行わざるを得ないという矛盾を抱え込んだ。アメリカが自国のインフレを抑制するために金利を引き上げると,途上国の対外債務が増大するのは,この矛盾の表れだ。理想的な国際金融システムがすぐに実現するとも思えないが,現にあるシステムが円滑で平坦で公平なグローバリゼーションをもたらすものではないことは知っておく必要がある。

World leaders call for stronger multilateral solutions to debt crisis, UNCTAD, December 5, 2022.


2022年12月16日金曜日

NHKスペシャル「金正恩の北朝鮮 〜“先鋭化”の実態を追う〜」を視て:北朝鮮の核抑止力論

 NHKスペシャル「金正恩の北朝鮮 〜“先鋭化”の実態を追う〜」(2022年12月11日放映)を視た。金正恩と北朝鮮政府のメッセージは,「核兵器はおおむねできた。目標まで飛ばせるミサイルの完成もまもなくだぞ」と言うことだろう。

 北朝鮮の戦争挑発が危険なのは言うまでもないし,専守防衛の範囲である限り,これに日本政府が対応することも私は反対しない(ただし,敵基地攻撃能力保有や,根拠の説明がない防衛費急増には反対である)。

 しかし,もうひとつ,北朝鮮の論理は北朝鮮が特異な国家であることだけから来るのではなく,広く世界に普及している「核抑止力論」の論理でもあることに注意する必要がある。日本では,大国同士の衝突を抑える理論として核抑止力論が肯定的に扱われることが多い。しかし,北朝鮮がやっていることも,「核保有国と対立する非保有国が核抑止力論を採用した場合」そのものなのである。

 核抑止力論は,複数の国家が互いに核兵器を保有し,いざ核戦争となれば互いに甚大な被害が確実に出ることがわかっているという,破壊の相互確証ゆえに,各国は核戦争を回避することを前提に行動するだろう,というものである。しかし,この考えを,核保有国と対立する非保有国が採用した場合,自国の状況を,一方的に壊滅させられるリスクに直面していると捉えることになる。核保有国と外交交渉することなど不可能だと思えてくる。よって,まず核兵器を保有し,従来の核保有国と核戦争時の相互破壊を確証できるところまでもっていこうとする。それを妨げようとする一切の働きかけには耳を貸さない。これが,現在,北朝鮮が取っている行動のロジックである。

 したがい,平和裏に北朝鮮を思いとどまらせるためには,核兵器開発が実務的に不可能なほど実効ある経済制裁を行うか,核兵器など持たなくても体制転覆を強制されることはないよと言う確証を持たせて,核抑止力論を放棄させることが必要になる。前者は中国との通商ルートを遮断できないので困難である。後者は,ベトナム市場経済化の経験を見れば可能だろう(ベトナムは核兵器保有をめざしたことはないが、周囲との緊張緩和、対外開放を実現した過程は参考になる)。ただし,市場経済化によって一党独裁体制がどの程度緩和するかは保証の限りではないこと,その程度はさまざまであることも,中国やベトナムの経験が教えるところである。できることはあると思うが,容易な道はなさそうだ。


2022年12月14日水曜日

論文「活動単位としてのタイミング・コントローラー成立の諸条件 -スパイラル鋼管の事例から-」の公表に寄せて:岡本博公先生に

 「活動単位としてのタイミング・コントローラー成立の諸条件 -スパイラル鋼管の事例から-」所収の『社会科学』52巻3号が発行され,同志社大学学術リポジトリに掲載されました。

 本稿は昨年10月に亡くなられた岡本博公先生に捧げられます。私の鉄鋼業研究は,岡本先生の『現代鉄鋼企業の類型分析』を導きの糸としています。また,私のゼミ修了生の研究者のうち,Mohammed Ziaul Haider さん(Khulna University),章胤杰さん(上海外国語大学),Nguyen Kim Nganさん(東北大学)は先生の2冊目の著作『現代企業の生・販統合』に理論構成の一部を,銀迪さん(東北大学ポスドク)は『現代鉄鋼企業の類型分析』に多くを負っています。岡本先生は,いつも私の論稿に鋭いコメントをくださり,私を励ましてくださいました。本稿の草稿にも亡くなられる数日前にメールでコメントを寄せて,事業所論(活動単位論)を再興することを支持してくださいました。

 本稿はささやかなものですが,岡本先生が提起された事業所ー企業ー産業の三層分析を損なわず,理論的・実証的に豊かにすることに少しでも役立ていればと思います。


「活動単位としてのタイミング・コントローラー成立の諸条件 -スパイラル鋼管の事例から-」『社会科学』52(3),同志社大学人文科学研究所,2022年11月,1-22

1 問題の所在
 1.1 目的と課題
 1.2 先行研究の検討
  1.2.1 原点:チャンドラーとウィリアムソン
  1.2.2 事業システム研究:事業所論の独自性
 1.3 分析枠組みの設定
 1.4 事例選択と方法

2 スパイラル鋼管の事例分析
 2.1 スパイラル鋼管の用途と製造方法
 2.2 AJ社のケース
 2.3 AV社のケース
 2.4 考察

3 結論と残された課題



2022年12月13日火曜日

中小企業には債務減免の条件として賃上げを求めてはどうか

 金融政策をめぐる議論は,ねじれが避けがたい状況になっている。

 「異次元金融緩和」の「異次元」の部分(マイナス金利,ETF購入,イールドカーブコントロール)は景気刺激効果もなく,いたずらに円安・輸入物価上昇を引き起こすばかりなのでやめるべきだが,景気が弱い以上「金融緩和」を止めるわけには行かない。このことは以前も述べた

 ここにさらに加わるのが,「ゼロゼロ融資」,すなわち無利子・無担保の「新型コロナウイルス感染症緊急特別融資」終了による中小企業の資金難である。コロナ対策の行動規制が再導入されないと見通されるいま,ゼロゼロ融資は終了するのが筋である。しかし,問題はゼロゼロ融資を運転資金として費消してしまい,無利子であっても返済困難な中小企業が増えつつあることだ。それは,昨年よりも今年の方が企業倒産が多いことに表現されている。これを放置すればさらに景気をぐずつかせる恐れがある。

 こうして,金融緩和はジレンマに入っている。このジレンマのおおもとは,政府・日銀が,「異次元金融緩和でインフレ期待を高めれば景気が回復する」と言うブードゥーエコノミクスによりかかり続けている結果である。その責任は追及すべきであるが,政府と日銀を責めるだけでは現実は変わらない。日本経済は,金融緩和がなければ生きられない事業によって雇用を支える脆弱な状態である。しかし,いつまでたっても景気が回復せず,コロナ禍という自己責任外のショックにも見舞われた以上,「ゾンビ企業は退治せよ」とばかりに金利を引き上げることは確かに公平ではないし,景気をさらにぐずつかせるおそれがある。

 政府は債務減免を含めた事業再生支援措置を講じるそうだ。それは一つのもっともな策だが,その場しのぎで,日本の企業体質をさらに弱める結果となる危険も高い。私はここで,ジレンマを緩和する暫定措置を提案したい。

 実は「異次元の金融緩和」がもたらしたジレンマを解消はできなくても緩和する措置はある。賃上げである。賃金が上がれば,物価は自然と引き上がり,企業の生産は自然と拡大する。それによって,金利の適度な引き上げも可能になるのである。

 インフレがひどくなるではないかと言う意見があるかもしれないが,ここでは2種類のインフレを区別する必要がある。現在,日本ではコスト・プッシュ・インフレが昂進しており,国民生活を苦境に追いやっている。これは世界の多くの国と同じである。しかし,日本では,賃金が異常に上がらないが故に,ディマンド・プル・インフレが起こらなさすぎていて,そのことが景気をだらだらと弱いままにしている。コスト・プッシュ・インフレは沈静化させるべきだが,賃金は引き上げてゆるやかなディマンド・プル・インフレ,すなわち賃金上昇と物価上昇のゆるやかな相互作用は起こすことが望ましい。それによって企業の生産と投資も拡大し,雇用が生まれるからであり,賃上げを受け止めてこそ,企業はイノベーションを追求せざるを得なくなって競争力を持つからである。

 ここで私の提案は,中小企業支援に際して提出を求める事業再生プランに,賃金引き上げを必須条件として含めることである。賃上げを行うことができるか,少なくともそれを目指すプランを提出できる中小企業こそ,公的支援に値する。なぜなら,賃上げこそが日本経済全体の利益だからである。

 もちろん賃上げへのコミットは企業にとってコスト増になるが,その分を含めて債務の減免等の支援を厚くすればよい。もちろん,一時的に引き上げた賃金をまたすぐ下げるのでは困るので,今後とも引き上げられた賃金を支払えるような事業再生計画を求めるのである。これによって,公的支出を確実に賃上げに結びつけて,家計消費から景気回復を図ることができる。また,この方式ならば,中小企業の経営意欲を損なわず,コストを過度に引き上げず,経営の意思決定に過度に介入せずに実施することも可能だ。絶対に認めてはならないのは,これとは逆に,賃下げ,雇用の非正規化を再生計画に加えることである。賃下げしないと生き残れない企業に公的支援を与えてはならない。

 この方策は,問題のすべてを解決するわけではないが,単純に債務減免を行うよりはましな結果を残せると思う。

<参照>
大矢博之「国がゼロゼロ融資の債務減免「令和の徳政令」実施へ、救われる企業の「ボーダーライン」は?」DIAMOND ONLINE,2022年11月1日。

2022年12月6日火曜日

博士論文 銀迪「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」の公表によせて

  当ゼミの修了生である銀迪さん(東北大学経済学研究科博士研究員)の博士論文「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」が東北大学機関リポジトリTOURで全文公開されました。

 この論文は,2001-2015年の高成長期における中国鉄鋼業の構造を,需要構造,技術選択と生産システム編成,企業構造,産業の構造,産業政策の諸側面から明らかにしたものです。

 中国は世界最大の製鉄国ですが,この時期の鋼材需要の中核は,小ロット指向の中低級品,典型的には鉄筋用棒鋼などの建設用鋼材でした。自動車用鋼板などの高級鋼材需要も増えましたが,そのシェアの拡大はゆるやかなものでした。

 鉄鋼企業は,この需要構造を背景にして技術・生産システムを編成しました。その結果,宝武集団に代表される,大型高炉一貫システムを基礎とした大型高炉一貫企業も多数形成されました。この15年間のうちに業界団体非加盟の小型企業から最大級の高炉一貫企業にまで駆け上った例もあります。しかし,民営の業界団体非会員の小型企業(高炉一貫企業,電炉企業,単純圧延企業)も多数成長しました。産業全体としては,国有・民営が混合する大型高炉一貫企業と,非会員小型企業が併存する構造となりました。そして,実は大型高炉一貫企業も,内部には大型高炉一貫システムと中小型高炉一貫システムの双方を保有していたのです。

 中国政府は鉄鋼業の高度化をめざし,設備巨大化・企業大型化・産業集中化を促進する産業政策を実施しましたが,その作用は功罪半ばするものとなりました。大型設備による沿海鋼鉄基地の形成や,旧式設備淘汰による環境改善には寄与しました。その一方,中低級品需要にこたえる民営小型企業の投資を排除しようとしたことは市場ニーズに逆行する行為でした。結果として,このニーズは,規制を逃れて投資を進めた民営企業によってカバーされたのです。

 中低級品の一部では,群生する小型民営企業に加えて,大型高炉企業までも,中小型高炉一貫システムを用いて競争しました。この激しい設備投資競争は過剰能力の形成に向かい,結果として中国鉄鋼業の高成長期を終わらせることになったのです。

 銀さんの論文は,この時期の中国鉄鋼業の技術や産業組織を理解するために,まず最初に読んでおくべきものになったと思います。

 また,この論文は徹底したケース・スタディですが,実は「生産システムー企業ー産業」という産業の三層構造分析と,「目的合理性ー執行強度ー結果」と言う産業政策の二軸三局面分析という理論的方法論に基づいています。

 前者の方法により,世界最大の製鉄国である中国が,生産システムの次元では中小型高炉一貫システムに依拠しており,また,そうでありながら企業レベルでは巨大企業の形成が進んでいるという複雑な構造を持っていることを明らかにしました。このことは,企業自身による市場適応という側面と,政府の企業巨大化・産業集中化政策の結果と言う二側面を持っていました。

 また後者の方法により,中国政府の産業政策について,政策目的通りの成果を上げたこと(沿海鋼鉄基地の形成,旧式小型設備淘汰による環境保全),政策目的を達成できなかったこと(合併・買収による産業集中度の向上),政策目的から外れた企業行動によって,かえって望ましい結果に至ったこと(民営企業の多数参入による建設用鋼材の供給)を区別して評価することを可能にしました。

 指導教員としては手前味噌ですが,本稿は,私自身の鉄鋼業研究ではこれまでなしえなかった,産業研究の理論的深化に踏み出していると思います。

銀迪「高成長期の中国鉄鋼業における二極構造の形成」2022年10月6日学位授与。博士(経済学)

2022年12月5日月曜日

川端望「中央銀行デジタル通貨は何をもたらすか -野口悠紀雄『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』新潮社,2021 年を読む-」DP版の公表にあたって

 川端望「中央銀行デジタル通貨は何をもたらすか -野口悠紀雄『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』新潮社,2021 年を読む-」 をTERG Discussion Paper, No. 469として公開しました。野口先生の一般向け書籍をなぜ取り上げたかというと,以下の点で重要だと考えたからです。

1.CBDCはデジタル化された現金であり,現金通貨と同じ法則性を持つことを指摘したこと。これは本書の重要な貢献です。ただ,せっかくの一般向け書物なので,「CBDCはキャッシュレスでなくデジタルキャッシュである」と「CBDCは取引をキャッシュレスにするのではなく,口座振替をデジタルキャッシュ取引に変える」とはっきり断言して欲しかったです。

2.CBDCは銀行を貸し出し不能またはナローバンクにすると主張したこと。これは本書の問題点であり,批判したところです。そしてこの批判は,野口先生が依拠されている主流の銀行論,つまり預金先行説に対する批判でもあります。CBDCの姿は,貸付先行説で銀行を理解することによって把握可能となります。

 貨幣論の研究の発表の場を,ようやくブログからDPに広げられました。論文まで行けるように頑張ります。

 なお,本稿は2021年12月3日の記事を,原形をとどめないほど大幅に改定したものです。


川端望「中央銀行デジタル通貨は何をもたらすか -野口悠紀雄『CBDC 中央銀行デジタル通貨の衝撃』新潮社,2021 年を読む-」TERG Discussion Paper, No. 469,1-12。

2022年11月27日日曜日

21世紀日本における軍事費の紆余曲折:山田朗氏作成の表を読む

  山田朗「自衛隊はどう変わりつつあるのか」『経済』2022年12月号が45ページに「日本の軍事費(1995-2022年)」と言う表を掲げている。これを見て、21世紀日本の軍事費が意外な動きをしていることに気が付いた。そして、現在の「GDP2%」という自民党の軍事費拡張路線が、財政構造を一気に変えようとするものであることが明らかになった。以下、数字をただ読んだだけであるが、「Kaコメ」は私なりの解釈であり。素晴らしい表を作成してくださった山田氏に感謝する。なお、本ブログの趣旨は山田氏自身の解釈と同一ではないかもしれないが,さほど違いもしないだろうと予想する。

 なお、ここで言う軍事費の定義は、防衛本庁・防衛施設庁・安全保障会議の当初予算合計額である(2を除く)。

 用いる指標は軍事費の絶対額、対歳出比率、対前年度比伸び率、対GDP比率である。

1.「GDP比1%枠」は維持されていた

*「1%枠」は1976年に三木内閣によって設定され、1987年に中曽根内閣によって廃止された。しかし、結局1%枠は生き続け、21世紀になってからも1%を超えたのは2002年度だけであった。

*Kaコメ:世論や対アジア諸国外交、他用途の圧迫を考慮すると、自民党政権と言えど安倍政権と言えど、これまで1%を守らざるを得なかったのだ。

2.世界の軍事費ランキングで日本は大きく下がった

*この統計だけは、垣内亮ほか「『軍事費2倍化』は何をもたらすか」『経済』2022年12月号、17ページを参照した。したがって軍事費の定義もストックホルム国際平和研究所のものであり、他の項目と異なっている。

*同研究所の基準で見た軍事費の世界ランキングにおいて、1995年に日本は2位だった(1位はアメリカ)。それが2021年には9位に下がった。2-8位は中国、インド、イギリス、ロシア、フランス、ドイツ、サウジアラビアだった。

*Kaコメ:なぜこんなに順位が下がったのかと言うと、「GDP比1%」枠を守ったからである。「1%枠」を守ると、日本のGDPは1990年代後半以降ほとんど成長しなかったので、軍事費も増加しようがなかった。他の上位国はそれぞれの事情で軍事費を増やしたために追い抜かれたのである。身もフタもない話である。

3.小泉内閣から安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田内閣まで軍事費は減り続けていた。

*2003年度から2012年度まで10年間連続で軍事費の絶対額は減り続けていた。

*対歳出比率も多少上下しながら小泉内閣前年度の2000年度:5.79%→2012年度5.14%と低下した。

*対GDP比率も2000年度:0.99%→2012年度:0.97%と低下した。

*Kaコメ:率直に驚いた。これほど連続して減額されているとは思っていなかったからだ。この時期の前半は、小泉構造改革期であり、小泉内閣がバカ正直にマイナスシーリングを軍事費にも適用したことが大きいと思われる。その後も歳出抑制傾向は続き、拡張される場合もリーマン・ショック対応など軍事以外を優先したのだと思われる。

4.安倍内閣期に軍事費は増えたが、対歳出比率や対GDP比は低下した

*2013年度から2020年度まで軍事費は毎年増え続け、とくに2014年度は2.21%と1996年度以来の増加率となった。

*しかし、対歳出比率は安倍内閣直前の2012年度:5.14%→2020年度:5.02%と低下した。

*対GDP比率も2012年度:0.97%→2020年度:0.89%まで低下した。

*Kaコメ:これも意外なことであった。安倍内閣は安全保障関連法制の整備など、制度的に日本が戦争に関与できる範囲を広げ、軍事費の絶対額も増額に転じさせたが、実は軍事費が予算や日本経済に占める地位を引き上げることはできなかったのだ。

5.菅内閣・これまでの岸田内閣は短期なので何とも言いにくいが、安倍政権を継承したものの、もっぱらコロナの影響で多少の変化があった。

*軍事費絶対額は引き続き、2021年度、2022年度とも1.08%増えた。

*対歳出比率は、安倍政権最後の年の2020年度:5.02%→2022年度:4.81%と低下した。

*一方、対GDP比率は2022年度:0.89%→2022年度:0.92%と上昇した。

*Kaコメ:コロナ禍でGDP自体が縮小したために対GDP比率が引き上がる一方で、コロナ対策のために歳出を拡大したために、軍事費の対歳出比率が下がったのだと考えられる。

6.まとめのKaコメ

 以上のように、21世紀の軍事費は、紆余曲折をたどってきた。これまでの20年間は、自民党政権も民主党政権も、軍事費を優先的に扱って来たとは言えない。何よりも「GDP比1%枠」が軍事費の頭を押さえつけていたことがわかる。だからこそ、自民党はここを突破点とし、一気に「5年以内に対GDP比2%」に持っていこうとしているのだろう。5年で対GDPを2倍にするというのは、GDP成長率を毎年1%として,これから毎年度約18 %軍事費を増やすことを意味する(※)。過去のトレンドに照らしてみると、いかに突拍子もない質的転換を目指すものであるかがわかる。

※GDPが5年間毎年1%だけ成長するものとする。すると5年後にはGDPは現在の1.05倍になっている。2022年度の軍事費はGDP比0.92%なので,現在の0.92%から5年後の2%への増額には軍事費が2.28倍になる必要がある。そうすると,毎年度17.9-18.0%の伸びが必要である。

『経済』2022年12月号。

*2022年11月29日。今後の毎年度の軍事費増加率計算の仮定と結果を修正し,計算履歴を付記。

2022年11月19日土曜日

超過準備維持・金融緩和・国債消化:準備預金への付利に関する考察(2)

1.問題の所在

 前稿では,金利を引き上げると,日銀から日銀当座預金への利払いが増え,場合によっては赤字や債務超過もありうること,日銀は債務超過になっても円建てである限りデフォルトを起こすことはなく営業を継続できるが,信用秩序維持能力の喪失を疑われることはありうること,債務超過を放置できずに政府が補填した場合に,政府・議会からの介入圧力が生じることを述べた。

 本稿は,一歩考察を勧めて,中央銀行当座預金への付利という手法の本質を考察したい。そもそもなぜ,日銀当座預金への利息が問題となりうるのだろうか。日銀当座預金への付利とは,金融システムの抱えるどのような特徴や問題点の表れであり,どのような機能を果たすものなのだろうか。

2.準備預金への利息付与の経過

 準備預金でもある中銀当座預金は,もともと利息が付されてないものであり,またそれが望ましいとされていた(小栗,2017,p. 104)。準備預金は,支払準備のために銀行が積むべきものだったからである。しかし,アメリカと日本では,超過準備への付利がリーマン・ショックの時に始まった(ただし欧州中央銀行❲ECB❳では1999年から準備預金全体に利息が付いていた)。その直接の動機は,金融危機の下で銀行の手元に十分な支払準備を確保すると同時に,中央銀行が短期金利に対するコントロールを失わないようにするためであった。

 リーマン・ショックに際して,各国中銀は緊急融資や債券買い上げによって銀行に豊富な準備を供給した。経済全体にも豊富な流動性が供給されるようにするためである。すると,銀行は超過準備を持つことになり,貸し出し余力をつける。資金ショートの心配はなくなる一方,超過準備に利子がつかないために,そのままでは収益性が低下する。この時,銀行行動は不確定になり,その影響でインターバンク市場が不安定になる。銀行からの資金放出がまったく不活発になって,いざ資金を必要とする銀行が調達不可能になるかもしれない。逆に,資金が大量に放出されて過剰な緩和が生じるかもしれない。各国中銀が超過準備または中銀当座預金に利息を付したのは,直接には,この状況をコントロールするためであった。これらは,ベン・バーナンキや白川方明によって証言されている(白川,2018;バーナンキ,2015,pp. 76-77)。

3.準備預金付利継続の論理(1)長期停滞の下での緩和基調の維持

 しかし,制度の導入時の動機と,その制度が存続して果たしている役割は異なるものである。その後,金融危機が去ってからも超過準備預金への付利は継続されてきた。危機から脱出した後は,中央銀行は超過準備を売りオペレーションによって吸収してもよかったはずである。しかし,結局これが徹底されることはなかった。アメリカで「QEの終了」が言われても,超過準備の徹底吸収がめざされた気配はないし,議論だけで「金融緩和の出口」が目指されてもいない日本ではなおさらである。それはなぜか。

 第一に,リーマン・ショック後も,金融緩和を継続せざるをえないほど,先進諸国において経済の長期停滞が明確だったからである。黒田総裁就任以後に意図的に緩和を行った日本だけでなく,アメリカもヨーロッパも,とても超過準備を吸収しきるほどの金融引き締めを行えなかった。先進資本主義諸国の経済停滞により,各国中銀が金融緩和基調を維持せざるを得なかったこと。これが超過準備の存続の根本理由と思われる。

 金融緩和,もっと言えばゼロ金利と超過準備の維持は両輪の関係にある。もし短期金融市場に十分なプラス金利があって,中銀当座預金に利息が付かないのであれば,銀行は超過準備を保有する動機を持たない(横山,2015,pp.126-131)。資金運用の機会を失うだけだからである。しかし,金利がゼロになれば別である。銀行にとって,超過準備を保有することと,インターバンク市場に放出することが無差別になるからである。しかし,それでは先に述べたように,インターバンク市場が不安定になる。そこで中央銀行は,超過準備,または中銀当座預金全体にかすかに付利することによって,超過準備保有のインセンティブを銀行に与え続けているのである。金融危機ではないときにも,程度はとにかく質的には危機と同様にゼロ近傍の金利を保ち,超過準備保有を銀行に促さざるを得ないほどの長期停滞が生じていたこと。これが,中銀当座預金への付利が継続した経済的背景である。

4.準備預金付利継続の論理(2)国債消化の円滑化

 第二に,国債消化を支え,財政の赤字運営を円滑化するためである。これは,政策当局が目的意識的に行っているかどうかは明確ではないが,事実上そのような経済的機能を果たしているということである。

 ヨーロッパでは国毎にある程度事情が異なるとはいえ,先進諸国政府は21世紀に入ってから財政を赤字基調として,国債による資金調達を行ってきた。これもつまるところは,経済の長期停滞に対処せざるを得なかったからである。

 国債発行による資金調達は,中銀に口座を持つ預金取扱金融機関によって購入される限り,マネーストックを吸収しない(最終的に個人や生命保険会社などが購入する場合は吸収する)。というのは,国債は超過準備によって購入されるからである。一方,政府が赤字支出を行うとマネーストックは増大し,それは銀行預金の純増と,それを反映した中銀当座預金の増加に反映される。なので,国債発行による財政支出では,マネーストックは増大し,銀行全体を通しては超過準備はプラスマイナスゼロとなる(※1)。

 ここで,超過準備はもともと中央銀行によって供給されるものである。そして,国債購入と政府支出の過程で一時的な短期金融市場の引き締まりが起これば,やはり中央銀行が買いオペを行って対抗するだろう。また,中央銀行がさらなる金融緩和を意図する場合や,銀行にとって国債購入が魅力的でない場合には,事後に中銀が買いオペレーションを行うことになるだろう。この場合は,金融緩和と事実上の財政ファイナンスが同時に行われる。超過準備はさらに積みあがるが,ここに利息が付されていれば,銀行はこれを保持し続ける。そして,超過準備の金利を上回る貸し出しを求めて行動することになる。

 このように,国債消化を円滑化すること,具体的には金融を引き締めず,場合によっては一層緩和し,事実上の財政ファイナンスを行いながら赤字財政を実行させることに,超過準備が大いに貢献している。超過準備は,いわば国債を引き受けるためのクッションである。その厚みは,国債を引き受けたことで減少するが,財政支出によって回復する。一層の金融緩和が意図される場合や,国債の魅力に疑念がある場合には,中央銀行が買いオペを行うことで,クッションには一層厚みが出るのである。

5.結論と残された課題

 以上,中銀当座預金への付利とは,直接にはゼロ近傍の金利の下で銀行に過剰準備の保有を促すためものであった。中央銀行がそのような政策に出ることを後押ししたのは,先進資本主義諸国の長期停滞という事態であった。長期停滞のもとで伝統的な金利操作は通用しなくなり,また財政は赤字基調とならざるを得なくなった。この二つの条件の下で,金融緩和を有効に行うための手段として,また国債の円滑な消化の手段として用いられたのが過剰準備だったのである。

 したがって,中銀当座預金への付利とは,中央銀行にとって,銀行に過剰準備保有を促すためのコストであり,それは結局は,ゼロ近傍以下の金利の下で金融政策を行うためのコストであり,国債消化を円滑に進めるためのコストだったのである。これが,付利された中銀当座預金の累積の背後にある経済の実態であり,またこの利払いというコストの本質である。

 次に検討すべきは,このコストが,中央銀行と金融・財政システムの運営にとって支払に値するものであったのか,すなわち中銀当座預金への付利は,金融政策と財政政策を有効に作動させたのか,金融・財政政策を作動させるという便益に見合うコストであったのか,ということである。稿を改めたい。


※1 この理解は通説と異なり,国債発行がカネのクラウディング・アウトを起こさないとするものである。川端(2019.9.5)を参照。

<前稿>

川端望(2022.11.16)「日銀の業績が悪化するとどのような問題が起こるか:準備預金への付利に関する考察(1)」Ka-Bataブログ(https://riversidehope.blogspot.com/2022/11/blog-post.html)。

<続稿>

川端望(2023.7.6)「超過準備とは財政赤字累積と量的金融緩和の帰結であり,中銀当座預金への付利は,そのコストである:準備預金への付利に関する考察(3)」Ka-Bataブログ(https://riversidehope.blogspot.com/2023/07/blog-post_6.html)。


<参照文献>

小栗誠治(2017)「中央銀行の債務構造と財務の健全性:銀行券,準備預金および自己資本」『彦根論叢』414,98-113(https://www.econ.shiga-u.ac.jp/ebr/Ronso-414oguri.pdf)。
川端望(2019.9.5)「L・ランダル・レイ『MMT 現代貨幣理論入門』ノート(2):財政赤字によるカネのクラウディング・アウトは起こらない」Ka-Bataブログ( https://riversidehope.blogspot.com/2019/09/lmmt_5.html )。
白川方明(2018)『中央銀行:セントラル・バンカーの経験した39年』東洋経済新報社。
横山昭雄(2015)『真説 経済・金融の仕組み』日本評論社。
バーナンキ,ベン(小此木潔訳)(2015)『危機と決断 前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録(下)』角川書店。


『ウルトラマンタロウ』第1話と最終回の謎

  『ウルトラマンタロウ』の最終回が放映されてから,今年で50年となる。この最終回には不思議なところがあり,それは第1話とも対応していると私は思っている。それは,第1話でも最終回でも,東光太郎とウルトラの母は描かれているが,光太郎と別人格としてのウルトラマンタロウは登場しないこと...