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2020年12月1日火曜日

青木清「1965年しか見ない日本,『日帝』にこだわる韓国ーー『徴用工判決』の法的分析を通して」を読み,韓国大法院判決の論理の深刻さを知る

 昨年度のアジア政経学会秋季大会共通論題「東アジアと歴史認識・移行期正義・国際法ー徴用工問題を中心としてー」を基礎とした論文が『アジア研究』66巻4号に掲載された。昨年12月1日に投稿した通り,私はこの大会での青木清報告に強い衝撃を受けていたので,この度,整った論文を読むことができて,たいへんありがたかった。門外漢ゆえに見落としはあるかもしれないが,私はこの青木論文「1965年しか見ない日本,『日帝』にこだわる韓国ーー『徴用工判決』の法的分析を通して」こそ,元徴用工に関する韓国大法院判決の論理を理解するために待ち望まれたものだと思う。実に丁寧かつはっきりと説明してくださっている。この判決が正しいと思う人であれ,間違っていると思う人であれ,この論文は読む価値があると思う。J-Stageで無料公開されている。以下,私なりに要旨紹介するが,関心ある方は実物に当たられたい。

 青木論文は,まず「徴用工判決」の裁判としての性質は,国境を隔てて発生する私法上の問題を扱う渉外私法事件であることを明示する。外国裁判も外国法も,内国でその効力を認める国際法上の義務はない。しかしそれでは片付かないことから,外国裁判といえども一定の条件を満たせば国内でその効力を認め,事件を解決するにふさわしい外国法であればその方を適用するというシステムを国際社会は採用している。この裁判はそういう性格の事件において,韓国大法院が日本の判決,日本法の適用を認めなかったものなのである。

 認めない理由は「公序」に反するからである。漠然としているようであるが,これは韓国の法律にも日本の法律にもあることで,おかしなことではない。その上で,この大法院判決の特徴は,公序に反することの根拠を,韓国憲法の理念に反するところに求めていることだ。韓国憲法の前文は日本の植民地統治の合法性を認めない。それが根拠になり,日本の裁判所での判決を否認している。具体的には,戦時中の日本製鉄と新日鉄(日本での裁判の判決当時)の法人格の同一性を否認し債務の継承を否認した日本法の適用を,否認しているのだ(ややこしくて申し訳ない)。さらに積極的に,強制動員慰謝料請求権が成立するとしているのだ。そして,この権利が請求権協定の対象とならない根拠を,日本が植民地支配の不当性を認めず,強制動員被害の法的賠償も否認しているからだとしている。

 この青木報告を聞いたときに唖然としたことをよく覚えている。素人判断は危険ではあるが,私が思うには,この判決の論理は極めて深刻である。深刻というのは,正しいとか間違っているとかいうのではなく,判決の命じるままに行動すれば深刻な政治的問題を引き起こす一方で,覆すのも政治的に困難なように出来ているという意味だ。

 まず,この判決は韓国憲法の理念に根拠を置いている。ということは,憲法が比較的国民に支持されている韓国の政治においては,容易には否定されないであろう,と見通すことができる。逆に言えば,憲法の理念からいきなり日本の判決の適用の否認,日本法の適用の否認を根拠づけ,個人の存在賠償請求権まで根拠づけているわけで,それは,事の正否とは別に法解釈として飛躍があるように思う。

 次に,仮にこの判決の論理が通るならば,日本製鉄の行為にとどまらず,戦前戦中に朝鮮半島で行われた広範な行為を,それが直接間接に日本の植民地統治に肯定的にかかわっていた際には,事後に制定された韓国憲法の理念により,日本法を否定してで裁くことが可能になってしまう。それは韓国政治における日本帝国主義への批判を後押しするものなだけに,やはり韓国政治において容易には否定されないだろう。しかし,この,あまりにも事後法と言うべき論理が通るならば,政治・外交が過去の清算に注がねばならないエネルギーは止めどもないものになる可能性がある。そのようなことが大混乱や取り返しのつかない対立を起こさずに可能とは思えない。

 青木論文は,一方において,1965年の日韓基本条約や4協定では,植民地統治をもたらした条約を「もはや無効」と玉虫色の決着をしたため,棚上げ,先送り,犠牲にされた問題があることに注意を促す。日本は,これらの事柄に対応すべきだというのである。「1965年しか見ない日本」とされるゆえんである。他方,青木論文は,だからといって国際合意を覆し,条約の中身を否定するのは「法解釈としてはやはり行き過ぎ」だとする。「『日帝』にこだわる韓国」の法的行き過ぎである。結論として青木論文は,建設的な政策の再開を訴えている。

 私も青木教授に共感する。法の上では,韓国大法院の論理は行き過ぎであると思う。韓国の政府や司法が,徴用工問題を契機に,司法の論理で過去の清算を進めようとすることには無理がある。しかしそれは,日本政府が過去の清算問題などないという態度を取ってよいことを意味しない。法や条約の論理にはかからなくても,徴用工や強制労働(強制労働の実態があったことは日本の大阪地裁判決も認めている)という過去の出来事にどう向かい合うのかという問題は,本来,政治と外交において存在しているはずだ。韓国大法院の判決を押し立てるだけでも,それを国際法違反として頭から退けるだけでも,問題は解決しないのだと思う。本来は,過去の出来事にどう向かい合うのかという,基本的なところから出直さねばならない。しかし,ここまで話がこじれた状態で,どうすればそうした出直しができるのか,正直私にもわからない。青木論文は,問題の深刻さ,抜き差しならなさを教えてくれたのだ。


青木清「1965年しか見ない日本,『日帝』にこだわる韓国ーー『徴用工判決』の法的分析を通して」『アジア研究』66(4),2020年10月。 https://doi.org/10.11479/asianstudies.66.4_22



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