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2019年4月23日火曜日

「ジョブ型」通年採用は「仕事に即した処遇」と「年齢不問」を意味することは認識されているか:「採用と大学教育の未来に関する産学協議会の中間とりまとめと提言」を検討するにあたって

 経団連と,就職問題懇談会座長,国大協会長や私大連会長などがつくる「採用と大学教育の未来に関する産学協議会」が中間とりまとめと共同提言を発表した。全体として,前向きに検討すべき点を多く含んでいるが,現時点でどのメディアも報道していない,「もしかして忘れてない?大丈夫?」という点が二つあるので,まずそれだけ大急ぎで述べておきたい。

1.「ジョブ型採用」の意味
 「今後の採用とインターシップあり方に関する分科会」の中間とりまとめは,「ジョブ型採用」を「新卒,既卒を問わず専門スキルを重視した通年での採用,また留学生や海外留学経験者の採用」としている。

 やや,ずれている。

 「ジョブ」型採用とは,技能=skillでなく,job=職務を指定した採用だ。つまりは,範囲はいろいろあるとしても,やるべき仕事を指定した採用だ。やるべき仕事を指定しているから,それに必要な専門スキルによって選考するのだ。それがわかっているならいいのだが,どこにもそう書かれていないので,不安を覚える。
 スキルを指定して採用したあげく,どの仕事に就けるかは白紙で会社が決めて,協調性と努力主義を評価しながら年功的に処遇するという,今までと同じ方式ではどうしようもない。
 普通に考えれば,ジョブ型で採用すれば,ジョブ型で処遇するのが整合的だ。すなわち,1)ジョブ=職務のグレードと職務の成果に対応した給与とし,2)ジョブが変わらない限り昇進や配置転換や転勤はなく,3)ジョブが存在してそれを当該労働者が正常に遂行できる限り雇用され続けるが,4)ジョブが消滅する場合は解雇される。現在,日本企業の大半では,そのような人事管理を正社員に対して行っていない(非正規には,差別的低賃金で,かつ3)を除いて適用している)。ジョブ型の処遇に踏み込むつもりはあるのだろうか,ないのだろうか。

2.「ジョブ型採用」は年齢差別禁止
 中間とりまとめも共同提言も,「新卒,既卒を問わず」とは書いているものの,基本的に大学生や,大学を卒業してまもない者しか念頭に置いていない文章になっている。

 大丈夫か。

 多くの人が普段忘れているが,わが日本には雇用対策法により採用の年齢制限禁止が規定されている。「ハードな重労働!高齢者には到底無理! 40歳以下で募集します」も「若者向けの洋服の販売スタッフなので30歳以下で募集しても問題ないよね?」も「社長が40歳、その他のスタッフも皆30代以下。業務上指導しづらいし、中高年齢者は浮いてしまうので、30代以下しかとれない!」も「PC操作や夜間業務もたくさんスキルや体力面で、高齢者は不安なので若い人を募集」も,採用条件に年齢を入れたら最後,すべて違法なのである(「その募集・採用。年齢にこだわっていませんか?」厚生労働省リーフレット)。

 ただ,「長期勤続によるキャリア形成を図る観点から、若年者等を期間の定めのない労働契約の対象として募集・採用する場合」は,1)対象者の職業経験について不問とすること,2)新卒者以外の者について、新卒者と同等の処遇にすることを条件として例外的に許されているのだ。だから,「20○○年3月大学卒業見込みの者」に限った新規学卒採用が行えるのだ。

 「ジョブ型採用」を行った場合,この例外規定は適用されるだろうか。まともに考えれば,されないと思う。職務に対応した「専門スキル」を基準に採用し,通年で採用し,新卒,既卒は関係ないとする以上,年齢を制限できないと見るのが理屈だろう。「ジョブ型採用だけど若年層に限ってくれ」というのでは,理屈が立たず,中高年男女から差別だという訴訟が頻発するだろう。

 とすると,「ジョブ型採用」の場合,新卒者は,少し年齢が上の既卒者のみならず,数多くの,あらゆる年齢の,転職・中途採用希望者と,専門スキルで競争しなければならないのだ。

 それが良いとか悪いとか言っているのではない。制度の整合性を保とうとすれば,そうならざるを得ないのだ。

 経団連側は,またもっと心配なのは大学側は,さらにそれ以上に心配なのは報道しているマスメディアは,上記2点を分かったうえで「ジョブ型採用」の拡大について論じているのだろうか。心配である。

 皮肉でなく,この一文が杞憂であって,まともに議論が深まることを希望する。

採用と大学教育の未来に関する産学協議会「採用と大学教育の未来に関する産学協議会 中間とりまとめと共同提言」(2019年4月22日))経団連ウェブサイト。

<関連投稿>
「経団連の「就活ルール」廃止と「提案」をどう受け止めるか」Ka-Bataブログ,2019年2月22日。
「「事務職になりたい」は過去へのあこがれだが「転勤がないように働きたい」は未来への要求だ」Ka-Bataブログ,2018年11月6日。
「就活ルール廃止後に求められる改革の基本方向」Ka-Bataブログ,2018年10月11日。

2019年4月19日金曜日

日本語能力試験N4を基準に「特定技能」外国人労働者を受け入れるのは無茶だ

 外国人労働者受け入れ政策について,入管法改正成立以後,他の仕事に追われて詳しく調べられなくなった。なので,一つだけ,あまり言われていないことを言いたい。

 「特定技能」の在留資格を取り,日本で技能労働(ブルーカラー労働)をしようとする外国人労働者に対して,日本語能力を,「日本語能力判定テスト(仮称)」又は「日本語能力試験(N4以上)」しか求めないのは適切だろうか。

 この問題は,様々な立場のいずれからも提起されていないように見える(あるいは介護の現場からは提起されているかもしれない)。

 大学で学生を教えている私の経験から言えば,N4では,様々な場面で,たとえ双方に悪意がなくてもミスコミュニケーションは避けがたい。そして,相手に悪意があれば,抵抗することは難しい。当人がわかる言語での説明が付されていない限り,行政的な手続きも自分だけではできない。そして,雇い主や行政窓口や顧客とのトラブルに見舞われた時に,日本語で交渉することも困難だと思う。

 外国人を適切に受け入れ,かつその生活と権利を守りやすくするために,要件はN4ではなく,N3 にすべきではないだろうか。

 外国人とのトラブルを恐れて受け入れに消極的な立場からの論評は,「外国人全般」に否定的であるためにこの問題を具体的にみていない。逆に,外国人の人権を尊重する立場からは,受け入れを制限する方向の発言をしたくないという心性が働くのか,やはりこの問題に触れることが少ない。

 しかし,いったん受け入れた外国人の人権を守るためには支援制度を構築して運用すべきだが,そもそも,対処しきれないような規模と語学能力水準の人を受け入れてしまっては,現実的困難が大きくなりすぎる。受け入れる要件や速度,規模について考えることは,排外主義でもなんでもない。現に大学では留学生相手に行っていることだ。

 このままでは,多数の労使トラブルが発生する。その中には,本当に労使どちらかが法や就業規則に違反している場合もあれば,双方の誤解やすれ違いからくるものもあるだろう。大学でもそれに類似したことが多数生じている。N1を持つ大学院生との関係においてすら,生じる。

 経験的な感触からの設定で申し訳ないが,N4は無茶だと思う。N3にすべきではないか。あまり引き上げると,応募できる外国人が少なくなってしまい,漢字圏以外の人が応募できなくなるが,N3ならばその弊害は少ないと思う。そもそもこれまでのところ,N5やN4よりN3の方が受験者が多いのだ(日本語能力試験公式サイトのデータより)。

 皆さんは,いかがお考えでしょうか。

2019年3月5日火曜日

年功賃金をそのままにした「働き方改革」で「同一労働同一賃金」は実現できるか

 「大学職員に「同一労働同一賃金」はありえるのか?」大学職員の公募情報lite,2019年3月2日
 この記事のライターは大学の職場に独特の事情をとりあげることを意図していたのだろうが,企業一般に存在する問題を言い当ててしまっている。

「契約職員の同⼀労働同⼀賃金を阻んでいる壁が、専任職員に適用されている年功俸給です。」
「専任職員の年功俸給と契約職員の同⼀労働同⼀賃金を併存させようとすると、「30歳と40歳の2名の専任職員と同じ業務を契約職員が担当した場合、どちらの専任職員の給与に合わせるのか︖」というような問題が生じます。」

 その通りだ。これは,大学だけの話ではない。日本の年功賃金を放置したまま「同一労働同一賃金」を実現しようとする「働き方改革」関連法の前に立ちふさがる,最大の壁であり,原理的に乗り越え困難な壁である。一体全体,どうするつもりなのか。

 この記事のライターは言う。
「したがって、契約職員と専任職員の間で同⼀労働同⼀賃金を実現するためには、おそらく専任職員に関する厳密な能力主義給与体系が前提になるのではないかと思っています」。

 まちがいとはいえないが,こういってもおそらく力がない。日本の大企業は,すでに「能力主義管理=職能給」を制度上は実行しているからだ。しかし,「能力」を測る尺度が曖昧模糊としているために,現実にはジェンダーバイアス付き年功賃金となっている。ここでジェンダーバイアスとは,露骨に女性を劣等視する差別だけではなく,「育休なんか取るやつは会社に貢献する能力がない」という類の,事実上女性を不利な立場に追い込むことを含む。

 だから,同一労働同一賃金を実現しようとしたら,必要なのは能力主義ではなく,職務給だ。ポストそのものに値段をつけ,誰がやろうとも同じ賃金を払う。もちろん,成果査定によって差はつくだろうがベースは同じだ。これならば,30歳と40歳の専任職員の給与は同じなので,冒頭の悩みはない。専任社員と契約社員との職務の価値(肉体的・精神的負荷,付加価値への貢献,難易度,必要な訓練費用,責任の度合いなど)の同一性・差異性だけで考えて,つまりは同一(価値)労働同一賃金の原則によって賃率を設定できる。

 日本の正社員の賃金形態を一気に職務給に飛び移らせることは難しい。しかし,年功賃金のままで契約社員や多様な非正規社員との間での同一労働同一賃金を図ることは,もっともっと難しい。

 この難題は,現在厚労相から提出されている「同一労働同一賃金」ガイドライン(※)では解決されていない。このままでは企業の現場は混乱し,「働き方改革」は,基本給の同一労働同一賃金については絵に描いた餅になるだろう。どうしたらよいのか。政府には,関連法案が完全適用される来年4月までに方策をねり,より具体的な法解釈を整える責任がある。

「短時間・有期雇用労働者及び派遣労働者に対する不合理な待遇の禁止等に関する指針」(同一労働同一賃金ガイドライン),2018年12月30日。

2019年2月22日金曜日

経団連の「就活ルール」廃止と「提案」をどう受け止めるか

 以下は,『全大教新聞』第356号,全国大学高専教職員組合,2019年2月10日に寄稿したものです。

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 2018年10月9日,日本経済団体連合会(経団連)は2021年度以降入社対象の「採用選考に関する指針」(いわゆる「就活ルール」)を廃止することを決定し,さらに12月4日に「今後の採用と大学教育に関する提案」(以下「提案」)を発表した。この経団連の動きに対して,ここでは2点述べたい。

「青田買い」激化のおそれとその弊害

 第一に,「就活ルール」廃止は,大学教育と学生生活を今以上に攪乱するおそれがある。これまでも経団連の「就活ルール」が形骸化し,そこで定められた期日以前から採用活動が行われて来たことは公然の事実である。その廃止は現状を追認しつつ公認する作用があり,企業による学生の早期囲い込みはさらに激しくなる可能性がある。

 より広く見ると,このような青田買いは,個別企業の短期的利益にはなっても,日本社会の人的資源涵養,有効活用にはならないという問題がある。日本の新規学卒採用は,在学中の卒業予定者だけを対象にして,職務と勤務地を明示せずに「入社」させるものであり,濱口桂一郎氏が定式化したメンバーシップ型雇用の入り口である(濱口『若者と労働』中公新書ラクレ,2013年他を参照)。選考時に学生に求められるのは,各社が各様に定める「潜在能力」であり,実際には「協調性」を含む「人格」が重視される。選考活動で学生は人格を問われ,落とされるたびに人格を否定されて衝撃を受ける。これまで,このような活動が企業にとって有効だったのは,「入社」させた従業員の多くを定年まで長期雇用し,忠誠心と技能の混合物を企業内訓練で育成することで,企業成長に貢献させることができたからである。ところが1990年代末から,経済停滞による雇用コストの相対的上昇,専門人材獲得の困難,女性の活躍の困難など様々な問題が噴出し,このような雇用管理の有効性が低下しているのである。

大学の立場からの改革提言を

 第二に,「提案」は,企業の立場から日本の労働市場を改革しようとするものであることに注意しなければならない。「提案」は,「新卒⼀括採⽤のほか、卒業時期の異なる学⽣や未就職卒業者、留学経験者、外国⼈留学⽣などを対象に、夏季・秋季の採⽤・⼊社なども柔軟に⾏うべき」であり,「新卒・既卒や⽂系・理系の垣根を設けない、通年採⽤・通年⼊社等の多様な選択肢を設けていく必要がある」と述べている。そして,この構想の実現のために「⼤学と経済界が直接、継続的に対話する枠組み」の設定も提案している。新規学卒採用をやめはしないものの,その比重を減らしていこうという提案である。その分だけ,何らかの形で職務や勤務地を特定したジョブ型雇用と,新規卒業予定者に対象を限定しない採用を増やしていこうというのである。

 経団連の目的は企業利益のための多様な人材,専門的人材の獲得であるが,その提案は低成長・人口減少・超高齢化という社会の変化に対応している面がある。この社会に残された労働力の給源は,再就職を目指す女性や高齢者である。現在の雇用慣行では,これらの人々は非正規としてしか採用されない傾向が強い。日本社会の持続可能性のためには,性別はもちろん,年齢や,初職,転職,再就職の区別のない雇用管理を拡大することが必要である。このことは社会的にも明らかであるが,企業の立場からも人的資源の幅の制約を突破する方策として唱えられているのである。

 ジョブ型採用が拡大した場合の大学への影響は複雑である。新規学卒採用に特有の青田買いや,「就職浪人」が受ける極度に不利な扱い,就活での人格否定がなくなることは望ましい。他方,ジョブ型の採用においては,学生は全年齢層を含む競争に加わらねばならず,「潜在能力」でなく明確な職業的能力を問われることになるので,不利な立場に立たされるおそれがある。そのことは,大学に対する職業教育の要請に結びつく。

 「提案」の実行に日本企業がどこまで踏み出すかは容易に予期しがたく,「就活ルール」廃止が企業の身勝手な青田買いの激化に終わる危険もある。大学はこのことに十分な警戒を払わねばならない。と同時に,大学と労働市場の結びつき方について,大学自身の立場から提言することが求められているのである。

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<関連投稿>
「大学の学力問題と労働市場 (2017/7/4)」Ka-Bataアーカイブ。



2019年2月8日金曜日

特別監察委員会報告書は破棄ではなく上書きすべきだ

 毎月勤労統計不正問題。私の意見では,野党が特別監察委員会の報告書の廃棄をこの時点で要求するのは不適切である。ブログで縷々述べたように,この報告書は調査体制に中立性の問題があり,内容も甚だ不徹底であるが,それでも,批判的によく読めば,厚労省による隠ぺいも証明できるし,不作為により問題を隠す体質もわかるし,2004年より前から不正が行われていたこともわかる。

 現時点で廃棄させると,監察委員会報告書が認定した事実まで,まだまったくわかっていないことになり,政府もその立場で答弁できてしまうから,かえって真相解明の妨げになる。

 大事なのは再調査させることであり,再調査の上で元の特別監察委員会報告書に誤りが証明されたら,再調査結果で上書きすればよいのである。
「野党、統計調査報告書の撤回要求」Reuters,2019年2月6日。
https://jp.reuters.com/article/idJP2019020601002053

「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(1)不作為の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月26日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(2)中立性の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月27日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(3)誰が不正を指示したのか」Ka-Bataブログ,2019年1月28日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(4)未復元の事実,復元を開始した事実を隠蔽したのではないか」Ka-Bataブログ,2019年1月29日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(5)2004年調査よりも前から不正が始まっていた」Ka-Bataブログ,2019年1月30日。

2019年1月30日水曜日

毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(5)2004年調査よりも前から不正が始まっていた

 この連載の核心というか,私のブログにしか書いていないオリジナルなところは前回の(4),つまり復元を開始した際に行われた隠蔽の疑いにあった(ので(4)をお読みいただけるとありがたいです)。よって,この話で連載は打ち止めにしようと考えていた。しかし,田中重人氏と池田信夫氏のブログを読み,重要なことを一つ書き落していることに気がついたので,両氏に倣う形で捕捉する。それは,2004年調査よりも前から不正が始まっていたのであり,2004年の不正はそれ以前からの不正を隠すためではなかったかということだ。

 2004年調査で東京都の規模500人以上事業所を全数調査から抽出調査に変えた理由は,(3)でも紹介したように,「継続調査(「平成16(2004)年以降の東京都における規模500人以上の事業所に係る調査が抽出調査となった理由は、規模500人以上の事業所から苦情の状況や都道府県担当者からの要望等を踏まえ、規模500人以上事業所が集中し、全数調査にしなくても精度が確保できると考え、東京都について平成16(2004)年1月調査以降抽出調査を導入したものと考えられる」(監察委員会報告書15ページ)とされている。

 だが,実は同じページにこうある。「平成16(2004)年からこれまでの集計方法をやめることとしたが、それだけだと都道府県の負担が増えてしまうので、その調整という意味でも(東京都の規模500人以上の事業所に限り)抽出調査とすることとしたように思う」(15ページ)。そして,「これまでの集計方法とは、規模30人以上499人以下の事業所のうち、抽出されるべきサンプル数の多い地域・産業について、一定の抽出率で指定した調査対象事業所の中から、半分の事業所を調査対象から外すことで、実質的に抽出率を半分にし、その代わりに調査対象となった事業所を集計するときには、抽出すべきサンプル数の多い地域・産業についてその事業所が2つあったものとみなして集計する方式であり、全体のサンプル数が限られている中、全体の統計の精度を向上させようとしたものである。
 この手法により得られる推計結果は、抽出率に基づき復元を行っているのと同程度の確からしいものと考えられ、標準誤差にゆがみが発生する可能性はあるが、平均値に関しては大きな偏りはなく、給付等に影響を及ぼすこともない。しかしながら、こうした手法は当時公表されることなく行われており、統計調査方法の開示という観点からは不適切と言わざるを得ない」(15ページ)。

 つまり,2004年調査よりも前から,規模30人以上499人以下の事業所について,本来調査すべき事業所の半分しか調査対象とせず,同じ事業所が2つあったとみなして集計をしていたというのだ。これは不適切どころか,勝手に抽出調査に変更したのと同レベルの不正行為と言える。

 田中氏は,2002-2003年の調査の精度が大幅に下がったことを示し,同程度の「確からしさ」など確保できてないと指摘するとともに,この不正が2002年と2003年に行われたのではないかと推定している。また池田氏は,「厚労省は2003年まで「半分の事業所を調査対象から外す」という操作を行っていた。これは調査計画に反するので、総務省に報告するわけには行かない。それを改善したことをいわないで、東京都の大企業のサンプルを減らすことだけを統計委員会で審議すると、「手抜きだ」と批判されると思って隠したのではないか」と推測している。

 抽出対象を勝手に削減するこの調査方法を,なぜ2004年にやめることにしたのかはわからない。しかし,とにかくやめることになったのだろう。そうするとサンプル数が増えて,ただでさえたいへんな調査の作業量がますます増え,都道府県から苦情が来る。これを相殺するために一部を抽出調査にしたとすれば,確かに動機の説明がつく。抽出調査を総務省に申請しなかったのは,池田氏が言うように手抜きを批判されるか,あるいはそれにとどまらず抽出対象を勝手に削減していたことも露見しかねなかったからだろう。

 抽出対象を半分にしていた不正に関する報告書の記述は,なぜ2004年の抽出調査への変更が,総務省に報告することなく行われたかについての,現時点までの最有力な手がかりだと思う。2004年の不正は,それ以前から行っていた不正が露見しないようにするためだったかもしれないのだ。監察委員会の調査は中立性がないということでやりなおしになったようだが,この点をぜひ追求してほしい。

(1月31日追記)総務省統計委員会が,この件について報告を受けたとの報道がありました。
「統計不正問題のきっかけ 別の不正を是正しようとしたためか」NHK WEB NEWS,2019年1月31日。

田中重人「2003年以前の毎月勤労統計調査抽出率偽装問題」remcat:研究資料集,2019年1月23日。
池田信夫「厚労省はなぜ勤労統計のサンプルが増えたことを隠したのか」アゴラ,2019年1月26日。

「毎月勤労統計調査を巡る不適切な取扱いに係る事実関係とその評価等に関する報告書について」厚生労働省,2019年1月22日報道発表。

<連載>
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(1)不作為の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月26日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(2)中立性の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月27日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(3)誰が不正を指示したのか」Ka-Bataブログ,2019年1月28日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(4)未復元の事実,復元を開始した事実を隠蔽したのではないか」Ka-Bataブログ,2019年1月29日。


2019年1月29日火曜日

毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(4)未復元の事実,復元を開始した事実を隠蔽したのではないか

 毎月勤労統計調査の不正問題。前回の(3)では2004年調査で不正がなぜ行われ,誰が指示したのかという問題を取り上げた。今回は,復元に関わって,隠蔽やそれに類する行為がなかったかどうかを考えたい。

 不正の二つの主要内容である1)全数調査を行うべきところ抽出調査を行って,それを隠したことと,2)復元操作を行わなかったために統計数値が正しくなくなってしまったことのうち,1)については,多くの厚労省職員が気づいていながら,これを見て見ぬふりをしたことは連載の(1)で述べた。この点について,組織的に取り上げない不作為が問題だとした監察委員会の主張は,それなりにもっともだと思う。しかし,2)については話が違っているのではないだろうか。

1.なぜ復元が行われなかったのか
 まず,2004年からの東京都規模500人以上事業所についての抽出調査に伴い,なぜ,本来必要な復元が行われなかったのかについて,謎が残っている。報告書は「抽出替え等によりシステム改修の必要性が生じた場合には、企画担当係とシステム担当係が打ち合わせをしながら、必要な作業を進めていく」(17ページ)とした上で,「本件についても、例えば、企画担当係から追加でシステム担当係に東京都における規模500人以上の事業所の抽出率を復元処理するための依頼を失念した、東京都の規模500人以上の事業所における産業ごとの抽出率等の必要な資料が渡されなかった、あるいは渡されたが、システム担当が東京都の抽出調査の導入に係るシステム改修をしないまま、その後ダブルチェックがなされず、長期にわたり復元処理に係るシステム改修が行われていない状態が継続した可能性が否定できない」(17ページ)と述べているが,2004年調査に際して復元作業のための打ち合わせが行われたのかどうかを明らかにしていない。当時の企画担当係とシステム担当係からくまなくヒアリングしたのだろうか。全員が,忘れたとでも供述したのだろうか。きわめて不可解である。
 
2.復元が行われなかったことに誰も気づかなかったのか
 次に,その後,14年にわたって復元が行われなかったことについてである。抽出調査を行っていることは,その作業に携わっている以上,関連職員は当然認識した上で,その問題に見て見ぬふりをしていたのだろう。しかし,復元についてはどうなのか。プログラムが組まれず,復元処理がなされないために毎月勤労統計の数値が正しくないものになっていたことに,関連職員は気がついていなかったのだろうか。

 全数調査と称して抽出調査を行っているのももちろん不正であるが,それで統計数値自体が歪むわけではない。しかし,復元を行わなければ数値自体が誤ったものになってしまうのである。関連部署の職員は,数値のゆがみを承知で,未復元にも見て見ぬふりをしていたのだろうか。統計の専門家である職員が,そこまでするものだろうか。この点が報告書の記述では明らかではない。

3.最終的に誰が復元処理を指示し,かつそのことを隠したのか
 そして,最終的に未復元を問題だと認識して復元処理を開始したのに,そのことを明らかにしなかったのは誰かという問題である。報告書によれば明確で,2017年時点で雇用・賃金福祉統計室長だったFである。報告書はF室長が2018年の調査を準備する過程でとった行動について述べる。

「Fは、これまでの調査方法の問題を前任の室長から聞いて認識していた。その上で、ローテーション・サンプリングの導入に伴い、一定の調査対象事業所を毎年入れ替える必要が生じるが、抽出率が年によって異なるため、東京都の分も適切に復元処理を行わなければローテーション・サンプリングがうまく機能しなくなると考え、東京都についても復元処理がなされるよう、システム改修を行うとの指示を部下に行っていたと述べている」(23-24ページ)。

 だから,少なくとも前任の室長は,復元が行われていないことを知っていたことになる。そして,F室長は,サンプルを毎年3分の1ずつ入れ替えるローテーション・サンプリングの導入の際に,復元が行われるようにシステム改修を指示したのだ。ところがF室長は,「復元処理による影響を過小評価し、これまでの調査方法の問題、さらには当該機能追加及びそれによる影響について上司への報告をせず、必要な対応を怠った。また、Fは東京都を抽出調査としていることの影響について、後任であるIに対し、復元処理の影響は大したことはない旨の誤った認識に基づく引継ぎを」行った(24ページ)。

 私はこのF室長の行為は極めて不適切だと思う。F室長は未復元を知っていた。そして,復元が行われるようシステム改修を指示する際に,その影響を受けて数値が動くことをも知っていた。にもかかわらず,そのことを黙っていたというのだ。この行為を報告書は、「これまで東京都が抽出調査であったことを隠蔽しようとするまでの意図は認められなかった」(24ページ)といい,挙句の果て「平成30(2018)年1月調査以降の調査においては、従来適切な復元処理が行われていなかったものについて復元処理が開始されており、これはより統計の精度を高めるためのものであるから、意図的に「基幹統計をして真実に反するものたらしめる行為」(統計法第60条第2号)をしたとまでは認められないものと考えられる」(27ページ)とかばっている。未復元だったものを復元したのだからいいじゃないか,というのである。これはおかしい。未復元を発見し,復元を開始したことについて,必要な報告をしなければ,過去においても復元を行っていたかのように装うことになってしまう。これは,主観的意図が何であれ,客観的には隠蔽行為ではないか。

 このローテーション・サンプリング導入によるサンプル変更と復元処理の開始は,2018年1月調査以降の給与の数値の上振れに影響を与え,社会からの疑念を招くことになる。ところがFの後任のI室長は,報告書によれば「平成29(2017)年までの調査については東京都の規模500人以上の事業所に係る抽出調査分の復元処理を行っていないこと及び平成30(2018)年以降の調査では復元処理を行っていることを知りながら、前任者から東京都の抽出調査を復元していなかったことの影響は大きくないと聞いていたことから、これを当該上振れの要因分析において考慮せず、結果として不正確な説明を行った」(25ページ)という。I室長は,未復元を復元にした事実は知っていた。その上で,F室長の誤った引継ぎに影響されたという理由で,その重大性を軽視して事実と異なる説明をし,それが社会に公表されたのだ。これは,I室長の意図にかかわらず,客観的には隠蔽行為ではないか。

 結局,厚労省がサンプル入れ替えによる上振れと説明したのに対して,総務省が,全数調査をしているはずの規模500人以上の事業所の賃金まで上振れしていることに気づき,おかしいではないかと厚労省に問い合わせる。報告書によれば,この時点でIは抽出調査と過去の未復元について,はじめて上司である政策統括官Jに報告した。そして,これらの事実は,2018年12月13日の打ち合わせで,統計委員会委員長および総務省との打ち合わせで厚労省から報告されたのだという(13ページ)。

 以上のことから,私は,報告書が明らかにしている事実だけから見ても,直接にはF室長とI室長が,そして対外的には厚生労働省が隠蔽行為を行ったと見るべきだと思う。報告書がこれを指弾せず,逆にかばってさえいることは不適切と言わねばならない。

 そして,さらなる問題がある。F室長とI室長は,本当に,復元の影響は大したことがないと思いこんでいたのだろうか。影響が深刻である可能性を知っていながら,何らかの理由で黙っていた可能性はないのか。そして,これはF室長とI室長というたった2人だけによる行為なのか。F室長の前任者においても,復元が行われていない事実は知られていた。誰が知っていたのか。また,F室長はシステム改修に当たって,誰にも相談しなかったのだろうか。I室長は,給与数値の上振れに復元の影響が出ている可能性について,誰とも相談しなかったのだろうか。J政策統括官は,本当に総務省から指摘を受けて初めてI室長から事実を聞かされたのだろうか。未復元と復元の開始について,知っていながら隠した者,隠すことをF室長やI室長に求めた者は,本当に誰もいないのだろうか。

 これらのことが追加調査によって明らかにされねばならないと,私は考える。

「毎月勤労統計調査を巡る不適切な取扱いに係る事実関係とその評価等に関する報告書について」厚生労働省,2019年1月22日報道発表。

「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(1)不作為の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月26日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(2)中立性の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月27日。




2019年1月28日月曜日

毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(3)誰が不正を指示したのか

 毎月勤労統計調査の不正の主要な内容は,1)2004年(小泉内閣当時)以後,本来規模500人以上の事業所について全数調査を行うべきところ,東京都(石原都知事当時)について,総務省に届けることなく抽出調査を行ったこと,およびその事実を公表せずに偽っていたこと,2)抽出調査に伴って必要になる復元操作を行わなかったことにより,2004年以後の調査結果が統計的に正しいものではなくなってしまったことだ。

 今回は,1)の不正が行われた理由について,特別監察委員会報告書が明らかにしたかどうかを取り上げ,次回に2)の復元の問題を考えたい。

 監察委員会報告書によれば,以下の事実が明らかになっている。

「平成15(2003)年5月22日付で当時の担当課の企画担当係長名で毎月勤労統計調査に係るシステム担当係長あてに通知された「毎月勤労統計調査全国調査及び地方調査の第一種事業所に係る調査の抽出替えに関する指定事業所の決定及び指定予定事業所名簿作成について」という事務連絡がある。この事務連絡に添付された「毎月勤労統計調査全国調査及び地方調査の第一種事業所に係る調査の抽出替えに関する指定事業所の決定及び指定予定事業所名簿作成要領」においては、「事業所規模500人以上の抽出単位においては、今回から全国調査でなく、東京都の一部の産業で抽出調査を行うため注意すること。」との記載がある。この事務連絡は、雇用統計課長の決裁を経た上で、係長名で指示を行っている。
 また、平成15(2003)年7月30日に厚生労働省大臣官房統計情報部長名で各都道府県知事宛に通知された「「毎月勤労統計調査全国調査及び地方調査第一種事業所に係る調査」における指定事業所の抽出替えの実施について」に添付された「毎月勤労統計調査抽出替えに伴う事務取扱要領」(以下「事務取扱要領」という。)において、平成16(2004)年1月からの取扱いとして、「従来から規模500人以上事業所は全数調査としていたが、今回は東京都に限って一部の産業で標本調査とした。」と記載された」(5ページ)。

 つまり,抽出調査を行うことは統計情報部長名で宣言している。それに先立ち,抽出調査をすることを企画担当係長がシステム担当係長に伝え,そのことを雇用統計課長が決裁しているのである。

 変更を行った動機について,報告書はこう述べる。

「平成16(2004)年以降の東京都における規模500人以上の事業所に係る調査が抽出調査となった理由は、規模500人以上の事業所から苦情の状況や都道府県担当者からの要望等を踏まえ、規模500人以上事業所が集中し、全数調査にしなくても精度が確保できると考え、東京都について平成16(2004)年1月調査以降抽出調査を導入したものと考えられる」(15ページ)。

 しかし,それですませてよいとは思えない。事業所と都道府県から苦情があったからと言って,厚労省がはいそうですかと調査方法を変えるものだろうか。不自然さが残る。まして,総務省に届け出なければならないところを省略するという,ルール違反を犯してまで行うものだろうか。余りに不自然だ。さらに,それらを誰がどこで決定したのかが全く明らかでない。企画担当係長の意志で行うことなどありえない。
 この点,元経済産業省官僚の宇佐美典也氏の推定は合理的と思う。すなわち,1)厚労省に要望を出したのは東京都であろうこと,2)不正な調査の実施を決定したのは,物事を決める立場にないノンキャリア統計プロパー職員でなく,キャリア管理部門職員であろうことだ。

 となれば,ヒアリングで当時の担当係長,雇用統計課長,統計情報部長は肝心なことを隠しているのではないか(誰がノンキャリで誰がキャリアなのかわからないが)。

担当係長の供述「継続調査(全数調査)の事業所については企業から特に苦情が多く、大都市圏の都道府県からの要望に配慮する必要があった。」、「理由は都道府県の担当者の負担を考慮したからだと思うが、誤差計算しても大丈夫だという話だったと記憶している」(15ページ)。

 これをそのまま信じることはできない。また,「大丈夫だという話だったと記憶している」というのは,係長が一人で決めたことではなくて,誰かから「大丈夫だ」と聞いて指示を受けたことを示唆しているように私には思える。いったいどこで誰が相談して決めたのか。

担当課長の供述(としか書いていないが雇用統計課長と思われる)。「抽出調査としたことについて、覚えていないが当時自分が決裁したと思われる決裁文書を見たらそのように残っていたのでそうなのだと思う。だだ、抽出していたとしても労働者数に戻す復元を行っていれば問題ない。」(17ページ)

統計情報部長の供述「それ以外の抽出率の違いなど認識していなかった。」、「連続している統計は変更点がなければ、あまり内容を見ることもなく決裁していた」。

 これらもそのまま受け取れと言うのは無理である。どこでどのように決めたことなのかが全く明らかではない。なぜ報告書はこのことについて一言も触れないのか。

 不正な調査を誰が誰に指示したのか。そして,なぜ総務省に届けずに実行したのか。東京都からどのような形で要望が出されたのかについて,その背後に政治的な力が作用しなかったかどうかについて,厚生労働省で担当係長に不正な指示を出し担当課長に決裁させた人や組織が存在する可能性について,より深く追加調査すべきだろう。

宇佐美典也「厚生労働省はおそらく何かを隠している(統計不正問題)」宇佐美典也のブログ,2019年1月21日。
「毎月勤労統計調査を巡る不適切な取扱いに係る事実関係とその評価等に関する報告書について」厚生労働省,2019年1月22日報道発表。

<連載>
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(1)不作為の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月26日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(2)中立性の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月27日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(4)未復元の事実,復元を開始した事実を隠蔽したのではないか」Ka-Bataブログ,2019年1月29日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(5)2004年調査よりも前から不正が始まっていた」Ka-Bataブログ,2019年1月30日。



2019年1月27日日曜日

毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(2)中立性の問題

毎月勤労統計の不正調査に関する特別監察委員会報告書について,たたき台を厚労省職員が書いたことに加え,厚労省幹部らへの聞き取り調査に現役の幹部職員が同席していたと報道されている。

 これは,監察委員会の設置の仕方と調査方法自体に問題があるのだと私は思う。報告書の4ページに堂々とこう書いてある。

「今般の事案については、本委員会の設置以前から、弁護士、公認会計士等の外部有識者もメンバーとして参画した厚生労働省の監察チームにおいて、職員への聴取等が行われてきた。本委員会は、調査の中立性・客観性を高めるとともに、統計に係る専門性も重視した体制とするため、厚生労働大臣の指示により、監察チームで行ってきた調査を引き継ぎ、統計の専門家を委員長とし、監察チームの外部有識者、統計の専門家等が委員となる形で、第三者委員会として設置されたものである。」

 第三者委員会と言いながら厚労省内部の監察チームのありかたを引きずっている。ヒアリングについても,厚労省の監察チームだった時点で行われたヒアリングを,少なくとも一部使用しているのだ。

 厚労省監察チームのヒアリングに厚労省の人間が同席することはありうる。しかし,それでは第三者による調査とはなり得ない。第三者委員会に切り替える時点で,ヒアリングはやり直さねばならなかった。そして,調査報告書は委員自身が書かねばならなかった。もちろん,委員自身が初めから起案するのは大変な作業であり,時間がかかる。しかし,ことの性質上,そうしなければならなかったはずだ。

 政府・厚労省が調査結果をあまりに急いで出そうとするからこうなる。早期幕引きを図りたいのだなと疑われても仕方がない。

「勤労統計巡る監察委調査 厚労省幹部が同席 中立性に疑念」『日本経済新聞』2019年1月27日。

「毎月勤労統計調査を巡る不適切な取扱いに係る事実関係とその評価等に関する報告書について」厚生労働省,2019年1月22日報道発表。

<連載>
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(1)不作為の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月26日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(3)誰が不正を指示したのか」Ka-Bataブログ,2019年1月28日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(4)未復元の事実,復元を開始した事実を隠蔽したのではないか」Ka-Bataブログ,2019年1月29日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(5)2004年調査よりも前から不正が始まっていた」Ka-Bataブログ,2019年1月30日。

2019年1月26日土曜日

毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(1)不作為の問題

 話題の,毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読んだ。問題にすべき事実は多岐にわたり,率直に言って評価も容易ではないので,考えがまとまったところからコメントしていきたい。

 まず,いま問題になっている「組織的隠蔽はあったのか」という論点。野党や報道機関,世論によって疑われているのは,厚生労働省が不正を知っていながら目的意識的,組織的に隠したのではないかということだ。対して,この報告書は樋口美雄監察委員長が記者会見で述べたように,「組織的関与はなく、組織的不関与が問題。任せっきり。逆に組織として問題ではないか」という立場を取っている。つまり,組織的に問題をとりあげずに見過ごしていたことが問題だというのだ。

 私は,どちらもが問題だと思うが,まず,後者から考えたい。

 樋口氏の発言の意味するところは,報告書全文を読むとわかる。要するに,問題があると職員・管理職が気が付いても,その都度見過ごしてしまい,組織的に問題にしなかったということだ。 

 例えば,東京都における規模500人以上の事業所について全数調査を抽出調査に変更したのに,『年報』では依然として全数調査であると記載していたことについてのヒアリング結果。

 「(公表)資料は「原則」として認識しているが、細かく書くとすれば異なっているという認識はあった。また周りもそういう解釈をしていたと推測する。」「齟齬があるという認識はあったが、東京都は数が多く例外的であると考え自己満足していた。」「そもそも年報に調査方法の全てを事細かに書かなくてはいけないと考えていなかった。」「当時、変えた方が良いと思ったが統計委員会とか審議会にかけると、問題があると思った。何かの改正に併せて、やろうと思ったが、できず、忸怩たるものがある。」(16ページ)

 また抽出調査に伴い,公表していた調査対象事業所数に比べて実際に調査した事業所数が少なくなっていたことについての政策統括官付参事官(当時)の証言。

 「良くないと考え、予算担当の職員に予算を増やせないか相談したが、予算の作業が大変になるのでやめてくれと言われた」(18ページ)

 私は,上記の引用部分を含む,委員会調査の一部は事実であると思う。要するに,「法令やルールに違反しているのだが,指摘するとややこしい事態になるので黙っていた」という不作為である。不作為も責任を問われねばならない。実際,観察委員会はこうした不作為についても厳しく責任を問うていて,その点は評価してよいと思う。しかし,再発防止に向けた改善策が提示が著しく弱く,再調査ではそこが問われるだろう。

 統計不正は,問題を発覚させずに皆で見て見ぬふりをする組織のありように,少なくとも一部は起因している。私は,今後,作為的な隠蔽の疑いも提起したいが,そうした隠蔽も,不作為により問題を見過ごす組織を土壌として生まれてくることを,まず最初に言っておきたい。なぜならば,このようなことは厚労省だけでなく,他の役所でも会社でも学校でも大いにありうることであり,私を含むこの社会の多くの人にとって,身の周りで起こりうることだからだ。

「毎月勤労統計調査を巡る不適切な取扱いに係る事実関係とその評価等に関する報告書について」厚生労働省,2019年1月22日報道発表。
   
続稿
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(2)中立性の問題」Ka-Bataブログ,2019年1月27日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(3)誰が不正を指示したのか」Ka-Bataブログ,2019年1月28日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(4)未復元の事実,復元を開始した事実を隠蔽したのではないか」Ka-Bataブログ,2019年1月29日。
「毎月勤労統計調査の不正に関する監察委員会報告書を読む(5)2004年調査よりも前から不正が始まっていた」Ka-Bataブログ,2019年1月30日。

2019年1月10日木曜日

定年延長問題があらわにする賃金改革の難しさ

 民間と言い公務員と言い,定年延長問題で明らかになるのは賃金改革の難しさだ。
 公務員の定年延長案に述べられているように,超高齢社会に対応して現行制度をベースにして定年を延長しようとすれば,雇う側の予算制約がある以上,高齢になったら賃金を下げるという制度になる。それはそれで現実的だ。
 しかしこれは,「同じ仕事をやり続けていても,年齢が高くなったら賃金を下げますよ」ということであり,ベクトルは「逆年功」だが,年功による賃金決定を改めて宣言することになってしまう。つまり,「同一(価値)労働同一賃金はやりません」「賃金は職務に対応していません」「むしろ生計費を世帯主が稼いでくるという事情を考慮して,年齢で賃金が決まるのです」と,いまになってわざわざ強調しているのと同じである。
 ところが,こうした慣行を続けることが,大きく見ると超高齢社会を困難に陥れる。人口減少・超高齢社会を持続可能にするためには,新たな働き手として,一度は退職した高齢者と,一度は退職した中高齢女性を想定するしかない。これらの高齢者,中高年女性は,「正社員には生計費に即して年齢で決まる賃金が払われる」という年功賃金の慣行のもとでは,その年齢ゆえに正社員として採用されることが少ない。しかし,非正規として低賃金に甘んじるのでは,家庭の重要な稼ぎ手になることができない。とくに単身高齢者は,長寿ゆえに,また少子化故に,そして未婚率上昇ゆえに,社会に占める比率が増えるから重大な問題だ。
 だから,この問題を解決するには,正規と非正規の区別がなく,職務を指定して人が募集され,その職務の価値によって賃金が決まる制度・慣行が必要だ。「この仕事ができるなら誰でも(性別は当然として)年齢に関係なく同じ賃金で雇います。年功ではさほど昇給もしませんが減給もしません」という制度・慣行だ。年齢差別禁止の法制がこれを後押しする。これならば,いったん退職した高齢者全般と中高年女性も,まともな賃金で再就職できるだろう。
 しかし,正社員のところで「世帯主の生計費で賃金は決まります」という原理を改めて確認してしまうと,そうはいかなくなる。中高年は正社員として採用されない。高齢者は再雇用されても,「定年前の世代と異なり,家族を養うという事情を考慮しなくてよいから賃金が下がることは合理的」と言われてしまう(長澤運輸事件の判決はまさにそのようなものであった)。
 このように考えると,日本の賃金形態はたいへんな矛盾に直面していると言える。一方で,現在の制度・慣行の下で正社員の雇用を少子高齢化に対応させるために,役所を先頭に若いころの年功と高齢になってからの逆年功を実行し,「同一(価値)労働同一賃金」を事実上否定している。その一方,長期的に少子高齢社会を成り立たせるためには「同一(価値)労働同一賃金」に向かわねばならない。両者は真っ向から矛盾している。これは保守,リベラルを問わず,誰が取り組んでも直面する難問だ。


2018年12月9日日曜日

拙速な入管法改正は遺憾だが,実践的な準備をしながら意見をたたかわせるしかない

 入管法改正がものすごいスピード審議で通されてしまった。私は「外国人労働者を受け入れる以外に道はないが,ちゃんと準備をしろ」派なので,今国会での成立には反対であったが,できてしまったものは仕方がない。できる限りの実践的な準備をすべきだろう。
 暫定的には,1)外国語・外国人対応で苦慮する自治体に対し,政府から財政,人員上の支援を行うこと,2)受け入れ人数を決定する仕組みを作り,各界の意見を反映させられるようにすること,3)日本人の雇用と競合しないように労働市場テストを行うことについて検討し,制度設計をしてみること。その公平性について基準をつくること(自国民雇用を守るための労働市場テストは多くの国で実施されているが,効力を持たせることがむずかしいし,差別にならない工夫も必要),4)技能実習生やブラジル等の日系人受け入れの教訓を踏まえて,生活困難,教育問題,人権侵害や差別,住民間対立が生じやすいポイントを洗い出し,改善策を講じること,5)日本の大学を卒業した留学生の就労職種を緩和する案については,法務省の判断だけで緩和せず,大学を含む各界の意見を聴取すること,などを提案したい。与野党は,法改正で議論を終わりとすることなく,これらの実践的な課題について意見を戦わせてほしい。

「増える外国人住民 苦慮する自治体 3割が「対応追いつかぬ」」NHK NEWS WEB,2018年12月5日。


 

2018年11月21日水曜日

技能実習制度の問題を「特定技能」ビザで繰り返してはならない:外国人労働者受け入れをめぐって

 技能実習生は27万4225人(2017年12月)。対して,2017年の失踪者が7089人というのは異常すぎる。単純計算で2.6%が失踪していることになる。どう考えても個人の問題ではなく,制度に欠陥がある。

 失踪した実習生を対象とした調査によると,失踪の理由(複数回答)は確かに「低賃金」が67.2%で1929人だが,うち「低賃金(契約賃金以下)」が144人(5.0%),「低賃金(最低賃金以下)」が22人(0.8%)いる(『朝日新聞』報道)。そして,「月給10万円以下」が1627人(56.6%)ということは,実際には契約賃金以下あるいは最低賃金以下の実習生がもっといたはずだ。

 この待遇なのに,48%は母国の送り出し機関には100万円以上を払っている。明らかにおかしい。正しくない情報に誘われて来日したか,受け入れる企業や農家が約束や法律を破ったか,その両方かだろう。

 神戸国際大学の中村智彦教授が聞き取った受け入れ団体職員の話からは,企業側が賃金に加えて,監理団体等にも費用を支払わねばならないことをよく認識していない場合があることがうかがえる。「トラブルになるのは、実習生側は月に10万円しかもらっていない。一方の企業側は20万円近く支払っている。その意識のギャップが、双方の不満になってぶつかることがある」と言う。受け入れ企業も十分に制度を理解してないケースがあるのではないか。

 政府は,技能実習が最大5割「特定技能」に変わる見込みとしているが,成り行き任せではだめだろう。「特定技能」にすれば解決する問題,たとえば通常の雇用契約にし,転職の自由があれば解決する問題も確かにあるだろう。しかし,技能実習でも「特定技能」でも共通する問題,たとえば不正確な情報の流通や,言葉の不自由さや法的知識不足につけこんで労基法を守らない雇用主の問題などもある。これらを一つ一つ取り上げ,どうすれば同じ問題を「特定技能」ビザでの労働者で繰り返さないかを徹底審議すべきだ。

 私は,まじめに技能実習を実施していて,問題点も熟知している監理団体や経営者の意見を聞きたい。彼/彼女らならば,実習の効果を上げ,コンプライアンスに努めるためにどれほどの手間暇をかけているか,どこに手抜きや誤解の罠が潜んでいるか,どう改善すればよいかを知っているはずだ。

「技能実習生の失踪動機「低賃金」67% 法務省調査 月給「10万円以下」が過半」『日本経済新聞』2018年11月18日。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3790481017112018EA3000/
「月給数万円、借金100万円…失踪した技能実習生の実態」『朝日新聞』2018年11月20日。
https://www.asahi.com/articles/ASLCM5FP6LCMUTIL01Q.html
中村智彦「5年間で延べ2万6千人失踪 ― 外国人技能実習制度は異常すぎないか」Yahoo!Japanニュース,2018年11月6日。
https://news.yahoo.co.jp/byline/nakamuratomohiko/20181106-00103150

「あと1年かけて,「技能実習」を「特定技能」に転換する計画を作るべきだ:入管法改正による外国人労働者受け入れについての意見」Ka-Bataブログ,2018年11月10日。
https://riversidehope.blogspot.com/2018/11/1.html

2018年11月13日火曜日

徴用工裁判において新日鐵住金が問われること :政府の協定解釈とは別に,当事者としての事実に関する見解を

 徴用工裁判において新日鐵住金が問われること。法的に請求権協定で決着済みかどうかというのは国家間の問題だが,新日鐵住金は,前身企業が当事者であった立場として,原告に向かい合わねばならない。つまり,当事者として,原告に対してどのような人事管理を行ったのかという事実と,それを現在どのように評価しているのかだ。これは,国際法でそのことをどう解釈するかとは別の問題として,避けられないことだ。当然,韓国での裁判で新日鐵住金は自己の立場を主張したはずだから,それを改めて内外に説明すべきだろう。私は,そのように思う。

 念のためと思い,公式の社史において,新日鐵住金が原告たちが該当する人事労務をどのように評価しているかを確かめた。

<韓国大法院判決が認定した,原告の労役従事先と状況>
 原告は4名でうち3名は既に死亡。
・原告1と原告2は,平壌で出された応募に1943年9月ごろに応じて,日本製鉄大阪製鉄所で訓練校とした働いた。賃金の大部分がが振り込まれた通帳と印鑑が寄宿舎の舎監によって管理された。原告 2 は逃げだしたいと言ったことが発覚し、寄宿舎の舎監から殴打され体罰を受けた。1944年に強制的に徴用され,それ以後,労働に対する対価が支給されなくなった。1945年6月ころには清津製鉄所に移動させられた。ここでも賃金はまったく支給されなかった。ソ連軍によって清津工場が破壊されてソウルに逃れた。
・原告3は1941年,報国隊として動員されて日本にわたり,日本製鉄釜石製鉄所で働いた。賃金はまったく支給されなかった。最初の6か月間は外出も許可されなかった。1944年に徴兵された。
・原告4は1943年1月ごろ,群山部の指示を受けて募集に応じ,日本製鉄八幡製鉄所で働いた。賃金はまったく支給されず,休暇もなかった。日本の敗戦後,帰国せよという日本製鐵の指示を受けて帰国した。
 よって,原告4名のうち,原告1と2は1944年以後法的な意味で徴用された可能性がある。原告3と4,原告1と2の応募当時は法的な意味の徴用ではない。韓国大法院は,より広い意味の強制動員を「徴用」と呼んでいるものと推定される。

<社史の記録>
 原告が働いた製鉄所のうち,大阪製鉄所は,現在では大阪製鉄という,新日鐵住金系ではあるが別の会社のものとなっている。釜石製鉄所,八幡製鉄所は,新日鐵住金の製鉄所として引き継がれている。清津製鉄所は,現在の北朝鮮に立地しているので,新日鐵住金の手を離れている。よって,日本製鐵の社史,釜石製鉄所,八幡製鉄所の所史を点検するのが妥当だろう。

・『日本製鐵株式會社史 1934-1950』日本製鐵株式會社史編集委員会,1959年(東北大学附属図書館所蔵)。内地において徴用を行ったこと,学徒動員,女子挺身隊,勤労報国隊などを受け入れたこと,清津では朝鮮人の補充には困難はなかったが内地人の求人難が深刻であったことが記されており,昭和20年8月15日現在の労務者在籍人数を記した表では特別労務者の一種として朝鮮人工員という項目が,学徒,俘虜,女子挺身隊,新規徴用工,養成工と並んで書かれている。戦時における人員確保の困難の中での労務構成の複雑化として評価されている。
・『鉄と共に百年』新日本製鐵釜石製鐵所,1986年(東北大学附属図書館所蔵)。人員の膨張を論じたところで,学徒動員,徴用工,女子挺身隊のことが記されているが,朝鮮人労働者を対象とした記述はない。
・『八幡製鉄所八十年史』新日本製鐵八幡製鐵所,1980年(私物)。「部門史 下」において,昭和17年以後,労務者強制徴用が行われたこと,昭和18年には「中国大陸および朝鮮半島からの強制徴用労務者,さらには俘虜,囚人までをも動員計画の中に取り入れていった」(449頁)こと,学徒,女子挺身隊,勤労報国隊を受け入れたことが記されている。そのことは,労務構成の複雑化をもたらしたとされている。

<簡単な考察>
・八幡製鉄所史においては,「朝鮮半島からの強制徴用労務者」を働かせたことが,この表現で事実として認められている。
・それ以外の記述では,戦時労務の一部として朝鮮人工員が存在したことが認められている。
・強制徴用労務者を働かせたことに対する,企業自身としての評価は記されていない。

 新日鐵住金は,前身企業である日本製鐵が,原告たちをどのように採用し,働かせたかについては,自ら確認し,評価しなければならないはずだ。韓国での裁判ではこれらをどのように行ったのか。そして現在,請求権協定の解釈や,判決の当否は別として,前身企業の行為を後継企業としてどのように事実認定し,評価しているのかを社会に明らかにする責任がある。それは,政府の問題ではない。企業が政府から自立しているのであれば,自ら責任を負うべき領域だと私は思う。

「2018年10月30日韓国大法院判決」法律事務所の資料棚。




2018年11月10日土曜日

あと1年かけて,「技能実習」を「特定技能」に転換する計画を作るべきだ:入管法改正による外国人労働者受け入れについての意見

 入管法改正について。まず正視すべきは,「外国人労働者を受け入れるか,受け入れないか」という選択肢は既にないことだ。すでに27万4225人もの外国人が「技能実習」ビザで在留し(2017年12月現在※1),そのほとんどが事実上技能労働者として働いているのだ。加えて「留学」ビザで日本語学校に在籍している外国人の一定部分も(日本語学校在籍数は2017年7月現在50892人※2。なお,全員「留学」ビザとは限らない),半ば技能労働者として働いている。この目的外の就労が不正常な状態をまねいている。具体的には,渡航ブローカーによる不正確な情報,それにつられての過大な借金を背負っての来日,一部実習先の人権無視の労務管理,一部日本語学校の学習支援体制の不十分さ,相談・支援体制の不足,そうしたことの結果としての逃亡や犯罪,などだ。これを改革しなければならない。しかも,外国人技能労働者を排除するという道は,もはやない。排除すれば少なくとも工場と建設現場と飲食店とコンビニが止まって大混乱に陥るだけだ。いまや,「どうやって受け入れ続けるか」が問題なのだ。

 この『東京新聞』11月9日の記事※3のように,現在審議に入ろうとしている入管法改正を「外国人労働者の受け入れ業種や規模は明らかになっておらず「生煮え」「拙速」の批判は強い。日本人雇用への影響を懸念する声のほか、外国人を使い勝手の良い労働力とみなす問題点も挙げられている」という議論は多い。それは,これ以上の誤りを犯さないための批判としてはまちがってはいないが,既に存在する問題をどう解決するかという前向きの方向に踏み出していない。

 私の意見では,まず技能実習生との関連では,最低限,以下のことが必要だ。だからこそ拙速を排さねばならない。しかしそれを何もせず現状を維持する口実にしてはならない。あと1年間かけてよりよい法案と計画を整備し,実行すべきだと思う。

1)まず「技能実習」で働いている20数万人プラスアルファ程度の人数を「特定技能」に円滑に移行できるようにすることを明確なテーマとした計画を立てること。その内容には以下を含めること。
2)転職の自由がなく実習先に従属させられやすい「技能実習」の要件を厳格にして実習の内実があるものだけに絞り,人数を大幅に縮小させること。
3)「特定技能」ビザでの外国人労働者の受け入れ枠を決定する仕組みを整備し,無限定に受け入れて,不況になったらあぶれさせるという事態を招かないようにすること。
4)技能実習で横行する違法な労務管理を「特定技能」で繰り返さないように,労働基準監督,労働者支援の体制を強化すること。
5)そのためにも来日時点での日本語能力の要件は高めに定め,来日後の日本語研修の体制を費用負担のしくみを含めてつくること。

 なお,今回「特定技能」には小売業での労働は含まれない見込みであることから,「留学」ビザで来日してコンビニ等で働く状態の改革は,別途考える必要がある。

※1法務省「在留外国人統計表」。
※2日本語教育振興協会「平成29年度 日本語教育機関実態調査結果報告」
※3「『除染作業強制』『残業代300円』 外国人実習生窮状訴え」『東京新聞』2018年11月9日。

※12月9日追記。入管法改正案成立を受けて以下を書きました。

拙速な入管法改正は遺憾だが,実践的な準備をしながら意見をたたかわせるしかない


2018年11月8日木曜日

外国人労働者の海外居住家族への健康保険適用問題は,データに基づく議論と加入者を差別しない対応を

 外国人労働者の,海外に居住する家族に健康保険を適用する件。ここ数日,感情的に騒ぎ立てる議論が多いのは,不適切だ。海外在住家族の扶養が保険財政にどれほどの負担となっているのか,不正受給がどれほどあるのか,データに基づいて議論すべきだ。データゼロの記事で国会議員が「日本の健康保険制度が崩壊する」と叫んだ,たいへんだと論じるジャーナリストもいる。頭を冷やすべきだ。読んだ限り,この記事だけデータがある。

『毎日新聞』2018年11月7日より引用)
「厚労省などによると、健保の海外療養費制度で2016年度に各健保が負担したのは日本人分も含め約20億5000万円。保険診療にかかった費用全体の0.02%にすぎない。」

 まず,騒ぎすぎるのは問題だと言っておきたい。

 その上で,不正受給事件の統計は残念ながらないようだが,個々の事件の報道からみて,起こっているのは事実だろう。それは,慌てずに対応すればいい。ありうる方法は二つ。やってはならないことが一つ。

1.扶養認定の基準と手続きを外国人に対して明確にする。本来の問題は,日本ならば戸籍と非課税証明書ですむところ,各国の制度の違いによって,何をもって証明するかが明確にならないところだ。この問題に携わる専門家のサイトを見ると,現場の対応がばらばらだ。外国人はどんな書類を提出したらよいかわからない,対応する窓口(たとえば年金事務所)も訓練されていない。
 国別に必要な書類を整理し,どのような書類があればよいか明確にして統一的に運用する。また,どのような書類がそろえば認められるかについて各国に明確に通知し,必要な様式での書類の発行を促す。この問題の窓口も設け,国別担当者も明確にしておく。まずは,この方法の実行可能性を追求すべきだ。くりかえすが,基本的問題は外国人が不正をたくらむことではなく,制度が国によって異なることへの対応なのだ。そして,制度の違いに丁寧に対応するのが国際化だろう。

2.どうしてもより厳格な制度とする必要があるなら,国籍に関係なく,海外に居住する家族は扶養に入れないことにする。現在,政府がこの方向の検討を始めている。当然,外国人であれ日本人であれ,海外にいる家族について,等しく扶養に入れないことになる。これでよいかどうか,よく議論すべきだ。

3.一部の報道は,扶養の制限を外国人だけに適用することが争点であるかのように報じている。論外だ。ほとんどの人は,日本人であれ外国人であれ,等しく保険料を払っていて,等しく家族を扶養している。外国人が海外送金をして家族を養っていることはイメージしやすいだろう。だから等しく扱わねばならない。同じ保険料を払わせて,外国人だけ扶養制限をかける差別的制度を作ってはならない。

「外国人労働者 健保適用制限、難しい線引き」『毎日新聞』2018年11月7日。
http://mainichi.jp/articles/20181108/k00/00m/040/134000c

2018年11月6日火曜日

「事務職になりたい」は過去へのあこがれだが「転勤がないように働きたい」は未来への要求だ

 「超売り手市場なのに「事務職志望の女子学生」があぶれる理由」という記事を読んだ。タイトルがことの核心を言い当てていない。実は「一般職事務職志望の女子学生」の話である。「一般職」で「転勤がない」というキーワードを落とすと,この話は分からなくなると思う。

 最初読んだ時には1998年ころの記事の再録かと思った。言うまでもなく,「漠然とした事務職」は非正規化,IT,そしてうまくいけばAIによって職そのものが減っていく。非正規化は止められてもITやAIは止められない。程度とスピードはとにかく,傾向として減ることは疑問の余地がない。

 その一方で,転勤のない地域限定職(=地域限定正社員)は,これから増えると予想されるし,すでに導入している会社もある。働く側からすると,ライトな場合はワークライフバランス,ヘビーな場合は親の世話のためにニーズが大きい。ただし非正規では生活が成り立たないから正社員にはなりたい。他方,会社側もすべての正社員をメンバーシップ型雇用にして,具体的スキルを一から育成して活用し,終身雇用する見通しはない。両者のニーズはそれなりに一致する部分がある。そして,社会的潮流として正規と非正規の格差縮小の要請があり,これは安倍政権から共産党までだれも否定しない課題だ。ニーズと社会的要請がうまく合体すれば,地域限定職,職務限定職は増える。

 よって,まず求められるのは,企業側の雇用システムの変化だ。新規学卒採用の在り方が変わろうとする機会に,従業員のキャリア設計も見直すべきだろう。
 障壁は,雇用保障の考え方を転換しなければならないことだろう。日本の雇用保障や解雇制限は,「長く一緒に働いていた人の雇用を保障」という属人原理で構成されている。しかし,地域限定職もある程度そうだが,職務限定職ならなおさら,「就いている仕事が存在する雇用を保障」にしなければならない。自分がそのためにやとわれた仕事が存在して,正常に遂行できている限りは雇われることが正当だ。つまり,非正規を5年で雇い止めるなどは不当ということになる。逆に,特定の仕事や職場がなくなった場合は,解雇されうる。従業員側が当然に配置転換を求めることは難しい。この,これまでと相当異なる原理に移行するのは,労使とも容易ではないだろう。

 学生の側には何が求められるか。この記事の観点だと,女子学生には,バリキャリをめざすか,ミスマッチで職がないかの選択肢になってしまう。それでは適切でない。女子学生がかわいそうだから助けるべきとか甘えているから厳しくすべきという話ではない。女性が活躍できないと労働力不足はどうにもならなくて日本経済がだめになるのだ。

 女子であれ男子であれ,若年層に漠然とした事務をさせる余地はもはやない。漠然とした「事務職になりたい」というのは甘えだ。そう言って言い過ぎなら,もう帰ってこない過去へのあこがれだ。しかし,地域限定・職務限定で様々な仕事をやってもらう余地は大いにある。若者は,その求人に明示される一定の仕事能力を身に着けることが求められる。それは一部は当人の責任だが,一部は,学校教育が職業教育の比重を増やして担わねばならないだろう。そして,ワークライフバランスや家族を重視して地域限定で働きたいというのは甘えではなく正当な要求だ。個人の権利というだけではなく,社会経済の改善につながる未来志向の要求なのだ。その要求がかなえられた時にこそ,日本経済は少子高齢化のもとでもそこそこ成長でき,雇用が安定した社会に着地できるからだ。

2018年11月9日表現を修正。

服部良祐「超売り手市場なのに「事務職志望の女子学生」があぶれる理由 ITmediaビジネスONLiNE」2018年11月5日。

2018年11月3日土曜日

続・留学生が日本の大学を卒業して就職する際の条件緩和について

 山脇康嗣「日本で年収300万超の外国人が大量に働く日」(※1)より引用。「日本が本格的な移民社会になるという意味で、見落とされている重大な「改正」が、実はもう1つある。それは、外国人留学生が日本の大学を卒業し、年収300万円以上で「日本語による円滑な意思疎通が必要な業務」に就く場合は、職種を問わず、期間も限定せず、「特定活動」という就労資格を認めるというものだ。」

 私は仕事の性質上,入管法が対象にしている技能労働よりこちらの大学生の問題の方に意識が向いていて先に気が付いたが,一般には気が付きにくい。というのは,この改正は入管法を改正せずとも,法務大臣の告示だけでできてしまうからだ。実は,私もこの法改正が不要という手続きの落とし穴は見逃していて,濱口桂一郎氏にご指摘いただいた(※2)。

 先日,私はこのブログで,ホワイトカラー職への就職制限を外すのは賛成だが,ブルーカラー職への就職を認めるのは,留学・大学という制度の無駄遣いなのでやるべきでないと主張した(※3)。

 私が恐れているのは,大学を技能労働者になるためのトンネルに使う動きであり,それによって1)大学教育にかける資金と労力が有効活用されないこと,2)いま一部の日本語学校がそうなっているように,大学の入試と教育水準が劣悪化すること,3)そしてこのルートにより技能労働者の受け入れ総数が何のチェックもなく増えることだ。最後の点について,大卒の外国人と高卒の日本人が就職で競合するようでは,留学生獲得政策の信頼性が問われ,反発も強まるだろう。

 政府は入管法改正案で,労働市場テスト(=その職に日本人が採用できない市場状況であることの確認)も総量規制がない受け入れ方を提案しているが,同じ発想を大学卒業者に「特定活動」ビザを付与することにも適用しようとして。「特定活動」は本来社会の多様なニーズに基づき,他の在留資格に当てはまらない活動での在留を認めるものなので,融通が利くところがある。調理の専門学校卒業後も,引き続き日本料理店で修業できるようにするとか,90日以上日本で入院して治療を受けるなどの場合だ。しかし,大学卒業者に一律付与するのは制度の大幅な拡大解釈だ。ブルーカラー業務を含む職種に就くことを,総人数無制限で認めることになる。不況期に大卒の外国人と高卒の日本人が就職で競合することにもなりかねず,留学生獲得政策の信頼性が問われ,反発も強まるだろう。

 他方,ここが改善されるならば,意見を修正してもよいかもしれない。その改善とは,1)この記事も述べているように外国人技能労働者の受け入れ枠について,労働市場テストを行い,総量もきちんと決めること,2)大卒者がブルーカラー業務に就くときは,「技術・人文知識・国際業務」ビザや職種制限の緩い「特定活動」ビザによって就くのでなく,「特定技能」ビザに応募しなおし,その基準で審査を受けることの二つが満たされることだ。なお,本当に特定の活動での在留が必要な時に,現行制度を使って「特定活動」ビザを申請することは何も問題はない。

 技能労働者の受け入れ総数を決める仕組みを作っておくことは非常に重要だ。大卒者についても,受け入れ総数が決まっている中で大卒者と送出国からくる労働者が競争するだけならば,教育制度の効果をそぐというマイナス効果は変わらないにせよ,日本の高卒労働者との競合が激しくなる心配はない。また,不況期に大卒者が技能労働者になり,その分だけ送出国から新規にやってくる労働者が減る。そうすると,外国人技能労働者の構成における大卒者比率が高まり,在留経験が長く日本語能力の相対的に高い者の比率が大きくなる。不況による就職難で当事者たちは苦労するが,労働市場全体としては競争による質の向上効果が見込めるのだ。

 以上のように,私はとりあえず日本の大学を卒業した外国人の就業制限緩和という問題に即しても,技能労働者の受け入れにあたって総枠を設け,その総枠を決定する適切な体制をつくることが必要だと考える。入管法改正案は,少なくともそのように修正すべきだ。

※1 山脇康嗣「日本で年収300万超の外国人が大量に働く日 臨時国会に上がらない重要な議論がまだある」東洋経済ONLINE,2018年11月3日。
※2 濱口桂一郎「留学生の就職も『入社型』に?」hamachan'sブログ,2018年10月25日。
※3 川端望「留学生が日本の大学を卒業して就職する際の条件緩和について」Ka-Bataブログ,2018年10月22日。

3つの権利から考える徴用工補償問題の解決方向とその困難

 徴用工補償問題。だんだんと理解できてきたが,法的には権利が3種類あるらしい。

1)被害者の実体的請求権。
2)1)を保護する政府の外交保護権
3)民事裁判で訴えて補償を求める権利

 まず大事なことは,韓国の政府,裁判所,日本の政府,裁判所とも1)は認めているということだ。つまり,徴用工には被害が発生しており,補償を求めるのはもっともなことだ,というのは認めている。ここは,政治家の個人的本音はとにかくとしても,公式見解として共通の立場なのであり,共通の出発点にして解決を図ることが政治・外交として妥当だろう。昨日,共産党の志位委員長がこの観点での解決を提案したが,私も方向性において賛成だ。日本政府が述べている,請求権協定で問題が解決しているというのは,2)と3)を否定しているということであり,徴用工などいなかったとか,徴用は何も悪くなかったなどと言っているわけではないはずだ。

 実体的請求権が認められていることは,新日鐵住金にとっても重要だ。被害者に何らかの補償や見舞金を払っても,会社に不当な損害を与えることとはみなされず,株主代表訴訟を起こされる心配はないということだからだ。
 実際,西松建設中国人強制連行事件などについては,日本の裁判では2)3)は認められないが1)はあるということになり,企業と被害者が和解し,企業が補償や記念碑の建立を行っている。本件も,解決の道として一番合意できそうなのは,本来はこの方法だ。

 しかし深刻な障壁が二つある。一つは,日本政府が2)3)が消滅していると主張しているのみならず,今回の判決を全否定し,新日鐵住金にも補償に応じるなと要求していることだ。2)も3)も消滅していないとする韓国の裁判での判決に従って補償するという行為は,確かにとりがたいかもしれない。しかし,1)が存在することは認めているのだから,徴用工の受けた被害に心を配り,何らかの形で償おうとするのが政治というものであり,また後継企業の社会的責任ではないか。判決の論理は従い難いが,他の解決の道を探るという政治的・道義的姿勢は必要だろう。ただひたすら韓国を非難するというキャンペーンは,適切でない。

 もう一つは,韓国の運動や司法が2)3)を断固として主張するところから変化するかどうかだ。何しろ今回出たのは最高裁(韓国大法院)の判決であり,韓国内において守らないわけにはいかない。実質的に判決と異なる行為をするとなれば,相当な理由づけと正当性が必要になる。また,別件の従軍慰安婦問題において,1990年代のアジア女性基金による償い事業が挫折し,いままた2015年の慰安婦問題日韓合意も揺らいでいるという事情がマイナスに作用する。これらは,事実上,1)は認めて償いをするが,2)3)は認められないので日本政府からの賠償という形はとれないという立場によるものだった。しかし,アジア女性基金は挫折し,慰安婦問題日韓合意も,韓国国内における反発から揺らいでいる。加害者が被害者に法的補償をするのが正しく,他の方法はごまかしだという見解は韓国内に根強い。

 さらに深刻なのは,今回の判決は,徴用工の問題は植民地支配下の不法行為であり,それがそもそも請求権協定の対象外だとしていることだ。通常,この種の戦後補償の議論は,戦争被害の後処理をする外交合意が被害者の被害を発生させた行為をカバーしていることを当然とし,その上で,1)2)3)が消滅したかどうかを争っていた。が,今回の判決は,性質が異なるのではないか。要するに日韓条約や請求権協定では大日本帝国による植民地支配下で不法行為が行われたことを認めていないので,徴用工への補償に対する外交的保護が外れていないと言っているのではないか。

 これは,日韓条約当時の自民党政権が,大日本帝国による植民地支配の不当性を認めない立場をとっていたことのつけと言うこともできる。しかし,問題はそこにとどまらない。

 この論理が認められると,影響は計り知れないと思えるからだ。過去,植民地支配下で行われたあらゆる不法行為について,その後の外交的取り決めでそれらが不法であったと明示的に認められていないことは,大日本帝国に限らず欧米の植民地支配を含めて,残念ながら少なくない。この判決の論理が通用するならば,それらすべての不法行為について,個人は補償を求める権利が一般論としてあるだけでなく,実際に,外国の加害者を裁判で訴えて補償を求める行為が法的に可能になる。これは被害者救済の正義だけを考慮すれば,ありうることだろう。しかし,そうなると大量の訴訟行為によって過去を裁くことになり,その反動で,自己の利益を守ろうとする被告側から,過去の不法行為を否定する主張をも誘発することになる。それによって紛争の多発,外交の混乱が生じるのではないか。政治と外交において,過去の清算が一定の比重で一定の位置を占めることは当然だ。だが,この清算方法は妥当なのか。ここには,検討を要すべき深刻な問題があるように思える。

田上嘉一「韓国「徴用工勝訴」が日本に与える巨大衝撃 戦後体制そのものを揺るがすパンドラの箱だ」東洋経済ONLINE,2018年11月1日。
https://toyokeizai.net/articles/-/246841

山本晴太「日韓両国の日韓請求権協定解釈の変遷」法律事務所の書類棚。
http://justice.skr.jp/seikyuken.pdf
上記サイトには今回の判決文の日本語訳もある。
http://justice.skr.jp/

志位和夫「徴用工問題の公正な解決を求めるーー韓国の最高裁判決について」2018年11月1日。
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2018/11/post-793.html

2018年11月2日金曜日

入管法改正。「移民政策だ」「移民政策ではない」の空中戦をやめ,中身の議論を

 入管法改正について。議論の入り口から無意味な空中戦になっていることを危惧する。在留資格「特定技能」1,2の設置について,「移民政策だ」「移民政策でない」という議論は,意味のない議論だからやめるべきだ。これは与党であれ野党であれマスコミであれ,日本語がわかり,Wikipediaさえ読めればわかることだ。

*国際的な定義は,ある国に12が月以上居住していれば移民なのだから,わが日本はとっくの昔に移民社会になっているのだ。当ゼミの留学生も,日本に来て1年以上たっているからみな移民だ。修了して,永住権は持っていないが「技術・人文知識・国際業務」ビザを更新しながら日本の会社で働いている元留学生もみな移民だ。留学生や技能実習生を大量に受け入れている段階ですでに移民政策を実施しているのであり,いまさらやるもやらないもない。

*当たり前のことだが,留学生も技能実習生も英語の世界ではみなemmigrant(移出民)とimmigrant(移入民)と扱われている。

*アメリカ合衆国のビザの種類には「移民ビザ(immigrant Visa)」があり,各種の非移民ビザと対比されている。この場合の移民は,永住権を持つ外国人を意味する。

*日本政府・自民党の定義は,「入国時に在留期間の制限がない者」で,アメリカのビザの定義よりやや狭い。入国後に永住ビザを取るケースを含んでいないからだ。だから,政府の見解では現在移民政策を取っておらず,今回の入管法改正も移民政策ではない。

 互いに定義が違うまま議論するのがおかしいのであり,報道はそこをきちんと指摘しなければならない。そして,メディアの役割は真の争点を指摘することであり,かみあわないことをワーワー言い合っているのを,そのまま報道することではない。

 空中戦をやめて具体的議論に入るべきだが,私もその準備が十分ではない。以前から述べている通り,私の見解の基本線は,理論的には現代資本主義において国際労働移動は不可避の問題であり,政策的には技能労働ビザを設置するしかなく,そのやり方が問題だというものだ。よって,今回の入管法改正に即してもっと具体的にコメントすべきなのだが,精査が遅れている。できるだけ急いで勉強したい。

「移民を流入させたがゆえの悩み,移民を流入させないがゆえの悩み (2016/6/28)」Ka-Bataアーカイブ。
https://riversidehopearchive.blogspot.com/2018/10/2016628.html

「外国人労働者について:もはや「受け入れるか,受け入れないか」の問題ではなく,「どう受け入れるか」の問題である (2018/6/6)」Ka-Bataアーカイブ。
https://riversidehopearchive.blogspot.com/2018/10/201866.html

「入管法改正案を閣議決定 単純労働で外国人受け入れへ」『日本経済新聞』2018年11月2日。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37249690R01C18A1MM0000/

『ウルトラマンタロウ』第1話と最終回の謎

  『ウルトラマンタロウ』の最終回が放映されてから,今年で50年となる。この最終回には不思議なところがあり,それは第1話とも対応していると私は思っている。それは,第1話でも最終回でも,東光太郎とウルトラの母は描かれているが,光太郎と別人格としてのウルトラマンタロウは登場しないこと...