フォロワー

2020年10月2日金曜日

「政府が責任をもって任命する」とは?:学術会議会員任命拒否問題

 政府が責任をもって任命するというのは,政府が責任をもって学問の自主性を守るということであり,政府に都合のいい人間だけ公職に就け,反対者を排除してよいという意味ではない。

(引用)「加藤氏は見送りの理由は明らかにしなかった。その上で「首相の下の行政機関である学術会議において、政府側が責任を持って(人事を)行うのは当然だ」と述べ、学問の自由の侵害には当たらないとの認識を示した。」。

「学術会議推薦者6人任命せず 政府、現制度下で初」『日本経済新聞』2020年10月1日。



2020年9月25日金曜日

「専門家」と「専門性」と素人の意義について:内田樹氏と岩田健太郎氏の対談に思う

 内田樹・岩田健太郎「『素人がコロナを語ると専門家が怒る』という日本は明らかにおかしい」MSNニュース,2020年9月23日を読んで思ったこと。あらかじめ断っておくが,両氏を褒め称えたいのでも貶したいのでもないので,それだけを好む方はお読みにならない方がいい。

 私は「専門家」支配は一面的で問題だが,「専門性」無視もだめだと私は思う。素人考えは誤っていることも多いのでその通りにする必要はないが,素人が主張する状況を無視することも不適当だと思う。

 「専門性」は必要であって,それがないと何事も実効性ある対策はできないし,客観的な評価に耐えられない。イノベーションが狭っくるしい短期的な評価「主義」になじまないのは確かだが,多角的にであれ「評価」自体はされねばならないのであって,コロナやコロナ対策についての評価を「放っておいて」何かが起こるともよくなるとも思えない(例えば,PCR検査をめぐる議論には,適切な評価と対応が必要だ)。この点で,岩田氏と内田氏が専門家批判に集中して専門性の尊重を言わないのは偏っていると思う。

 ただし「専門家」以外を頭から排除してはならない。専門家は,絶えず専門性を発揮することにおいて尊重されねばならないのであって,その肩書によって尊重されるべきなのではない。また,専門家の行動にも特有の盲点がある。専門の業界やそれと結びついた政府の政策に議論のフレームをはめられてしまい,同じフォーマットで言説と数字しか流さなくなって変化する社会状況に対応しなくなること,科学性を尊重するあまり,完全に証明されていないことについて,求められている判断を下さないことだ(例えば,2011年4月に,「原発事故後も××キロ離れた○○市に1か月住んでいたら深刻な健康被害が出るかどうか」という多くの人が気にしている問題を立てて発言してくれる専門家がいなかった)。この点での専門家の限界,多様な状況に即して専門家以外がリアルな観点と意見を持ちうることについての,両氏の指摘はもっともだと思う。確かに「子どもたちは傘を差して登校する」などのアイディアは,専門家でなくても思いつく可能性があるのだ。

 もう一つ。素人の主張について考えるべきは,それが正しいかどうか「だけ」ではない。両氏は語っていないが,そこも大事だ。間違っていることを含め,少なくない人があることを言わずにいられない(例えば,大量のPCR検査を求めずにいられない)心境と,その人々をそのような心境にさせる社会状況を重視すべきだ。政策担当者などの実践家は,専門性を欠く素人が主張することをそのまま実行する必要はない。しかし,おおぜいの素人が主張せざるを得ない状況には,必ず解決すべき問題が含まれているのであり,実践家はそこに適切に対応しなければならない。


2020年9月22日火曜日

経団連提言「EdTech推進に向けた新内閣への緊急提言 ~With/Postコロナ時代を切り拓く学びへ~」への所感

 経団連提言「EdTech推進に向けた新内閣への緊急提言 ~With/Postコロナ時代を切り拓く学びへ~」が述べているのは,要するに公費でICT教育基盤を整備しろという事である。そのこと自体は全く正しいと思う。この文書に書かれている内容については大いに支持したい。

 しかし,経団連は,会員たる日本企業の雇用慣行が教育格差を不当に広げていることを,もっと自覚すべきである。すなわち,非正規労働者に正規労働者とは別の処遇体系を設け,しかも職務価値に見合った給与ではなく家計補助水準の給与しか払わないという差別的処遇である。そして,中高年になってからの再就職,とくに女性のそれにおいて非正規の職しか入職機会を提供しないという機会制限である。非正規の給与で子どもを養わざるを得ない家庭が,教育環境を確保できずに苦しんでいるのだ。この差別的処遇と機会制限を改める努力が必要だ。そうでないと,バケツの底に穴を開けながら,そこに水をそそげと言うようなものである。

日本経済団体連合会イノベーション委員会「EdTech推進に向けた新内閣への緊急提言 ~With/Postコロナ時代を切り拓く学びへ~」2020年9月18日。

2020年9月18日金曜日

「経済学入門A」の教科書は再び大谷禎之介『図解 社会経済学』桜井書店,2001年

 10月より「経済学入門A」=政治経済学入門を開講する。前回,2015年度に担当したときは,教科書をどうするかであれこれ迷ったあげく,7つの理由で大谷禎之介『図解 社会経済学』桜井書店,2001年にしている。今回も同様にこの本で行く。その理由としてとりわけ重要なのは,「図解があること」だ。お前はそんな理由で『資本論』の教科書を選ぶのかと言われるかもしれないが,今の学部1年生に講義するには極めて切実な問題だ。そして,実に不思議なのだが,戦後75年,山のように『資本論』の解説書や『経済原論』の教科書が出ているのに,詳細に「図解」したものがほとんどないのだ。

 一般向けアンチョコレベルのものはある。例えば,図解によるビジネスプレゼンのプロである久恒啓一氏の『図解 資本論』イースト・プレス,2009年などは,なかなかよくできている。世界金融危機時の出版で,結構売れただろう。だが,やはり経済学部の授業には物足りない。大学教科書レベルのものとなると,かなり探し回ったのだが,院生時代に守健二氏の本棚で見かけて覚えていた越村信三郎『図解 資本論』春秋社,1966年(初版第1巻1948年)くらいしか見つからない。しかも,これも図書館の奥深く入って見てみたが,思考法が違うのかまったくピンと来ない。

 そして,結局見つかった唯一の,学生が理解できそうな図解入り『資本論』解説書が,大谷教授のものであった。大谷教授も図解が必要だと考え,越村本を念頭に置いて書かれたのだそうだ。

 出版社のページを見たら15刷まで行っている。教科書執筆者としては本望ではあるまいか。それだけに,大谷教授が昨年亡くなられたのは残念だ。

大谷禎之介『図解 社会経済学』桜井書店,2001年。




2020年9月16日水曜日

「財政赤字になってもいい」は背景に過ぎない。「インフレとバブルを起こさないように失業をなくせ」がMMTのコアである

  今後,失業の問題が厳しくなると思います。その際,再度MMTの妥当性が問われる事態になると思うので,ここで頭出しとして私の理解を述べておきます。解釈を明示することがポイントなので厳密な表現ではないかもしれませんがご容赦ください。

 日本のMMT論者の中には,財政拡張を用途を問わない打ち出の小づちのようにみなす人がいるのは事実です。しかし,私がL.ランダル・レイの『MMT 現代貨幣理論』を読んだ限り,「財政赤字になってもいい」はMMTの主張の背景であって主張のコアではありません。MMTは本来インフレとバブルを非常に警戒した理論であり,そのニュアンスは「赤字になってもいいがインフレとバブルを起こすな」の「インフレとバブルを起こすな」の方にあるのです。

 このインフレへの警戒は,(高齢の方ならご記憶と思いますが)1970年代にいくら財政刺激をしても乗数効果も加速度効果も効かず,インフレになるばかりで効果がなかったというジレンマを念頭に置いています。この時,先進国のマクロ経済政策論が引き出した教訓は,「呼び水による高成長などもう無理だ。インフレになる」でした。そこまでは共通です。分かれるのはこの先です。世間の主流が,当時マネタリストが唱えた,財政赤字が悪い。失業は民間活力で防ぎ,政府は財政でなく金融政策で調整しようという方向であったことは,よく知られている通りです。対して,MMTが目指したのは,「赤字はいいがインフレになる支出の仕方が悪い。最低賃金レベルの大規模政府雇用で失業を失くし,科学研究や環境対策など外部性をカバーする事業をせよ」でした。

 MMTは,確かに貨幣・信用理論として「自国通貨建て財政赤字はそれ自体は問題ではない」としているし,ケインジアンとともに「財政赤字をある程度出さないと完全雇用は達成できない」と考えています。しかし,それは背景であって,コアな主張はそこではない。そして,赤字による呼び水的公共事業には本来懐疑的なのです(レイははっきりそう言っている)。コアな主張は日本の政策用語で言えば「大規模失業対策事業」なのです。

 私は,賛否の前に,MMTを先ずこのように理解すべきだと思います。レイ以外の議論を確認できてないのですが,たぶんまちがいではない。そして,このように理解した上で,批判すべきだと思います。私自身も,MMTの貨幣・信用論を受け入れましたし,政府雇用拡大には大いに意義があると思います。しかし,その運営は容易でないと予想しています。この論点は,今後,現実の雇用政策を考える上でリアルなものとして浮上する可能性があると思います。

 今までSNSでも講義でもこの話をあまりしなかったのは,MMTの論文を多数読んで裏取りする時間が取れないこともありましたが,日本には「全部雇用」という特有の条件があるために,直接適用しにくかったからです。日本は専業主婦と自営業の比率の高さのため,これまで不況でも失業率が低かった。そのため,格差や貧困や低処遇雇用の問題は,「失業率が高いからだ」という論点に収斂せず,解決策も「雇用をつくれ」が中心にならなかった。近年は,雇用は増えて失業率は極小化したにもかかわらず,非正規労働者が増え,その収入では家計を支えられないということが問題になっていました。この場合,政府雇用は解決になりにくいので,持ち出さなかったのです。

 しかしコロナ危機で,今のところ雇用調整助成金で抑えられている失業率が,今後上昇するおそれがあります。その時には雇用創造が政策的論点として正面に出ざるを得ません。公的機関が直接雇用を増やすべきかどうかも問題になるでしょう。それに際して,MMTの本来の主張を確認しておくことが必要になると思ったのです。


2020年9月13日日曜日

『銀翼のイカロス』の半沢直樹の姿は,作者の本心なのか

  半沢直樹シリーズ。私は原作は四つとも読んでいて,テレビドラマは現在の第2シリーズしか見ていないのだが,原作を読むと第3弾までと第4弾『銀翼のイカロス』に激しいギャップを感じて仕方がない。

 半沢は銀行員としての職務に誠実であって,それゆえに行内の不正・腐敗,職務を曲げた権力抗争に立ち向かう。それはどの話でも同じだ。しかし,第3弾までの半沢は,バブル崩壊後の銀行の営みと社会的役割そのものに問題があることをも自覚している。晴天に傘を差しだし,雨天で取り上げることも自覚しているし,自分たちを「薄汚れた金貸し」だとも思っている。「倍返し」のポリシーや怒りに任せた行動も,作者は決して全面的に肯定しているのでなく,一つの生き方として描いている。そこが面白いのだ。

 ところが原作第4弾では,構図が「銀行対国家」であるせいか,半沢は腐敗や不正を別とすれば,銀行の立場そのものを全面肯定し,作者自身もそこに何の疑いも挟まない。半沢は正義の味方である。その正義とは何かといえば,帝国航空の企業年金を減額し,従業員を徹底削減し,不採算路線を切り捨てる再建計画を推し進め,銀行の債権を全額回収することである。対して,これを妨害し,政治介入による微温的な再建計画を対置して銀行に債権放棄を迫る新政権の女子アナ出身国土交通大臣やその背後の大物老政治家は,極悪非道,勘違い,無能,腐敗の極まった連中として描かれている。

 さすがにそのままテレビにしてはまずいと思ったのか,現在放映中の第2シリーズ後半(前半は第3弾)では二つの点が修正されている。まず,半沢が作成した帝国航空の再建案では,経営陣が経営責任をとることがリストラの前提である。また,半沢は帝国航空の労働現場をまわって,現場のオペレーションがしっかりしていることを確認し,再建計画を従業員大会でも話し合い,削減される人員のスキルに見合った再就職先を懸命に探している。帝国航空の経営陣は,経営を救おうとする半沢に感謝するとともに,従業員を帝国航空から追い出す半沢を憎むというアンビバレントな感情を抱いている。なので,原作よりむしろ物事は多面的に把握されている。原作のような,債権回収に専念して容赦ないリストラを進める半沢であれば,視聴者に支持されないであろう。

 それにしても,原作第4弾の,何のためらいもないリストラ半沢,完全に正義の半沢が,作者の本心なのだろうか。

 作者は,懸命に営業を続ける民間企業の経営者や中間管理職に,常にリスペクトをもって描いてきた。しかし,帝国航空の職場については,原作では何も触れていない。政治介入によって食い物にされて来た国策企業は,上から下まで丸ごと腐敗しているものと考えていたのかもしれない。しかし,そうなのか。テレビドラマで沿う修正せざるを得なかったように,帝国航空の現場にも日々懸命に働いている人々がいるのだ。バブルに踊り,その夢が破れた銀行においても,半沢が誠実に働いていたように。





2020年9月7日月曜日

『日経』よ,しっかりしてくれ。女神を探している場合ではない

 この「成長の女神 どこへ コロナで消えた「平和と秩序」パクスなき世界(1)」という記事,特集の幕を切って落とすもので今朝の『日経』本紙1面に載っているのだが,内容がおそろしくちぐはぐだ。

 いちばんすごいのは,言葉では「世界経済全体」が歴史的に長期停滞に突入しているかのように書いているのだが,実際に書かれていることは「先進諸国の経済」の停滞であることだ。だからおかしな文章になる。例えば「経済のデジタル化も『長期停滞』の一因となる。今週の上場へ準備する中国の金融会社,アント・グループ。企業価値は2000億ドル(約21兆円)と期待され,トヨタ自動車の時価総額に並ぶ」。「成長しとるやないか!」と突っ込まれて当然だ。真正面に出ているグラフも混乱している。経済成長率の要因になる1人当たりGDP成長率と人口成長率を示すのはいい。しかし,前者は米英伊スウェーデンの4か国平均で先進国経済を表しているのに,後者は世界全体であり,何を示したいか不明なものになっている。

 他にも混乱が目立つ。例えば,「経済成長の柱の一つは人口増だった。18世紀以降の産業革命は生産性を高め,19世紀初めにやっと10億人に届いた世界人口はその後125年で20億人に達した」という文章。生産性が高まると人口が増えて経済が成長するというロジックになっている。しかし,人口増加率と生産性向上率が経済成長率の2要因としなければ話が通じない。

 おそらく,先進諸国=世界全体という思い込みに導かれて書き進んだものの,現実には新興国が成長していることを無視できないので混乱し,長期的に先進国が停滞して新興国が成長しているのを,目の前のコロナ危機による世界全体の停滞とごちゃごちゃにして書いたのだろう。女神がいないとか気取っている場合ではない。しっかりして欲しい。

『ゴジラ -1.0』米アカデミー賞視覚効果賞受賞によせて:戦前生まれの母へのメール

 『ゴジラ -1.0』米アカデミー賞視覚効果賞受賞。視覚効果で受賞したのは素晴らしいことだと思います。確かに今回の視覚効果は素晴らしく,また,アメリカの基準で見ればおそらくたいへんなローコストで高い効果を生み出した工夫の産物であるのだと思います。  けれど,私は『ゴジラ -1.0...