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2020年4月29日水曜日

人間は弱いから何を思ってもいいと思う。けれど垂れ流さないようにしないと:岡村隆史風俗発言に心が痛い

私は心の弱い弱虫に過ぎないので,<ああ,自分だけに都合の良い世界になったらいいなあ>と心に思うこと自体は止められないし,責められないと思います。<あんなことやこんなことが起こったらいいなあ>とは私も思います。けれど,それは正しいことではないので,公然とメディアに乗っけて発言しないのが大人だと思うのです。とくに,自分がやられて嫌なことを人に強要する発言はしないとか,自分だけ助かって他人はひどい目に遭えばいいと発言しないとか。どんなに黒い気持ちがあっても,そこだけは守らないと。岡村隆史さんの発言は,そう言うことだと思います。

 もし,ある種の性的指向を持つ人が,「コロナ明けたら、なかなかの<没落した芸人さんが>短期間ですけれども、<男性芸人がM風俗>やります。これ、何故かと言うと、短時間でお金をやっぱり稼がないと苦しいですから、そうなった時に今までのお仕事よりかは」と公言したら,岡村さんは嬉しいでしょうか。<仕事なくなって食い詰めた岡村が風俗に出てきて,あんなことやこんなこともやり放題になる。岡村を鞭で打ったり,ろうそく垂らしたり,踏みつけたりもし放題になる>,だから「いろいろ仕事ない人もアレですけども、切り詰めて切り詰めて、その時の3カ月のために頑張って、今、歯食いしばって踏ん張りましょう。そうしたら、コロナ明けた時に、その3カ月、見てみ?行ってみ?」「僕は、僕はそれを信じて今、頑張っています」とメディアで垂れ流されたら,岡村さんは嬉しいかと。辛い気持ちにならないかと。もし,自分に置換えたらちょっとでも辛いと思うのなら,言わずにおこうとするのが,大人だと思うのです。繰り返しますが,黒い気持ちがあってもしかたがないと思います。それは否定しません。でも,それを心の中だけに封印して,決して垂れ流さないことが大切じゃないかと。


2020年4月19日日曜日

「PCR検査を拡大すると医療を危うくする」から「PCR検査を拡大しないと医療を危うくする」に局面が変わっているのではないか

 前の投稿では感染不安を抱える市民の視点を重視したが,今度は素人考えを承知で,医療関係者・医療体制の側を想定して考えたい。そうすると,PCR検査の拡大が必要になっているように思える。その基本的な理由は以前からずっと続いているもので,医師が要請しても検査してもらえない状況にぶつかるからであるが,このところもっと切実な状況に医療体制が直面しているように見える。そして,従来は,「PCR検査に労力を注ぎすぎると医療体制を圧迫する,検査で来院すると院内感染を起こす」ことが問題であったが,ここに来て逆の,「検査が足りないと医療が困難に陥る,検査しないと院内感染を起こす」というベクトルが強まっているように見える。

 それは,医療関係者が,病院にやってくる患者や,病院の同僚,さらに自分が感染するかもしれない,既にしているかもしれないというリスクにとりまかれているからだ。

 クラスター対策が機能している間は,感染者全体の約2割を占める,他人に感染させるような感染者の多くを,追跡の網にとらえることができた。それで感染拡大を効率よく防止できた。ところが東京や大阪などの大都市圏を筆頭に,感染リンクの追えない感染者が次々と現れ,その割合が高くなっている。これはクラスターの連鎖が客観的には存在していても発見できないということだ。専門家会議の押谷教授や西浦教授も,クラスター対策ではまにあわず,社会的距離戦略を徹底するを主張されている。政府の緊急事態宣言はその戦略上の変化に立脚している。それはわかる。
 しかし,こうなると,従来のPCR検査戦略(クラスター追跡と重症者同定)も機能しなくなると思う。積極的疫学調査で濃厚接触者を追い切れなくなる一方,重症者同定に絞る検査基準から外れる人の中に,かなり症状が重く救急車で運ばれるような人も増えてくる。そうなると,約2割の,人に感染させる感染者が,検査の網に引っかからないことが多くなり,感染が広がる。
 医療関係者から見ると,病院にやってくる,あるいは搬送されてくる患者がコロナウイルスに感染しているかもしれないという確率が上昇する。また医師や看護師が感染していて,かつ検査されていない確率が上昇する。そのような危険を背負って医療を遂行しなければならない。院内感染が発生する危険が高まる。他方,病院がどうしてもこれ以上リスクを負えないと考えた場合は患者を受け入れられない。例えば,最近報道されているように,緊急搬送の患者がコロナウイルス感染者かもしれないと疑った場合に断ることになる。患者は,検査もしてもらえず病院に受け入れてももらえないという,袋小路に追い込まれる。
 この状態では,医療体制は困難に陥る。病院にやってくる未検査の患者がコロナに感染しているリスク,自分や同僚がすでに感染しているリスクをコントロールしないと,院内感染が広がる。さりとて治療を制限すれば患者が袋小路に追い込まれるのだ。
 この新しい事態に直面している地域では,たいへんであってもPCR検査を拡大する以外にないのではないか。それは,一方では医療関係者内の感染をコントロールして院内感染を防止するためだ。他方では,感染者を感染者と同定し,重傷者は入院,軽症者は専用施設や自宅療養ときちんと振り分けたうえで漏らさずにケアするためだ。東京医師会がPCR検査センターを設置するというのは,もっともな対応であると思う。

「「PCRセンター」都内に10か所程度設置か 東京都医師会、偽陰性「3割」に課題も」Yahoo!JAPANニュース(THE PAGE提供),2020年4月17日。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200417-00010004-wordleaf-soci

2020年4月17日金曜日

重症者の治療が優先だとしても,感染不安にさいなまれるおおぜいの人も支援して欲しい:日本感染症学会と日本環境感染学会の声明について

日本感染症学会と日本環境感染学会の声明。4月2日付の声明を前者は4月16日付,後者は15日付の広報で公開している。そしてヤフーニュースで本日17日に流れている。

 しかし,ほんとうにこれが16日現在の両学会の方針なのだろうか。非常な不安を持つのでコメントする。

1.現状とずれていること3点
 まず,現時点で起こっていることとずれていることが2点ある。

(1)PCR検査については,そもそも不用意な文言がある。「PCR 検査の原則適応は、「入院治療の必要な肺炎患者で、ウイルス性肺炎を強く疑う症例」とするというのは,不正確ではないか。正確には1)重症者を同定する場合の他に,2)クラスター対策の場合も行っており,柱は一つでなく二つである。後者の場合,クラスターを早期発見し,感染者を早期隔離するために,無症状の濃厚接触者も検査する。現に,仙台市では現在,保育園や英会話教室でのクラスターを追跡するために無症状者も多数検査して,実際に昨日(4/16)も感染者を発見している。両学会は専門家集団なのに,なぜこんな誤解を招く,実際と異なることを書くのか。

(2)最近生じている問題は,医師がPCR検査を求めても十分に話されないという問題であり,PCR検査をしてもらっていない肺炎症状の患者が,病院で救急搬送を拒否されるという問題である。これらの問題は,医師が,患者が新型コロナウイルス感染者かどうかわからないままに,診察・治療をしなければならない状況を意味している。医師・病院は院内感染のリスクにおびえながら患者を診なければならないし,院内感染を避けようとして,コロナかと疑った患者の搬送を拒むという選択肢をとることがある。
 医師の立場から見ればそれは合理的だが,この場合の患者の置かれた立場は極度に理不尽である。PCR検査をしてもらえないというのは,保健所という公的機関から「コロナではないでしょう」と言われるに等しいことである。なのに,病院は「コロナかもしれない」というので救急搬送を拒否される。このようなあからさまな矛盾した扱いを,たとえコロナでないかもしれなくても現に肺炎で苦しんでいる患者が突き付けられているのだ。こうしたことが報道されて,肺炎や風邪症状のある人,いつ自分もそうならないかとおびえる人々の間に不安が広がっている。入院が必要なほどの肺炎になっても拒否されるという不安だ。これは,理屈上,説明が立たないことなので改善しなければ不満は爆発する。両学会の声明には,PCR検査をめぐるこうした矛盾への考慮がない。

 (1)は不可解として,両学会は,この間次々と明らかになっている(2)の事態をどう考えているのだろうか。4月2日の声明では明らかに対応できていないことと私は思う。なのに,いまになってこの声明を周知しようとするのはどういうことだろうか。無神経に過ぎるのではないか。

2.社会的問題の忘却
 さらに大事なことは,医学的にのみ社会全体のことを考えれば,重症者に医療資源を集中するのは正しいかもしれないけれど,社会の側から民主主義社会であることを考えれば,風邪症状がある人を含む,感染不安におびえる人が大多数であることを忘れてはならないということだ。
 重症者に医療資源を集中するという両学会の声明は,医学的には正しいかもしれない。しかし,社会的には,軽症者と感染不安におびえる多数の人にとっては,この声明を読んだら「なにもしてもらえない」という社会不安が募るばかりである。以前から書いているが,感染不安におびえる人の不安,不満の対象は「なにもしてもらえない」ことに対してなのである。そのはけ口として「PCR検査をしてくれ」と要求しているのだ。検査で陽性となれば,少なくとも患者としてケアしてもらえると思うからだ。これは,医学的に不正確であっても社会的にありうる心理状態なのであって,頭から拒否しては解決しないものだ。

 この両学会のような観点を,そのままむき出しで社会へのメッセージとすればいかに医学的に正しくても多数の怒りを買うだけだ。いま必要なのは,医学的に正しい見地を守ることとともに,社会的観点から,感染不安におびえる人に政府や医療・保健機関が「大丈夫です。助けますよ」というメッセージと具体的措置を提示することでなければならない。両方が必要だ。後者とは,つまりPCR検査を拒否されて病院でも搬送拒否にあうという矛盾をなくすることであり,専用施設での隔離生活や自宅療養が不安なくできるように支援することだ。

※当初コメントにあった1の(3)を削除しました。声明内では,医療機関という範囲にも読めるものの,「軽症例を受け入れる施設の認定」にも触れてはいるからです。

「PCR検査、軽症者に推奨せず―新型コロナ  感染2学会「考え方」まとめる」Yahoo!JAPANニュース,元記事はJIJI.COM,2020年4月17日。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200417-00010000-jij-sctch&p=1
日本感染症学会。16日のお知らせに2日の声明を掲載している。
http://www.kansensho.or.jp/
日本感染環境学会。15日のお知らせに2日の声明を掲載している。
http://www.kankyokansen.org/

大恐慌(Great Depressoin)ならぬ大封鎖=グレート・ロックダウン(Great Lockdown):IMF世界経済見通し

IMF, World Economic Outlook, April 2020(世界経済見通し 2020年4月)。全文は英語だが,要約は日本語でも読める。2020年の日本のGDPが-5.2%,世界の経済成長がマイナス3.0%,世界貿易は-11.0%になるとの予測。大恐慌以来の経済後退であり,Great Depressionに対しGreat Lockdown(大封鎖)というべき事態だとしている。英語全文をいま読み切ることはできないが,要約と図表を見ていくつか気づいたことがある。
 IMFは,世界金融危機以後,構造調整を振り回さなくなったが,今回も,産業や労働者への財政的支援,苦境に陥った世帯や企業への融資条件の(緩和する方向での)見直しと,まともなことを言っている。
 2021年には経済がV字回復するというのがメインのシナリオなのだが,フルバージョンのレポートの末尾には代替シナリオも添えられている。2020年のアウトブレイクが長引いた場合,2021年に第2波のアウトブレイクが来た場合,その両方の場合だ。
 また先進国の方が感染対策のための資源動員能力を持っているとする一方,メインのシナリオでは,新興国・途上国の方が先進国よりも高い経済成長率によって回復することにも注意が必要だ。2021年第4四半期のGDPが2019年度第1四半期に対してどれほどになるかを見ると,新興国・途上国は1割増しと予想されるのに対し,先進国はプラマイゼロまでしか回復しないというのだ。

2020年4月16日木曜日

日銀がETFで損失を出すとはどういうことか:日銀のETF購入(3)

(「日銀のETF購入」。承前)これまで,日銀が自ら作り出す預金と日銀券でETF(指数連動型上場投資信託)を購入していることを確認し,このオペレーションは実質的には特定企業の利害に日銀がコミットする財政政策であることを述べてきた。次の問題は,日銀がこのETFで損失を出した場合の負担をどう評価すればよいのかだ。

1. まず,直接の損失が政府・国民にどう及ぶかだ。ETFに含み損が出れば,日銀はバランスシートの負債・純資産側に引当金を積む。損失を確定する場合には,資産側からETFを,負債・自己資本側から引当金を同額だけ消去しなければならない。つまり,日銀のバランスシートが毀損され,自己資本比率は下がる。また,日銀の毎年度の利益(剰余金)が減少したり,マイナスになったりする。日銀は剰余金を政府に納付することになっているので,剰余金が減る。直接に起こるのはこういうことである。
 したがって,政府の側から見ると,ETFの損失を税金で穴埋めする必要はない(繰り返すがETFは税金で買っているのではない)が,日銀からの納付金が減って,国庫収入の減少につながる。日銀の国庫納付金は世界金融危機後の2010年度に落ち込み443億円,それ以後は5000億円台から7000億円台で推移している。2017年度は7265億円,2018年度は5576億円だ。まずこの国庫納付金の減少が,中央政府に与える直接の損害であり,その意味で国民負担となる。

2. 次の問題は,失われた機会についてだ。「その2」で述べたように,そもそも財政政策を日銀が行うのはおかしなことであり,ETFを購入するのに日銀が発行したお金(日銀当座預金と日銀券)は,もっと別のことのために発行すべきだったのかもしれないし,発行すべきでなかったのかもしれない。例えば,国債を買い支えて政府の支出拡大に貢献し,政府が国会の議決に基づいて財政拡張を行った方が,より優れた方法でデフレ脱却に寄与したかもしれない。そこまでいかなくとも,ETF購入などしなかった方が日本の産業構造転換を促せたかもしれない。最大の問題はこの,失われた機会である。ETFなど買わない方が,財政民主主義上も市場経済の運営上も望ましかった。日銀と中央政府を合わせた統合政府として見た場合,「お金の使い道を誤った」のである。
 コロナ危機に際してもそうである。コロナ危機に際して,ようやく金融政策の限度が認識され,債務が増大しても財政を拡張しなければならないことが諸国政府の共通認識になっている。政府と中央銀行が協調しており,インフレと為替暴落を起こさない限り,政府債務は持続的拡張できるのであって,財政支出の程度と中身は国会で与野党が争い,決めるべきだ。それが財政民主主義だ。失業者の救済,個人の生活と自営業者の営業の維持,企業の運転資金の確保,感染症対策にこそ,国債を発行してでもお金を使うべきだろう。日銀は,国債引き受けをせずとも,買いオペで政府を支えるだろう。
 これまでは,中央政府と国会が,財政赤字を拡大してはならないという呪文にとらわれているうちに,その背後で,日銀はETF購入のために通貨という政府債務を発行していた。そして今も,株式市場で抜き差しならなくなり,相場の下落の下で通貨を発行して買い向かっている。これは明らかにお金の使い方を誤っている。
 もちろん,財政民主主義も万能ではない。財政がお金の使い方を誤れば人々の不安は収まらず,感染症の流行は収束しない。また,各社会階層の代表が集合する議会においては経費膨張法則が働き,経済危機と感染症流行の後にも必要以上に財政を拡張してインフレを招くかもしれない。しかし,だからと言って国会とは別に,日銀が勝手に財政政策を行い,上場企業と株式投資家を優先的に救済するために通貨発行を行うことは,これまでもまちがっていたし,これからもまちがいだろう。この「お金の使い方の誤り」によって失われた機会,これから失われる機会こそが最大の損失である。

 なお,残された問題として,損失額が大きくなって日銀のバランスシートが毀損された場合に資本増強が必要になるか,なるとすればどのような手段によるのかということがある。これはかなりテクニカルな問題を含むので,続稿ないし別の機会としたい。

その1
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf1.html
その2
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf2.html



日銀のETF購入は上場企業優遇の財政政策ではないのか:日銀のETF購入(2)

(「日銀のETF購入」承前)さて,日銀が自ら通貨を作り出して金融商品を購入していることはお分かりいただけたと思う。それでは,ETF(指数連動型上場投資信託)を購入することは,日銀の他のオペレーション,つまり銀行に貸し付けたり国債を購入したりすることとどのように違うのだろうか。日銀がETF,つまりは間接的にとは言え民間企業の株式を購入することは,金融政策の一環と認められるものなのだろうか。

 貸出・国債購入とETF購入と直接の違いは,銀行に貸し付けたり国債を購入したりするのは「信用を与える」,端的には「お金を貸し付ける」行為だというであるのに対して,金銭信託をしてETFを購入することは間接的に株式を買うことであり,特定企業の株主になる行為だということである(※1)。

 これらは,日本銀行の役割に照らすと,どう評価されるだろうか。日本銀行の役割は,金融システムと通貨の安定性を守り,通貨供給の調節を通して日本経済の安定と成長に寄与することにある。日本銀行は広い意味の政府の一部ではあるが,銀行という形をとり,銀行として機能するところが他の機関と異なる。したがって,議会のコントロールから自由ではないし,政府とのある程度の協調も求められるが,同時にある程度の独立性を持つ。金融システムと通貨の安定性は,特定の利害から中立でなければならないとされているからだ。

 さて,通貨を創造して信用を供与するという中央銀行の行為は,特定利害から中立的に金融システムと通貨の安定性を守るためにはなじみやすい。その第1の理由は,金利の水準を調節し,流動性を供給し,準備を確保させる行為を,民間銀行・金融機関に対して行う日銀の行為は,民間経済に対する間接的な働きかけだからだ。企業や家計に直接影響を与えるのは民間金融機関だ。第2の理由は,貸し付け,回収という行為は,誰に貸したのであれ,とにかく「期限まで金利を払い,元本を返せ」というものであって,それ以上に借り手の意思決定や行為に介入するわけではないからだ(借り手が経営破綻した場合などを除く)。

 ところが中央銀行が特定企業に出資するということになると,どうしても特定利害が発生する。特定企業の株主は,特定企業に利潤を増やし,配当を増やすか株価を上げるように促し,そして会社が存続し続けることを求める立場にある。日銀がまともに株主になるのであれば,特定企業の発展にコミットする行動をとらざるを得ない。しかし,それは日銀の業務範囲を大きく逸脱する。

 つまり,日銀が株式を買うということは,金融政策の範疇を外れており,敢えて言えば財政政策を政府の代わりに行っているのだ。財政政策ならば,政策的見地から特定産業や特定企業を支援することがありうる。ただし,それは国民を代表する国会の議決に則って行わねばならない。国会のコントロールが弱い日銀が特定産業・企業に肩入れしたり,逆に冷遇したりすることなどあってはならない。しかし,実際に起こっているのだ。

 もちろん,日銀もこの批判がありうることは承知の上であることは,白川前総裁の著書『中央銀行』からも明らかだ(※2)。特定利害にとらわれるものでないかのようなしくみも一応ある。ETFは東証株価指数(TOPIX),日経平均株価(日経225)またはJPX日経インデックス400(JPX日経400)に連動するよう運用されるものになっている。また議決権は日銀ではなく受託者が行使することとされている。

 しかし,これでETF購入が特定利害に中立的になるというのは強弁だ。ETF購入は株価の支えとなる。つまり,巨大な,買う一方のクジラ投資家を間接的に株式市場に登場させる効果を持つ。経営実態と関係なく上場企業の株式が上がるという価格形成の歪みが生じる。そして,その効果は上場企業にだけ及び,非上場の企業には及ばない。明らかな既存大企業優先である。これは日本の企業経営と産業構造の革新を遅らせる効果を持つ上に,非上場企業や,企業以外の主体,株式投資家以外の主体にに対する不公平な政策である。

 また,日銀が議決権を行使しないということは,意思決定に関与しない大株主が出現することになる。これは,経済合理的な意思決定を阻害する効果を持つ。受託者も困ることになる。日本の巨大企業に敵対的買収がかけられた場合や深刻な内紛が起こった場合,受託者は誰に味方して議決権を行使すればよいのか。一応,日銀の経済的利益を優先することになっているが,それだけですまないような安全保障案件や社会的イシューを伴う案件であったらどうすればいいのか。

 日銀というクジラ投資家が買う一方で,議決権を眠り込ませることは,株式市場を歪め,日本の企業統治を歪め,上場企業とそれ以外の間に甚だしい不公平を作り出すのである。しかも,何らかの目的によって国会が決定した法と予算の範囲ではなく,独立性を持った日銀の金融政策と称してである。

 百歩譲って,中央銀行が株式やETFを購入することがありうるとすれば,それは,そうしなければ金融システムが崩壊するような金融危機の場合だろう。しかし,それでもFRBが世界金融危機に際して行ったように長期国債,CP(コマーシャル・ペーパー),担保貸付証券などの債券に限られるのが普通であり,また危機が沈静化した後には中止されるべきものである。2010年から延々とETFを買い続けている日銀の政策は異常としか言いようがない。

 これは要するに,日本の民間経済,とくに上場している既存大企業が,日銀からの資金注入によって株価を引き上げてもらい,意思決定には介入せずに既存経営者に任せてもらい,企業の新陳代謝と産業構造の再編を免れて存続し続けていることを意味しているのである。これこそが,正当化できない「既得権益」ではないか。

 以上が日銀によるETF購入の位置づけである。さて,それではそのETF投資で損失が生じた場合,その負担は誰が負うのだろうか。前稿で述べたように税金で穴埋めするのでないことはわかっている。では,その負担はどこへ行くのか。そのことをどう評価すべきなのだろうか。これが次の問題となる(この項続く)。

※1 なお,国債を購入するのは,直接に政府にお金を貸すのではなく,前の持ち主に代わって国にお金を貸す主体になることである。これを信用代位などという。ETFも発行市場でなく流通市場の株式を買っているので,前の持ち主に変わって会社の株主になるのであり,いいわば出資の代位である。しかし,それでも国債を買えば政府に対する債権者になり,ETFを買えば株主になることには変わりはない。
※2 日銀がETFを買い始めたのは2010年の民主党政権下のことであり,アベノミクスで始まったことではない。しかし,アベノミクスで買取は強化されている。自民・民主両政権にまたがる根の深い問題なのである。

その1
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf1.html
その3
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf3.html


日本銀行がETFを買うお金はどこから来るか?:日銀のETF購入(1)

 2019年度もETF(指数連動型上場投資信託)購入は続き,2020年3月20日現在の帳簿価額は29兆3955億円に上っている。これはアベノミクス開始直前の2012年12月20日と比べると実に20倍である。バランスシート全体も,主に大量の国債購入により3.8倍に膨らんでいる。このETFが,いま株価の低落の下で含み損を発生させているのだ。しかし,日銀が含み損を出すとはどういうことなのか?それはいわゆる国民負担や税金での穴埋めの対象になるのか?これを知るには,ETFを日銀が購入する仕組みを知っておかねばならない。

 日銀は,信託銀行に金銭信託を行い,信託銀行がETFを購入している。では,日銀はどうやってETFを買う元手のお金を調達しているのか。政府から調達しているのかというと,そうではない。

 預金を創造するか,必要なら紙の日銀券を発行することによってである。預金創造はキーストロークと事務手続きで可能であり,日銀券は1枚17円の費用で発行できる。それでOKである。いわばタダみたいなものである。これは国債を購入する時も,銀行に貸し付ける時も同じである。

 タダみたいなもので国債やETFを購入することは,経済の原理に反していて国家権力の特権なのかというと,そうではない。これは中央銀行の力である。まず中央「銀行」の銀行としての力である。預金も日銀券も日本銀行の債務(証書)だ。預金創造や日銀券発行によって金融商品を購入するというのは,会社が「手形で財・サービスを買う」原理に依拠している。会社が手形を振り出せるように,銀行は銀行券や預金を創造できるのであり,中央銀行もできるのである。

 もちろん,信用のある会社しか手形を受け取ってもらえないように,中央銀行も信用がなければその債務(証書)を受け取ってもらえない。そこは「中央」銀行の「中央」の方が活きている。中央銀行の債務が受け取ってもらえる理由は二つある。ひとつは,政府と中央銀行への支払に用いることができることだ。もう一つは,当該社会の信用機構を「最後の貸し手」として支えているため,様々な債務の中で(個人の借用証書や特定企業の手形や特定銀行の預金通貨に比べて)最も通用性が高いからだ。

 しかし,債務は最終的に現金で支払われねばならないはずではないか,という疑問があるかもしれない。そうではあるが,そうでないともいえる。金属本位制を取らない管理通貨制の社会には,債務(証書)でない現金は存在しない。債務が現金なのだ。手形は銀行預金か日銀券で支払い,銀行間の債務は日銀当座預金か日銀券で支払うしかない(補助貨幣の話は,いま脇に置く)。そして,日銀の債務は日銀の債務で支払うしかない。トートロジーだが他に方法はない。逆に言うと,日銀は自分の借金を自分の債務証書で返せるという特権を持っているのである。したがって,原則的に破綻しない。

 これが,日銀が金融商品を買う原理である。だから,ETFであれ国債であれ,日銀は外部からお金を調達することなく大量に購入できるのである。

 日銀はほぼ無から有を作り出す。それでは,資産を一方的に貯めていくのかというと,そうではない。手形で買っている以上,買えば買うほど債務も積みあがる。国債やETFはバランスシートの資産側に積みあがり,日銀券発行高と金融機関が持つ日銀当座預金は負債側に積みあがるのだ。ただし,前述のように費用はタダみたいなものであり,金融資産から利子や配当の利益があがれば利潤は出る。これが,いわゆる「通貨発行益」である。

 それでは,株価下落によってETFに損失が出た場合はどうなるのだろうか。以上の話だけであれば,税金で穴埋めする必要はないことになる。それなら何の問題もないのかというと,そうではない。これはさらに説明を要する(続く)。

その2
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その3
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『ウルトラマンタロウ』第1話と最終回の謎

  『ウルトラマンタロウ』の最終回が放映されてから,今年で50年となる。この最終回には不思議なところがあり,それは第1話とも対応していると私は思っている。それは,第1話でも最終回でも,東光太郎とウルトラの母は描かれているが,光太郎と別人格としてのウルトラマンタロウは登場しないこと...