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2018年10月27日土曜日

学部生卒業論文の研究方法論

 昨日の学部ゼミ。学部ゼミ生10人が卒論を提出するのだが,一方で働き方改革で卒論提出日が昨年までの1月の休み明けから12月26日に早まったので注意が必要だ(※1)。そこで夏休み直前に進捗報告を提出させてメールコメントし,2学期ゼミの冒頭には中間報告をしたもらったのだが,いくつか気がついたことがあった。それは,研究方法のレベルで迷子になっていて,データの収集や分析という中核的作業に進めていないケースがあることだ。具体的には二つに分かれる。

 一つは,「研究対象を対象として定めて,客観的に分析する」ことができていない場合だ。当ゼミの場合,さすがに対象がある「産業」とか「企業」と決まっている場合は起こらない。まずどういう産業なのか,企業なのか概観する作業が必要だよな,ということはわかるからだ。しかし,政策とか取引慣行とか人事管理などのしくみだとおかしくなりやすい。つまり,実践的行為やその集合体を扱う場合に生じやすい。その行為の束やしくみをまず客観的対象として突き放すことが,直観的にできないようだ。実践的行為の束を対象化し,境界線を決め,分類し,叙述し,経済・経営学的に分析する,という手順を体得していないのだ。
 そのような学生はどう報告するかというと,いきなり「メリット,デメリット」を列挙してしまう。しかし,判断基準も対象の境界線もないので,ありきたりな世間的基準か,根拠が示されない主観で決めつけることになってしまう(※2)。

 もう一つは,事例と理論,いや理論とまではいわなくとも,事例と「言いたいこと」との関係がよく考えられていない場合だ。これは学部生だけでなく,院生や,ひいては私自身にとっても頭痛の種だ。1)事例によって理論を証明するのか(説明的研究),2)事例の叙述と分析から,より一般性の高い命題を発見するのか(発見的研究),3)事象の普遍性・特殊性・個別性を総合的に叙述したいのか(総体としての叙述),がよく考えられていない。また,「言いたいこと」にこの事例はふさわしいか,そのためのデータ・情報はそろっているか,逆にこの事例から何が言えて何は言えないか,ということが考えられていない。
 そのような場合,学生がどう報告するかというと,i)一番よくあるのは,データ・情報の制約があったときに,その制約の方を突破するか,問題設定やストーリーを入手できなデータ・情報の範囲内で調節するか,という作戦が考えられないケースだ。さすがに院生だとないが,学部生の場合,「ここまでやったんですが,いいでしょうか。もっとやらなきゃいけませんか」と来る。たが、論文は自分自身が責任を負う作品だ。いいかどうかは,自分の問題設定,自分の資料に訊くのだ。ii)もうひとつは,一般論を述べて「これから事例を考えます」というパターン。事例についての知識をきちんと体得していないので,そもそも締め切りにまにあわなくなるおそれがある。定性的事例研究は,上記の研究のどのタイプになるにせよ,個別の事例を詳細に叙述しなければならないので,その事例となる産業や企業に関するデータ・情報を集め,知識を得るだけで時間がかかる。その上で,事象の中に潜む個別性・特殊性・一般性を見分けて,徐々に一般化に近づいていくのだ。さらに,iii)事例についてオタク的に際限なく資料を集めて叙述したが,それで理屈としてはどうなるのかわからないという類型もありうる。これは,いかにも当ゼミでは起こりそうなのだが,意外にも見当たらない。正確には,常に一人いる。私だ。なぜこういう類型が意外に少ないのか,わからない。オタクはオタクを遠ざけてしまうのか。

 こうした研究方法論は,それこそ一般的に学部生に講義して教えても,何のことかピンと来ないことになりがちで,自らのレポートや卒論の作成過程の中で覚えていかないと身につかない。だから,当ゼミでは入ゼミ時にも3年生終了時にもレポートを課して訓練する。しかし,それでもいざ卒論という局面で,またこうなる。実に難しい。これは結局,つまずいた経験がパターン化,一般化されないからだろう。なので最近は,問題が生じるたびに,「どうして行き詰まっているかというと,ここがまずいからで……」と上記のようなやや抽象的な説明を図解付きで入れるようにしている。だが,通じるだろうか。


※1 なぜこれが働き方改革になるのかというと,まず教員にとっては,これまでは,結局ぎりぎりまでできない学生がいるために,年末年始にあれこれと世話を焼かねばならないという問題があった。また事務にとっては,修士論文の提出も1月初旬のため,仕事始めにいきなり特定日に業務付加が集中するという問題があったのだ。
※2 ちなみに,この院生バージョンで時々起こるは,業界も企業も分析していないのにSWOT分析「だけ」で「この会社のことはわかりました」と称するものだ。業界の構造も企業組織もわからないのに,「強み」「弱み」がどうしてわかるのか。


1 件のコメント:

  1. お困りのことと存じます。大変こわいですね。心中お察しいたします。

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