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2019年5月1日水曜日

明仁氏と日本国憲法と私たち

 1989年1月9日。明仁氏は天皇として即位された際に,「皆さんとともに日本国憲法を守り,これに従って責務を果たすことを誓い,国運の一層の進展と世界の平和,人類福祉の増進を切に希望してやみません」と言われた。

 2019年4月30日。明仁氏は天皇の位から退位するにあたり,「象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に心から感謝します」と言われた。

 ここからわかるのは,明仁氏が,自らの地位を日本国憲法にしたがって理解し,日本国憲法に定められた象徴としての任務を果たそうと考えてきたということだ。彼は,憲法以外の,たとえば「日本の伝統」のようなもののために自らが天皇なのではなく,日本国憲法があるから天皇なのだと考え,そのことを肯定して来た。

 もっとも,気をつけなければならないのは,彼が,憲法で定められた国事行為を拡大解釈し,憲法が命じたよりも広い範囲の行動をとったことだ。ただし,その行動において,憲法の理念に沿うような行動をとろうとしたこともまた認められる。明仁氏の歩みや,その後世への影響については様々な議論が可能であるし,議論しなければならない。

 そしてまた,日本国憲法が認めたからと言って,天皇制という制度が現代社会にふさわしいものであるかどうか,天皇という存在と国民主権は矛盾しないのかという,根本的な問いは残っている。

 しかし,もうひとつ考えねばならないのは,本来,日本国憲法の理念に沿うように行動しなければならないのは日本国政府であり,政府がそのように行動するよう不断の努力でもって促し,監視するのは日本国民の役割であり,憲法の理念を生活に生かすべきなのもまた日本国民だということだ。日本国憲法をどちらかと言えば肯定する人々にとっては,そういうことになる。

 とすれば,私を含むそうした人々は,「平成」として区切られたこの30年間に,結果として,多くのことを明仁氏に頼ってしまわなかったかと,自問してみるべきかもしれない。憲法の理念を能動的に実現することは国民の責務であって,天皇はそうした国民を象徴するものだ。象徴たる個人が国民に範を垂れるべきものではないのであって,そうなってはかえって憲法の理念を否定することになる。

 私たちは,この30年間,自分たち自身の力で日本国憲法を実現してきたのだろうか。明仁氏が退位される今日,このことを考えねばならないと思った。

(4月30日23時57分記す)

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