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2020年4月16日木曜日

日銀のETF購入は上場企業優遇の財政政策ではないのか:日銀のETF購入(2)

(「日銀のETF購入」承前)さて,日銀が自ら通貨を作り出して金融商品を購入していることはお分かりいただけたと思う。それでは,ETF(指数連動型上場投資信託)を購入することは,日銀の他のオペレーション,つまり銀行に貸し付けたり国債を購入したりすることとどのように違うのだろうか。日銀がETF,つまりは間接的にとは言え民間企業の株式を購入することは,金融政策の一環と認められるものなのだろうか。

 貸出・国債購入とETF購入と直接の違いは,銀行に貸し付けたり国債を購入したりするのは「信用を与える」,端的には「お金を貸し付ける」行為だというであるのに対して,金銭信託をしてETFを購入することは間接的に株式を買うことであり,特定企業の株主になる行為だということである(※1)。

 これらは,日本銀行の役割に照らすと,どう評価されるだろうか。日本銀行の役割は,金融システムと通貨の安定性を守り,通貨供給の調節を通して日本経済の安定と成長に寄与することにある。日本銀行は広い意味の政府の一部ではあるが,銀行という形をとり,銀行として機能するところが他の機関と異なる。したがって,議会のコントロールから自由ではないし,政府とのある程度の協調も求められるが,同時にある程度の独立性を持つ。金融システムと通貨の安定性は,特定の利害から中立でなければならないとされているからだ。

 さて,通貨を創造して信用を供与するという中央銀行の行為は,特定利害から中立的に金融システムと通貨の安定性を守るためにはなじみやすい。その第1の理由は,金利の水準を調節し,流動性を供給し,準備を確保させる行為を,民間銀行・金融機関に対して行う日銀の行為は,民間経済に対する間接的な働きかけだからだ。企業や家計に直接影響を与えるのは民間金融機関だ。第2の理由は,貸し付け,回収という行為は,誰に貸したのであれ,とにかく「期限まで金利を払い,元本を返せ」というものであって,それ以上に借り手の意思決定や行為に介入するわけではないからだ(借り手が経営破綻した場合などを除く)。

 ところが中央銀行が特定企業に出資するということになると,どうしても特定利害が発生する。特定企業の株主は,特定企業に利潤を増やし,配当を増やすか株価を上げるように促し,そして会社が存続し続けることを求める立場にある。日銀がまともに株主になるのであれば,特定企業の発展にコミットする行動をとらざるを得ない。しかし,それは日銀の業務範囲を大きく逸脱する。

 つまり,日銀が株式を買うということは,金融政策の範疇を外れており,敢えて言えば財政政策を政府の代わりに行っているのだ。財政政策ならば,政策的見地から特定産業や特定企業を支援することがありうる。ただし,それは国民を代表する国会の議決に則って行わねばならない。国会のコントロールが弱い日銀が特定産業・企業に肩入れしたり,逆に冷遇したりすることなどあってはならない。しかし,実際に起こっているのだ。

 もちろん,日銀もこの批判がありうることは承知の上であることは,白川前総裁の著書『中央銀行』からも明らかだ(※2)。特定利害にとらわれるものでないかのようなしくみも一応ある。ETFは東証株価指数(TOPIX),日経平均株価(日経225)またはJPX日経インデックス400(JPX日経400)に連動するよう運用されるものになっている。また議決権は日銀ではなく受託者が行使することとされている。

 しかし,これでETF購入が特定利害に中立的になるというのは強弁だ。ETF購入は株価の支えとなる。つまり,巨大な,買う一方のクジラ投資家を間接的に株式市場に登場させる効果を持つ。経営実態と関係なく上場企業の株式が上がるという価格形成の歪みが生じる。そして,その効果は上場企業にだけ及び,非上場の企業には及ばない。明らかな既存大企業優先である。これは日本の企業経営と産業構造の革新を遅らせる効果を持つ上に,非上場企業や,企業以外の主体,株式投資家以外の主体にに対する不公平な政策である。

 また,日銀が議決権を行使しないということは,意思決定に関与しない大株主が出現することになる。これは,経済合理的な意思決定を阻害する効果を持つ。受託者も困ることになる。日本の巨大企業に敵対的買収がかけられた場合や深刻な内紛が起こった場合,受託者は誰に味方して議決権を行使すればよいのか。一応,日銀の経済的利益を優先することになっているが,それだけですまないような安全保障案件や社会的イシューを伴う案件であったらどうすればいいのか。

 日銀というクジラ投資家が買う一方で,議決権を眠り込ませることは,株式市場を歪め,日本の企業統治を歪め,上場企業とそれ以外の間に甚だしい不公平を作り出すのである。しかも,何らかの目的によって国会が決定した法と予算の範囲ではなく,独立性を持った日銀の金融政策と称してである。

 百歩譲って,中央銀行が株式やETFを購入することがありうるとすれば,それは,そうしなければ金融システムが崩壊するような金融危機の場合だろう。しかし,それでもFRBが世界金融危機に際して行ったように長期国債,CP(コマーシャル・ペーパー),担保貸付証券などの債券に限られるのが普通であり,また危機が沈静化した後には中止されるべきものである。2010年から延々とETFを買い続けている日銀の政策は異常としか言いようがない。

 これは要するに,日本の民間経済,とくに上場している既存大企業が,日銀からの資金注入によって株価を引き上げてもらい,意思決定には介入せずに既存経営者に任せてもらい,企業の新陳代謝と産業構造の再編を免れて存続し続けていることを意味しているのである。これこそが,正当化できない「既得権益」ではないか。

 以上が日銀によるETF購入の位置づけである。さて,それではそのETF投資で損失が生じた場合,その負担は誰が負うのだろうか。前稿で述べたように税金で穴埋めするのでないことはわかっている。では,その負担はどこへ行くのか。そのことをどう評価すべきなのだろうか。これが次の問題となる(この項続く)。

※1 なお,国債を購入するのは,直接に政府にお金を貸すのではなく,前の持ち主に代わって国にお金を貸す主体になることである。これを信用代位などという。ETFも発行市場でなく流通市場の株式を買っているので,前の持ち主に変わって会社の株主になるのであり,いいわば出資の代位である。しかし,それでも国債を買えば政府に対する債権者になり,ETFを買えば株主になることには変わりはない。
※2 日銀がETFを買い始めたのは2010年の民主党政権下のことであり,アベノミクスで始まったことではない。しかし,アベノミクスで買取は強化されている。自民・民主両政権にまたがる根の深い問題なのである。

その1
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf1.html
その3
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf3.html


日本銀行がETFを買うお金はどこから来るか?:日銀のETF購入(1)

 2019年度もETF(指数連動型上場投資信託)購入は続き,2020年3月20日現在の帳簿価額は29兆3955億円に上っている。これはアベノミクス開始直前の2012年12月20日と比べると実に20倍である。バランスシート全体も,主に大量の国債購入により3.8倍に膨らんでいる。このETFが,いま株価の低落の下で含み損を発生させているのだ。しかし,日銀が含み損を出すとはどういうことなのか?それはいわゆる国民負担や税金での穴埋めの対象になるのか?これを知るには,ETFを日銀が購入する仕組みを知っておかねばならない。

 日銀は,信託銀行に金銭信託を行い,信託銀行がETFを購入している。では,日銀はどうやってETFを買う元手のお金を調達しているのか。政府から調達しているのかというと,そうではない。

 預金を創造するか,必要なら紙の日銀券を発行することによってである。預金創造はキーストロークと事務手続きで可能であり,日銀券は1枚17円の費用で発行できる。それでOKである。いわばタダみたいなものである。これは国債を購入する時も,銀行に貸し付ける時も同じである。

 タダみたいなもので国債やETFを購入することは,経済の原理に反していて国家権力の特権なのかというと,そうではない。これは中央銀行の力である。まず中央「銀行」の銀行としての力である。預金も日銀券も日本銀行の債務(証書)だ。預金創造や日銀券発行によって金融商品を購入するというのは,会社が「手形で財・サービスを買う」原理に依拠している。会社が手形を振り出せるように,銀行は銀行券や預金を創造できるのであり,中央銀行もできるのである。

 もちろん,信用のある会社しか手形を受け取ってもらえないように,中央銀行も信用がなければその債務(証書)を受け取ってもらえない。そこは「中央」銀行の「中央」の方が活きている。中央銀行の債務が受け取ってもらえる理由は二つある。ひとつは,政府と中央銀行への支払に用いることができることだ。もう一つは,当該社会の信用機構を「最後の貸し手」として支えているため,様々な債務の中で(個人の借用証書や特定企業の手形や特定銀行の預金通貨に比べて)最も通用性が高いからだ。

 しかし,債務は最終的に現金で支払われねばならないはずではないか,という疑問があるかもしれない。そうではあるが,そうでないともいえる。金属本位制を取らない管理通貨制の社会には,債務(証書)でない現金は存在しない。債務が現金なのだ。手形は銀行預金か日銀券で支払い,銀行間の債務は日銀当座預金か日銀券で支払うしかない(補助貨幣の話は,いま脇に置く)。そして,日銀の債務は日銀の債務で支払うしかない。トートロジーだが他に方法はない。逆に言うと,日銀は自分の借金を自分の債務証書で返せるという特権を持っているのである。したがって,原則的に破綻しない。

 これが,日銀が金融商品を買う原理である。だから,ETFであれ国債であれ,日銀は外部からお金を調達することなく大量に購入できるのである。

 日銀はほぼ無から有を作り出す。それでは,資産を一方的に貯めていくのかというと,そうではない。手形で買っている以上,買えば買うほど債務も積みあがる。国債やETFはバランスシートの資産側に積みあがり,日銀券発行高と金融機関が持つ日銀当座預金は負債側に積みあがるのだ。ただし,前述のように費用はタダみたいなものであり,金融資産から利子や配当の利益があがれば利潤は出る。これが,いわゆる「通貨発行益」である。

 それでは,株価下落によってETFに損失が出た場合はどうなるのだろうか。以上の話だけであれば,税金で穴埋めする必要はないことになる。それなら何の問題もないのかというと,そうではない。これはさらに説明を要する(続く)。

その2
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf2.html
その3
https://riversidehope.blogspot.com/2020/04/etfetf3.html

2020年4月13日月曜日

「コロナ危機は需要ショックなのか供給ショックなのか?」という記事の内容が全く理解できないことについて

 たいへん申し訳ないが,私はやはり現代的な経済学者にはなれそうもない。この文章で書かれていることが全く分からない。

 著者は,現在のコロナ危機を理解するために,労働者が働けなくなったショックを出発点に,供給ショックが起こっているのか需要ショックが起こっているのかを考えている。例えば,労働者が貯金を切り崩すから金利が上昇するので供給ショックだと,ある種のモデルでは解される,しかし,データを見ると,労働者の消費が落ち込んでいる需要ショックのようにも見える,と論じている。

(引用)「この結論は働けなくなった労働者がいることは所与として,その上で経済の状態が供給ショックに相当するというものです」。

 しかし,そんなモデルとで今の現実とどう関係があるのか。そもそもなぜ働けなくなったのか。

 働けなくなったということは,解雇されたのだろう。そうなる可能性は二つある。一つは,その労働者が働いていた産業で財・サービスの需要が急減して売り上げが減少したことがもとで,経営者が労働者が多すぎると判断したから解雇されたのだ。もう一つは,需要は元のままなのだがその産業に投入される財・サービスの価格(モノでいえば原料)が供給不足になり,コストが急上昇したか生産が停止して利潤率が下がり,経営が立ち行かなくなって解雇されたのだろう。どちらであるかによって,需要ショックか供給ショックかが判断できる。そういう風に普通は考えるのではないか。

 なぜ「働けなくなった労働者がいることは所与として」,その労働者の貯蓄・消費行動から供給ショックか需要ショックかなどと考えるのか。まったくわからない。働けなくなった理由のところで判定すべきではないのか。

久保田荘「コロナ危機は需要ショックなのか供給ショックなのか?」2020年4月8日,早稲田大学ソーシャル&ヒューマン・キャピタル研究所。

2020年4月11日土曜日

西浦教授と私たちの行く手を阻む,社会の壁と国家の壁

  西浦博教授はこの記事で「リスクを説明した上での選択」を強調し,イビデンスに基づく深刻な予測を発表して「みんなに真剣に行動を考えてほしかったんです」という。それは教授が民主主義を前提にしているからだと思う。日本が独裁国家でないならば,そして私たちが,これからもそうでないようにしたいと思うならば,対策は国家から問答無用で強要されるだけのものであってはならない。私たちが考えて,選び取らねばならない。政府は専門的見地を踏まえて権力を行使し,自らの力の使いようについて市民に明確に説明しなければならない。いずれが欠けても8割は無理なのだ。

 6割でいいとは言ってないし,7割から8割とも言っていない。値切っては感染は収束しない。科学に基づく自分の計算では8割しかない。そう伝えることに西浦教授は多大な困難を感じている。社会におけるコミュニケーションの困難と,政治的利害や力関係による事実の捻じ曲げ。行く手を阻む社会の壁と国家の壁を西浦教授は乗り越えようとしている。おかしいのは社会だけでなく国家だけでもなく,両方だ。改めるべきは私たちの行動と権力の振るわれようの両方だ。双方を改めなければ感染は爆発する。

岩永直子・千葉雄登「「このままでは8割減できない」 「8割おじさん」こと西浦博教授が、コロナ拡大阻止でこの数字にこだわる理由」Buzzfeed,2020年4月11日。

2020年4月9日木曜日

会社には内定者を自殺に追い込む権利などない

正式に労働者となっていないものに内定者研修をタダ働きで強要するのは労働法制に違反しないのか。指揮権の下にない人間にどうして「毎日サイトに書き込め」と命令できるのか。会社の業務に関係ない部分まで自己開示する必要がどうしてあるのか。必要な仕事ができればよいはずなのに,どうして血みどろになる必要があるのか。終業時刻を超えて終電まで話し込むことを強要してよいのか。百歩譲ってそれが自発的行為だとしても,正規業務でない以上,終電まで話し込む労働者を高く評価し,そうしない労働者を低く評価することは不適切ではないのか。
 かくも不適切な管理を,まだ正式に労働者となっていない内定者に強要して自殺に追い込む権利が,パナソニック産機システムズとかいう会社にはあるのか。

岡林佐和・吉田貴司「内定者にSNSで「辞退して。邪魔です」 入社前に自殺」朝日新聞デジタル,2020年4月9日。

2020年4月8日水曜日

日本でもできる外出抑制の強い措置:危険な出勤をさせることを,労働契約法上の安全配慮義務違反として禁止せよ

日本の法制でもできる,外出抑制のための強い措置はある。
「使用者が労働者に危険な出勤をさせることは,労働契約法上の安全配慮義務違反である」
という行政解釈を,政府が出すことだ。これで出勤する人は減らせる。法解釈として,それほど無茶なことではないと思う。ぜひ政府にやって欲しいし,政府がやらないならば,野党が国会で政府を追及して実行を迫って欲しい。
 少し具体的に言う。「風邪症状のある人を出勤させる人」は,確定診断を受けていない軽症者・無症状者が多いと考えられる現状では,新型コロナウイルスを拡散させる恐れのある行為である。また現状では,緊急事態宣言の対象と重なるとみなせる「感染拡大警戒地域」では「10人以上の集会,イベント」,また「感染確認地域」では「50人以上の集会,イベント」(※)相当の行為を強制するような通勤環境,職場環境に労働者を置くことは,感染を拡大させる行為である。したがって,これらをすべて安全配慮義務違反とすべきである。
※地域と人数の対応はいずれも4/1専門家会議の分析・提言による。

2020年4月4日土曜日

クラスター対策班の西浦教授が「クラスター対策」から「社会的隔離」への移行をはっきりと主張。人と人との接触を80%減らせば感染爆発を防げる

クラスター対策専門家のTwitterが開設されて,西浦教授自ら動画に登場されている。対策がはっきりと2局面に分けられ,新たな対策を行うべき時が来たことが示されている。人と人との接触を80%減らすための社会的隔離だ。

第1段階:クラスター対策。1)接触者を追跡。2)3密を控える行動変容。これで2次感染を見つけ,感染者がいても他の感染者にうつらないようにする。全感染者数が少なく,接触者を追跡できる間有効。
https://twitter.com/ClusterJapan/status/1246260779541655553

第2段階(シェア先はこっち):感染者が増えた時。放置すると指数関数的に感染者が増える。いままでの対策(接触20%減少)では少し増加が送らされるだけ。しかし接触を80%減らす「社会的隔離(ソーシャル・ディスタンス」ができれば,感染者数は劇的に減らせる(ゼロにはならない)。そして再びクラスター対策へ。
https://twitter.com/ClusterJapan/status/1246314012389675009

 別記事では,西浦教授は東京は上記で第2段階とした局面に相当し「外出自粛のお願い」では20%減少でしかなく,「ヨーロッパに近い外出制限が必要」とはっきり述べている(「人と人との接触 8割削減で感染収束へ 専門家グループ」NHK NEWS WEB,2020年4月3日)。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200403/k10012366951000.html

 東京をはじめとする該当地域では,もはやほかに道はなかろう。

『ウルトラマンタロウ』第1話と最終回の謎

  『ウルトラマンタロウ』の最終回が放映されてから,今年で50年となる。この最終回には不思議なところがあり,それは第1話とも対応していると私は思っている。それは,第1話でも最終回でも,東光太郎とウルトラの母は描かれているが,光太郎と別人格としてのウルトラマンタロウは登場しないこと...