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2020年11月5日木曜日

核兵器禁止条約再論:全核保有国にいっせい署名・批准を求める国際運動が有効だ

  核兵器禁止条約の批准国が50に達し,2021年1月22日に発効する運びとなったことを喜びたい。

 この条約を非現実的だという人もいるが,私はそうは思わない。現実の政治の中で活用する道はあると思う。以下,2017年にFacebook投稿したことをいくらか補足して理由を述べる。

 核保有国やその同盟国の中には,まだ他の国が保有している,あるいは開発中である時に自分だけ条約に加わることはできないと主張する国もあるだろう。それは確かな現実であり,当該国の国民にそれなりの説得力を持つ。核兵器廃絶を目指す平和運動が自国政府だけに「批准せよ」と迫っても,その国の政府のみならず,国民・住民に支持されずに行き詰まる恐れがある。1980年代まで一定の力を持っていた一方的核軍縮措置論と同じ轍を踏む危険がある。

 なので,核兵器禁止を実現しようとする運動は,自国政府だけに「署名せよ」と迫るのではなく,「全核保有国がいっせいに署名すべきだ」と主張してグローバルな運動を行うべきだと思う。重要な脅威となり得る核保有国が「我が国は署名しない」というならば,他の国もおいそれと署名しないのはもっともであり,それはやむを得ない。「それでも一方的に署名せよ」という運動だけでは行き詰まる恐れがある。むしろ,そこで核保有国に対して「他の核保有国も署名するならば貴国も署名するか」と問いかけ,「他の核保有国も署名すると約束する際には貴国も署名すると確約せよ」と迫ることが重要であると思う。もちろん,数か国が確約しただけでは実際の署名は進まない。しかし,国際政治における対立の中で,確約する国が出現することはありうる。そして,確約した国が出現すれば,確約を拒む国家を「他のすべての保有国が核兵器を放棄するという場合でも核兵器に固執する国家」とみなし,その不当性を追求しやすくなる。「自国だけ署名することはできない」という論理を突き崩すよりも,「他の核保有国がすべて署名しようとも自国は署名できない」という論理の不当性を暴くことの方がはるかに容易である。

 核兵器禁止条約を支持する平和運動は,以上のような論理で運動を進めることが有効だと考える。このような運動ならば,理想をいささかも捨てず,理想的に過ぎる国の安全保障が脅かされることもなく,核兵器禁止条約の実効性を強める方向に国際政治を動かす可能性が生まれると思う。

 私がこのような「全核保有国に同時に核兵器の廃絶を迫る」論理を学んだのは,1980年代の原水禁運動においてであった。当時の原水禁運動には運動団体の主導権をめぐる不幸な争いがあったが,それとは別に核兵器廃絶の政治目標と運動の論理をめぐる論争もあった。私はこの時期に原水爆禁止日本協議会(原水協)の主張を原水爆禁止日本国民会議(原水禁)やヨーロッパの核軍縮運動のそれと対比させながら吸収し,核兵器の廃絶は,全核保有国が核兵器を放棄すると意思表明しない限り不可能であること,その意思表明が一方的なものになることを期待するのは困難であり,全保有国に意思表明させることが重要であること,他の争点と別に「核兵器に固執する国家」とそうでない国家という争点がありうることを学んだ。当時,確かに深刻な組織問題はあったし,社会運動史の研究者はそちらしか注目しないが,私はこの路線論争はそれとして有効であったと思っている。

過去投稿

核兵器禁止条約の国際政治における役割に関する考察 (2017/10/07)


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